季刊『合気ニュース』159号(2009年1月)より
DVD『植芝盛平と合気道』全6巻は、発売以来、多くの方々から様々な感想をいただいています。
ここでは、開祖を知る愛弟子たちの言葉から、開祖の修行の様子、開祖のひととなり、そして合気道を創始することで開祖が何を残し何を伝えたいと願ったのかをみつめていきます。
開祖逝去から40余年、本DVDシリーズが、武術と生死が直結しない現代における武道修行の意味と価値を見直すきっかけになればと願っています。
〈DVD『植芝盛平と合気道』全6巻〉 詳細
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※ここで紹介する門人方の言葉は、明記したものを除き、会見集『植芝盛平と合気道』(どう出版刊)からの引用です。
稽 古 | |
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■父は行動の人 父は行動で示す人だから、口だけの人とはぶつかるでしょう。いろいろな問題が起きた時に父が行くと、みんな逃げ回っていたと聞いています。 植芝盛平という人を偶像視する人がよくいるのですが、やはり、植芝盛平が合気の道をどんな苦労をして、どのようにつかんでいったのかということを学び、それによって自分なりの合気道を修行し、自分の個性を引き出していくことがもっとも大切だと思います。 植芝吉祥丸 合気道二代道主 |
■肌で感じさせた稽古 私たちが習った頃は、植芝先生は教えるというより、肌で感じさせるというやり方でした。つまり自分で覚えろということです。大先生の力を入れないあの動き、あれは先生しかできませんよ。 ところが今の合気道はずんどうなんですよ。中がカラッポなんです。中を通らずにてっぺんにすぐいってしまっている。だから踊りみたいになってしまうのです。今のはただの真似ですよ。本当のものをつかんでいない。 塩田剛三 養神館合気道宗家 |
■絶対に負けられない世界 その頃(昭和6、7年)は今のように「俺は合気道をしたいからする」という時代ではなかったですね。自分が武道を志して、負けたから入門するという時代でした。勝てば入門する必要はないのです。武道の世界というのはもともとがそうなのです。絶対に負けられない。 白田林二郎 合気会師範 |
■先生の合気道は生きていた 植芝先生の合気道は生きていた。ひとつの型にはまっていない。植芝先生の場合、どう打ってこようが、どう切ってこようが構わないんだ。今は、横面打ちはこうやっちゃいけないとか、ルールに従って練習をするんだねぇ。本来、合気道はどういう形で打ってこようが、打ってきたらこれでというようには決まっていないんです。 杉野嘉男 唯心館杉野道場長 |
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■大先生を超えた人はいない 大先生には18歳から41歳まで内弟子のようにしておそばに仕えてきたでしょ。 そしてはっきり言えることは、「まだ大先生を超えた人はいない」ということです。 だから私たちにとり、大先生の残された形を追い求めるのが、いちばん正しい稽古ではないかと思います。 斉藤守弘 合気会師範 |
■掴む前から投げられた 植芝先生を見ていて「これは八百長だよ」と話していた。あの当時、柔道の三船十段の空気投げというのがだいぶ流行っていた。羽賀準一君と私がある日「本物かどうかひとつ2人でやってみようか」と。行ったら最後、掴みかかるどころか掴む前から投げられてしまってもうどうにもならない。それで本物だということがわかったんですよね。 中倉清 剣道、居合道範士 |
■腕じゃないし、力じゃない 内弟子の筋骨隆々とした人はまったく植芝先生にかなわなくて、「お願いします!」とやってくるのを先生がちょいとやるとひっくり返っちゃってね、ああいうところが合気かなぁと思いますねぇ。腕じゃないし、力じゃない。 国越孝子 戦前の直弟子 |
■気結びするからできるのじゃ ある人が「道場でできたと思っても、家に帰ってやると、できないのですが」と質問すると、「わしが気結びするから、稽古ではできるが、一人ではできんのじゃ」と笑っておられました。 田村信善 合気会師範 |
哲 学 | |
■師の求めたるを求める 大事なことは植芝先生が何を目標にしておられたかということ、その精神的な目標を十分に研究することです。それがなかったらそこで止まってしまい、単なる柔術になってしまいます。師が求めたるを求めていくということは、自分がそこに達するということです。達した時にはじめて先生の言葉の意味がわかるのです。その時になって先生の言葉が裏付けになってくる。万人の進むべき道だというのが理解できると思うんですね。 砂泊かん秀 合氣万生道道長 |
■世のために闘うのが日本武道精神 私が植芝先生に教わった生き様というのは、強い弱いじゃない。今のスポーツ精神や騎士道精神に見られる、己の名誉のためなら全てを犠牲にしても闘うという考え方と日本武道精神とは根本が違うのです。自分の一身、名誉などは顧みず、一家をあげて、世のため人のために闘うというのが日本武道精神なのです。合気道というのは、ひとつの技でも人の生き様を語ることができるようになっているんです。 西尾昭二 合気会師範 |
■宇宙の進化と向上に寄与する武道 植芝盛平先生は合気道の目的は宇宙の進化と向上に寄与することであると説かれました。 世の中がどんどん進化し変化していく。どのような未知のことに遭遇しても、それを自在に処していくのが、「現代に活きる武道」であり、ここに合気道の真面目があるのです。 多田宏 合気会師範(153号 講義録より) |
■哲学を肉体化しなければならない 大先生がおっしゃったのは、合気道は宇宙の働きを使う。自分の手の内に宇宙がある感じ。それが技になる。哲学を言葉にしてもだめなんです。やはり哲学が肉体化されなければ。それが修行です。哲学という精神的なものを肉体化させていく、それを一生かけてやるということです。 五月女貢 合氣道スクールズオブ植芝主宰 (150号 会見より) |
■武は愛なり それが合気道 大先生は抜け道ではない命のかけた行はこうだと教えてくださった。 禊でいちばん苦しかったのは水の行だと。こういう行の中に悟りを開かれたのが、「武は愛なり」。その愛とは肉体と心と精神がひとつになった時の愛。一対多の時に、武は愛なりといえるもの、それが合気道。 阿部醒石 天之武産塾合気道道場長 |
■師の思いを切り開く せっかくいただいた知恵なんだから、いい細胞にならなければならない。こういう点を合気道を通じて私は訴えていきたいのです。植芝先生の気持ちは世界平和ということでしたからね。先生は88歳で惜しまれて逝かれましたが、まだまだ道を追求しておられました。それを切り開いていくのが弟子の務めなのです。 岩田一空斎 合気会師範 |
■ひとつの精神革命 明治時代に植芝先生ほどの人が出たということは異例ですね。明治以前の殺伐として時代に出たのではないという意味です。 これは技術の問題ではなく、ひとつの精神革命だと思います。 富木謙治 日本合気道協会会長 |
■地球を洗濯せにゃ 大先生の話は『日本書記』や『古事記』のなかから引用した武道の奥義・口伝みたいなところがあり、相手を常に吸収するというか、あわせるというもので、たとえば地球、もっと広くいえば宇宙が根本にあるのです。大先生は、「清水、地球を洗濯せにゃいかんのう」というようなことをよく口にされていました。 清水健二 合気道天道館管長 |
第5巻より |
第4巻より |
第3巻より |