季刊『道』 161号(2009年夏)
● 踏まれて育つ麦のように強くあれ。
被爆されたひとびとの地獄の描写は想像を絶するものですが、私と妻も広島の生まれで、義父は原爆投下の日、知人の家を新築しているとき、爆風で大黒柱の下敷きになり逃げることが出来ませんでした。ところが、逃げ出せた人々は放射能に被爆し全員亡くなられたそうです。翌日探しに来た人に助け出された義父は被爆者になりましたが、70才まで生きました。そのときの体験談は、正に中沢啓治の言われる通りでした。
近年自殺者が年間3万人を超えるとか、ニートとか騒がれています。詳しいことは分かりませんが、あまりに心が弱過ぎると思います。それは物心ついてから何不自由なく育てられたからではないでしょうか。小さいときに我慢することなく、何でも手に入る生活をさせてきたから、何が何でも生き抜くぞ、という気概に欠けていると思います。疑似体験でもいいから「はだしのゲン」を読んで、強い心を持って欲しいものです。
(静岡 サービス業 70歳 男性)
● 『はだしのゲン』は中学生時代に何度も図書室で読んでいました。ただ、中沢さんの実体験から生まれた作品で、『道』にもありましたが現実にあんなに凄まじい体験をされたことは知りませんでした。
お話を読み、『はだしのゲン』を思い出しながら涙が溢れてきました。現実に本当にこんなことがあったのかと心底恐ろしくなり、だからこそ絶対に戦争は起こしてはならないものだと強く感じました。実際に惨劇の中を生き抜いてこられた中沢さんの強い思いを感じることができました。
(福岡 会社員 25歳 男性)
● 私が1番印象に残っているのは、『はだしのゲン』の原作者、中沢先生との対談です。小学校低学年の夏休みの度に、母の里でずっと読んでいた、衝撃的な作品の1ページ1ページが甦ってきました。実話ということは知っていましたが、中沢先生の生の言葉が、あの原爆で倒れた家の下敷きになった、お父さんやお姉ちゃん、弟さんを必死で引っ張りだそうとするお母さんのシーンと重なって、涙が止まりませんでした。私たちは戦争の悲劇を2度と繰り返さないためにも、まず身近な人と仲良く、話し合って生活をしていくことが大切だと思います。
『道』の中で何人かの先生方が、戦後の民主主義が日本を心を壊してしまったと、書かれていらっしゃいます。大切なところがかなり減ってしまったと同感なところもありますが、厳しい言葉に、時々胸が痛くなることもあります。民主主義のお陰で、一人ひとりが意見が言いやすくなったところもあると思います。自由にものが言える雰囲気、こんなに豊かで、幸せな日本社会を作ってくださった先生方に、失礼をお許しいただきながら、今後の日本の為に、私たちに日本の良い心を教え続けていただきたいと思いました。
(福岡 幼稚園教諭 40歳 女性)
● 近藤亨先生のムスタンでの偉業の大変さが伝わってきました。近藤先生の出身地に近いこともあり、先生の変人扱いされていた話を聞いたことがありました。人の噂とは勝手なもの。こんなに高齢でありながらご苦労され、ムスタンの人々の幸せの為に活動していた事実をどれだけ知っていたのか。同じ新潟県人でありながら恥ずかしい気持ちになりました。「どうせ出来っこない」とか「もう歳だから」などと口が裂けても言えません。「口より先に行動ありき」と戒めなければという思いです。
(新潟 49歳 男性)
● 近藤亨さんの「理想を持って立ち上がれ」は、大地に生きる人の力強さと優しさを感じました。特に「人生の最後を社会への感謝としてご恩返しすべき」というお話には共感するものがあります。まさに定年をひかえ、今後の人生の有り様を考えておるところでしたので、大変参考になり勉強になりました。自分でも少しはお役に立てられるよう精進していきたいと思っています。
(宮城 医師 62歳 男性)
●『はだしのゲン』作者中澤さんの特集を読んで原爆の悲惨さ、そして疎開先でのいじめ、子供の残酷な言葉、現在もあると思いますが、その様なことがあったことそして、それを乗り越えて漫画で現在に伝えられたこと、自分に負けなかった強い心に感動しました。
(千葉 地方公務員 54歳 男性)
●定期購読をさせていただいて読むたびに元気(力)を貰っています。最近では161号の中沢啓治さんの『はだしのゲン』の話がかなり強烈な印象をうけました。小学生の時に読んではいたのですが、まさか実話の話だとは知りませんでした。戦争の悲しさや苦しさ、愚かさをあんなに思わせられたのは初めてでした。その中で必死に生き抜いていく様子が感動的で、人の強さがビシビシ伝わってきました。いかに人との調和が大事なのかが痛感できた特集でした。
