季刊『道』 173号(2012年夏)
『道』173号 [詳細・購入ページ]
仕事の関係で海外出張が多く、アメリカに駐在していたこともありました。海外で仕事をする中で、宇城先生が常々おっしゃっている日本人の優秀性を痛感しています。なのに日本人はそれに気づいていないというのも現実です。
季刊誌『道』においては、その日本人の心に常にスポットを当てた記事が多く、景気低迷が続き、閉塞感漂う昨今の状況下でも、日本人が日本の心を持ち続け、誇りを持って再生に取り組めば、そして一人革命を心がければ、まだまだ大丈夫という気持ちになります。
特に小久保選手との対談で、小久保選手の謙虚さと礼儀正しさにとても感心しました。グラウンドに必ず礼をする、決してグラウンドに唾を吐かないなど、一流選手の一流たる所以を知ることができました。正に正統な日本人であると思います。
今後も宇城先生と一流と呼ばれる方、一芸に秀でた方、この日本の再生に取り組んでいらっしゃる方々との対談に期待しています。
また、書家金澤泰子さんの連載も翔子さんへの愛情が伝わる文章に毎回感動していました。厳しくも優しさと愛娘への愛おしさが心に響きます。
毎回拝読する度に、宇城先生の危機感と何とかしなければいけないという責任感、使命感を感じます。宇城先生の思いを受け止め、私なりに一人革命により、社会へ、また母国への貢献をしたいと改めて考えさせられています。
小久保選手の人生における努力の量と精神力はとてつもないと感じました。宇城先生が初級講義の中でおっしゃった「小久保選手はプロ野球が世の中の極一部に過ぎないことを分かっている」とおっしゃった意味が理解できました。そのようなことを理解されている小久保選手だからこそ、やると決めたことをやり切る覚悟を持てたのだと思います。また小久保選手の謙虚さ、向上心、感謝の気持ちは、同じ野球を経験したことがある私とは雲泥の違いです。巻頭対談を読ませていただき、小久保選手を素晴らしいと思うだけでなく、自分の日常における実践にいかしていかなければならないと考えました。
一番心に残っているのは、長崎平和祈念像の写真です。
「像は今も天を指し宇宙の意思を聞けと全人類に示し続けている」と添えられた言葉を読み、改めて写真を見ると、本当に祈念像がそう語りかけているように見えます。宇宙に生かされている自分を改めて感じる一枚でした。
小久保選手との対談で、小久保選手の謙虚さと礼儀正しさにとても感心しました。グラウンドに必ず礼をする、決してグラウンドに唾を吐かないなど、一流選手の一流たる所以を知ることができました。正に正統な日本人であると思います。今後も宇城先生と一流と呼ばれる方、一芸に秀でた方、この日本の再生に取り組んでいらっしゃる方々との対談に期待しています。
宇城先生と小久保選手の対談で感じたのは、いかに師の存在が大切なのかというのが分かりました。ただ技術やノウハウだけではなく、ものの見方、考え方を教えていただく師の存在です。少し結果がでれば有頂天になり、自分は大丈夫だと過信し師から離れてく。それで糸が切れた凧の様に自然と落ちていき、自分では二度と上がれない人が多いのではないか、いつまでも師への感謝の気持ち、師の教えを自分の人生に写す心、覚悟が必要だと思いました。その中で謙虚な気持ちを忘れない。その中でコツコツと努力をし、「結果」という過去の栄光にすがるのではなく、それ以上の深さがあるという事が先生と小久保選手の対談を通して感じる事が出来ました。自分もただ師に甘えるのではなく、日々の中で師の教えを実践していく事がとても大切だという事を学ばせていただけた対談でした。
小久保選手との対談で小久保選手の誠実さ、野球に対する真剣さが、ひしひしと伝わってきました。素晴らしい心構えを持っている選手だと感じ、将来は、野球を野球道まで高め、素晴らしい指導者になっていくのだろうなと思いました。宇城先生の所々の宝石のような言葉は、深くそして厳しいけれど愛情に溢れていると感じました。この対談を、季刊『道』を通して熟読できることに感謝したいと思います。今回、踏み込んだ瞑想や目を開けていての集中方法などが語られていて、大変勉強になりました。日々実践していきたいと思います。そして宇城先生の言われている通り、日常の事に対して心してかかりたいと思います。次回季刊『道』の対談も楽しみです。
巨人ファンということもあり、ブラウン管を通じた小久保選手をよく見ていましたが、他の野球選手のイメージとは違う印象を感じていました。それは、バッターボックスに立つ前の一礼や、ヒーローインタビューに立った時の謙虚な言葉使いであり、常に礼儀が正しいことです。『道』を拝読し、宇城先生の指導を受けていたことを、初めて知り、そのような出会いがあったからなのだと、あらためて納得をいたしました。
CS戦において小久保選手が自軍の選手だけで無く、相手チームの日ハムの選手等も参加して胴上げで送られた姿を見て、小久保選手の人柄がなせる技、つまりは先生の指導が一つの形として現れたものと感激して見ておりました。心を開き相手を受け入れる、心を合わせる、そうした日々の結果が具現されていたような思いで見ておりました。
小久保選手の記事での「人の3倍働けは実際の時間ではなく、気迫とそのスピードを持って行動せよ」であるとか「1礼してグランドに入るなら、職場にもそういった気持ちで入室すべきだ」とか、気づきが多い。
