10 8月

岩井喜代仁氏の研修・講演会が開催されました

2021年12月に開催する「茨城ダルク 岩井喜代仁講演会」に先立ち、本イベントに協力いただく宇城教師塾のメンバーを対象とした岩井氏による研修・講演会が、8月8日(日)大阪 愛日会館にて開催されました。

コロナ禍により当初5月に開催予定が延期になるなどの影響がありましたが、23人が岩井氏の講演と、藤村氏の体験談に耳を傾けました。

岩井喜代仁 研修・講演会

岩井喜代仁 研修・講演会

岩井喜代仁 研修・講演会

「薬物依存症は病気である」
「生徒が薬物を使ってしまったら、まずは我々に繋いでほしい」

大人が思っている以上に薬物への入口は身近にあること。
子供たちを守るには、どうするべきか。

実践と経験に基づくお話は、学校教員である参加者に大いに響くものでした。

以下に参加者の受講感想文を掲載いたします。

 

<男性・30代 奈良 中学校>

書籍では岩井先生のご活躍は知っておりましたが、実際にお会いした感じは本当に物腰柔らかく、親しみやすい雰囲気で。中々際どいお話も多かったですが、言葉の一つ一つに熱があり、想いがあり。今日は本当に参加させていただいて良かったなと、強く思います。

私は本当に、メディアの報じるままの薬物依存症を鵜呑みにし、薬物依存症に苦しむ方々の思いや葛藤をわかっているフリをしていた。今では強く思います。摂食障害のこと。ガス依存のこと。空気依存のこと。病院で服用する薬に対する依存のこと。思春期の若者がネットを容易に使えることの恐ろしさ。社会の裏側を見た気がします。生徒たちや私たちはこれほど多くの危険にさらされながら生きている。薬物に染まるチャンスの中を生きていることを知り驚きました。

生徒の身を預かる教師として、お話の最後の方で声を大にして伝えてくださった「断る勇気・逃げる勇気・使わない友達〔親友〕を作る」この3点を生徒に伝える事が、自分の使命なのだと思います。それも今まで通りの紙面を読むだけのような薄っぺらい伝え方ではいけない。経験はないけれど、子どもたちのアンテナは本当に広く大きいものなので、本気・本腰で伝えていきたいと思います。

親の教育については私にはまだわかりません。我が子も小学生になったばかりで、思春期の子育てについては私自身もわかっていません。ですが、生徒と保護者に寄り添いながら、今日聞かせていただいたお話を噛み砕いて伝えるとともに、保護者の不安や悩み、家庭状況にも真摯に対応していきたいと思います。

茨城ダルクの活動とそこで毎日を前向きに活動しておられる岩井先生のお話を聞けた事。財産です。少しでも薬物に手を染める若者を減らせるように、しっかりと今後に活かします。

藤村先生のお話もまた、リアルでグッとくるものがありました。「今でも身体が覚えている」その言葉の重みをしっかりと自覚し、薬物依存症の怖さを生徒にしっかりと伝えていきます。

 

 <男性・20代 京都 小学校>

コロナ禍の中、貴重なお話を伺うことができ、僕にとって忘れられない日となりました。岩井さんの語り、藤村さんの経験談は、自分の想像を遥かに超えていました。戦争体験者の話を聞くと、そのリアルさを身に染みて感じることができます。今回、お二人の体験談を伺い、似たような感覚を感じました。薬物の怖さ、依存症に陥ってしまうものが身近に溢れている驚き、学校教育の薬物乱用防止教室のあまさ、そして何より、お二人の全てを曝け出すお姿に自分の小ささを覚えました。

小学校でも、薬物乱用防止の学習がありますが、警察と協力して行うことはありますが、「ダメ、絶対」のように形だけ、表だけの学びになっている現状があります。その形骸化している現場に加え、私たちの教員の知識の浅さが拍車をかけ、薬物乱用防止教室での学びは、子ども達の心に届いていないのではないかと感じます。理解をしても、頭での理解ではないかと感じます(頭だけの理解がどれほど劣っているのか、これは宇城塾でも痛感しています)。指導案を見て、形骸化した内容を伝えるだけでは、子ども達の心に響くのか…。疑問に思います。たくさん教えなければならない授業があり、本校では,薬物乱用教室は6年生のみの実施となっています。果たして、それだけで子ども達を守れるのか、それは疑問に思います。そのような現状の中、自分に何ができるのか…何もできません。教師歴も浅く、学校全体を動かすような影響力もありません。しかし、同僚の先生を誘って、岩井さんのお話をもう一度聞くことはできます。宇城先生のご指導を受けた際に常に感じることと似ていて、1人でも多くの教師や仲間をつなげたい。そうすることで、少しでも変わるのではないかと思います。

 

<男性・40代 岐阜 教育委員会>

3時間という時間を全く感じない、あっという間の講演でした。岩井先生のお話を聴くのは10年ほど前に京都で宇城先生と合同のご講演をお聴きして以来でした。今回はそのときよりも距離がぐっと近く、また教師対象ということもあり、よし自分自身に引き寄せてお話をお聴きすることができました。

前回以上に感じたのは岩井先生のもつ「迫力」です。岩井先生ご自身が自らの経験から話されるその迫力で背筋が伸びっぱなしでした。学校でのご講演の生徒の感想に「さすが本物は違います」というものがあったそうですが、まさにその通りだと思います。中途半端ではない、常にやりきっていらっしゃる方が持つ「迫力」。それは生き方そのものです。それがあるから、薬物の本当の恐ろしさが私たちに伝わります。これまで学校で何度も「薬物乱用防止講話」なるものを聞いてきましたが、心に刺さるものはひとつもありませんでした。薬物の恐ろしさは頭や理屈で理解するものではなく、身体を通した経験でしか分からないのだと思います。経験された方が、その身体を通して語るからこそ伝わる。

そういった意味で岩井先生が覚醒剤について「こんな素晴らしいものをなぜやらないんだ」という言葉が、迫真の生々しいリアリティをもって私たちの心に刺さります。薬物が持つ、なんとも言えない魅力と底の知れない恐ろしさが身体を通して感じられます。

薬物の魅力も、恐ろしさも知らない私が、子どもたちを守るために何ができるのか。そのことがずっと心のなかにわだかまりとしてありました。自分は無力で、知恵も経験もないことへの劣等感が常にあります。ですが、そのヒントが今回のお話のなかにありました。

「友達を作る」。私が大学生だった20年前にもすでに薬物は身近にありました。大麻や覚醒剤を勧められたことが何度もあります。私が薬物に手を出さなかったのは、本当にたまたまで、紙一重でした。岩井先生がおっしゃるように、当時の私に何でも話せる友人がいなければ、もしかしたら…。しかし実際に学校で「友達をつくる」こと、そして目の前に薬物がちらついたときに「とにかく逃げる」ことを教えられてはいません。理屈で「逃げる」ことが分かっていても、逃げられる身体、逃げられる場所がなければ逃げることはできません。結局理屈は何も役には立ちません。

