合気道開祖の甥、親英体道道主 井上鑑昭の世界

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、どう出版が発刊している季刊誌『道』(どう)の前身は、合気道や大東流の専門誌『合気ニュース』でした。

『合気ニュース』では、植芝盛平翁や、武田惣角翁に学んだ様々な直弟子の方々に長年会見取材してきており、その歴史財産は、

会見集『植芝盛平と合気道』全2巻

会見集『武田惣角と大東流合気柔術』

という会見集にして皆様に提供してきました。

しかし、紙本の再販を続けることは非常に難しく、現在は電子版に移行しつつあります。
 
これらは、盛平や惣角を直に知る弟子の方の証言集です。
ぜひ、まだお読みでなければ、この機会にお読みください!
 
また、どう出版では、『合気ニュース』時代に掲載されていた様々な記事を「読みたい」というリクエストをいただいており、ウェブ上でお読みいただけるサービス(ウェブサービス「note」を利用)を展開しています。

無料のもの、有料のもの(100円から200円)、様々な記事をすでにたくさんアップしていますので、ぜひのぞいてみてください。
noteへの登録は無料です。
[ noteで読む『合気ニュース』 記事一覧 ]

今回noteに公開したのは、植芝盛平翁の甥で、親英体道の創始者である、井上鑑昭先生についての記事(2001年5月に取材)です。

鑑昭先生の弟子で新英体道代表(当時)の油井靖憲氏が、在りし日の鑑昭先生をしのびながら、その武道観や、大本教の出口王仁三郎に師事して、確立した「親和学」について語っています。鑑昭氏の講義録もたくさん抜粋引用しています。

note「親英体道道主 井上鑑昭の世界」


どう出版では、鑑昭氏の歴史的に貴重な映像をまとめたDVDも制作しています。

このDVDでは、秘蔵されていた貴重フィルムより、昭和47年から51年までの鑑昭先生69歳~70歳代の演武映像の数々を紹介しています。

DVD『雷撃電飛の技 井上鑑昭 ― 合気武道から親英体道へ』

noteの本記事を読み、師の演ずる技の一つひとつが平法学、大本教、親和学に由来することを理解していただければ、師の演武がいっそう味わい深いものになると思います。

 

 

DVD『植芝盛平と合気道』第2巻 「後世に残す」プラニンの信念

前回、DVD『植芝盛平と合気道』第1巻について書きましたが、第2巻にもいろいろなプラニンの思い入れが編集につまっています。

この第2巻には、1952年~1958年までの、盛平翁が70歳代の時の演武記録がまとめてあるのですが、歴史的に貴重だと思うのは、その後指導者として合気道界で大活躍した師範方が、盛平翁の受けをとり、道場や演武場であちらこちらに投げ飛ばされている様子が収められているという点です。

1952年の演武では、植芝吉祥丸、藤平光一、斎藤守弘、田中万川、阿部正といった高弟方を相手に、体術と太刀取りの演武を披露しています。
この映像は、このあとに藤平光一氏がハワイに合気道の指導に初めて行くことになり、そのための資料映像を撮影する必要があって、撮られたものだとプラニンから聞いています。プラニンが、どうやってこの映像を手に入れたのかはわかりませんが、貴重な資料映像を発掘したのだなと改めて思います。

また、1955年の大阪合気会の田中万川先生の道場で撮影された盛平翁の映像では、盛平翁が稽古前の準備運動を弟子たちと一緒にやっているところも記録されています。

プラニンは、合気道の稽古において怪我が頻繁に起こっている状況をとても憂いていて、盛平翁がきちんと準備運動をしているこの映像に出合った時は感動したと言っていました。
「ほら、開祖だってちゃんと準備運動していたよ!」というところだったのでしょうか。ふつうだったら、記録に残さないような部分かもしれませんが、こういう映像が残されているのも、プラニンならではではないかなと思います。