宇城先生と小久保選手の対談の中で、宇城先生が『道』で登場いただいている人の多くは「私」を越えた「公」という人生哲学で実践、行動をもって活躍されています、というお言葉がありますが、私自身はどうだろう?と考えさせられました。自分の我や欲だけで生きていないだろうか?心ありの行動をしているか?宇城先生をはじめ『道』に出てくる方の生き方は、非常に高いエネルギーを持って活躍している方ばかりです。ただ凄いなと思うだけではなく、『道』からエネルギーをいただき、私も少しでも「公」のために活動していきたいと思います。
小久保選手との対談で、小久保選手の誠実さ、野球に対する真剣さがひしひしと伝わってきました。素晴らしい心構えを持っている選手だと感じ、将来は野球を野球道まで高め、素晴らしい指導者になっていくのだろうなと思いました。宇城先生の所々の宝石のような言葉は、深くそして厳しいけれど愛情に溢れていると感じました。この対談を季刊『道』を通して熟読できることに感謝したいと思います。今回、踏み込んだ瞑想や目を開けていての集中方法などが語られていて、大変勉強になりました。日々実践していきたいと思います。そして宇城先生の言われている通り、日常の事に対して心してかかりたいと思います。次回季刊『道』の対談も楽しみです。
今回のロングインタビューでは、被災地で写真を撮られた長倉洋海さん、長崎で被爆された谷口稜嘩さんの言葉が載せられています。
170号では肥田舜太郎さんと宇城塾長の対談と、福島からのレポート、171号では鎌中ひとみさんと宇城塾長の対談と、福島からのリポート172号では、広島で被爆された坪井直さんと津波調査をされた平川一臣さんのインタビューが掲載されていました。
これら最近の『道』では、常に福島の現実、問題がテーマにされており、同時に広島や長崎での被爆体験等が迫力をもって伝えられています。『道』はいつも、広島・長崎の被爆体験は過去の問題ではなく、今、目の前で起こっている問題、起こりつつある問題であるととらえていて、それを読者に提示しているのだ、ということを今回の『道』を読んでいて、感じました。
過去を現在・将来に生かすこと、過去の問題と現在・将来の問題を一つとしてとらえること、ただ反対と言うのではなく、真実を突きつけて人々の心に力強く訴えていくこと、勇気をもって発信していくこと、などについて、『道』そのものが実践であって、世界に向けてメッセージを発信するととに、宇城道塾生らに対しては範を示すものでもあるという気がしました。
小久保選手と塾長の対談では、小久保選手の謙虚さというものが現れているように思いました。元来の性格、育ち方というものもあると思いますが、それだけではなく、塾長と出会ったのが、「心も体もボロボロに」なっている頃であり、再起を図ろうと必死だった頃だったということも大きいのではないかと思いました。その頃の悔しく辛い体験があるからこそ、その後再度活躍をされても、謙虚で居続けることができるのではないかと思いました。慢心せず、調子にのらず、謙虚で居続けるというのは、自然になるものではなく、やはり小久保選手の心がけがあるからではないかと思います。自分もまた、試験に落ち続けていた時代のことを忘れず、謙虚であり続けたい、と気持ちを新にしました。
長倉さんのインタビューでは、長倉さんは、世界中どこの人間も本質は同じ、という確信をどこかお持ちなのかなという気がしました。だから、紛争地のこどもと被災地のこどもたちも、一本の線でつながっているということもおっしゃったり、世界とつながる、共有できるもの、世界と共に生きるという言葉が多く出てくるのではないか、また、自分自身の中にある人間の本質というところを掘り下げて、グローバルな活動をされてきた方ではないか、などと思いました。グローバルというと、「グローバル」という自分の外にあるものを探そうとしたりしますが、そうではなく、自分の中にあるもので、世界と通じていくというとらえ方は自分にも取り入れたいと思いました。
小久保選手がどのような野球人生を歩んできたのかということは、今までほとんど知りませんでしたが、野球人にとってお手本のような生き方をしてこられたのだという印象を受けました。そして、小久保選手を支えていた母親の存在や少年野球時代の監督さんの話は、これまで野球をしてきた私にとって、とても身に染みるいいお話が聞けたと感じております。子供が何かをしたがっている時、それを励まし、助けてくれる大人の存在というものは、子供にとってとても重要なのではないかと改めて感じました。子供もその後押しを受けて、感謝の気持ちや思いやりというものを身につけていくのではないでしょうか。また、子供がやりたいことを通じて、技術の向上だけでなく、人間的成長を促してくれる大人の存在も尊いものだと、小久保選手の話を聞いていて感じました。
小久保選手は自分を育ててくれた野球に恩返しがしたいと最後におっしゃっていました。きっと小久保選手を後押しされてきた方々も、同じように子供時代に誰かの愛情に支えられ、たくましく生きてこられたのだと思います。小久保選手のお話を聞いていて、そのような世代から世代へと受け継がれる愛情の存在というものを感じました。私も将来は教育に携わりたいと考えている人間の一人です。私も振り返ってみて、本当に多くの人の愛情に支えられてここまで生きてきた気がします。その愛情を後世にも伝えていくことが私の使命であり、先人の方々への何よりの恩返しなのだと思います。残された学生生活の中で、もっと多くのことを実践と行動を通して学び、これから誰かを幸せにできるように、毎日を過ごしていきたいと思います。
