季刊『道』 150号(2006年秋)
● 今回もじっくりと読ませていただきました。“意識改革だけでは世の中は変わりにくい”という辰巳芳子先生のお言葉は、『道』のある意味一つの指針を示されたものなのではないでしょうか。かつて古人の抱いた教育観に「躾」という字がありました。“身を美しうする”――かつて日本の教育は、身体の教育だったと言ってもよいかと思います。頭で覚えることより“身体で覚えること”が大切、頭で理解することより“身で感じること”が尊ばれたはずなのです。それがいつの間にか“しつけ”が曲解され続け現在にいたっているのではないでしょうか。『道』に展開される様々な生き方はまさしく“身を美しうして生きる”ことを教えてくれます。またそれは現代人への“躾”にもなっているのだと思います。
(東京 男性)
● 『道』各号の「宇城憲治が引き出す道の世界」を読んで、「真の力」を持つ人の言葉はエネルギーを持っていると感じました。「言う」だけなら、誰にでも出来ることですが、その言葉が心にまで響いてくる、染みてくるというのは、その人の背景にそれまでに培ってきたものの重みがあるからだと思います。また、そうして培ってきたものを背景にされている“達人”と言われる方々の到達する境地というものは、ジャンルが違っても同じなのではないかと思いました。その境地にもたくさんのレベルがあり、段階があり、深さがあるものだと思いますが、エベレストの頂点に行くコース(道)がたくさんあるように、手段は違っても行き着く頂点(境地、目指す境地)は同じなのではないか、だからこそ、武道という枠を超えて話が出来る、表面だけの話ではなく、深いところでつながっているものの話が出来るのではないかと、そう思いました。 一見、武道とは何の関わりも接点もないように思えるジャンルまで扱っていますが、根底でちゃんとつながっている。何かの「道(みち)」を極めた方というのは、武道であれ、音楽であれ、芸術であれ、皆その道を通して、「生きる」ということを教えてくださるからだと思います。
武道だけではなく、礼儀や作法にはじまる、日本古来の心、四季折々の、また節目節目の日本の美しい習慣などをもう一度見つめなおし、その意味するところをもっと知っていきたいと思います。これからも日本の心、伝統、文化というものを発信し続ける雑誌であってほしいと、心から応援しています。
(福島 女性)
● 特集「意識改革から行動へ――コロラド合気道合宿」は読み応えがあった。流派を超えた世界各地からの参加者の真剣で素直な学ぶ姿勢と、それに対する宇城師範、五月女師範、主催者である池田師範の武道の本質を伝えようとする真摯な姿勢の熱気が伝わってきた。「相手のことの起こりを制する」「相手の中に入り無力化する」言葉で言うだけでなく、それを実践できることのことのすごさを参加者は味わったのだろう。さらに宇城師範が「気」を送ることで参加者自身がその実践ができるようになることは、「気」の持つエネルギーとしての奥の深さを証明しているようであった。人を育てるということの本質の一つはこの「気」を相手に送ることなのかもしれない。
対談「科学と気の可能性」も非常に興味深い。武道において「気」が紛れもない事実として存在することが示されているにもかかわらず、科学がその解明に深く立ち入れていないのではという宇城先生の問題提起、そしてそれに対する清水先生の現時点の科学の限界を素直に認めながらも、自身の生命の本質に対する深い洞察から繰り出される見解、これらは大変内容が深いし、今後の科学の発展の一つの方向性を示している気さえする。
以前読んだ清水先生の本「生命を捉えなおす」を手にとって見た。読んだ当時チェックした個所を読みなおしてみると、生命という複雑な現象を大変わかりやすく記述していること、そして独創的な生命の場としての捉え方が改めて伝わってくる。その上でさらにこの対談を読むとますますそのやりとりの深さ、おもしろさを感じた次第。「気」そしてその根源となる「型」について両先生の対談でどのように紐解かれていくのだろうか。続きの次号も楽しみである。
(宮城県 男性)
● いつも興味深い記事が沢山ありますが、今回は特に浦上博子先生のインタビューが良かったです。
武道をやっているやっていないにかかわらず、自分の精神の軸となるものが無ければ、それがぶれてしまった時の修正が難しく、何も気づかないまま進んでいってしまう危険性があります。そういう時にこそ型があると自分を見失う事無く進むべき方向が冷静に判断出来ると思います。
『道』では型の重要さと共に多方面で活躍されている先生方がいかにして師匠と接してきたのか貴重なお話が聞けるので非常にありがたいです。
(茨城県 女性)
● 「『科学と気』の可能性」 西洋生まれの「科学」と東洋生まれ「気」の違い、および、ようやく始まった「科学」からの歩み寄りを感じました。子どもの頃、高熱による麻痺で歩行困難になった子と知り合いました。いつも手すりや壁に寄り掛かるようにして歩き、両足はアザだらけでした。ご両親は医者を渡り歩き、とうとう「気」で症状を改善出来るという人に行き着き、本人の普段の努力の甲斐もあって、一人でずいぶん歩けるようになりました。あれから20年以上経っていますが、科学で「気」はまだ解明されていないのですね。
「伊勢に伝わる人と伝統」 仮御樋代木を伐採する前の杣夫の拝礼に、古来から自然を畏敬し、慎ましく生きてきた人の象徴的な姿を見たように思いました。このような感性を忘れないようにしたいです。あたかも支配者かのように自然を汚し、ほかの動植物も人も力で捩じ伏せようとする、卑しくさもしい行為は、そろそろ終わりにしたいですね。
(東京都 女性)