合気道師範 佐々木の将人先生ご逝去

合気道八段・山蔭神道上福岡斎宮名誉宮司 佐々木の将人先生が2月15日、お亡くなりになりました。84歳でした。
プロフィールをご紹介します。

ささきのまさんど
1929(昭和4年)山形県に生まれる。中央大学経済学部、同法学部専攻科卒業。
合氣道開祖・植芝盛平翁と出会う。武道と人間の修行に打ち込み、合氣道師範となる。
その間、人生の道を求め、滝行、坐禅、「一九会」等の修行に励み、人生の師、中村天風先生と巡りあい師事する。縁あって山蔭基央先生と結ばれ、山蔭神道の神官となり、上福岡斎宮宮司をつとめる。
『合気ニュース』創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。


佐々木先生は、季刊『道』の前身『合気ニュース』の頃から、連載「なるほど」を実に12年間も寄稿くださいました。自ら「佐々木説法」と呼ぶ独特の語り口や文章は、終戦後にやっていた野師(てきや)の経験によるとのこと。「歩いている人を止めるということは、人の心を掴むことで、むずかしいがおもしろい」と、『道』147号でのインタビューでお話しくださいました。

『合気ニュース』から『道』への誌名変更の際も、賛同してくださり、支えてくださいました。便箋に書かれた先生の言葉を、今も編集部の壁に掲げています。

「人の世は縁の糸のからみあい たぐる幸せ また不幸せ
 『道』との出合いの縁が、多くの人々を救うことを祈りつつ ― 将人 ―」


『道』になるにともない、誌面が横書きから縦書きになったことも喜んでくださいました。佐々木先生の「縦」と「横」でみる世界観がありました。インタビュー記事より「日本文化の原点は縦の道」の項を抜粋いたします。

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日本文化の原点は縦の道

 道とは歩くことである。歩かなければ道にならない。道は光がないと見えない。だから明るくなければ合氣じゃないと言う。道は縦に歩く。だから縦社会。人間の耳と鼻は縦、だから蓋がない。目と口は横だから蓋がある。人間だけというのは結構あるでしょ。人間だけ立って歩くということが縦社会だよな。四ツ足だったら電車が混んでしょうがない(笑)。家を建てる、人を立てる、お茶を点てる、志を立てるとか。
 ところが横文字文化には横道、横取り、横恋慕、横切る、金よこせ(笑)。横でいいのは横綱ぐらい。縦(たて)て悪いのは腹ぐらいなもんでしょ。そういうものから言ったってなるほどなと。
 物は上から落ちるということ自体が自然の道です。良い悪いは別として、日本は道の文化。文字は縦に書くのが基本。ただし日本の場合は自由無碍ですから、横でも縦でも斜めでも書ける。下から読んでも「山本山」、裏から読んでも「山本山」というふうに、おもしろいと思うんだ。横文字は「いやだいやだ」と読むし、縦文字は「なるほど」と読むがごとし。横文字を縦に書くと首が痛くなる(笑)。
 今はいざ知らず、昔の機織は、まず縦糸から始まるんです。そして横糸で織っていく。キリストだってアーメンと縦から横。もう一回原点にかえって、縦社会であることを考える。
 経済というのは国を経(た)てて、民を救う。〝経国済民〟という頭文字から経済という言葉が生まれてきているわけであって、それがいつの間にか経済というのは金のことだけになってしまっている。日本は宇宙構図の菊のご紋のように、「中心をたて、分を明らかにして中心に結ぶ」国体で、それは永遠の祖先が内在する臍を中心に、頭に手足の分を明らかにして中心に結ぶ人体と同じで、まず国を立てる。国家あっての我々なんです。
 ことに日本の場合は、国があっての民だから〝国民〟と言い、日本は、神武以来、三千年、皇統連綿として、万世一系の天皇を中心に立ててきた家族国家日本で、国の家と書く。家族というのはすなわち、先祖代々子子孫孫と継承されているから、昔の武士は戦をする時は必ず、先祖を名乗って「いざや尋常に勝負・・・」と言ったもんだ。
 

季刊『道』147号
佐々木の将人師範インタビュー記事
「一瞬一瞬を明るく生きるのが人生だ」より
(2006年11月15日取材)

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「あの世はいいところ。
 その証拠に、戻ってきた人は一人もいない。」

佐々木先生からよくうかがったフレーズです。
「いいところ」にいらっしゃるのだと思いつつ、
ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。