1957年~1958年において、防衛庁屋上で撮影された映像も非常にめずらしいものです。
57年の映像では合気会の多田宏先生、フランスで活躍されていた田村信喜先生が受けを取っておられます。わかりにくいのですが、当時白帯だった佐々木の将人先生も映っています。

58年の、同じく防衛庁屋上での演武は、米軍のMPを相手に演武をしているというもので、盛平翁がMPの軍人さんに囲まれて、彼らを次から次に投げていく様子が上方のカメラがとらえていました。わざわざ上から撮っているので、おそらく米軍が撮影し、アメリカに持ち帰られた映像をプラニンが発掘したのだと思います。

同じく58年に撮られた映像では合気会本部道場での盛平翁の稽古の様子です。
そして、その一番最後に収録されているのが、剣道家 羽賀準一先生による居合演武です。

羽賀先生は、剣豪・中山博道の高弟の一人であり、有信館三羽烏の一人として知られている高名な剣道家ですが、当時盛平翁と親しく交流があったそうです。羽賀準一先生のことは、当時を語る直弟子たちの会見集『植芝盛平と合気道』にもよく登場しています。

羽賀準一先生の実弟の羽賀忠利先生に取材した際にお聞きしたのですが、お兄さんの準一先生は、よく盛平翁のところに遊びに行っていたそうですが、「いやあ、植芝先生は神さんだよ」と言っておられたそうです。[季刊『道』151号]
 
合気道の記録作品にこうして居合の羽賀先生の演武映像をも残すというのは、
「貴重な資料はすべて後世に残していく」という強い信念を持っていた、これもプラニンならではの決断だったと思います。

この時にこのDVDに収録する決断をしなければ、たぶん、どこかの記録資料に紛れて、公開されることはなかったと思います。

 

記録映画『武道』と久琢磨 ―― プラニンの志と執念

「先日は、ご来訪、恩師植芝先生を向顔する
 珍しい貴重なフィルムを見せていただき、
 嬉し涙がこぼれました。
 心から御礼申し上げます」


これは、植芝盛平翁に学びその後武田惣角に師事した大東流の久琢磨先生が、スタンレー・プラニンにあてた葉書の言葉です。
プラニンは、雑誌『合気ニュース』(季刊『道』の前身)の初代編集長で、植芝盛平翁の研究家でした。

おそらくこの葉書は40年前のものだと思われますが、どんな背景があったかというと――

1977年に来日以来、プラニンは、植芝盛平のありとあらゆる資料を集め歩いており、何かの情報から大阪朝日新聞社に1935年に撮られた植芝盛平翁の映画のフィルムが眠っていることをつきとめたのです。そして、プラニンは持ち前の粘り強さをもって大阪朝日新聞社に交渉し、この映画を世に送り出しました。

どのように久先生に会うことになったかはわかりませんが、久先生に会いに行ったプラニンは、この映画を久先生の前で上映したようです。なぜならば、この映画に盛平翁とともに出ているのが、久先生ご本人であったからです。
その時のことを、久先生は、朝日新聞の広報誌に掲載された『私の履歴書 ― 余生を合気道と大東流合気柔術の遺伝に―』に次のように書かれています。

「・・・寸暇を縫って自分の体力を養なうため、得意の相撲や柔道などの武道の修練を怠らなかった。
とくに石井先生からすすめられ、紹介された植芝盛平先生について、合気術という、関節の逆極め技を特長とする、柔術の勉強、練磨につとめた。
何事も熱中する性質の私は植芝先生とその高弟一門を自宅に迎え、寝食を共にして習練につとめるという熱中ぶりであった。
単に逆極柔術を習練するにとどまらず、この秘伝を後世に残すことを思い立ち、その技を一つ一つ写真にうつして技法の解説文をつけることを始めた。
また、この秘術を映画に撮って残しておきたいと写真部に頼み、自ら映画監督となってフィルムを完成した。