「子どもを守る」。薬物に関わることに限らず、校内暴力やいじめの問題など、近頃はすぐに警察に問題を投げてしまう傾向にあります。致し方ない面もあるのかもしれませんが、このこと自体が学校自身の教育力のなさの現れです。恐ろしいことに、そういった対応が「正しい」とさえされています。勉強を教えるだけで、きちんと人を育てられないのです。ですが少なくとも私自身はそんななかで戦う覚悟は持っていなければならないと思います。まずは警察ではなく、病院やダルクへつなぐという手段も知ることができました。学校や私自身を守るのではなく、子どもを守る。それが私たちの役目です。

「知ること」。何はともかく、私たち教師が学ぶこと、知ることがどれだけ大切なことか。経験も知恵もない私は、学び続けることしかできません。岩井先生のような経験はありませんし、これからもできる気がしません。真面目に、つつがなく生きているつまらない人間だと自分自身について思います。だからこそ、せめて学び続け、知り続け、何の力にもならないかもしれないけれど、小さな実践を積んでいくしかないと思います。たった一人でも子どもの救いにでもなれば…。そのために「知ること」そして「学ぶこと」を積み重ねていきたいと思います。

今回は本当にありがとうございました。一見平和に見える日常の中で、危機感をもって戦っていく勇気をいただいた気がします。

 

<男性・20代 奈良 高等学校>

普段教員として生活を送っている上ではなかなか聞くことのできない内容で、自分が住んでいる所とはまた違う世界を垣間見た気がします。お二人とも本当にざっくばらんにお話頂いているのを聞いている中で、自分という人間を曝け出すことの難しさ、そこで一歩踏み出す勇気が大事であると痛感しました。

薬物を断る勇気、逃げる勇気を得るためには友達、親友を複数名作らなければならないという岩井さんのお話の中で、自分は果たして学校の中でそういった環境を作れているのかと疑問に思いました。学生の人付き合い、人との繋がり方がバーチャルの世界に移行している中で、生身の人間との関わり方を練習できる場が学校です。その学校で失敗が認められなければ学生は萎縮してしまいどうしても良い子を演じるのではないでしょうか。失敗しながらも起きた出来事を自らの経験としていくことで彼らは成長していくのだと思います。教員として自分ができることはその環境作りで、安心して自分を曝け出すことの出来る場を作ることが急務であると痛感しました。SNS上で人々は自分をよく見せようと躍起になっている気がします。他人からよく思われたいという欲求は誰しもが持っているはずですが、等身大の自分を曝け出すとこで見えてくる部分があると確信しています。自分を容認した上で他者と関わり、他者を容認していくことでその場の安心感を醸成することが大切だと思います。

薬物依存症についての様々なお話の中で、頭のどこかで薬物は自分から遠い存在だと思っていた部分が引っくり返されたような気がします。インターネットの力も相まって薬物は限りなく近い存在であると感じました。このような状況下で学生を守るためには正しい知識を持たせることだと思います。経験者の実体験の話を聞ける機会などそうそう無いので、学生たちにも今回のような話を聞いてもらいたいと強く思いました。

今回の講演会は教員として自分ができることを再考する良い機会となりました。ありがとうございました。

 

<男性・20代 奈良 高等学校>

私が学生の時は、「麻薬、覚せい剤は絶対ダメ」と習ってきました。私はある意味(大人の言うことをきちんと聞くと言う意味で)いい子だったので今に至るまで麻薬などには関わってきませんでした。しかし、友人の友人になってくると使った事ある人が出てくるかも知れません。実際、お話を聞いていくと「薬物」に行き着くまでにはいろいろな入口があることを、たばこや酒だけでは無く、生活の中で普段使っているようなものが入口になり得るのだと改めて実感することができました。

子どもたちの好奇心は旺盛で何にでも興味を示します。特に悪の道にそれかけている子はたばこや酒にすでに手を出している子がいるかもしれません。お話を聞く前の私ではそんなのに手をだしたらあかんで、ということしか言えなかったと思います。今回のお話を聞いて、依存症=病気だということ、麻薬などに手を出してしまうと自分だけではなくいろいろな所に迷惑をかけてしまうこと、自分が本当に信じられなくなり1人ぼっちになってしまうことを改めて認識することができました。また、もし手を出してしまってもDARCなど、頼れる機関があるということを知れました。今回のお話を経て、今後生徒に指導する時には以前より少し深みのある指導ができると思います。

 

<女性・30代 奈良 高等学校>

3時間に及ぶ講演を終え、素直に感じたことは「映画を観た」ような感覚でした。自分が交わる事がなかった世界でしたが、知っておくべき事実でした。

「薬物を使うなとは言えない。それは別の人が言えばいい。」という思いを根底に、子どもたちを救うために出来ることを教えていただきました。お話を聞く中で、私は2つ勘違いをしていました。

1つ目は、保健体育の教員として、薬物乱用防止の指導をしているという勘違いです。知識を詰め込み、「勧められたら断って、その場から立ち去りましょう。」と、言うだけでした。しかし、断って立ち去る、その勇気の根拠となるものを伝えなければ、実践につながりません。その実践できる雰囲気や仲間を作ることが学校現場の役割だと、痛感しました。また、コンビニでアルバイトをする高校生は本当に多いです。不特定多数の人が、気軽に利用するコンビニが、薬物売買にとってどういう場所なのか…。岩井様の言葉にゾッとしました。

2つ目は、薬物乱用の入口は違法薬物だけではないという事です。タバコはもちろん、制汗剤やライターの詰替用のガス類、風邪薬等、常備していても怪しまれない物がきっかけとなる。この事を知っているか知らないかで、子どもの変化に気付くかどうか。私たち大人は、子どもを守れている気になっているだけ。これが、大きな勘違いでした。

薬物乱用防止は、児童・生徒自身への問題に着目しがちですが、岩井様と藤村様の話を聞いて、親・家族の問題が大きいと感じました。「親離れ・子離れ」が進んでいない家庭は、本当に多いです。その現状で、学校と親とのトラブルは絶えません。学校現場が直面する問題点でもあります。「物事の本質を見ていない、頭でっかちの勘違いだらけ」である教員に、傷付けられる生徒は多いですが、やはり学校現場の役割は大きく重要だと確信しました。信頼できる友達を複数人つくること。大人に相談すること。関係機関を知ること。これらの「雰囲気」を日常の中で醸成できる場は、学校・教室です。

岩井様は、「先生方は生徒に、薬物を辞めろとか、叱ったりしなくていいんです。まず、必ず親と一緒に連れてきて下さい。繋いで下さい。」と仰っていました。これ程、心強いメッセージはありません。私が感じたように、薬物乱用について、お二人のような経験談ほど、教育になるものはありません。どの分野においても、「本当のこと」を伝えようとしてくださる方々に、生徒も保護者も同僚も「繋ぐ」ことが、私たちにはできる。「本当の学び」の第一歩になると確信しました。

