12月4日、荒川博氏が逝去されました。86歳でした。
野球コーチとしてホームラン王・王貞治を生み出した氏はまた合気道開祖・植芝盛平の指導を直接受けた合気道家でもありました。
氏の功績をしのびつつ、『合気ニュース』142号に掲載したインタビューを紹介します。
<インタビュー>
荒川博 日本ティーボール協会副会長/合気道六段
「野球に活かす合気道
―― 一本足打法の生みの親 荒川博氏に聞く」
ホームラン王・王貞治のコーチとして有名な荒川博氏は、合気道六段。
植芝翁の直接指導も受けた、四十年以上の修業歴の本格的な合気道家である。
氏はまた羽賀準一師範に居合道も学び、それら武道のエッセンスを野球の指導に活かしたことでも有名だ。
荒川氏に植芝翁のこと、羽賀師範のこと、スポーツと武道のことなどを語っていただいた。
(※所属や肩書きは、掲載当時のものです。)
○ 当て身で歯が全部折れちゃったよ
―― 先生が合気道に入門されたのは1956年ということですが、当時の本部道場の様子はどうでしたか。
当時は内弟子が多かった。白帯が少なくて黒帯のほうが多かったんだよ。全部内弟子だから。フランスに行った田村信喜もいたし金井満成も、当時イギリスに行った千葉和雄、ニューヨークに行った山田嘉光や小金井の小林保雄、ヨーロッパの野呂とか。当時みんな若手で、オレよりうんと年下だった。三軒茶屋の清水健二もそのあと入ってきたよ。
昔は、技に全部当て身が入ってね、それがよけきれなくて何回もモロに当たってバリバリ歯が折れちゃった。35~36歳のコーチ時代には、上の歯が全部なくなっちゃったよ。
―― 過激な稽古をしていたんですね! 当時とは技も変わってますか?
この間も稽古を見に行ったんだけど、やっぱりずいぶん違ってるよね。でも小学生の部の稽古を見たら、ものすごくいいんだな。これにはビックリした。オレたちはあんな基本を習ったことなかった。
僕が野球を教えている小学四年生の子を、この間合気道の道場へ連れて行ったんだよ。もうはまっちゃって、習ってますよ。「オレは黒帯までやる」って。
野球で一番の欠点は何かというと、自分の体を自由自在に動かせないことなんだ。その子の場合は頭が重くて鉄棒もうまくできない。だから転んだって何したってケガをしない体を作ってやりたいわけ。バッティングがうまくても、自分の身体を自由自在に動かせないようでは駄目なんだ。
もうひとつは、礼儀作法を習わせたい。一手習うたびに「おねがいします」「ありがとうございました」と習う素直さが大切なんだ。
王が成功したのは、習う素直さなんだ。常に「はい」「はい」と素直に受け入れる。ヘタな奴は「そんなことくらいは知ってる」みたいに思ってる。自分が気に入らないと疑問を持ったり、わざわざ遠回りする。だからいい先生につけと言うんです。・・・・
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[note 荒川 博 日本ティーボール協会副会長 合気道六段]
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