その後いろいろなことがあって、実は私自身こんな映画をとったことも、フィルムがどこかに残っていることもすっかり忘れていたが、最近、アメリカ人の篤志家、スタンレー・プラニンという人が、植芝合気道のことをいろいろ調べていて、このフィルムを発見し、私のところで映写して見せてくれた。
劈頭(へきとう)に「朝日新聞社撮影、監督久琢磨」の文字が現われた時の驚き。やがて現われた若き日の自分の姿に呆然とし、並んで映画を見た植芝道場生き残りの高弟の一人米川君と互いに「若いなぁ」「あんたこそ」と老爺二人がクックッ笑いをとめえず、しばしタイムマシンにのった思いであった」

 

記録映画『武道』より 中央 盛平翁 左側 黒い羽織を着ているのが久琢磨先生

 

 

後世のためにと残してくださった久先生、そしてその眠っていた資料を発掘したプラニン。

いろいろな人が関わるなかで、偶然や奇跡、そして執念も加わって、大事な歴的資料が残っていくのだとつくづく思います。

この1935年に撮影された映画は、弊社のDVD『植芝盛平と合気道』第1巻に収録されています。当時盛平翁は51歳、いまだ大東流の影響が色濃く残る技のなかに、現代合気道に通じるなめらかな円転の動きが見て取れます。

このDVDでは、この映像とともに、合気道開祖の生い立ちから合気道草創期までの翁の生涯を、これまたプラニンが執念で集めた記録写真を使い、詳細なドキュメンタリーとなっています。
ドキュメンタリーでは、プラニンが行なったインタビュー時の音声を使って、いろいろな先生方が当時の様子を語ってくださっています。
 
合気道普及のいきさつを植芝吉祥丸先生が、
盛平翁との衝撃的な出会いを塩田剛三先生が、
盛平翁を試した時のことを中倉清先生が、
第二次大本事件の時の植芝先生の様子を白田林二郎先生が、
そして戦前の合気道を修業した初期の女性の一人で1933(昭和8)年に出版された合気道技術書『武道練習』の挿絵を描いた経緯を、国越孝子先生が語っておられます。


自分の足で探索して手に入れ、自らまとめ上げで世に出し、残していく――
この『植芝盛平と合気道』という映像シリーズは、つくづくプラニンの志と執念の結晶だと思いました。

 

[DVD『植芝盛平と合気道』全6巻]

 

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『Karate Kid』モデル、ドン・アンジェ柳流合気武芸宗家 インタビュー

どう出版の前身である合気ニュースの社長であったスタンレー・プラニンは、合気道に関する研究に区切りをつけて1997年にアメリカに戻り、そこで新たに合気道ジャーナルを立ち上げて、引き続き、合気道に関する情報を発信しておりましたが、その一環としておこなったのが、合気道の最大イベント、AIKI EXPOでした。

プラニンの信念は、国境、文化の壁を越え、全ての武道家にコミュニケーションの場を提供するというものでした。

このイベントは、2002年、2003年、2005年と、ラスベガスとロサンゼルスで開催され、合気道の師範はもちろん、様々な武道のトップレベルの人を招待して、互いの学びと交流を目指しました。

以下は、2002年に開催された第1回 AIKI EXPOで招待された武道家のひとり、
柳流合気武芸師範であるドン・アンジェ氏のインタビュー記事です。

アンジェ氏は、武田惣角の弟子吉田幸太郎の子息である吉田憲治氏の唯一の弟子で、映画『Karate Kid』 のモデルとなった人です。

吉田幸太郎といえば、大正4年北海道北見で武田惣角に入門し、その後に惣角を合気道開祖・植芝盛平に引き合わせたことで知られています。

その吉田の子息である吉田憲治氏が、戦前アメリカに移住し、吉田家に伝わる柳流合気武芸の継承をたくしたのが、ドン・アンジェ氏でした。

憲治氏の求道的とも言える武術への姿勢は、アンジェ氏に大きな影響を与え、その姿勢は、現代の日本の武術家以上に武術家らしい姿をほうふつさせています。
さらに、1950年代に渡米した親和体道の井上方軒氏の講習会の模様など、貴重な歴史の生き証人でもあります。