ご自身のことを包み隠さず、全てお話してくださったオープンなお二人に、いただいたエネルギーを次へ繋げます。

 

<男性・50代 兵庫 高等学校>

「私は教師を指導できない」とおっしゃって始まった講演会でしたが、十分に教師のためになる内容でした。宇城先生から「教師はパクリが多い。パクリで仕事をしている。」とよく言われますが、岩井さんのお話は、どれもご自分の経験から来るもので、まさしく『本物』でした。

耳の痛い話がいくつもありました。日本では大学を出立てでもスクールカウンセラーができるが、ある国ではその資格が50歳以上の主婦であるという話は、そのまま教師にも当てはまると思います。教師は教員免許さえあれば、何の経験がなくてもできます。自分自身、社会経験のないまま教師になり、宇城先生にお会いするまで、先生と言われることに疑問を持たずに来ました。

薬物に手を出してしまったときに相談する相手に「教師」が入っていないことに反論できないのが本当に情けなく思います。自分の勤務校でも薬物となれば、薬物→犯罪者→警察、となる可能性は高いと思います。「薬物依存は病気である」という認識も、宇城先生に学び、岩井さんの著書を読ませて頂いたからこそ受け入れられ、まずはしかるべき施設で治療を、という話に納得できますが、大多数の教師が、薬物依存は警察へ、と考えるのは火を見るよりも明らかです。

最後に「薬物を使ったことは経験だ」という言葉がありました。普段、生徒指導に関わるたびに思うことですが、もっともっと些細なことでさえ、生徒を犯罪者のごとく扱う教師がいます。教育現場であるはずの学校が、社会の非寛容な部分の縮図になってしまっているのを苦々しく思いながら、変えることができないでいます。岩井さんの『本物』の話を教師全員に聞かせたいと思いました。

 

<男性・40代 奈良 高等学校>

開始時間、終了時間、関係なく、時間ある限り我々に伝えようとされる岩井様の姿勢に、岩井様からの学校教員としての期待の大きさを感じます。同時に教員は、子どもたちが接する少ない大人の一人です。岩井様や藤村様の講話にあったように、我々教員が子どもたちに与える影響を改めて考えさせていただく契機となりました。

私は、ダルクという存在、岩井様のお話を聴くまで、薬物中毒は覚醒剤、大麻、シンナーのような類いのものだけだと思っていました。ところが、それら以外にもタバコやアルコール、処方薬依存も含むと初めて知りました。また、依存症は治ることはない、回復への正しいステップが必要だということも初めて知りました。

私は、兄が統合失調症です。万引きを繰り返し一度は刑務所へ行き「底つき」となりました。刑務所から出てきた今、症状はまだ軽くなっているものの、精神安定剤を飲んでいないとアルバイトにも行くことができない状態です。処方薬依存です。また、警察のお世話になることもしばしばあります。

回復プログラムの一歩目は家族会で自分をさらけ出すことだと知りました。父、母共に教員ですが、兄の病気のことは隠したがっていました。また、何かあると両親が経済的にも支援をし、まさに共依存だったと思います。

発症してから20年ほど経ちますが、もっと早くダルクの存在を知っていれば兄の人生、父や母の精神的、経済的な負担も少なかったかな。あまり関わってこなかった自分を情けなく思います。

本校にも、親が統合失調症の生徒がいます。知っていると知らない、選択肢があるとないは大きく違うと思います。依存症といっても様々な種類がありますが、苦しんでいる方たちとダルクがつながる一助となりたいと思いました。また、自分に出来ることは限られていますが、岩井様、藤村様、ダルクの活動を支える一人となり、一人でも多くの子どもたちを守ることが出来たらと思います。

 

<男性・30代 奈良 高等学校>

先生方の話を聞いて、我々教員の責務も大きいと認識させていただきました。また、薬物依存に関してあまりにも勉強不足であったこと、今まで薬物に関わるホームルーム等で学級で子供たちに話をしてきてことが、いかに内容の無い、上っ面だけの綺麗事を伝えていたのかと痛感しました。普段よく聞く「一度やるとやめられないから」というような浅い「なぜ?」ではダメで、なぜやめられないのか?から始まる深い「なぜ?」の部分まで、子供を納得させる話を心がけようと思います。

印象に残っているのは、「自立」です。回復には自立がないと無理で、親も子離れの必要があるため、家庭にも病気であることをわかってもらう必要がある。実際に、薬物依存症の生徒に巡り会わずにいたので、今回話を聞かせていただくまでは、本当に真剣に考えたことはなかったかもしれません。今回話を聞かせていただくまでの感覚では、病気であるということをストレートに親に伝えるのは正直勇気のいることだと思います。ただ、伝えることで救えるというか、回復に向かう可能性が見えてくることがわかりました。親に伝えて、「必ず一緒に相談に行く。じゃないと絶対来ないから」という言葉も、先生の経験からすごく重みを感じました。

他にも、コンビニですぐに手に入ることや、薬物依存症の特徴についても、聞いたことのある特徴以外にも、嘘つきで超自己中心的になるなど、聞いたことのないような特徴を聞くことができたり、なにかあったときに親が前に出てきて親が頭を下げてということではなく(これが学校で起こっている)、親が前に出ずに本人に責任を取らせることが大切だということも薬物依存症を回復に向かわせるためには必要であるととても勉強になりました。また、先生方の「今でも覚醒剤の話になると身体があの快感を覚えていて欲しがってしまう」という話を聞いて、本当に怖さを感じました。

本当にいろんな経験をされてきた先生方ならではの、リアルな現実とユーモアと愛に溢れる話を聞かせていただきました。肌で感じた先生方のエネルギー、今日の講演を聞かせていただいたからには、今後に生かし、1人でも子供たちの力になれるようにしなければならないと強く感じています。最後には電話番号まで教えて下さり本当に感謝しかありません。電話をすることがないことが1番いいのかもわかりませんが、なにかあったときは是非ご相談させて下さい。よろしくお願いいたします。

 

