『人間と気 人間に与えられた宇宙からのメッセージ』 宇城憲治著
● 「人間と気」にある、「愛は理屈でなく、幸せに向かう自らの行動である」というページが心に響きました。
まだまだ理解できてないところばかりなのですが、理解できてないなりに、人が喜び為になることをまずしようという気持ちを後押ししてくれる本です。
(佐賀 会社員 44歳 女性)
● 『人間と気』は、何度も読み返しておりますが、この本を読んでから、いつも思い起こす言葉は「ひとりでもやる」という言葉です。こういう気持ちを芽生えさせていただいたことにも、大変感謝しております。
(神奈川 不動産業 40代 男性)
● 私はこれまで高校野球の監督として個人的な評価を気にしながら私欲を持ち、試合に臨んでいたように思います。『人間と気』を読み、「欲をすてること」自己犠牲により「損をする」ということを乗り越えた先に、絶対世界にたどりつくことを教えていただいたという気持ちになりました。体の中に一本芯を通していただいた感じです。これから欲に対し、逆方向に走る覚悟を持ち、人間としての答えを追い求めていきたいと思います。
(熊本 教員 40代 男性)
● 『人間と気』を読んだのは、ちょうど自分の中にある頑固な横着さに、自分はもう変わるのには遅すぎるのではないかと考えていた頃でした。しかし、読み進めていくうちにそういったネガティブなイメージがなくなり、気が付いたら人間の可能性の素晴らしさ、そしてこうなりたいと強く思う気持ちだけが残っていきました。また、以前「変わりたい、変わらなきゃでは変われない」ということを宇城先生がおっしゃっていました。当時はいまひとつ理解できていなかったのですが、今回の「欲を捨てる」という思い自体が既に欲になっている言葉を聞いた時に、ようやくその意味が少しだけわかった気がします。これからは欲に対して逆方向に走ることを常に心掛けて生きたいと思います。
(東京 会社員 20代 男性)
● 『人間と気』を読んで、一番印象に残っていることは、
“うつるとも月も思わず
うつすとも水も思わぬ 広沢の池“
この歌の教えである、「池にさざ波が立っていたのでは、心が開かれていなければ、いつまでたっても月は映り込まない」ということです。
「心を開くこと、謙虚になること」は、たやすいことではなく、私の心のありようが、映り込むものを左右させているかもしれないと気づきました。
私の心に本物の月が映り込む、穏やかな池のような心となれるよう、サンチンの型と師の心を学んでいきたいと思いました。
(長野 主婦 40代 女性)
● 『人間と気』で一番印象に残っている言葉、それは「力でない力の本質は調和の力」というものです。それはすべての生命体共有のものだから共振となる。だから衝突がないんだな、これが本物の武道なんだなとすごく納得しました。
そして「最も心地良さを感じる時、それは身体の内部が一つとなり、調和を感じる時で心を起点に行動していこう、すべてに心をのせていこうと強く思いました。
(山梨 鍼灸師 50代 女性)
● 宇城先生のお考え、大切なことが非常に凝縮されて書かれてあり、これからも再読を重ねることで骨身にしみこませたいと思います。時間的にも空間的にも、きわめてスケールの大きな内容が扱われていますが、我々一人ひとりの存在がちっぽけなようでありながらも、実はそういった壮大なスケールの宇宙と直接に繋がっているというのは、とても感動的です。
「自分が生きている」と思いながら生きる人生がいかにつまらなく空しいものか、ついつい過去に囚われ、アタマの中の堂々巡りに囚われ、そのあげくに身体が固まって動かなくなっているような人生を送ってしまうことが、いかに一人の人間としてもったいないことか、強く思わされました。
(東京 主婦 58歳 女性)
● 宇城先生の『人間と気』を読んで、年末の繁忙期を乗り越えることができました。
狭い世界にいてその中で腹を立てていたこと。
真剣にやる自己犠牲の生き方は損をするけれど、乗り越えたら絶対世界になる。
すべての生き方に心を乗せる。
物事の考え方が変わり、気づかせてくれる内容でこんなに凄い本は他にありません。
(神奈川 会社員 31歳 男性)