現在、どう出版では、年末年始・感謝キャンペーンを開催しています。
キャンペーン中、アンジェ氏のインタビュー記事を無料でお読みいただけます。

noteで読む『合気ニュース』 ドン・アンジェ氏インタビュー
※本記事は季刊『合気ニュース124号』に掲載したもので、所属や肩書きは、当時のものです。

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ドン・アンジェ氏収録 『Aiki Expo 2002 ハイライト版』

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スタンレー・プラニン、執念の研究成果 

どう出版の前身は、合気道を専門誌とした『合気ニュース』を発刊する合気ニュースという会社でした。

この合気ニュースを1974年にアメリカで立ち上げたスタンレー・プラニンは、1977年に日本に移住し、1996年までアメリカに帰国するまで、合気道開祖植芝盛平を研究し、その足跡を詳細に追い求め続けました。
 
『植芝盛平と合気道』DVDの第1巻に収録されている開祖51歳の時の、大阪の朝日新聞で撮影された演武映像は、プラニンが、その情報をつきとめて、自ら、朝日新聞の資料部まで乗り込んでいって、発見した資料映像です。

そのほかにも、アメリカのテレビ局が撮った昭和33年度のドキュメンタリー映像をはじめ、戦前、戦後、来日していたアメリカ人が、開祖に出会って当時日本ではめずらしかったフィルム映像カメラで撮られた映像が、誰にも見られずにアメリカで眠っていたものを、プラニンが交渉に交渉を重ねて世に出したというものも少なくありません。

まさにプラニンの執念の研究が、様々な本やDVDに残されています。
 
12月より、どう出版の年末年始・感謝キャンペーンが始まりました。
合気道開祖植芝盛平翁のDVDをはじめ直弟子のDVDや著書など、たいへんお得な価格でお求めになります。

是非、この機会に、合気道修行の参考にお求めください。
   ▽   ▽   ▽
どう出版 年末年始・感謝キャンペーン 2020年1月7日まで

 

 

木村達雄著 『合気修得への道』が新しくなります

この度、木村達雄氏の『合気修得への道』9刷重版にあたり内容を刷新、
『新版 合気修得への道』として登場します。
 
 
2005年11月の初版発行から13年、木村氏のやむことのない合気探究にともない、
「合気について」を大きく改訂。
 
さらに2018年に急逝した作家 津本陽の遺作『深淵の色は 佐川幸義伝』の舞台裏と未掲載エピソードと、
「佐川幸義顕彰碑」建立の経緯についてが新章として加わりました。
 
佐川師の語録集には、木村氏の稽古日誌から数多く増補しました。
 
写真は、佐川師の技の未発表写真や、
佐川師の遺品から発見された武田惣角の未公開写真など50枚を追加しています。
佐川師のご家族、弟子との写真など、その人となりをにじませるアルバムを巻末に収録しました。
 
2018年12月6日に入荷します。
 
 
『新版 合気修得への道』
佐川幸義先生に就いた二十年
木村達雄著
定価(本体2,700円+税)
 
 

〈追悼〉 井上強一先生

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去る12月23日、元合気道養神館館長であり、警視庁名誉師範である井上強一先生が永眠されました。享年82歳。

井上先生は1955年、中央大学に在学中に、設立されたばかりの合気道養神館へ入門し、植芝盛平開祖の直弟子であった塩田剛三館長より指導を受け、稽古体系の基礎作りに貢献されました。

1970年からは武術教官として警視庁に入庁、1996年まで婦人警察官、機動隊員に合気道を指導し、定年退職後、第二代養神館本部道場長に就任。その後2002年6月より2007年まで養神館館長を務め、2010年合気道親和館の館長を経て、2014年6月からは合気道日心館を設立し、指導にあたられました。