<男性・40代 奈良 中学校>

岩井先生の雰囲気に会場が包み込まれ、すごくエネルギーを感じました。薬物の怖さを知ったとともに、教員として何ができるのかを考えさせられました。最近よく聞く「危険ドラッグ」や「ガス」が前頭葉に影響が出て、吸う薬物は廃人になってしまうと聞いて驚きました。私は前任校で薬を使っている保護者がたくさんいて、何回も捕まってしまっていたことを聞いていたので、本当に「薬物依存症は病気」だという認識がなければ、周りの対応も違ってくるのだと思いました。私の若い頃はシンナーを吸っていた同級生がいましたが、依存症は身体が覚えているとのことなので、その後どうなったのかと藤村先生の話を聞いていて、ふと思いました。誰だって使う可能性はあるのだなと思いました。もし今教えている子どもたちにもその可能性があることを認識していかないといけないなと思いました。薬物を使う人は結局、ストレスや孤独感、自己肯定感が低いことが原因だと教えて頂きましたが、これは子どもたちの持っている課題とすごく近いように感じます。友達を作ることが苦手な子どもや自分の意見や気持ちを正直に言えない子どもが最近多く感じます。もしこの子どもたちの近くに薬物のある環境だと思うと、教員の役目をすごく大きいように思いました。親への教育がないこともすごく問題で、学校として強く言えないこともだんだん増えてきたように思います。親離れ、子離れができていない家庭もこの10年ですごく増えてきたように思います。自分のことは自分で守ることを教えていかないといけないですし、一人では生きていけないことを伝えていかないといけないと思いました。この話はぜひ子どもたちにも、親にも伝えていかないといけないなと思います。

 

<女性・30代 奈良 中学校>

岩井様も藤村様も、自らの体験を話してくださり、言葉の重みが違い、本当の言葉というのを感じさせていただきました。

私は、教職に就かせていただき10年目になります。この10年間で薬物や摂食障害などの悩みや問題を抱えた子供には出会っていません。なので、今回聞かせていただいた話のような子どもや家庭があるというのも、頭では分かっていてもどこか現実的ではありませんでした。しかし、岩井様のお話を聞いていると、いかに自分が安全な守られた世界で生きていたのかと痛感しました。薬物は、気付いていないけれどとても私たち身近にあり、気づかないところで侵食してきているのですね。そういった現実を私たち教員が知らなければ、守ろうとして思っても無知で力になれないのだと思いました。ちゃんと現実を知らなければ綺麗事だけでは通用しないことを知りました。また、大人の力だけではなく、子ども同士の関係を作っていくことが重要ということにとても共感しました。お話を聞かせていただいた後に、自分の部活の子どもたちに「なんでも話せる友達って三人いる?」と聞いたところ、「三人もいないかも」と言っていた子が数人いました。子どもたち同士のつながりの大切さは分かっていても、できていないのが現状でした。私はまだ力不足です。どうやってそのつながりを作っていくのか、もう一度考え、実践していきます。私にできるのはそうやって子どもたちが自分たちを守っていけるようなタネを蒔いていくことなのかなと思いました。そのためには私自身も親友や友だちと正直に付き合っていけるようにします。12月の講演会の際には、今よりも人として良い教師になれるよう進んでいきます。

 

<男性・30代 三重 高等学校>

生きるか死ぬかの本物の世界でやってこられた岩井さん、藤村さんのお話は深く心に突き刺さるものでした。中学校や高校へ出向いてご講演される際、「薬物を使い続けるとどうなり、自分から何が無くなるのか。」「使い続けた際は自分の身体でどのような責任をとらなければいけないのか。」「薬物から自分の身体を守るにはどうしたらよいのか。」「薬物を使うなとは言えない。」という事を伺い、使ってこられたご自身を認め、正直に自分をさらけ出すことができる勇気をお持ちだからこそ、たくさんの方の心に響く事を学ばせていただきました。本質から目を背けず、虚勢を張らずに「弱さ」「甘さ」を認め、正直に話すことができることの大切さ。そして、何事も「失敗」ではなく尊い「経験」であること。「失敗」ではなく「上手くいかなかった経験」を重ねて、学び続けるという事を目の前の子ども達に伝えていきたく思います。そのために勉強。そして実践。薬物から抜け出すには、「自分の力ではどうしようもできない。」と思えることが本当の治療に行き着くための第一歩。そのように自分を見つめることが出来る人間性の大切さを学ばせていただきました。「師を持ち、師の心を知る。」「思いを共有し、互いに手をとり合える仲間の存在。」このことに通じるものがあるように思えました。入寮者の方々の「生」と「死」。亡くなった入寮者の方々が死を通してたくさんのメッセージを治療されている方々に残していかれること。「生きていること」「生(活)かされていること」。深い根本の本質は同じであることに気付かせていただきました。ご自身の人生をかけて薬物で苦しむ方を救いたいという生き様。このお気持ちが心に響く中身の濃いお時間でした。横着な自分。自分の生き方の傲慢さ。自分の甘さ。行動、実践ができる自分に変わります。たくさんの学びをいただき誠にありがとうございました。

 

<男性・30代 京都 私立 中学校・高等学校>

3月に初めて茨城ダルクでお会いさせていただき、岩井様の生き様やどこまでも深い愛情とオーラに圧倒されたのを今でも覚えています。5月に予定されていた講演会は延期になり、待ちに待ったこの日を迎えることが出来、うれしく思います。

到着するやいなや紹介する間もなく早速私たちにお話しいただき、私だけでなく来ていた教師もみんなそのエネルギーに驚いたことと思います。エネルギー溢れる講演会の中では、本当に多くのメッセージをいただきました。まず1つ目は、「今ある自分や出来事を認める」ということです。人はどうしても自分自身が否定されたり、苦しい場面になると目をそらしたくなったり、受け入れることを拒否してしまいます。私もそのような場面が今でもあります。しかし、出来る出来ない、自分の責任ではないなど、今ある現状から逃げたとしても何も変わらない。「今」を受けいれること、「弱さ」を受けいれることで「弱さ」が消える。「病気である」ことを受けいれることで「病気」でなくなる。そのようなお話から薬物依存のお話はもちろんのこと人として生きていく上での「本質」をお話いただいているのだと強く感じました。

2つ目は、「全ては失敗ではなく経験である」ということ。岩井様も藤村様もこのことをおっしゃっていました。これまで「失敗したらどうしよう」と思い悩んできた人からすると本当に救われる言葉です。これまでの「経験」をこれからにいかして前に進めばいいんだ。と背中を押してもらえるものです。このことは教育の中においても同じことが言えると思います。学校は勉強だけでなく、集団での仲間づくり、1つの目標に向かって努力することの大切さを学ぶ場です。これまでも自分が傷ついたり、相手を傷つけたりしたこともある中においてそれを自分の「経験」として生きていくのかを学ぶのが学校のあるべき姿です。だからこそ生徒には多くのことにチャレンジしていってもらいたいですし、チャレンジしたくなるように寄り添っていきます。決して生徒任せにしていても前には進まないものです。どのようにして寄り添うのか岩井様と藤村様の「この子たちのために・・・」という想いの大きさに自分が何も出来ていないということに気づかせていただきました。

ダルクで「ここに来ても薬物依存は治らないよ。けど治るよ。回復するよ。」という共に回復に向けて取り組もう!という真の意味があるのだと気づかせていただきました。依存症回復には時間がかかる。その時間一緒に。共に。という覚悟が絶対不可欠で、それは私が想像していた以上の時間でした。10年20年経ってもなお、岩井様も藤村様も身体が「薬」を覚えており、その衝動にかられるとのこと。ずっと向き合っていくその覚悟があって初めて「回復」に向かっていくことに「薬物」というものをどのように伝えていくのか教師としての責任は本当に大きいと感じました。「ダメ!絶対」だけでは何も変わらない。一方的な見方では伝わらないのと同時に本当の怖さを伝えることができません。それは経験した人でしか語れないものであり、生徒、保護者、教師が「真実」を知ることが教育であり、私たち教師がしていかなくてはいけない行動だとわかりました。

