小出裕章先生の「願い」― 197号
最新号197号でインタビュー取材させていただいた、工学者で元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生。
取材前に何度もやりとりをさせていただいたメールでは、取材する私たちへの細やかな配慮が感じられ、
同時に、子どもたちをなんとしても被曝から守るんだ、という強い決意が伝わってきました。
小出先生は原子力の真実に気づいた20歳の時から、一貫してその危険性を訴え、原子力発電を止める活動をしてこられました。
科学者として人間として、ぶれずに活動できたのは、なぜなのか。
なぜたった一人でも戦い続けられたのか。
『道』197号のインタビューでは、これまで知り得なかった小出先生の生き様がつまっています。
以下は、取材後に、ある方を通じて知った、小出先生の文章です。
自由に使ってよいとの許可をいただきましたので、ここに掲載させていただきます。
わたしたちの願い,小出裕章
たとえば,あなたのクラスに34人の生徒がいるとします。その中の33人が,あることを賛成したとします。よく考えて賛成というひともいるし,あまり考えずに「みんながそうなら、そうしよう」と、まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。
クラスは、あなたひとりを除いて,「賛成」の意見でまとまりそうです。けれど,あなた自身は,どうしても賛成できません。そのとき、あなたはどうするでしょう。
…たったひとりで、33人を前に「反対」といえるでしょうか。
「いえない」とあなたが思うなら,それはなぜでしょう。
みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?
孤立するから?
みんなに合わせておいたほうが、らくだから?
ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか「目立ちたがり」とか「生意気」とかいわれそうだから?
そして,仲間外れやいじめにあいそうな気がするから?理由はたぶんいろいろだと思います。しかし,反対なのに,反対である自分を消して,まわりに合わせた自分を,あなたはいつか「いやだな」と思うようになりませんか?
そうして,いつも,まわりに合わせてしまうことがあなたのくせになって,ずっとそんなふうに生きていくことになったら、あなたは自分を好きでいられるでしょうか。
みんなの意見に無理に自分を合わせることに必死だった11歳のある子は。ある日、いいました。
「ずっと、ずっと、消しゴムでゴシゴシ自分を消しているみたいだった。そんなのいやだと思いながら,ゴシゴシ消していた。そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。
わたしは、日本という国がひとつになって,原子力発電に賛成する人たちがどんどん多くなっていくときにも,反対をしてきたひとりです。
「たいへんだったでしょう」と、よくいわれます。
けれど、わたしは、そうは思いません。
自分に対して誠実に生きることはとても気持ちのよいものです。自分にウソをつくことのほうが、わたしにはたいへんなことであり、いやなことであるからです。
少なくとも私は,自分の考えを裏切らずに済みましたので,ありがたい人生だと思います。
しかし,十分に原発の危険性を伝えることができず,今回の事故が起きてしまったのは,とてもくやしい思いがします。
原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に直接かかわることなのですから,しっかりと学んでください。
私はやがてはいなくなります。あなたよりずっと年上なのですから。
そのときに、自分で考えて,ひとりでも行動できる,そういうひとになってほしいと願います。そして思ったことをひとに伝えて、みんなで話し合いながら未来を考え,決めていくような社会が来ることをこころから願います。
起きてしまった原発の事故を起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど,現在と未来をつくることができるのは,一人ひとりの「あなた」です。