季刊『道』で拝見する先生方のように真っ直ぐ道を歩んでいきたいと思いました。それには私自身が謙虚になることかもしれません。今まであまりに目に見えるものばかりに目が奪われ、心が奪われてきたように思います。本当に大切なものはなんなのか。大事なものはなんなのか。そこが見れずにイザという時にだけ本質を見るというのは無理だということがわかりました。『道』は掲載されている先生方の偉大な生き様を知り、謙虚に生きる道を案内してくださってるように感じました。
毎回『道』には素晴らしい人生の達人が登場されて、もっともっと頑張れると力をいただきます。長崎の谷口さんは「何回も言うようですが、私は本当だったら生きられなかった人間が生きてきたんだ。私には生かされてきたんだという思いがある」と言われていましたし、茨城ダルクの岩井さんは「与えられた命なのだから、精一杯日々をすごそうと思えたんですね。今を精一杯、自分のことを生きよう、と。それが私に与えられた役割なんだろうと思います」と言われています。命があることが当たり前でないことを心の底まで体感し、自分の道を真っ直ぐに進んでおられます。素晴らしいお話を読ませていただくにつれ、特別選ばれた方々だけでなく、どの人にもその人にしかできない大切な役割が必ず存在すると思うようになりました。その事に気付かず、ただ毎日を過ごしているのだと思います。すべての人間が生きている意味がきっとあるのだと命を燃やして生きておられる方の話を聞かせていただいて改めて感じています。命はいつかなくなります。それは突然やって来ます。その時に、こうしておけばよかったと思うような生き方をしたら、命に対して申し訳ないと思います。私も、谷口さんや岩井さんのように精一杯自分らしく生きていきたいと思います。
いつも内容の濃いお話ばかりで、毎号感激させていただいております。前号の佐々木隆さんの銀河浴写真に引き続き、フォトジャーナリスト長倉洋海さんの子供たちの写真がありました。以前から世界の紛争地の子供たちの写真を深く掘り下げて、取材とともに内面から見つめてこられた方だけに、写真も発言された言葉にも真実の重みと深みを感じました。人々に出来事を伝える「ジャーナリスト」は「商品」としてのニュースをたくさん棚に並べるために、短くコンパクトにいろんな部分をそぎおとしてまとめがち・・・結論を作ってしまう。また、それを聞く人、見る人も、たくさんの情報を整理するためか結果、結論を求めがちになってしまう。また、多くの人は情報の種類がたくさんあったほうが良いと感じてしまう・・・でも実際に求められているものは、そぎおとされた部分にある立場の違う人たちの真実の姿であると。
写真も、ただテクニックで撮影しただけでなく、子供たちと生活し、彼らの中に自分と共有できるものを見つけられるようになった時点で撮影できるものでは、やはり1枚の深み重み、訴えてくる力が違う。このことは凄く共感できました。また首相が言った「未来の子供たちのために」ということを、現在の子供たちに向き合えない人に出来る訳が無いとも・・・ まさにその通りだと思います。
数年前、まだ韓国の電器業界が日本の技術を学んでいたころに、サムソンの社員をロシアや東南アジアに送り込み数年現地の人間として生活させ、現地の人たちは現状の生活の何が不満か発見させ続け、本当に必要とされる商品(冷蔵庫や洗濯機etc.)を自国の視点でなく、現地の生活視点から商品開発をしていたことを思い出しました。本当の心は、その人々や子供たちの中に入り込んでいかないと見つけられないと言うことを、強く感じました。
小久保選手の言葉から、真剣に生きるとはどういうことかを教えていただきました。同時に、いかに自分が甘く、軽く、浮いているを思い知ります。小久保選手の情熱ある生き様は、同年代の自分の心に響き、大きな希望です。また指導者という立場の大切さも考えさせられました。親と子の関係を含め、自分が変化していかなければと思いました。そうした中で魅力ある自分をつくっていきたいと強く思いました。
書家・金沢泰子氏の連載をいつも真っ先に読ませていただいています。京都の建仁寺を訪ね、翔子さんの素晴らしい書を拝見させてもいただきました。息を呑むような迫力と風神・雷神が舞い降りたかのような生命力あふれる素晴らしい作品を思い出しながら、お母様の文章をいつも背筋を伸ばして読ませていただいています。翔子さんの無垢で清らかな魂と、努力と集中力の凄まじさに感銘します。また、泰子氏の「悲嘆にくれた母親がやるせない時間を埋めた・・・」という率直で謙虚な言葉にも頭が下がります。つい自分をよく見せたいと思う愚かさを思い知らされ、恥ずかしくなるような美しい文章。心が洗われます。ありがとうございますと感謝の気持ちで読み終えました。
小久保選手との巻頭対談を読み、宇城先生のご指導を実践し、その積み重ねが奇跡ともいえる実績として体現された小久保選手の話に率直に感銘を受けました。小久保選手が球場に入るときに「修行の場である道場に入る」という感謝の気持ちで入る」「一礼して入り、一礼して出る」などの話は、宇城先生が私達が道塾初級の時に真っ先に教えてくださったことでありました。「守備の時には一球一球口をぱっと開けている」一日何百回の統一体になる方法を取り入れていることにも驚きました。反応する力が問われる守備の世界で三九歳にしてゴールデングラブ賞を受賞されたということ、まさに宇城先生の教えがいかにすごいものかを、そのまま表していると思いました。