師である塩田先生が常々「合気道は70歳を過ぎたら本当に楽しくなるぞ」と言われていた通り、70歳を過ぎてますます活躍の場が広がり、弊社主催のイベントや執筆で長く弊社とお付き合いただきました。

ラスベガスで開催した2002年、2003年のAIKI EXPOには、招待師範の一人として指導いただき、また『合気ニュース』創刊30周年記念に開催した「友好演武会」(2004年)では演武をご披露いただきました。

また、本誌の前身『合気ニュース』では、「師の教えを活かす」というテーマで、師に学ぶ意味や心構えを、また季刊『道』になってからは、「基本を守る」というテーマで、武術の基本を日常の基本にまでつなげて、人生のあり方を厳しく説いていただきました。

以下に2007年に行なった単独会見を公開し、井上先生の合気道への想い、修業への想いをお伝えいたします。
井上先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


「自然体が生む 合気即生活」
 井上強一 養神館合気道九段範士
(季刊『道』2007年 153号掲載)
「オンライン記事」より。しばらくの間、無料公開いたします。)


〈訃報〉 スタンレー・プラニン 死去

ウェブマガジン「Aikido journal」編集長で、季刊『道』の前身、『合気ニュース』編集長スタンレー・プラニンが、3月7日、胃癌のため、ラスベガスの自宅で亡くなりました。享年71歳。

まさに、合気道と、開祖・植芝盛平翁の研究、資料の保存に捧げた人生でした。

プラニンは、1977年に日本に移住し、1996年にアメリカに帰国するまで、開祖の直弟子や大東流をはじめとする、開祖が学んだ様々な流儀会派の関係者に取材会見を行ない、その研究を記事にして多くの人に提供し続けてきました。
また日本では開祖の直弟子による友好演武会を4回に渡り開催し、その後、世界の合気道家の祭典、-01Aiki Expoをラスベガスとロサンゼルスにて3回に渡り開催するなど、様々な交流イベントを実践、合気道界に遺したその功績には、計り知れないものがあります。

プラニンの様々な功績、足跡については、後日お知らせいたします。

『大東流合気柔術 秘伝目録 一ヵ条編』をKindle版で出版しました

大東流合気柔術好評のため品切れとなっておりました、
『大東流合気柔術 秘伝目録 一ヵ条編』が
Kindle版に加わりました。

【Kindle版】
大東流合気柔術 秘伝目録 一ヵ条編
1250円

 

武田惣角から武田時宗、そして近藤勝之免許皆伝へと引き継がれた大東流合気柔術。
本書では、その秘伝目録一ヵ条30の技を、詳細な写真と解説で紹介しています。
大東流を学ぶ方々のための格好の入門書です。

巻頭に著者・近藤勝之氏が「謝辞」として掲載された文章には、口伝・秘伝をどこまで公開してよいかなどたいへん迷われた末に、大東流を称する技術書・ビデオが氾濫するIT時代に、正当なる大東流合気柔術の技術を残しておく必要性を感じて出版に踏み切ったとあり、師・武田時宗氏が示された「教え伝える」についての姿勢を綴ってくださっています。

   ◇   ◇

・・・中興の祖武田惣角先生は、同じ技を二度教えなかったと言われております。先師時宗によりますと、先師が惣角先生の教授代理を務めていた当時、門下生に親切に教えたり何回も同じ技を教えると、「このお人好しの馬鹿者」と何回もお叱りを受けたそうです。「同じ技を二度教えると、二回目にはその技の返し技(裏技)を考えてやられてしまう。二回目は違う技を教えなさい」と、小生は先師より何回も注意を受けました。

 先師が元気に活躍されていた頃、網走の本部大会には全国から多数の門下生が集まりました。毎回行なわれる宗家直伝会に小生が出席した折りには先師の命により、先師の宗家直伝会と小生の宗家代理直伝会との二会場に分けて行なったことが数回あります。当然、前日には先師より小生の指導内容について詳細に指導を受けるのですが、小生が先師より習った技は教えてはならないとのことでした。つまり、最初の一本捕でも、大東館で教えている技と小生の習った一本捕は(基本型だけでも何本もありますが)一切教えてはならない、大東館で教えている技だけを指導せよとのことでした。