 

 

<男性・30代 奈良 高等学校>

開演前から休憩なくお話しいただいたエネルギーとお話の内容に圧倒されました。お聞かせいただいたお話は私の知らないことばかりでした。しかし、知らずにいることは多感な時期にある生徒を相手にする職に就く者として無責任なことだと感じました。決して目を背けてきたつもりはなかったのですが、私にとっては自分から見にいかないと見えない世界でした。その世界を真正面からリアリティをもってお話しいただいたことで、そう遠くない身近な世界であることに気づかせていただきました。

生徒が薬物を使ってしまったらどこに相談すべきかという項目で、本当は「教師」と書きたかったが、「自分が信頼できる大人」と書いた、というお話が胸に刺さりました。確かに、上辺だけの指導、事なかれ主義で、真正面から生徒と向き合えているとは言えない現状があります。もし自分が関わる生徒が薬物を使ってしまったら、私のところに相談に来る生徒はどれだけいるだろうかと考えると、情けなくなりました。また、自分のことを何でも話せる友だちが3人以上いるか、と生徒に聞いたらと考えると、これもまた怖しくなりました。生徒と教師、生徒と生徒の間では立ち入った話がしづらくなってきている実感があります。しかし、それでは救えるものも救えなくなる可能性があり、教育現場としては大きな問題です。心の通った関係と空間を作ることが、AIやオンラインではできない、教師としての使命だと感じました。

クスリは失敗ではなく経験、というお考えには勇気をいただきました。何事にも前向きに取り組んで自分の糧にしていこうと思いました。まずは生徒と真正面と向き合うところから実践して参りたいと思います。

 

<男性・60代 大阪 大学>

気づけば始まっていました。改まった紹介などもなく、すでにそういった空間に包まれておりました。それを自然体の岩井さんがすでにつくっていただいていたような感じが致しました。捉われがない、初めてではないようなそんな空間がありました。これが宇城先生が常々言われている人は魅力で引き付けるということであると感じました。2時間半という時間がすごく短く感じ、これまでに経験したことがないような視点からの学びとなりました。温かさの中にも張り詰めた緊張感のある空間があり、すべてが新鮮で、深く、そして教育とは、教師とは、親の在り方とは、薬物依存とは、危険ドラックとは、人としての生き方、責任の在り方とは…ということを様々な角度を通して学ぶ機会をいただきました。冒頭、「今日は自分の恥をさらしに来ました」という岩井さんからの一言に、岩井さんのこれまでの生き様を感じ、私たちとの距離を近づけていただき、会場全体を包み込んでいただきました。「犯罪」と「病気」。薬物依存症は犯罪だという捉え方でこれまでおりましたが、それは実は病気であると。薬物は警察ではなくまず病院。学校は犯罪を犯した生徒を排除するのが日本。これは犯罪を犯したことだけに限らず、どこかでそういった子供を排除しようとしている現状が今の教育現場にある。まさに病気、家族、生徒に対する教師としての在り方を学ばせていただきました。すべてはひとつであり、繋がっている。まさに現場が対立を生んでいるようでは子供は育たない。すべては調和の中でそれぞれが生かされている。その大人、教師の本気の生き方こそが子供に映ることを改めて感じ、自身の今と向き合う中で、現状、現実として今回の内容を受け止めさせていただきましたし、何事においてもどこに向かって進んでいるのかを明確にする必要があると改めて気づかせていただきました。4000校以上の学校で講演をされている中で感じられた事として「親への教育がない」。この言葉が非常に心に残りました。それと同時に自身の昔のことを振り返る機会をいただきました。親への教育は誰がするのか?それは子供の頃からの家庭教育から生み出されているものであり、私自身のことを考えるとまさに自身の家庭(両親・祖父母)、周りの大人、学校の先生の存在にあったように感じます。それが映っていく。そして学校での先生との関り、繋がり、愛情が土台にあったように思い返しておりました。先生に叱られることは親からも叱られる。
学校では教師が先生、家庭では親が先生。まさに「先に生きる」「先を生きる」存在が先生であり親であったように思います。私自身は本気で叱ってくれる先生を子供ながらにどこか信用していたように思います。家庭と学校がどこか常に繋がっている。親が家庭で先生の悪いことは一切言わない。親自身も先生を尊敬し、子供を信用して預けている。そういった目に見えない繋がりをどこかで感じていたように思います。親を見ていて感じたことは近所との付き合いを大事にしていたこと、私が子供の頃は近所のうるさいおじさんがいてよく叱られた。他人の子供を本気で叱る、それにもどこか愛情のようなものを感じていたのかもしれない。学校では厳しい先生の存在(人の教育)、友達関係、そういった中で自然と生きる力を養っていたのだと。学校に親が呼び出されたときも、自身が反抗期であった時も、今から思うと常に何かに包み込まれていたのだと。そういったことが今の家庭、教育現場に果たしてどれだけあるのだろうか。どこか自己中心的なところがある。自己中心とは自分に中心がない、中心を持てない、肚がないということなのかとお話を聴きながら感じた。そしてそれを教育する場が実は必要である。今は簡単に何でもが手に入る時代であり、それ自体が如何に世の中(若者の心)を歪め、甘いものにしているのか。ここ数年、大学生の大麻の問題が急増している。大学野球界でも寮の中で大麻を栽培していたことが発覚したと報道された記事を見て驚いた。コロナ禍の中、寮で大麻を栽培。それだけ危機管理、自己責任感が低下している。簡単に物事を考えている、原因は大学生になってからではなく、そこに至るまでの教育にあると感じずにはいられない。しかも隠れて、見つからないように、スポーツを志す者がそういった行動を起こす。堂々と生きることができない。それは堂々と闘うこともできない。もちろん自分をさらけ出すことも、人を守ることも、包み込むことも、認め、敬うこともできない。 ただ形だけ、目先、小手先、ただ勝敗だけ、周りの評価だけのためにスポーツをやっているのか。原点、根本、足元を完全に見失っている。そこを教育する場がない、そこは勝ち負けではなく、そこを教育できる教師、指導者がいない。まさに育つ環境がなくなってきている。今回、薬物依存症のお話を通して、薬の問題というよりも、教育の在り方、親の在り方、人としての生き方をお伝えいただいた。これは、参加者の私たちにこれからの教育界をどのように変えていくのか?ということを問われているように感じ、身が引き締まりました。「子供に責任を 持たせる教育」…邪魔をしない。何でも親が尻拭いをする。子供のことを親が責任を取る。これ自体が子供の自立、成長を止めている。「親離れ」「子離れ」の重要性。離れるとは、逆に近づくことでもある。大切なことは、人としての責任の取り方。そういった中心軸・基本軸・肚のつくり方を教えるのが真の教育であり、今回お二人のご講演を通して、すべては人としての生き方に繋がるということをお伝えいただきました。