小久保選手の謙虚な姿勢、たゆまぬ努力、感謝の気持ちを持った生き様の結果、好プレーに繋がり感動を与え、結果が出る。魅力のある爽快な方だと感じ、見習うべき点が沢山ありました。
また、谷口氏の想像を絶する体験談から、今にみる原発の問題がいかに深刻な事か重みのある言葉から伝わってきました。そしてフォトジャーナ リスト長倉氏の写真、記事からやはり子供が未来への希望だと。この『道』という本から宇城先生の物の見方や考え方を教えていただき、実際に行動し、実 践されている方々から人間として大切なものを学ばせてもらっていると思います。
野口健さんの記事が一番印象に残りました。最年少での五大陸最高峰登頂の過程を本で読んだときに、そのエネルギーの大きさに当時驚きましたが、その後、富士山を初めとする登頂時のごみ撤去活動 を始められたことを知り、感銘を受けていました。
今号の『道』の記事中に2点、特に印象深かった記述があり、ひとつには、「正しいことをやっていることに対して『身内の恥をさらすとはなにごとだ!』と隠蔽しようとする輩はかならずいるということ。ふたつには、そんな声に惑わされず、行動で実証してみせた今号の野口さんの行動に読みながら思わず興奮してしまいました。その後の橋本龍太郎さんの行動も印象深かったです。
宇城先生と小久保裕紀選手の対談はとてもわかりやすく、読むのが遅い私でもさらっと読めてしまいました。小久保選手は私とほぼ同い年ですが、2千本安打達成というご自分の仕事をきっちりこなしています。同世代の鑑であり励みにもなります。私の場合は35歳くらいから著しく体力が低下していく実感がありました。それだけに40歳にして2千本安打の金字塔を打ち立てたり、キャプテンで4番バッターでもあり、チームを優勝に導いた実績はただただ「すごい!」の一言です。
一方、自分自身はどうか。小久保選手と何が違うのか。恥ずかしながら真剣さが違うと思いました。横着をする自分、傲慢な自分が日常あらゆる場面で顔を出します。しかし、宇城道塾に通い学ぶ中で以前と違うところは、そういう自分の本性を自覚できるようになったことです。仕事中にも自己中心的な一面が表に出ようとすると、瞬時に気付き正そうと思えるようになりました。
宇城先生に学ぶ者として、グラウンドに入る時と出る時に徹底して一礼したり、統一体を目指したり、またガムを噛んだり唾を吐いたりしない野球道を歩んでおられる小久保選手に頭が下がる思いです。小久保選手のような影響力のある方が宇城先生の教えを実践すれば、確実に若い世代や子供たちに良い影響を及ぼします。まさに一人革命、これぞ一人革命だと思いました。
「吾以外皆我師」という言葉が身に沁みます。松下幸之助先生も「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さい事にでも、どんなに古い事にでも、宇宙の摂理、自然の理法が密かに脈づいているのである」とおっしゃった通り、私も肝に銘じて小久保選手の真剣さを真似たいと思います。
谷口さんの戦争体験の記事は、生々しい描写や写真を見て改めて原爆の悲惨さを再認識しました。多くの国が軍事に力を入れ、核による抑止力を持っていますが、唯一の被爆国として日本だけは核の廃除と平和への道を模索しなければなりません。今からでもやるべきでしょう。いつも『道』からたくさんの学びを得ています。ありがとうございました。
「人間力を高める野球道をめざして」の対談を読んで思ったことは、プロの野球選手でありながら謙虚な心で努力する野球人が、宇城先生という師と出会うことで野球道に向かい続け「事理一致」という結果を生み出すことができたのだなということです。一人革命のプロセスが読み取れ、一流と呼ばれる方の素晴らしさは理にかなったものがありました。
ロングインタビューの「原爆を背負い続け67年」を読んで、谷口さんの被曝体験の凄まじさに胸が苦しくなるような悲しみが込み上げてきたのですが、それでも読み続け最後まで読んだ時に思ったことは、まずそのインタビューをしっかり掲載してくださったどう出版への感謝と、お話してくださった谷口さんへの感謝の思いです。戦争とはいえ非戦闘員、一般市民を対象にした大量殺戮をしたという点でいかなる理由も通用しないほどのひどいことをアメリカは広島、長崎にしました。私達は戦争につながる種を取り除いていかなければならないと思いました。急に戦争になるのではないのです。核兵器撲滅を訴えていくのが日本のとる道ではなかったのかと思います。日本が平和をつくる先駆けの国となるよう行動を起こさなくてはいけないと思いました。
巻頭の対談のなかで、小久保選手の誠実さと強さがよく現れていると感じました。不遇の時にも、あきらめたり腐ったりせず、自分の進む方向をきちんと見て前進するということは簡単な事ではないと思います。また、リハビリや、自分のやるべき事に対して手を抜かず、人が見ていようと見ていないところであろうと同じ事をきちんと続けていくということも、実際はとても難しい事だと思います。それらの事がきちんとできることが強さであると感じます。そしてその強さが、偉業を成し遂げる原動力となり、また、人間としての優しさにつながっているのではないかと思います。
