『「気」でよみがえる人間力』
宇城憲治 |
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この本では、現代の日本が抱える問題をはっきりさせています。私たちは、心をどこかへ置き、身体は1人歩き。心身ともにバラバラです。そのため、全体で見ても皆バラバラという結果になっているのですね。その事実を、現代日本の問題点から具体例を挙げて分かりやすく訴えていると思いました。また、自分に言い訳をしない、妥協のない中に自分を置くなど、甘えのある私には胸に刺さる言葉でした。緊張感から生まれる気配りや行動が、自分にはできているか。問い直さなければいけません。
『「気」でよみがえる人間力』は感銘深く、毎日会社に持っていって、折に触れ読み返しています。「必死に筋力トレーニングをして強くあろうとするあり方と、日常の中で覚悟する中で強さを培い、使命感を持っていきるというあり方、どちらが本当の意味での強さに向かうあり方といえるのか」
これは現在、働く上での自分の指針となっています。また、これまでの宇城道塾で教えていただいたことが折りに触れ思い出され、座右の書といえるほど常に傍らに置いています。
いつも道塾にて宇城先生には感動させられるのですが、この本も道塾の講義、実技などと全てリンクしていて、読んでいる間はまるで目の前で宇城先生がお話をされているようでした。
「気」の国日本が、いかに知識偏重に至っていったか・・・教育制度改革の必要性と、知識差別による人間力の低下とメディアの間違った方向性、弱くなった政治力と国の力の低下。部分体と統一体の頭脳からの行動指示と心と細胞を発動源とする身体の動きとの大きな違い。
今、ips細胞が話題になっていますが、人間の細胞は、もともと同じ細胞から分裂して身体を創り上げているわけで、何らかの力の作用で臓器や筋肉などに変わっていきます。ということは、もともと細胞自体に全てを可能にする「何か」のエネルギーがあったと考えられます。生まれ出た時は一番無垢の状態で、身体としては完璧な状態から、育て方と教育次第で人間の方向性が決まっていってしまうのも、生きている時間の使い方の大切さを神が示唆しているとも思えます。
本にもありましたが、戦後の教育方法やスポーツに対する考え方、利益偏重と安心安全にとらわれすぎて、本来の人間の心と力が弱くなりすぎてしまった現状があります。宇城先生のご指導は、本当に身体を使って人間の能力の凄さと心の発動の大切さを、やってみて、やらせてみて、身体で感じさせていただいています。こんな指導法は見たことも、聞いたこともありませんでした。先生の発する「気」の凄さの感動は、実際に受講してみた人でなければわかりません。
「気」は時間に作用する・・・ 先をとる・・・ 人間の筋肉のスピードより、神経のスピードよりさらに速い細胞の1/100万秒の動きは細胞側からすると、他の動きがスローモーションのように映るという話がありました。私も10年ほど前、自転車で車と正面衝突し空中に身体が放り出され、車のボンネットに着地したことがありました。幸い軽傷で済んだのですが、その瞬間(1秒ほどと思う)世界が本当にスローモーションのように、ゆっくりとゆっくりと進んだのです。
何らかの事故にあった方々などの話で時々聞きますが、生死にかかわる瞬間、危機を感じた何らかの力を細胞が感じ、そういった不思議な力を出したのかもしれません。そのことが先生の「気」のお話で思い出され、理解できました。「大切な事は、横着を捨て人間一人ひとりのエネルギーを上げ「心」を取り戻していく。一人革命によって共栄共存の実現に向かって立ち上がる時」の言葉は、身にしみました。
もう一つ、「日常こそが修行の場」「日常と修行があざなえる縄のごとく相乗してこそ『気』は生かされる」という言葉も感じました。今後の生き方を考える時、今何をするべきか、行動に結びつく力をいただきました。宇城先生の本は、同じ本でも再び読み返すといつも新鮮な発見があり、新しい力が湧いてきます。