  

<女性・30代 京都 私立 中学校・高等学校>

薬物依存症という病気について、自分の無知さをただただ実感する時間でした。依存症は治らないけれど回復することはできる。これまで何度も警察の方による薬物に関する授業を聞いてきましたが、初めて聞いたことでした。薬物に手を出してはダメ、薬物は犯罪、警察に捕まって少年院に行くことになる、そういった話しか聞いてこなかったことがいかに上部だけの知識だったかを痛感しました。

薬物に依存しないためにも、薬物から回復するためにも、薬物に依存した大切な人を救うためにも、全てにおいて必要なことが「自立」であるというお話を聞き、「守る」つもりが、相手の自立の邪魔をしてしまっていないか、自分の生徒達との向き合い方を考えさせられました。また、薬物依存の子を持つ親に対し、自立かダルクか刑務所かを本人に選ばせるように伝えた上で、家族会を定期的に実施し、家族に対しても子離れ、自立の機会を設け共依存状態から抜け出すプログラムを実施されているということに大変感銘を受けました。子ども達が変わるためには、家族も同時に変化していくことが必要です。今の学校では、この家族に対するアプローチがなかなかできていないことが課題です。モンスターペアレントを生んだのは学校であるなら、その関係を変えられるのも学校です。ただ成績の話をするだけの上部だけの保護者会ではなく、子ども達の自立につながる関係作りを考えていきます。

岩井様は、薬を使うなではなく、使ったらどうなるのか、責任の取り方を子ども達に伝えるとおっしゃいました。断る勇気を持ちなさいとか、逃げる勇気を持ちなさいと言葉でただ伝えるのではなく、刑務所か精神病院か死体安置所か、それらの事実を伝えた上で、自分の周りに何でも話せる親友が3人いれば断る勇気を持てるし、逃げ場ができるということを子ども達に伝えているというお話が胸に刺さりました。仲間と過ごすことがしんどいと感じるような子ども達を減らすためにも、人との繋がりや人との関わりの中で自分の弱さと向き合い、強くなっていける。そんな繋がりを作っていけるような場に学校をしていきたいです。また、使ってしまったら先生に相談すると書きたかったが、先生は警察に突き出してしまったので信頼できる大人と書き換えたというお話も衝撃でした。保健室の先生は治療だとわかっているが、生徒指導になると犯罪に変わる。この学校現場の部分体となってしまっている現状と教師が学ばない現状が子ども達を苦しめているのだということです。

スペインでは大規模なチャリティースポーツイベントが行われたり、外国では治療が先に行われるのに日本では逮捕が先で、薬物治療の専門病棟すらなかったということも、岩井様のお話を聞き初めて知りました。薬物はコンビニなど身近なところで手に入ってしまうという危険性や、違法薬物だけでなく医者から処方される薬で依存症になるケースがあること、そして何よりも薬物開始年齢の多くが中高時代であるということを、教育現場にいる私たち教員が知り、学ばなければなりません。藤村様も岩井様も、いつでも薬はやめられると思っていたとおっしゃっていました。誰だって依存症になりたくてなっているのではない。逆を言えば誰だって依存症になる可能性があるということを教えて下さいました。今、関わっている子ども達の変化に対して敏感であれる大人になれるように、まずは自分が進歩・成長することが何よりも必要です。岩井様のお話、お言葉から、これまで多くの方の人生と真剣に向き合ってこられたということが伝わってきました。親父と慕う人々が自ら命をたつことがどれだけ苦しいことか、私には想像もつきません。それでも、岩井様は1日1日、今と向き合い今を真剣に生きておられます。岩井様の生き様は綺麗事や上部ではなく、全てが実践ありきです。失敗ではなく経験。そうやって、リスタートすることが許される世の中を作り上げていく一端を担える大人でありたいと強く感じました。貴重なお話を聞かせて頂き、本当にありがとうございました。頭で知って終わるのではなく、今、自分がいる場所で自分に何ができるのかを考え、行動していきます。

 

<男性 30代 奈良 高等学校>

“道”の季刊誌を拝読させていただいており、岩井様のことは存じ上げており、どこか正直、構えて講演会に参加させて頂きました。

岩井様が会場に入って来られた時、一瞬の緊張感の後、一気に温かい雰囲気に包まれた感覚になりました。恐らく、その感覚になったのは、自分だけではないと思います。それは、一言では言い表せないですが、自分以外の人間に真剣に関わって来られた生き様なんだと感じます。人の雰囲気を変えられる、”気’を動かす、理屈ではなく、実践されてきているからなのだと思いました。

私自身、保健体育科の教員ですので、「薬物乱用」について、保健で授業をします。薬物の種類、薬物乱用から薬物探索行動が恐喝等の犯罪に繋がること、薬物の身体への影響(フラッシュバックや耐性など)など知識として生徒への発信をします。ただ、今回講演会に参加させて頂きながら、自分自身を振り返っていたのですが、情けないと感じたのが正直なところです。それは、薬物乱用の授業に対して”真剣”ではなかったということです。授業でやらなければならない1つの教材としか捉えていませんでした。育った環境、友人関係、市販薬の服用ミスなど薬物乱用への入口がどこにあるのかはわからないですし、多くの入口があるということ。お話しを聞く中で、薬物乱用が身近に感じました。薬物乱用の低年齢化やパソコン・スマホで簡単に入手できてしまう世の中です。真剣にならなければと感じました。

お二方のお話しで、今もなお薬物の影響を受けられていると仰っておられました。ただでさえ、自分自身のことでいっぱいになる状況の中、他に対してエネルギーを注がれています。しかも真剣に、、、。他の人生に関わる覚悟は自分には計り知れないことです。何がお二人をそうさせているのか、、、冒頭でも書かせて頂きましたが、エネルギーの波動が自分だけでなく、他にまで広がり大きな波動になればなるほど、たくさん人が救われ、包み込まれるのだと、、、そこには、理屈や理論、綺麗事ではなく、実際に行動されている、実践が有られるからのエネルギーなのだと感じました。

 

<男性 30代 京都 私立 中学校・高等学校>

依存症は治らない。もっとも心に残っている言葉です。依存症は治ると思っていましたし、話を聞きながら,岩井さんや藤村さんはこうして人前で話しができているし、生活もできているではないかと思っていました。身体が覚えてしまっている、話をしていたり聞いていたりすると身体がうずく。今もなお、こうして自分たちのために依存症と闘いながら、壮絶な人生を時には笑いを交えながらお話ししてくださっているその姿に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