残念ながら現役を引退してしまいますが、今後、次の世代を引っぱっていく大きな仕事において、さらに元気に活躍する姿を見てみたいと思います。それと同時に、真の強さ、誠実さについて、自分自身を振り返った時、まだまだ成長する必要があると改めて感じました。
福岡ソフトバンクホークス小久保選手の対談を読み、プロというものはこのようなエネルギーかつ影響力を見せていかなければいけないんだと思いました。少年野球の頃から厳しさを知り、グランウドや教えてくれるコーチにあいさつ、感謝をすることをしっかりと叩きこまれているからこそ今があり、そうなるようにお母さんが躾をしてくれた。それに対しての感謝を忘れていないという事が、本当に素晴らしいと思いました。なによりお母さんが父親の悪口を言わないと言った事がやっぱり教育に対して感銘を受けました。教師や周りの大人を子供に悪い様にいったりすることで子供が大人を尊敬しなくなっていってしまう。だからこそ小久保選手は、授業をしてくれる先生に対して居眠りをする事が失礼だという事に繋がる。このような教育をしていきたいと思いました。
そして、プロという最高の立場でありながら、そこにあぐらをかかず常に向上していくエネルギーを注いでいく。それが人の何倍もの練習量に自然となっていったという事がプロへの道になり、パワーが伝わってくるのだと思います。そんな中で宇城先生と出会い一礼をする!忘れていたグラウンドに挨拶をするという事が、原点に返って技や名誉に走らず人間力を育てていくという事に繋がっていくという事が本当に素晴らしいと思います。それがファンに伝わり話題になるほど、それを見て育つ子供たちがただの技でなく、野球を通して人間力に繋がるようになっていくという事が、本当に今必要だと思いました。
小久保選手の対談記事では、小久保選手の半端でない努力と練習量から培われた技術が本物で、やった者にしか判らない領域の技であるのだと感じました。口先だけで軽々云々と言えないはずですが、人は軽々しく批評をします。そんな中で感謝を口に出せる小久保選手はすばらしいと思いました。野球で恩返しを、と話されていましたが、先日、今期限りで引退すると新聞記事に載っていました。野球道を作り上げていく姿が輝いていくのだと思いました。
自分の今、携わっている仕事に「道」を付けて、努力と研鑽する事が必要なのではないかと感じました。現役引退までに、小久保選手の試合を見たいと思いました。
原爆被災者の谷口氏の記事では、原爆・放射能の恐ろしさを、身の毛もよだつ思いで読みました。と同時に怒りをも感じました。谷口氏の「生きているには使命がある」の言葉に思いました。何気なく生きている様でいるけれど、それぞれに使命があるのだと。だから私達はしっかりと生きなければならない。世間の傍観者になってはいけない。自ら創り進んで行かなければならないと思いました。そして、ここまで包み隠さず記事にしている『道』は、すごいと感じました。
いつも楽しみに読ませていただいています。小久保選手との対談では、先生の教えをいかに実践・実行されているのかを知ることができ、大変引き込まれました。学ぶというのは、やはり学ぶ者の度量次第であることを感じさせられました。私の中の甘え・弱さを感じずにはいられませんでした。その中でも特に「天は見ている」ということを私は忘れていたと気づかされました。先生から教えていただいた挨拶や箸置きなどを、いつの間にか知識として取り組んでいました。時には「挨拶もしないで・・・」とか礼儀がないとか、自分のことは棚に上げて人を批判していました。肝心な心を忘れていました。
福祉の世界で働く私は、明確な成果・成績がないため評価がほとんどされません。その分、手を抜こうと思えばどんどん手を抜くことができてしまう職場とも言えます。一方で人と関わる仕事であり、深い感動を得ることもあります。その環境の中では、本当に私の心次第で全く内容の違う仕事になるのだと分かりました。「天は見ている」。身体が疲れてくるとすぐに甘えが出てきていましたが “職場を出るまでが修業”と心していきたいと改めて思いました。
毎号感じていることなのですが、『道』はその名の通り、単なる季刊誌の枠を大きく超えて、真剣勝負の生き方を世に問う一冊であると思います。今回も、文字通り野球「道」を追及し、実践されている小久保選手と宇城先生との巻頭対談に始まり、67年後の今も戦い続けておられる被爆者の谷口さん、震災に遭った子らを取り続けるフォトジャーナリストの長倉さんのロングインタビュー、一般のメディアでは報道されない被災地の現状を生々しく伝える現地取材記事、読み手のちっぽけな思考を一瞬で天空へと誘う銀河浴写真、さらには多彩な分野、切り口からの連載記事・・・ それぞれに語り手の深い思いや使命感に溢れており、この充実した内容は比類ないものであると思います。読み始めはいつも嬉しく楽しみな気持ちで手に取っても、読み終わる頃には、自分のまったく知らなかった事実に驚き、一流の方々の真摯な思いと行動する姿に心打たれ、背筋が伸び、漫然と現状に流されがちな自分の姿を恥じ、宇城先生の連載「気づく、気づかせる」を読んで宇城道塾での学びを反芻し、と内面が大いに揺さぶられ、体が熱くなったり、頭がスッキリとするような体感を味わいます。読むたびに、「自分は前号の『道』を読んでから、少しでも成長しているのだろうか」と自問せざるを得ません。まさに、道塾に参加した後毎回自分に問いかける、その時と同じ気持ちになります。