本当にわかりやすく『気』というものが理解できるように思います。
気という概念・理論があり、それを実践、そしてそれを体感された方の感想があり、ただの実証だけでなくいろいろな方の感じ方がわかり、とても良かったです。
「スポーツではなくスポーツ道。部分体ではなく統一体」になっていかなければいけないということが図や写真でわかりやすかったです。この本を読んで、いかに今まで自分が低い世界で物事を考えていたかがよくわかります。今後何を実践していけばいいかが示されていて、希望が湧いてきます。
宇城道塾の受講をさせていただきながら「人間力」を読ませていただくと、ほんの少しですが『気』の世界を知れた気がします。
実際には、自分の日々の生活に生かしてこその勉学だと思います。先生は、著書で「宇宙からのエネルギー」という事をおっしゃっています。私は、ところどころ自分の仕事を通して、自分の力を超えたエネルギーを感じる事があります。この目に見えないエネルギーをいつでもチャージし、常に統一体で生きる事ができれば、どんなに素晴らしいだろうと思います。実際には、日々の忙しさや、ちょっとした他人との感情のぶつかり合い、怒りなどの気持ちがそのエネルギーを縮小したり、消滅させてしまう事があり、自分の未熟さを感じると同時に、いつでもそのエネルギーを自由自在に「気」の力として取り入れ、人に分け与える事ができる先生のあらゆる技をもっともっと学びたいと感じました。先生の著書を読ませていただくと、自分はまだまだ自分の心をコントロールできておらず、本当の意味で強く優しい自分をつくっていきたいと思います。
人間力を読んで、読み進むうちに宇城先生の道塾での講義を受けているようで、実践で体感された方々の感想文を読んで、自分も原点に返り本に書かれている言葉や実践の説明文を含め「あっ」と気付くところがありました。とくに「真心」のことは以前にもお聞きしたにもかかわらず、漠然としてとらえていましたが、まさしく目には見えなくても、人から人へ伝わり心使いが日常に活かされていくと思いました。
また、空手を知るには沖縄の心を知る、武器を持たないことなどを思い出しました。先日、道塾で先生に実践で見せていただいた「残心」について、心が発動されないと技はかからない意味が、恐れ多くも自分ができないのに書くのも恥ずかしいですが、日常のお客様に対する、ただ頭を下げるだけではなく、「今日も一日仕事をさせていただき本当に助かりました」の気持ちを込めて挨拶して背筋が自然と伸びたとき、「ス-ッ」と気が通る感覚が「真心」と相通じるのかなと勝手に思ってしまいました。師をもちプロフェッショナル、プロフェッションと自分の生きかたのスキルアップが少しでもできればとも思いました。それにはできない自分をもっと見つめ、限りなく横着を無くし、謙虚な気持ちを持ち続けることが自分にとっての修業かと思いました。
また先生の「武術を活かす」とは、社会的犯罪、事件、事故、学校の詰め込み教育のありかた、心ない政治のありかた、オリンピックやワ-ルドカップ、メジャーリーグなど、たいへん盛り上がり国民の目がいき、そのいい部分をとりあげるマスコミのありかた、今のスポーツの部分分析のありかたと幅広い分野に活かし、そのあらゆることの答えがこの人間力の本にあると思いました。
本が手元に届いてから繰り返し拝読していますが、読むだけで、また、読むたび、自分の人生に対する考え方が変わっていくのを感じます。また、実際に自分の生活も変化してきています。印象的だったのは「調和力」というこ言葉でした。「力」というと、どうしても秀でたり、打ち負かすためのものというイメージがありますが、「調和力」という言葉には、同じ「力」でも、従来とは全く違う考え方があるように思います。私はつい、競い勝つ意味での力を求めてしまいますが、それは本当ではなく、仕事でも芸術でも家庭でも、本当に必要なのは調和の力なのだと思いました。