(千葉 24歳 男性)
●毎号、道を読むと何か分かりませんが、とにかく元気が出てきます、勇気が出てきます。自分なりにハッと、気づく事があります。今回の特集「生き抜く」では、中沢先生の体験談を読むのが辛くなりました。読むのをやめようとも思いました。平和ボケした私には、想像出来ない世界があったんだと思いました。どんなにつらい事があったのか、その中でも生き抜いてこられた中沢先生に、強い力を感じました。
(福岡 整備士 43歳 男性)
●季刊『道』No.161夏号の宇城憲治先生「人間誰にも存在している潜在能力とは-」が印象に残っております。日常の心のあり方が真心が身体操作に影響を与えることを知り驚きました。現代人に欠如している謙虚さが自分自身を成長させ、潜在能力を引き出すプロセスであることを知り、興味深く拝読しました。
(栃木 歯科医師 44歳 男性)
●特集中沢啓治先生の「踏まれて育つ麦のように強くあれ」を読みました。一読後言葉がありませんでした。それほど内容が衝撃的でした。先生の作品「はだしのゲン」は以前若い頃読んだことがあります。その表現のリアルさと、ゲンの少年ながら前向きでそして不屈の強い精神に圧倒された覚えがあります。
今回この特集を読んでそのルーツがわかりました。先生ご自身が直接の被爆者であり、なおかつ語られるような言語に絶する体験をしていること、そしてまさに奇蹟としかいいようのないめぐり合わせで生き残り、その上でのゲンであるということを。その日、たまたま呼びとめられ壁にもたれたながら会話をしていたそのたった1mの差、そして先生を戦後守り抜いてくれた母親がその時に洗濯乾しが終って軒下に入ったことで助かった、そういう何気ないその日その時の一瞬の時間が今と言う時に直接繋がっていることが読んでいて実に生々しく感じられました。先生が母親の骨がなかったことにたいして感じた驚きと怒りがゲンを表わすきっかけとなったのは、母親が自分の骨という身体そのもので最後のメッセージを息子に送ったということなのでしょう。
先生がこの奇跡のような時間のつながりで生かされていること、そしてその結果としてのゲンを今我々が読むこことができること、これはきっと時間を超えて我々が感じなければいけないことを示しているのではないか。戦争というもの、核兵器というものに対する人類が感じなければいけない「怒り」ではないかと思いました。地球上の人のこれからが、この怒りをゲンでもある先生のように如何に前向きに活かして行けるか、にかかっている。それは読者である自分のような市井の一人にとっても逃げてはいけないこれからの「道」なのだと思いました。
自殺者が年間3万人を超えるある意味異常な今の日本、先生の生き抜く姿勢の中に学ぶべきことがたくさんあると思います。あの1mの差、軒下へ入る何気ない歩の運びが、道の始まりであることは、すべてのことはないがしろに出来ない、意味のある出来事であること、時間を超える人間の存在集団にとっての気の存在を感じることが出来ます。本誌の表紙にもある未来を拓くために、先生のこれからのご活躍を、そしてゲンの活躍を祈らずにはいられませんでした。
(宮城 50代 男性)
●中沢先生の原爆のお話には大変心に残るものがありました。このようなお話は、日本人として絶対に忘れてはいけないことだと強く思いました。
(茨城 20代 男性)
●中沢先生の幼いころの体験を読み、私は恵まれているなと思いました。私は戦争の体験も御座いませんし、家は貧しかったのですが食べるものはありましたが、そこまで辛い体験はありませんでした。でも中沢先生は、幼いころにあんな苦しい思い、あんな悲しい思いをしてるにもかかわらず、「絶対に生き抜いてやる」という強い気持ちには、本当に凄いと思いました。
戦争は絶対にだめ、戦争ほど悲惨なものはない、戦争せずに世界中と仲良くやっていける若者に育ってほしいと言う中沢先生のお言葉は、核の事が問題になっている今、本当に必要なメッセージだと思います。中沢先生には、命の重さ、命の大事さを思いおこさせていただきました。有難うございました。
(東京 タクシー運転手 40代 男性)
●冒頭の『はだしのゲン』の作者、中沢啓治さんのインタビュー記事を私は何回も本を置きながら、読みきりました。ひと段落読んでは、その悲惨さ悲しさに胸が痛み、顔をそむけ、涙が溢れてくるのを止めることができませんでした。本当に信じられない。こんな地獄があったのだろうかと。自分がもしこれを経験したら、ショックのあまり二度と立ち直れない、人生をあきらめてしまうだろうと思いました。