また、毎号記事のどこかで自分にとって「これだ!」と思える言葉に出会うことができます。今回は「究極は1人稽古ができるようにならないと駄目」「天知る地知る 我知る 人知る」という宇城先生の言葉にハッとしました。誰にでもない、自分にとって自分が恥ずかしくない存在でありたい、と強く思いました。また、金澤泰子さんの連載に生き生きと描かれる翔子さんの姿を読み、その書を拝見できるのもとても楽しみです。邪心が微塵も感じられない天衣無縫の彼女の文字は、まさに天からの授かりもの。写真を見るだけでも、胸が大きく開かれるような感覚があります。いつか、墨の香がたちのぼるような、墨痕鮮やかな金澤小蘭の作品をこの目で見、この身で感じてみたい、と連載を読むたびに思います。
宇宙、苦楽あわせた人間の営み、スポーツ、芸術にいたるまで、「気」を核とした哲学がダイナミックに打ち出される『道』は、まさに誌上の宇城道塾であると思います。そこに登場される人々、作り手の皆さんの思いに感謝しつつ、毎号毎号からのメッセージをより深く受け取り、実践できる自分になりたいと思います。
小久保選手は、幼少の頃からスポーツのみに打ち込むのではなく、人間として文武両道として勉強もし、スポーツも極めるべく勉強をしてきました。宇城先生とお会いしてから、勝っても負けても野球場に、グラウンドに一礼をする。全ての事に感謝して・・・。
普段、宇城先生の講習を受講させていただいていて、自分たちは全ての事に生かされている。それを感じれば自然と謙虚になれる。謙虚になれば自然と感謝の気持ちが生まれ、自然と挨拶が出てくる。その教えはとても大事だと感じ、日々実践をと心がけています。小久保選手は日々勉強をし、前向きに人生を進んでいると感じます。私自身も見習わなければと思います。
東京で生活していると、震災のことは全く意識にのぼらず一日が終わることもありました。『道』173号を読んで、ガツンと殴られたような衝撃がありました。復興はまだ始まったばかりなのだと、改めて気付かされました。大切なものを失った方たちにとっては、元通りの生活になることなど有り得ないのかもしれません。それでも前を向いて歩いていけるのは、大きな苦しみに直面したの時に、自然と気が通っているのではないかと感じました。人間には本来そのような力があるのではないかと、宇城先生の教えを受けた今では考えられます。
我々も、被災地の方々の悲しみを自分自身の悲しみとして受け止め、それでも調和の心をもって、復興にともに努力していきたいと深く感じました。
また、フォトジャーナリストの長倉さんが、子どもはどんな人に対しても心を開く事ができる、と宇城先生の教えと同じことをおっしゃっていたのがとても印象に残りました。
一番印象に残ったのは小久保選手と宇城先生との対談で、感動こそ一人稽古の原点ということでした。できたという感動、それは自分の可能性への希望であり、だからこそ、もっとできる自分になるたくなる。頭ばかりで謙虚ではない自分は、中学生や高校生のような素直で劇的な変化は難しいかもしれません。ただそれでも小さな感動、変化を大切にして、その先にある深さを求める生き方を見据えていきたいと思います。
日本に生まれて、日本で生きて、日本で死んでいくとしても世界とつながって生きているという横のつながり、世界の中の自分を感じました。また、長崎に行ったことは無いのですが、落とされた原子爆弾の痛みと怒りの中で生きているのだと縦の時間の流れを感じました。
人の中で活かされて生きているのだと思いますが、同時に一人でも変われば世界中に影響があるぐらい一人の人の存在は大きいのだとも感じました。
今回の『道』にて先生と小久保選手の対談で感じたのは、いかに師の存在が大切なのかというのが分かりました。ただ技術やノウハウだけではなく、ものの見方、考え方を教えていただく師の存在です。少し結果がでれば有頂天になり、自分は大丈夫だと過信し師から離れていく。それで糸が切れた凧の様に自然と落ちていき、自分では二度と上がれない人が多いのではないか。いつまでも師への感謝の気持ち、師の教えを自分の人生に写す心、覚悟が必要だと思いました。その中で謙虚な気持ちを忘れない。その中でコツコツと努力をし、「結果」という過去の栄光にすがるのではなく、それ以上の深さがあるという事が先生と小久保選手の対談を通し、感じる事が出来ました。自分もただ師に甘えるのではなく、日々の中で師の教えを実践していく事がとても大切だという事を学ばせていただけた対談でした。
巨人ファンということもあり、ブラウン管を通じた小久保選手をよく見ていましたが、他の野球選手のイメージとは違う印象を感じていました。それは、バッターボックスに立つ前の一礼や、ヒーローインタビューに立った時の謙虚な言葉使いであり、常に礼儀が正しいことです。『道』を拝読し、宇城先生の指導を受けていたことを初めて知り、そのような出会いがあったからなのだと、あらためて納得をいたしました。
『道』では努力する人の具体的な変化がわかりやすく語られて、常に何かを「評論」しがちなマスコミと違い、魂の言葉がつづられていて、いつもエネルギーをいただいております。
また、読むたびに自分のあり方を反省させられております。
季刊「道』は目を覆いたくなるような現実を知ることができ、そこから「やらなければならない」という使命感や、「まだまだやれる!」という気持を奮い起こさせていただけます。