 先師が申すには、「本当の技を教えて明日辞められたらどうします。大東流の口伝・秘伝が流出してしまう」。また「千人のお弟子さんのうち本物は一人か二人ですよ、その人たちを見極めて本物を教えればよろしい。残りの人には教えることはない」とのことでした。お弟子さんからの質問内容、その人の実力・理解力、熱心さ、人物をよく見極めて先師は指導されておりました。この指導方法は、惣角先生より引き継がれたものです。小生が先師に疑問点をおうかがいすると、「君の実力が理解できる」と申しておりました。

 先師より受けた合気の説明の中に「ツン」「朝顔」があります。この「朝顔」を解くのに数年を要してしまいました。「よく解けた」と先師に褒められた時のことは未だに忘れられません。今では何回も先師の門下生に教えておりますので、天上より「この馬鹿者」とお叱りを受けております。・・・・

 

《目次》

謝辞 近藤勝之
刊行の言葉 スタンレー・プラニン
大東流史概説 スタンレー・プラニン
大東流合気柔術の六要素 近藤勝之

【立合10本】
一本捕/車倒/逆腕捕/腰車/搦投/裏落/帯落/切返/小手返/四方投 表/四方投 裏

【居捕10本】
一本捕/逆腕捕/肘返/車倒/締返/抱締/搦投/小手返/抜手捕/膝締

【後捕5本】
立襟捕/両肩捻/両肘返/抱締捕/肩落

【半座半立5本】
半身投/裏落/居反/肩落/入身投

『武産合気道 別巻 植芝盛平翁技術書「武道」解説編』をKindle版で出版しました

武産合気道 別巻 『武道』好評のため品切れとなっておりました、
『武産合気道 別巻 植芝盛平翁技術書「武道」解説編』が
Kindle版に加わりました。

【Kindle版】
武産合気道 別巻 植芝盛平翁技術書『武道』解説編
1250円

 

本書は、合気道開祖 植芝盛平が出版した唯一の技術書『武道』を
合気道師範 斉藤守弘氏が丹念に解説したものです。

『武道』に掲載されたすべての写真は開祖自身のものであり、解説も開祖監修のものです。
合気道家のみならず合気道史を研究する方にも貴重な資料と言えます。

斉藤守弘氏による「はじめに」を以下に紹介します。

   ◇   ◇

開祖の著書『武道』をプラニン氏に見せられた時の感激を、私はいまだに忘れられません。

「この本こそ私を証明してくれる唯一のものだ。 開祖が私を助けにきてくださったのだ」

と確信しました。夢でなければよいと願いました。

それまでは、私の合気道を「斉藤流だ」などと言っておられた方もいたようです。私は、「それは違う。植芝盛平流だ」と、不本意な気持ちをおさえられませんでした。

何故このような誤解が生じたかといいますと、当時(昭和30年代後半)、開祖はすこぶるお元気だったにもかかわらず、岩間以外では武器技を教えず、体術も基本技は教えずに主に説明演武のような稽古をなさっていたからです。

この『武道』の発見以来、私は何処に行くにもこれを手放したことはありません。

現在、開祖の道場をお預かりしている私にとって、一人でも多くの人々に開祖の技を紹介するのが私に与えられた義務であります。幸い、長年にわたり、開祖から直接ご指導いただいた技とこの『武道』の基本的な部分はほとんど一致しております。

ですから今回、合気ニュース社(現どう出版)から『武道』を技術書にして演武解説するというお話があった時、喜んで賛成致しました。

合気道は植芝盛平開祖が始められた武道です。

「合気道を学ぶ者はまず、開祖の技を 基本として始めるべきである」

とお考えの方々のご参考になれば、大変嬉しいことであります。


  平成11年5月 合気神社にて 
  斉藤守弘