これまでも薬物防止教室などで話を聞いてきましたが、それらとは比較にならない次元で、より具体的で、さまざまな実体験を隠すことなくお話をされていて、その話のすべてがスッと入っていくのがわかりました。薬物依存のお話しなので、いわゆる大麻やドラッグのことだと思っていましたが、ベンザブロックでも入口になるということを聞き、これまで正しいと思っていたことに対して恐怖感が湧いてきました。また、いかに自分が一般的な正しいとされていることに対して思考停止状態にあり、自分でものごとを考えていないかがわかりました。タバコやガス(エイトフォーやライターのガス、ハーブ)など、普段身近にあるものが入口となっていることを知り、誰も薬物をやろうと思って始めている人はいないという言葉の深さを実感することもできました。

薬物から自分の体を守る上で大事なことに、“3人以上”の親友がいるかどうかが大事だということがありました。やんちゃなグループ、友達関係がそうなっていくことは感覚的にもっていましたが、友人関係が狭いことが自分の体を守ることにつながることは想像もつきませんでした。そういった視点で考えると、今、自分の目の前にいる子どもたちも様々なことに引き込まれていく可能性があるということを、よりリアルに感じ、恐怖感が膨らみました。対人関係で悩む生徒に対して,友達は多くなくてもいいのではないか、親友もつくる必要はあるのかとアドバイスをしたことがありますが、今回、生徒対応を考え直すきっかけにもなりました。また、使ってしまったらどこに相談するかという点においても、自分が子どもたちにとって信頼できる存在になれているか、相談されても子どもたちに適切なアドバイスもできるのかと思い、子どもたちと関わるという大きな責任を再確認することができました。

今は、自分が今回得ることができた感覚や知識、喜びを、子どもたちにも感じてほしいという気持ちでいっぱいです。また、親への教育という言葉もありましたが、私自身もずっとその重要性を感じていました。だからこそ、保護者の方々にも聞いてほしいという気持ちも湧いてきました。次回、子どもたちや保護者の方々と共にお話を聞ける日を楽しみにしています。

 

<男性・50代 奈良 中学校教頭>

今回、岩井先生より薬物依存症についてほんとに丁寧に詳しく、そして実体験を通じてのお話を聞かせていただき、いかに自分が思っていた知識が浅いものなのか痛感いたしました。

今回参加させていただくにあたり、私には一つのテーマがありました。それは以前、「道」の連載コーナー「今日一日を生きる」で岩井先生が仰っていた記事の中で、ダルクから出て生活するにあたり「もう自分は薬には絶対に手を出さない大丈夫です」という人ほど危ない。また手をだしてしまうと。むしろ、自分はまだ、いつ手を出してしまうかわからないと不安に思っている人の方が回復していくとおっしゃっていました。私は、このお話を拝読して以来これはどういうことなのか、頭ではなんとなく理解できるものの、ストンと腑に落ちることがありませんでした。その疑問が今回の研修会により少し解決したような気がしました。薬物依存症は病気であり、治らない、しかし、薬やリハビリなどにより回復することは出来る。先生は仰いました。藤村先生がお話の中で今でも薬の話題になると体が欲しくなる。いまだに欲しくなる、体がその快感を覚えていているからだと仰いました。それほど薬物というのは強烈なのだなと感じました。薬物依存症というのは治る治らないという次元で考えるのではなく一度手を出すと体がおぼえてしまって、意思でコントロールできものではないということを自覚しなければいけないのだと思いました。もう大丈夫はない、薬のない生活を一日一日積み重ねていくことが回復へのプロセスなのかと感じました。

印象に残った2つ目は「使わないためのメッセージ」の中にあった薬物を使い続けたら自分の体で責任を取ることになる。行きつく先は①刑務所②精神病院③死体置き場(自殺)であると。特に自殺につながるというのは私の中にはあまり認識はありませんでした。しかしお話に合ったように薬物依存の状態で様々なつながりがきれ、孤独、自暴自棄、うつ状態になって自殺してしまうということでした。先生が関われた人の中で約2000人中、200人余りが自殺したという数字は本当にショッキングでした。現在、中学生でも様々な理由で自死をほのめかしたり、自傷行為をくりかえしたりと心配な子供が多く見られます。薬物を含め我々の視野を広げて子供たちを具体的な視点をもって見守り支援を考えていかなければならないと感じました。そして3つ目に印象的だったのは家族の病気「共依存症」についてでした。薬物依存者が起こす問題を家族・親が「必殺-尻ぬぐい」をしてしまう。子供をかばうことによって薬を使いやすくしている。「親離れ・子離れ」親の甘やかし、家から出す、自立させる。責任をきちんと子供に取らせる。親が手をだすのをやめさせる。これらは、薬物依存症の中での説明でしたが、拝聴すればするほど現代の学校や社会の多くの諸問題の原因と同じものであると感じました。私も拝聴しながらわが子の子育て親としてどうであったか、今の子供の姿を振り返りながら反省させていただきました。昔から「かわいい子には旅をさせよ」と言われますが、大事な子だからこそ、手元に置いて甘やかすのではなく、親元を離れて厳しい経験をさせることで自立し成長できるものであるという認識をしっかりともち続けなければならないと気付かせていただきました。今回の研修会に参加させていただき、ほんとに貴重で他では聞けない内容で、自分の生きざまをさらけ出し、薬物依存症の方々の回復を願い活動されていることに感動いたしました。今回学ばせていただいたことを、日々の教育活動に生かしていくと共に是非周りにもつなげていきたいと思います。そして私自身、まだまだ無知を自覚ししっかりと学びを深めていきたいと思います。

 

<男性・20代 奈良 高等学校>

今までテレビ等で薬物依存者の話を聞くことはあり、回復した例も紹介されていましたが、「回復=治る」だと解釈しており、薬物依存も治ることがあると思っていました。しかし、その認識は講演会の冒頭でひっくり返り、自分自身の薬物に対する無知を思い知らされました。また、薬物で亡くなった人の話が何回もあり、薬物の恐ろしさやそれと向き合っている岩井さんと藤村さんの覚悟を感じました。岩井さんも藤村さんも、「自分たちは薬を使ってきたから子供達に薬物を使うなとは言えない」とおっしゃっていましたが、「薬物を使うな」と伝えるのは親や教師の仕事だと思います。1度使うと後には戻れなくなるので、使わない教育の大切さを強く感じました。

一番衝撃を感じたのは、藤村さんの弟とたばこを吸ってみたという話でした。というのも、私も友達と同じようなことをしたことがあります。小学生のとき、下校中に落ちているたばこを見つけ、それを吸おうという流れになりました。1口吸って苦しくなり、一生たばこは吸わないと決めましたが、そこでたばこを受け入れていたら私も喫煙者になり、薬物依存の扉の前に立っていたかもしれません。忘れかけていた(自分の中では)小さなことが、人生を大きく変えることになってしまったかもしれないと思うと、とても怖くなりました。