少しずつではありますが人生が変わってきたような気がします。感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも学ばせていただいております。特集の頁に対談される方々の大きさ、謙虚さに頭が下がります。また、内容についてもよくぞここまで…と心配になるほど踏み込んであり、その強さに励まされます。
今回は小久保選手の特集でしたので、身近に感じました。その人となりに触れ人間力の大きさに福岡で皆から特別に愛されるはずだ!と納得しました。特集頁だけでなく、隅から隅まで読んでいます。どこも手抜きのない本気の本です。
『道』で宇城先生と対談されているメダリストや著名な方の内容は、新聞や本などでは決して知り得ない深いお話ばかりで毎回届くのをとても楽しみにしております。福島の原発関連では、読み進む程恐ろしくなりますが目を逸らさず支援を続ける決心をし、ここまで書いて大丈夫なのだろうかと心配もしてしまいます。この計り知れない覚悟が読む人に勇気を与えてくれるのだと思いました。
そして金澤さん母娘の厳しさの中にある深く強い愛情を感じる手記は、涙を流さずには読めません。自分の子育てや生き方を反省し、やり直しながら前に進んでいます。この本がなければ地道にいろんな活動をされている方にも気づかずメディアに翻弄され真実を知らないままに過ごしていました。
毎回、道を読ませていただくたび、自分の心が痛くなったり、洗われたり、元気になったり、感動したりと様々な感情が湧いてきます。今回、佐々木先生の対談を読ませていただきました。その中で、「私は何もわかっていないな」と読んでいて思うばかりでした。私たちは宇宙があり地球の中で生命として生きている。それも当たり前のように。生きているのではなく、生かされていることに気づかされます。佐々木先生がお話された内容で、地球から離れて地球を見る。上空に上がるほど人間の姿は見えなくなる。宇宙からすると地球はもっと小さい。その内容に触れ、その中で、私は小さな所で視野を狭くし、範囲を狭めているのだなと思い知らされました。時間が流れ悩んだり居ついたりしている事が、頭で考える小さな事なんだなと思いました。また、自然の摂理に沿い感謝していく心がとても大切なんだと改めて思いました。
見たくない現実からは目を逸らしたくなるのが人情ですが、前回・今回の『道』は、原爆の非人間性、それに関わる人々の心ない言動、そして今回の原発の事故に関係する東電・政治家の心ない対応等、厳しい現実を突きつけられる内容でした。
また、宇城先生の連載で「世の中には、人を幸せにするものと人を不幸にするものと二つしかないような気がします」という言葉にも、はっとさせられました。今の自分がその前者であるという自信は正直ありませんが、少なくともそうなりたいと思いました。
原爆の被災者である谷口さんの記事には驚きました。原爆の影響が現在まで続いているなど思いもよりませんでした。また、東北の被災地の記事を読むにつけ、知らないこと、知ろうとしないことがどんなに罪であるかと思いました。
金澤翔子さんの字にはいつも引き込まれるものがあります。千字文を書き終わったときの「お母さま、私、神様を信じてるんだ」という言葉にハッとしました。自分に足りないものはこれだと。
谷口氏の記事には思わず目を背けたくなる写真が掲載されており、被爆状況や3年7箇月に及ぶ治療、入院生活など壮絶体験を読み進めるうちに自分の息が少し上がっているのに気づきました。文字だけでは伝わらない衝撃を受けたのですが、同時に谷口氏が敢えて自らの名刺にご自分の赤く焼けただれた背中の写真を使用されていることも、言葉以上のものを出会った全ての人に伝えたいという強い思いからだと感じました。十代の若さで否応なく過酷な状況に曝され、今も治療が続く自分の人生を受け入れ、世界中で核廃絶を訴えられるその姿勢に敬服し、また、「自分から始めたことだから」と団体の分裂など周囲の変化に全く左右されない姿勢に壮絶体験の重みやご本人の覚悟を感じました。
福島の原発は、今も危険な放射線を出し続ける明らかな危機ですが、次の世代にも放射線被害を出し続けることは明らかであり、原子力の危険性については、もう見ないふりは許されない、まして目を背けてはいけないとの思いを新たにしました。
長倉洋海さんの「気持ちを通わせないビジネスや形だけの支援などは意味がない。日本が世界で有数の支援をしていても期待するほどの感謝をされていない。同じ人間という視点が欠けているからだ」という言葉が強く印象に残りました。他の方からも「人として」「人間として」という言葉が何度も述べられていました。現在、最もそのことを考え、行動するべき時代になっているのだと思います。やはりその答えは、「心あり」なのだとあらためて学ぶことが出来ました。いつも現代を生きる上で最も大切な事を実践されている方々を通じて、伝えていただき感謝しております。
小久保選手との対談記事を読み、心が澄みわたるような気持ちがしました。誰も見ていなくても、誰に指示されなくても、やると決めたことをやり切る誠実さに感動しました。自分に与えられた命に謙虚さと素直な心を持って向き合う時、自分がなすべきことが見えてくるし、必要なものが天の采配によって用意されていくのかなと感じました。小久保選手と宇城先生との出会いもその必然の中に用意されていたことでしょう。