江戸時代の日本人の識字率の高さについても、寺子屋での教育ありきではなく、武士の人間力に支えられたエネルギーゾーンの高い学びの場があってのものであったとの解説や、人間としての宗教心を取り戻すということが大事であるということ、自分の中の時間のスケールを大きくすること等、読んでいて心が震えるのを感じました。心が震え、いまこの一瞬も、二度と戻ってはこない、大切な、与えられた時間なのだということを感じました。宇宙の時間スケールにあわせると、今の悩みが悩みでなくなり、現代が抱える社会問題にも大胆な視座から切り込んでいける等、日々の職場での生活にもすぐに活きて来ることばだと思いました。
人間と宇宙についての壮大な解説書ともいうべきもので、宇城先生ご自身の生き様、修行から悟られた法則と、道塾や実践塾での御指導で蓄積された人間の本質についての研究が昇華した本だと思いました。科学、医学、芸術、政治、経済・・・ あまねくすべての分野に新時代を拓くものと思います。過去と未来をつなぐ、人類の財産と思います。
「気でよみがえる人間力」を読み、生きる勇気をいただいたのと同時に自分は使命を感じました。それは心を取り戻す事です。今、日本は心なしの行動が政治にも経済にも家庭にも疫病の様に蔓延し、崩壊の寸前にまで来ていると思います。しかし、平和ボケしてる日本はその危機を察知してないと思いました。それは政治は政治家に任せればいい、自分の商売が上手くいかないのは景気が悪いから、学校の先生が悪いからいけない等、言い訳や他人批判をしているのを見ていると危機感を感じざるを得ません。
その絶体絶命の危機を脱するには先生の仰る1人革命を、先生に学ぶ我々は実践しなくてはいけないと強く思いました。その為には妥協もなく、言い訳もなく、深さを知り謙虚になる事が非常に大切だと強く感じました。先生の心を少しでも写し、他の人に影響を与えてくのが自分の使命だと思いました。感謝の心を忘れず自分自身、驕る事なく深さを知る事を日々、実践していきます。
気が持つエネルギー、そして力は、言葉としてのこれまで定義されてきたエネルギー、力の概念を越えて捉えなければいけないと思います。それは決してこれらの言葉が持つ概念の広さから生じるあいまいさからではなく、まさに事実としての作用が厳然とある世界の中の言葉として、です。この本を真に受けとめるためには、ただ読むだけではやはり伝わらないところがあります。身体で理解するための実践が必要です。実践する行為が、この本を本当に読んでいるということにもなるでしょう。気はこれまでの常識の縛りを解きます。人間が本来持っている力というものがこれまでの常識で考えている以上の能力を持っていることを本書では実証していきます。そしてそれは一人一人の常識からの縛りを解くだけでなく、家族の、地域の、そして最終的には社会の、国の、地球の縛りを解くものではないかと。これが大げさな表現かどうか。この本を実践の中で理解した人は決して大げさとは思わないでしょう。
現代人は、日々増長し続ける情報や知識優先の社会の中で、好むと好まざるに関わらず、常に何らかの精神的な忙しさの中に生きています。そして何が大切なのか、何が一番大事なことなのかを忘れて、あるいは忘れていることさえも忘れて生きています。忙しい。忘れる。これらは心を亡くすと書きます。心を取り戻すこと、心なしから心ありの、人間主体の世界へ転換することが今求められている。そしてその転換を起こすパワー、エネルギーが気によって創造されると。このことを本書では力説します。知識の量から言えば現代人は例えば数百年前に比べれば何倍も何十倍も、あるいは何百倍もの一見”豊富”な知識の中に生きています。しかし、それらは人間の本来の力には繋がっていない。ただ知識、情報に追いたてられて時間に縛られてしまっている。それはつまり過去に縛られて生きているということになります。この過去の時間の中ではなく、時間を先取りしなければならない。気はその時間の先を見る作用、先取りの力を持っていると本書では述べます。
