「開祖の言葉ひとつでも再現したい」 西尾昭二先生のこと

「大先生は『触れ合う前に勝負は決まっているんだよ』とよく言われていました。やはり合気道は入身の体勢をとらなきゃいけないんです。つまりその時すでに相手を的確にとらえる位置、相手の攻撃を食らわない位置、これに入ってなきゃいけないということなんですよ。」

 これは、決定版『植芝盛平と合気道 第二巻』に収録の会見のなかで、西尾先生が語っておられる言葉です。
西尾先生は、1951年に合気会に入門される前は、柔道、空手を修行され、そこに限界を感じられて合気道に入門されました。入門以降も、植芝開祖が常に言われる「合気道は剣じゃ」の言葉に、居合を始められます。しかし、なぜ剣なのか、その理由を西尾先生は当時だれからも学ぶことができなかったと言います。

「大先生は、パパッとやって『こうじゃ!』『わかったか!』と。『はい』と言ってもさっぱりわからなかった。ほかの先生に聞いても『そうなっているんだ』と言うだけでした。だから自分でやるしかないと思ったのです。」

 それから西尾先生の独自の、盛平開祖合気道の探求が始まります。

西尾先生は、「開祖の言葉の一つでも再現すること」を修行の目標にされました。たとえば、開祖が「この手に剣を持てば剣に、杖を持てば杖に、あらゆる再現ができる」との言葉。あるいは「勝負は触れ合う前に終わっているのだ」という言葉。それらを日常稽古のなかで再現し、確認してみたいと研鑽を続けられたのです。

この「触れた時には終わっている」という感覚は、大先生との稽古で西尾先生は常に感じていたのだそうです。西尾先生が大先生の手をとりにいくと、一瞬自分が大先生に入れそうな気がしても、実際に掴むと大先生の体が自分から遠くなっている。触れ合う時には、すでに大先生の体が入身に変わっていて、自分はやられている。そういう感覚を常に感じておられたそうです。西尾先生はそういう感覚を大先生が亡くなったあとも、自らの身体感覚のなかに置き続け、研鑽を続けられました。

 今こそ合気道は投げ技が多いですが、西尾先生が入門された頃は投げ技はほとんどなかったそうです。柔道をやっていらした西尾先生は、合気道の投げに対しては、「そんなもので人は投げられるはずがない」という納得できないものを常に感じていたのだそうです。すでに相手がやられているからこそ、投げがある。そこを研鑽せずして、合気道の探求はないのだ、と。西尾先生には妥協がありませんでした。

今から10年ほど前に取材した時の西尾先生の言葉です。

「今のような合気道のあり方は、あまりにも武術性がなくなってしまっている。今のままだったら健康法になってしまう。大先生は武道は最新最強でなければならないと言われました。武道というのは常に周囲との対応を考え、周囲を上回る新しさ、強さをもっていなければ通用しないんです。」(『植芝盛平と合気道 第二巻』より)

西尾先生は2005年に77歳で惜しまれつつ亡くなられましたが、著書『許す武道 合気道』にこういう言葉を残されています。

「今、私の合気で使う剣も杖も、ほとんど相手の剣に触れることなく一瞬前で相手を制し、斬ることなく共存の方向に進むという形で行なっています。合気道は許す武道であり、開祖の『合気道は万有愛護生成化育の道である』の再現と思っています。開祖は『ぢいはここまでやった、あとはみんながやることじゃ』とも言われています。そのお言葉からも現状維持だけでは許されないと思います。」

その修行人生で、常に現状維持にとどまらない生き様を見せ続けてくださった西尾昭二先生。技だけでなく、やってきた人の思い、心、情熱を学ぶことも非常に大事なことではないでしょうか。本欄では、そういった開祖直弟子たちの思いを時折ご紹介していければと思います。