● 『人間と気』を読みました。まず大切だと思ったのは、「人間をはじめ自然界の動植物には、本来とてつもない力がそなわっています」というメッセージです。この意味を本当に理解していくことが、現在私たちが直面している様々な問題の解決の鍵になるような気がします。現在生きている私たちは、38億年の地球上の生命の最先端に生きているということは、38億年の間、生命が途切れなくつながってきたから今の自分が存在し、他の人達も存在し、動植物も存在するということです。
そしてその身体の細胞には、38億年の歴史が宿されている。そういう身体を私たちはもっているということです。身体があるから色んなことを感じ取ることができ、色んなことを表現でき、行動をすることもできる。そのような素晴らしい身体を与えられている。そして「60兆個の細胞で成り立つ身体を通し、地球とつながることで生きている」。私たちは、地球がなければ生きられない。太陽がなければ地球上に生命が生存できない。宇宙がなければ存在していない。だから我々の全てが、宇宙に「生かされている」有り難い存在であるということです。そのことを真に理解すれば、自分も他人も自分の手でつくり出すことのできない尊重すべき存在であり、大切にすべきもので、いじめという発想は出てこないと思います。
そして自分が自然や宇宙、空気や水、多くの動植物、両親、両親からつながる先祖、周りの人達から支えられ、生かされていることへの感謝と謙虚な思いからは、おかしいと思える行動は出てこないと思います。
本書の中に「思いやりの心を育てる」ということばがありました。思いやりとは見えないことを想像し、行動することだとすれば、気がつく、気が利くということは、思いやりがあり、行動が早いということだと思いました。そして、宇城先生の指導されている型とは、「型はすなわち愛である、愛とは守ることである。守るとは恐れないことである」ということばがありました。まさに型とは、恐れなく動ける人間をつくるメソッドなのだと思いました。
(秋田 教員 42歳 男性)
● 真剣とは自己犠牲ということでもある。と先生が指針を示してくださり、何よりも背中を押していただきました。
自己犠牲は損をする。怒りも出てきたり、それを口に出したくなります。しかし、口に出したらそれは愚痴になり何も意味がないと思いました。それを思うと自分は愚痴っていないと思っていましたが、愚痴を言っていました。徹底して行動で変わっていく。行動で示していく。すべてに心をのせて物事に取り組んでいきます。『人間と気』を読ませていただき、人生の指針と希望を再度いただきました。
(神奈川 会社員 23歳 男性)
● 人間は宇宙から見ると塵のような存在だが、宇宙の一部として地球上で時空の中で生かされ、重要な役割を担っている事がわかる。
意識革命と言う心の在り方、調和で不可能が可能になる、頭で考えて動くのは遅い。
過去に何をしたかで「今」「未来」が変わる。一瞬も止まることのない時間の中で生きている事を感じて。
身体先にありき、無欲、無心、戦わずして勝つ。学校、親、指導者の在り方。
普通に考えると子供より成長した大人の方がなんでも出来る様な気がするが、子供が出来て大人が出来ない事の方が多い事に愕然とする。
子供の様に柔軟に無邪気に無欲になる事が強い。
大人になってから子供の様に戻るのは難しい事だが、先生の教えを学ぶ事で希望が持てます。
読んでいるだけで、本の中に込められた宇城先生のエネルギーを感じて身体が熱くなります。
先生の本をバイブルに心の鏡を曇らせない様に磨いていきたいと思っています。
(神奈川 自営業 58歳 女性)
● 知識偏重主義により起こる様々な現象、人間としてのレベルの低下や精神的な病気、内向き思考の人間の増加など、それは今のシステムや教育ではこの結果の回避は不可能であるという事、また、知識優先、頭先行が進化の夢を奪っていくという事実に愕然としました。確かに、頭では理解できても行動に移せない自分もいます。
また、今以上に進歩成長したいという思いも、今の視点、心のありようでは叶わないと。いかに、間違った事実の中で生きていたのか、もし宇城先生を知らずに生きていたらと思うと恐ろしくなります。自分が今何処に立っているのか、何処を向いてどのように生きていけば良いのかを改めて気付かせていただきました。