誰もが学校で、「薬物ダメ。ゼッタイ。」を教わりますし、薬物をしたくてしている人もいません。一度使うと抜け出せない薬物において、手を出さないことが絶対に必要なことです。「分かっているけどしないようにする教育」がとても重要なのだと感じました。しかし、そのようなことを教えてもらった記憶は無く、私自身学校でもそれを教えられていません。薬物防止のホームルームは年に数時間しか確保されていませんが、その時間を大切にできていたか、遅い後悔をしています。

「分かっているけどしないようにする教育」は、どの場面でも実践できることです。この講演会で学んだことを、生徒達に還元することでしか、お二人にはお返しはできないと思っています。

 

<男性・20代 奈良 小中学校>

今回の講演会を通して感じたことは、私たち教師が子供たちに出来ることとしていち早く関係機関につなぐことが重要だと感じました。また、岩井様、藤村様の経験をお聞きして、宇城先生が日頃教師塾でお話をしてくださる、「寄り添うこと」、「愛情をもって接すること」の重要さも改めて感じることができました。

昨年、摂食障害になった女子生徒がいました。今回の講演でその女子生徒のことを振り返りながらお話を聞かせて頂きました。その女子生徒は無事退院し志望する高校にも進むことができましたが、高校でもとても悩んでいると聞きました。その中で岩井様、藤村様の経験、ダルクでの実践を伺い、自分自身のレベル低さ、教師のレベルの低さを痛感しました。

本当の経験が言葉の影響力であったり、その人の生き様になっているのだと。今回の講演を通して、「生き様」や「寄り添うこと」、「愛情をもって接する」ことの重要さを改めて実感できました、この今回の経験を教育現場で子供たちに還元していきたいと思います。

 

<男性・50代 大阪 中学校>

私が「ダルク」の事を知ったのは、2009年の12月に『人間と生き様~岩井喜代仁・宇城憲治 特別講演録』を購入し拝読させて頂いたときです。その後、2013年から季刊『道』を定期講読するようになり、連載も読ませて頂くようになり、「どう出版」から出版されている著書も2冊読ませて頂きました。そういった著書からも想像していたように、清濁併せ呑む迫力のある方だと感じました。

私が中学校の教員になった36年前は、まだ、中学生でシンナーをやっている者もいました。私は実際にそういった生徒と対峙してはいませんが、他の教員からラリっている生徒が分厚いガラスを素手で割った事を聞いた事が今でも印象深く残っていて、果たしてそのような生徒と自分自身が対峙したとき、どうしたら良いのかすごく不安に思った事も残っています。

さて、講演では、最初に「薬物依存症」は病気であり、治らない。しかし、回復する方法はある…という事実からお話しして下さいました。この事は著書でも明記されており、この事実を抜きには回復への一歩も始まらない大切な事で、藤村様のお話しでも、ご自分の体験の中で、この事実に出合った事が転機になったと語られていました。

この視点を与えて頂いているので、薬物使用の報道を見たときに、これからの回復への長い道のりがあるのだなぁ…と思い、ニュースキャスターやコメンテーターとは違った視点でとらえる事が出来ます。そして、色々とお話しして下さった中で、知らなかった事も多く、ネットを通じて簡単に薬物が手に入る事や、コンビニ前の16時~19時が売人の行動時間帯だという事に驚きました。自分から見ようとしなければ見えないのだなと思いました。

今回、お話しを聞かせて頂いて感じたのは…。
著書を通しても充分に伝わってきますが、実際に直接お話しして頂くと、その迫力、熱量がより伝わってくるのだという事です。

 

<男性・50代 奈良 高等学校>

「教員を助けていただけませんか?」「いいよ。」

直ぐ、こころよくお引き受けいただき、この度は我々教師塾生に対してたいへん熱い研修会を開催していただきまして、誠にありがとうございました。

実際に助かったか、助かるかどうかは一人一人のこれからの姿勢、実践次第です。岩井様のお言葉を借りるならば、「(依存症は)治らないけれども回復はする(自立に向かう)」、まさに教員にピタリと当てはまります。

教員の思考、姿勢、在り方。教員であるがゆえの特有の癖。教員以前に人としての回復へのきっかけや手立て、そして希望と勇気、走るエネルギーを沢山いただきました。「先ず自分をさらけ出す。自分の全てを認める。自分に嘘をつかない。自分は病気だと認識する。弱いことを自覚する。」これら岩井様の言葉が身体に響きわたり今も残っています。そして「お互い様・お陰様」の真髄である実践実例を幾つもお示しいただきました。「宇城先生と一緒だ・・・。やってきた人、やっている人、やり続けている人は違う。ホンモノだ。優しく厳しく温かく、そしてどこか冷たい。本気だ。自他の生死に関わってそれと直面されているからか・・・。威圧感や凄みは不思議と全く無い。はやい。」そう感じました。

薬物問題、また学校教育現場における諸問題に限らず、あらゆる現象に対して教員(自分)だけで解決させようとするには、あまりにも浅はか過ぎる、きれい事に止まってしまっている。そしてこのことを子供達は全て見抜いているということ。この事実を認めて受け入れ、研究家や専門家、有識者ではなく、実体験家に任せ、委ねて我々も子供達と共に、そして子供達から学ぶこと。と同時に謙虚な身心を練りつづけ、教員こそが「実際にやってきた人、やっている人、実証する人」に成ること。焦らず逃げず諦めずに我々一人一人が「実体験家(出来る人)」へ向かうこと。子供達、教育委員会の方々、管理職の先生、担任をはじめとする現場の先生方、保護者、地域の皆様。みんなそれぞれが、それぞれの立場で大変です。皆さんそれぞれ間違いなく困っておられます。そして「何とかしたい」と思っているのではないでしょうか。

自らの実体験、生き様を通して、そこから自分と同じ境遇の人々とその家族に寄り添い、包み込み、自分の住む世界で自他を活かす。

「失敗はない。全て経験だ。病気も病気だと認めることから回復が始まる。」この言葉も忘れられません。また、「回復プログラム」の内容が凄いと思いました。まさに暗中模索、やっていく中で試行錯誤を繰り返し、今のものがあるとのことでしたが具体的に示されてあり、深化させ続けておられるとも。中身は生徒支援、自己支援にも十分に使えますし活かすことができます。

学校とは一体何をするところか。どんなところなのか。その存在意義とは・・・。

「薬物依存で元ヤクザの組長である私が社会に貢献できているとするならば、奇跡だ。自分のような者が世の中や他人の役に立っているのかも。でもやってきたこと、今、やっていること、そしてこれからやることも誰のためでもなく自分のためだ。」

実際にお会いできて、本当によかったです。ご縁をいただき繋いで下さいました宇城憲治先生、ありがとうございます。

岩井様、次回の講演会も何卒よろしくお願い申し上げます。我々も取り組んできた実践報告と自身の変化をお伝えできればと思います。