先日、もう一度読み直しました。前回と同じく、涙が溢れてきましたが、それと同時に、前に読んだときには感じられなかったことが感じられました。それは、現在私が「当たり前」だと感じている平和な日本が、過去の信じられないような地獄と引き換えに得たものなのだというものです。いま食べている白いご飯も、自分を大事にしてくれる両親も、自分にとってはすべて「当たり前」です。でも、それらは本当は「当たり前」じゃない。多くの人々の涙と苦しみの上に、今私たちが立っているのだという思いがわいてきました。
これまで自分はすべてのことを「当たり前」と考えて、それらに感謝してくることをしませんでした。何か素晴らしいことに出会えても、いつの間にかそれが「当たり前」になり、貪欲に次を求めて、もっともっとと。でも本当はこの世に「当たり前」であることなんかない。すべての「当たり前」は過去の人々の多くの悲しみと愛情の上にあることなのだと思いました。自分はいま24歳で、これまで両親に愛され、大病もせず、学校に通わせてもらい、会社にも就職できて、美味しいご飯も食べています。今までこれを「当たり前」だと考え、まだ足らない、まだ足らないと不満でした。でも、本当は「当たり前」なんかではなくもう十分に与えられているのだと、そっちに目を向けて感謝しなければならないと思いました。
私はまだ、平和のために何をすればいいのか、具体的な行動はよく分かりません。でも、この平和は原爆がもたらした本当の地獄と引き換えだったのだということを思い出しながら、感謝して生きていくことにします。
(東京 広告会社勤務 20代 男性)
●小学校低学年のころ、床屋さんや歯医者さんに少年ジャンプが置いてありました。そのなかでも強烈に印象に残っているのが「はだしのゲン」です。連載当時、私が見たのは原爆が落とされてからの話だったように思います。回想シーンで出てきた、ゲンの父親の「麦になれ」のセリフは今でも覚えています。踏まれても強くなって生きていけ! これは今の私たち日本人に必要な言葉ではないでしょうか。生き抜くということは確かに大変なことかも知れません。自殺で死ぬ人が戦争で死ぬ人よりも多い日本はやはりぬるま湯につかっていると思います。
中沢さんの当時のお話は涙があふれてしまいました。そして、原爆が落ちた直後の様子に至っては我が身までもが痛く感じました。そして、お母さんのお骨がないというところでは戦争という人の愚かな行為に怒りすら覚えました。当時の日本がやったことについてとやかく言う気はありません。その時代の人たちの止むに止まれぬ判断があったのだと思います。それにしても払った犠牲は大きかったと思いますが。もっと単純に、人同士が殺しあう戦争という行為そのものに腹が立ちました。そして、あの戦争で亡くなった多くの日本人たちに対して胸を張って「私たちは日本を守っています」といえるのかと。
「生き抜く」ということは次の世代に伝えることだと思います。中沢さんは「生き抜く」ことで私たちに原爆の、戦争の恐ろしさや愚かさを伝えてくれます。本当の体験を通してのメッセージです。戦争を知らない私たちも生き抜いて、次の世代に何かを伝えていかなくてはならないのではないでしょうか。逆に、今をしっかり生き抜くことで私たちが伝えるべき何かが見えてくるような気がします。幸せのなかにどっぷりつかっているからこそ自分はいかに幸せかということが見えてこないのかもしれません。そんな私たち今の日本人に中沢さんのお話は大きなメッセージを送っていただいている気がします。
(長野 教諭 43歳 男性)
●中沢先生の「踏まれて育つ麦のように強くあれ」を読ませていただきました。小学1年生であった先生の記憶にこんなにも鮮明に残っているという事は、信じられないような地獄絵だったのでしょう。
当時私は3年生で、東京で空襲を体験し生家も焼かれていますが、広島・長崎の人々に与えた戦争の傷跡は、想像を絶するもの。体験者だからこそ語れる悲惨さ・残酷さを世界中の人々にもっともっと知ってもらうべきです。二度と戦争という過ちを繰り返してはならない。戦争の悲惨さを知る人が少なくなってきている現在、良いタイミングでの企画だと思います。現在はあまりにも平和すぎます。
(東京 ファミリーホーム勤務 74歳 女性)
●「『道』は凄い迫力がある。 他のインタビュー主体の雑誌を購読していて、そこには既に成功した人の美談が綺麗な形で載っているが、『道』は今まさに日本を変えようと走っている人たちの生の声が、ここまで載せていいのかという感じで迫ってくる。 自分も日本を変えようとする端くれとして、非常に勇気をいただける。」
(『道』をプレゼントした方からいただいた感想です、と定期購読のお客様から寄せられました)。