また、「自分はまだまだ」と言える人間になりたいと思います。
(埼玉 会社経営 46歳 男性)
● 『人間と気』を読ませていただき、はっとしたのは「できない自分」を捨てる。ということでした。私は「できる自分」を作ることをしなければならないように思っていたのですが、「できる自分」はもともと「完成形」として自分の中にあるのですから、作る必要はないことに気がつきました。自分の思い込みで「できる自分」の邪魔をしていたのだと思います。これからは「できない自分」を捨てる努力を目標にします。
「今の世の中のしくみを嘆いていても始まりません。大きな組織であればあるほど流れは変えられないのです。大事なことは新しい芽を芽吹かせていくこと。人間は生まれながらに完成形。『できない自分』を捨て、気づいた人から一人革命を起こしていく。それを道塾や空手実践塾で実践していきたいのです」
序文の宇城先生の言葉にとても感動しました。私が日常で社会や職場に大して強く感じている問題点と解決する方法を、簡潔かつ明確に示されています。この厳しい状況の中で、私自身が変わらなければ何もはじまらないと思います。これからも、是非道塾学ばせていただきたいと思います。
(山口 会社員 44歳 男性)
● 今、私の周りの多くの人達が自分の将来に不安や悩みを抱えています。そのほとんどの人達は、何故自分達は不安や悩みを抱えているのかわからない、その原因が全くわからないと口をそろえて言います。私の周りだけでなく今日本中、いや世界中に原因のわからない不安や悩みを抱えている人達がいるのではないかと思いました。
宇城先生の『人間と気』は、まさにこういった方々への道標となる本だと思います。私達の目に見えている事(有)は全て目に見えない事(無)から生まれているんだという事が深く理解できました。
ありがとうございました。
(東京 会社員 36歳 男性)
● 「気」は見えないけど「気遣い」は見える
「心」は見えないけど「心遣い」は見える
(私が師から教わったことです)
宇城先生は気の存在、心の存在を証明し、その正しく素晴らしい遣い方を体現されている方だと思いました。
そして、それが一致した時に調和が生まれると思いました。
私も見えない「心(気)」を磨き、少しでも美しい「心(気)遣い」ができるように修行して参りたいと思います。
「心」、「気」の大切さを証明し続けている『道』、宇城先生に感謝したいです。
ありがとうございます。
(東京 男性)
● 人間は時空の中で生きている。これは紛れもない事実です。このことは当たり前過ぎて誰もが普段意識しませんが、本書では気というものを通じてそのこと自体が大切な意味を持っている事を気付かせてくれます。時間と空間は気というものと強く関連しているのだと。気とはなにか?の問いに対し、気とは時空と関連しているものだと理解します。しかしそれは頭での理解です。言葉だけでわかったとするのはきっと気の本質をつかんでいないことになるでしょう。ビールの味を頭で理解するのと一緒です。気という言葉が先にあるのではないと思います。それは宇城道塾における出来る自分と出来ない自分の間にある何かです。物理的実体としてはどちらの「自分」も同じです。これはもう寸分違わず細胞、分子、原子レベルに至るまで同じです。しかし出来ると出来ないという変化が生じています。この変化の元、それこそが気と呼ぶにふさわしいものだと思います。そしてこの変化自体が進歩の源であり、その変化の深さが進歩のレベルであり、そのためには常に心を謙虚にしていなかればいけないということとして、道塾システムの中における言葉につながります。
地球上の時空が物理的実体としてあるならば、その中で展開される人間の営みとしての生活、仕事、人生、そして人間社会の経済、政治、教育などは気を通じてそれぞれが互いに繋がりうるものです。日本人の生き様はかつてそうでした。生活の中に気を常に通すためのしきたりや作法、仕組みが組みこまれていました。そういうものが消えてしまい腑抜けになってしまったことが、今の日本の社会や人にとってどれだけマイナスに働いていることでしょうか。