また、本書では武術の本質を、その術技が生と死の中から生み出されたものであること、そこに身を置く「心」と「覚悟」が必要であること、そこに至る修業であること、としています。この覚悟とは、やはり本書にある、人生には「上り坂」「下り坂」「まさか」の三つがある、というところの「まさか」の時をすでに先取りし、心を定めている究極の時間の先取りでとも言えるかもしれません。生と死の狭間から生まれる武術は、覚悟を具体的な形にする場でもあります。
昨年の東日本大震災、被災の現場は覚悟を必要とする「まさか」の時でした。現在進行形の放射線による避難を余儀なくされている今の福島もしかりです。人々はそれぞれに、あの津波そして原発事故というまさかの現場に立会い、ある意味覚悟を持たされました。被災当時の報道にあるように、悲惨な現場であれだけの絆の力を見せたのは、もともと日本人として持っていた人間主体の心と、その現場で生まれた覚悟から出た気が世界に発信されたともみることできます。これに対して、原発をもつ電力会社はそのまさかを先取りしていなかった。つまり原発は核エネルギーの利用であり、それは同じ原理と考えれば本質的には一種の核兵器でもあるという事実。この事実を平和利用という知識から発想される「言い訳」でごまかしながら、覚悟のない世界の中で50数基の原発を作ってしまった。そういうことだと思います。
本書の中では武術、武道というのは無宗教の宗教という捉え方をされています。つまり宗教のエッセンスを持っているということになります。人類の歴史に見る、現在も起こっている宗教を因とする凄惨な争いが地球の上から絶えません。これに対し過去に見る武力による争いが、武術、武道という形に昇華され、そしてそこから創出される気という作用が、戦わずして勝つ、そして優劣のない調和という究極の解を持たせてくれます。この点でこれまでの宗教を超えている、そう感じます。人類という生命体が、その本能的に持ってしまっている「互いに争う」という性(さが)を、気というエネルギーで調和というものに止揚していると言えるかもしれません。
最後の章の、科学者への問いかけは、本書の持つ意味を科学的な観点で紐解くための提案をしています。この問いかけにどのように答えていくかは、現代の科学がこれまで積み重ねてきたその精緻な体系を背景としながらも、更なる進歩に向かうための一つの試金石になるとも言えるでしょう。一人一人の身体を作る、気をキャッチする60兆個の細胞はもともとはたった一つの受精卵であるという事実があります。この60兆個がまるで一つの細胞であるかのように統一的に気をキャッチして動くということが、部分体として動くものに比べて、力なり、スピードなり、怖さを消した心なり、すべての点で質を変えた人間に繋がることを示しているように私には思えます。そしてそのような気の力が人間すべての人に必ず作用するということが実証されているということは、これからの人間社会にとって未来の世界をよりよくするための希望である、と誇張でなく言えると思います。より多くの人が本書を「『気』でよみがえる人間力」という題名のままに、常識の縛りを解いて素直に受け入れ、身体を使った実践の書として読むことを望みたいと思います。
私の欲しかった答えがすべて書いてあるようで、涙が止まりませんでした。
何度も読んで、心に染み込ませたいと思います。
宇城道塾初級クラスを通して教えていただいたことが分かりやすくまとめられていて、宇城先生が伝えようとなさっていたことを頭で理解することができました。
「自分は生かされている」という感謝と謙虚の心を忘れて日常を生きていることを、改めて痛感させられました。「心あり」の状態になるために、生かされているという事実を可能な限り意識できるようになりたいと思いました。そして横着から脱却して、謙虚になるための努力が足りないと反省しています。迷った時にはこの本を読み返して、少しでも前に進んでいきたいです。
自分にとって、一ページ一ページが自分への問いかけになる非常に内容の濃い本となりました。なぜなら、そこには否定しようのない真実や答えが記されているからです。そしてその言葉は、あらゆる事象に対して実践されてきた宇城先生の言葉であることと、ありえない程に解りやすく書かれているためストレートに自分に入ってきます。