現在行なわれているロンドンオリンピックでの柔道を見ると、完全に競技スポーツ化されており、試合内容だけでなく、選手が審判に抗議したり、時間かせぎをしたり、勝ってもガッツポーズをしながら、相手への礼節を無くしているような態度を見ると、もはや武道とは言えないと思いました。そしてお家芸であるはずの日本の成績も、散々たる結果となっています。日本の柔道界(柔道だけでなく他の武道もそうかもしれませんが)は、全てを捨て、武道・武術の原点に立ち返ってほしいと思います。武術の本質というものを実際に体現されている宇城憲治先生のような師から学ぶべき時が来ていると思いました。
小久保選手の少年野球時代の監督から、立派な人間になる事をしつけられ、励まされて育ったというお話に感動しました。指導者の心の在り方について学ばせていただきました。一生懸命子供達の事を想い、心をこめて指導する事によって、その子供自身の心の中に、一生消えない、かけがえのない師の心が映るのだと思いました。そしてその心が小久保選手を通して、また次の世代の子供達に引き継がれていくのだと思います。まさしく野球というスポーツではなく、「野球道」だと思いました。
「マスメディアが報道しなくなってからが真の支援」との宇城塾長のお言葉通り、『道』が継続的に被災地の様子、また被災地へのメッセージを発信し続けていることを、大変尊いことだと思っています。
巻頭の小久保選手と塾長との対談には大変勇気付けられ、元気をもらいました。また『道』の表紙に連載していらっしゃる方々のお名前を拝見すると、いずれも各分野で実践的に行動されている超一流の方々ばかりで、こういった異分野の方々と深いレベルで対談ができる塾長の深さや、数年前にスタートした『道』の急激な深まり、拡がりに感銘を受けております。バックナンバーも含め、度々読み返し、日々の小さな悩みから抜け出して前進する勇気と、日々の生活から気持ちに溜まる夾雑物を取り除いてくれる、ひろさ、穏やかさを頂いています。
毎回、金澤翔子さんの書とお母様の金澤泰子さんの文章を楽しみにしています。
翔子さんの書は豪快、大胆でいつも驚いて見入っています。
金澤泰子さんの文章は、たいへん美しく、またわかりやすい文章です。
母の子に対する慈愛がよく伝わってきて心が温まります。
今号の『道』を読んで一番衝撃的だったのは、谷口さんのお話でした。
被爆者の背中の皮膚が剥がされ、真っ赤にただれた写真を見たのは生まれて初めてです。被爆したときの当時の情景や、体の状態を読んだときはあまりにもリアルで悲惨で鳥肌が立ちました。
また、谷口さんの生かされた思いと全てを公表しない政府への怒り、福島の方々への思いは、正に今を生き、行動してきた人間の重みある言葉です。
それと同時に、私も読者で終わるのではなく、今を生き、行動していきたいと思います。
担任しております6年生の子どもたちと、長崎原爆を題材にした平和集会での発表を前に、ちょうどシナリオ作りをしていた7月に『道』は届きました。紙面を読ませていただき、谷口さんの特集記事と佐々木さんの詩を読み、胸が震えました。そして偶然でないと感じました。早速、翌日子どもたちにコピーを配りました。修学旅行で長崎に行き、その後も原爆でいったいなにが起きたのかを学び続けてきて、原爆への圧倒的な恐怖、怒り・憤り、人が人を無下に殺傷する悲しみ、理不尽さを12歳の子どもたちの感性で感じ取っていた子どもたちに、あの長崎の状況下で筆舌に尽くしがたい、想像しがたいほどの苦しみを味わい、手術を繰り返しながら語り継ぐことを使命に生き抜いて来られた谷口さんの言葉はすっと入り、原爆・核兵器の存在を「おかしい」と思う気持ち、あるべきでない! あってはならない! 誰しも安心して生きられる世の中に! という願いを強めてくださるものとなりました。
そして、発表の中で佐々木さんの詩は一人の女の子が希望して、全校児童に語りかけるように暗唱しました。会場内はシーンとしずまり返っていました。谷口さん、佐々木さんの思い、生き様に私と子どもたちを出会わせていただき、心より感謝しております。子どもたちの「人の命や心を大事にする」という思いやアンテナを、この先もしっかり守り育てて参ります。ありがとうございました。
戦争経験者の方が語る言葉は、命の大切さが重たくのしかかってきます。
あれだけの経験をしたのに福島の事故を未然に防げず、再稼働まで 行なわれてしまっている。この国の真心はどこにいってしまったのだろうと思います。
『道』には「自分一人でも変わる事で未来を豊かにしていける」というメッセージがいっぱい詰まっています。心には心で答える様な生き方をしていきたいと感じました。
長倉洋海さんの記事を拝見させていただいた中で、「被災地の光景は戦場と一緒」という言葉がありました。私は戦場に行ったことも体験したこともありませんが、初めて現地行ったときはあまりの衝撃に言葉も出ず、ただただ涙が溢れたのを思い出しました。また、紛争地の子供達と同じく、被災地の子供達は「命」の大切さを身近に感じながらも、明るく、強く、たくましい!というところには、私の家族も小学校の体育館に2週間以上避難しましたが、その時は不安を感じる大人達とは対照的に、この現状でも明るく楽しんでいる子供達の笑顔にどれだけ救われた事か分かりませんでした。震災を経験した子供達、紛争地の子供達・・・未来ある子供達の笑顔の為にも、我々大人が「心あり」の素晴らしい社会を作っていかなければいけない!と強く感じました。