本書では、今こそ一人一人が気というものの存在に対しての知識としての理解ではなく出来る自分と出来ない自分の違いという身体での理解を通して、人間が本来完成形として持っている潜在能力に気付き、出来ない自分を捨てながら行動として立ち上がることが必要だと述べられています。そしてその行動の連鎖、連結がより大きな社会の調和へ、引いては世界の平和に繋がるのだと。これは人間、人類にとって、気という存在自体が持つ究極的な意味だと思います。
一人一人の行動はたとえ小さく局所的であっても、気を通して出来る内容の本質は普遍的です。なおかつ、いつでも誰にでも出来るということは、本書にもあったように科学の条件を備えています。もしそれでも気を現在の科学の舞台で議論することへの障壁が未だ高いとすれば、科学とは本来何かを一度その最初の原点でもあった哲学的な考察に戻ることも含めて、見直す時に来ているのかもしれません。私自身、自分の身体でその気の一端を実感している今、その見直すための道は科学が避けては通れないという事を強く感じています。
この本を読んだ人の少しでも多くの人がまず自分の身体を通して気という存在を理解し、そしてそのことをまたさらに多くの人に伝えていくことが望まれると思います。それはまさに人間に与えられた宇宙からのメッセージを広めることになるわけですから。
(宮城 会社員 54才 男性)
● 『人間と気』を読んで、部分体と統一体、頭からの知識、意識からの命令で身体を動かすではなく、身体先にありきという意味をあらためて、自転車に乗る、乗れるようになるといったお話しのたとえや、図解などでわかりやすく理解できました。
また、空手の心、日本人の心、心を発動し、そこに大切さがあるということ、実際に宇城先生の講義や実践で実際に体験した塾生の感想文も、頭からの知識ではなく、身体で感じた事がよく書かれていてよかったと思いました。
武術がなぜすべてのことに生かせるかを、身体を通して気付かせていく宇城先生の教えがにじみでてくる一冊だと思いました。
(東京 造園業 49歳 男性)
● 年末、落ち込みそうな私に、新たに「活」をいただきました。とてもわかりやすく心に染み込みました。
ありがとうございました。
(大阪 50代 女性)
● 読後はじっとしていられないというか、何かとてつもなく走り出したくなる自分との出会いがありました。
落ち着いているんだけれども、どこか落ち着かないというか、すぐに動き出したくなる衝動に駆られました。
「人は少しずつ変わるもの」という見識を持ってしまっていた自分に気づかせていただきました。
身体先にありきだと。「理屈抜きで一気に激変する」本来はそういうものだと。
新刊本『人間と気』を通して、「これまでの自分・今の自分・先の自分」と出会わせていただきました。
(奈良 40代 男性)
● 現代社会に生きる私たちがとらわれていたことの本質とは何かということ、そしてその知能、体力、情報など目に見えるものばかりを偏重してきたツケが、今まさに対立、攻撃、支配という世界が存在する切っ掛けとなっていることがよくわかりました。気によって自己の見えない内面からわき上がる思いがけない力を感じた時・・・ 老若男女、民族、国、思想などの差異をすべて超越して感動をあたえるに違いないと、本書を読みながら感じた次第です。
気は来るべき新しい時代、対立と攻撃ではなく調和、融合の時代をリードする重要なキーワードになるに違いありません。
(神奈川 教員 50代 男性)
● 新刊「人間と気」拝読いたました。
2010年12月24日発行に発行され、2011年の幕開けとなる本であると感じました。
「ニュー科学」という説明がありましたが、「人間と気」も新しい扉を開ける本であると感じました。
実践と理論、革命的な「気」の指導法を開発されたにもかかわらず、人間一人一人の持つ可能性を前面に出されておられます。
歴史上の人物、剣の達人・伊藤一刀斎、剣聖・山岡鉄舟、近江商人、実業家・渋沢栄一を紹介され、生き方に心をのせるということ、そして、このような生き方がこれからの時代を切り開いていくには必要であると説明していただきました。
座波先生への師事のされ方、会社時代の凄まじい仕事、伺えば伺うほど驚嘆せずにはいられません。
「武道の原点」は座波先生に提出する論文のつもりで書かれたとお伺いしたことがありました。
「人間と気」は、宇城空手・哲学を強く世に問う本であると感じました。
(長野 40代 男性)