最初は前半に書かれていた「歴史を継承している使命感や、それをつなぐための大切な一時期に自分が生きている」という文章が重く感じられましたが、読み終えた後は、その文章にやりがいを感じられました。生きていくことに対するエネルギーをいただいたのだと思います。
自分の人生の指南書として何度も何度も読み返し活用させていただきます。貴重な教えを形あるものにしていただいたことに感謝いたします。
何回も読み返していますが、読む度に自分自身に深さを増していくような気がします。宇城先生が仕事、空手、日常と今までにやってこられた集大成がこの一冊に込められていると感じました。
先生の一語一句から2つ、3つのメッセージ、警告、願い、思いがビリビリ伝わってきます。
まさに今自分が生きる答えがこの本に集約されています。この本は私の人生の教科書です。
何度も読み返して心で受け止めたいと思いました。
本文のなかに、
『高識字率が先にあるのではなく、人間としての高い学びのレベルがあったからこそ、「高い識字率」にもつながった・・・』とあります。
高い学びのレベルが心ありの状態でそのことを抜きにして学んだものは知識にしかならないと感じました。自分が変われば読み取れる内容の深さはもっと深くなると感じます。
生きるヒント、幸せになる心の作り方がたくさん本の中にありますが、自分が深さを知っていけばより真理に近づいていけると思います。本で自分が変わり、自分が成長すれば読み取る深さが増してくるような、共に生きたいと感じる本です。
愛情、真心、優しさ、厳しさ、慈しみ、思いやり、全ての気持ちがあふれているような本です。
大切にします。
読み始めてから時間の経つのも忘れ、喰らいつくように読んでしまいました。
書かれていることが本当に身体に染み込むように入ってきました。これは、今この現在の日本に生きているからこそ、身体が欲しがっている答えを無意識に感じ、細胞に染み込んでくるのだと思います。
よくある自己啓発本などとはまったく異なる次元で書かれていて、これはやはり宇城先生が「やってきた」人間であり、頭で考えているのではなく、行動してきた人間だからだと思います。何より他の書籍と違うのは、先生ご自身が武術という生か死かの世界を修行され、その研ぎ澄まされた身体での実感が文章に反映されているところだと思います。なのでまさに「頭脳」ではなく、「身体」で書かれた本だと思います。それゆえか、時間や宇宙の話と、一般的には難しいと思われる話がでてきますが、それがなぜかとても分かりやすく、自分の実生活の中にもすぐに当てはまるように思えました。国や性別を越え、今、この混迷した時代にすべての人間が共通して感じている問題に対する答えがこの本には余す所無く詰まっています。
またこれは歴史上、かつ人類学史上、非常に価値のある本になると思います。地球上で自然と共存共栄、調和しながらも高い文化を誇っていた日本という国の最高峰の文化だった武術、その究極の極意である「真心」そして「調和」。本の中にある通り、それは相手を傷付けずに観念させるという歴史上類を見ない境地まで高められています。それを、世界でも稀に見る戦後復興、そして高度成長期という怒涛のような時代を上場企業の経営者として、また技術者として、まさに駆け抜き、生き抜いてこられた宇城憲治先生が、科学的かつ具体的に一般化し、歴史上初めて紐解かれたのだと思います。そしてこれはすでに宇宙の真理を解き明かすための一筋の光明といっても過言ではないと思います。数々の奇跡が重なり、それでいて歴史の必然で生まれた本、百年後、二百年後の人類の、羨ましがる声が聞こえます。
宇城先生の新刊を読ませていただきました。
今まで以上に親切、丁寧に解説されていて、とてもわかりやすかったです。
そして、宇城先生の強い思いがつまっていてパワーを感じました。
これからも生かされている自分というものを謙虚に受けとめ、「心あり」の修行をしていかなければならないと感じました。