20 11月

季刊『道』174号 花輪英三氏「非行少年を育て直す」より


ここは単純に申し上げると、一般に少年法で「試験観察」と呼ばれる補導委託先として、私たちのような民間の施設や個人が、非行のある少年を家庭裁判所よりお預かりしているということです。

 施設というよりは、花輪の家で寝食を共にし、非行少年の多くが経験していない本来の家庭のしつけや家庭的な温かい愛情を体験させたいという熱意に期待した柔軟性のある制度です。少年法の理念・目的というのは少年の健全育成ですから、そのお手伝いをする場ということですね。

仏教慈徳学園では、少年たちが園長の花輪英三氏をはじめ奥様・お母様の愛情を注がれながら生活し、やがて回復・自立への道を歩みはじめます。「私」のない毎日の積み重ねでこそ成り立つ活動です。そこには、この活動を始められた父・花輪次郎氏の並々ならぬ信念と情熱がありました。


皆が同じ種をもらっているんです。
 あとはその種が播かれる場所、育ち方。
 その育ち方の栄養分が、教育なんです。
 大人になると今度は自分が作用する番。
 親の愛情をそのまま自分の子供に返す。それがもっと進むと、
 「人に成したるは我に成す」だけではなくて、
 「人類に成す」。
 自分に返ってこなくても結構じゃないかと。

 人間の進化というのはまさしく遺伝子の螺旋のように、
 ぐるぐる毎日同じようなことをやっていても知らない間に
 高みに上がっていくという法則があります。
 平々凡々とした中に奇跡はある。
 それをありがたいと思う気持ちを持たないと、天罰ではないけれど、
 やはり自分から招く不幸に見舞われるのではないかと思います。

 僕はいつも少年たちに言うのです
 一つの話題には二つの意味がある。
 それを一つしか感じられない人は間違っていると。

  「明日」
  はきだめに えんどう豆咲き
  泥池から 蓮の花育つ 
  人皆に美しき種あり
  明日何が咲くか

 安積得也先生の言葉です。父(花輪次郎)の非行観でもありました。
 いい言葉ですね。

 嫌われる掃き溜めに食べものであるえんどう豆の花が咲き、
 泥沼に美しい蓮の花が育つ。
 蓮の花は泥池にしか咲かないのです。
 とてもご縁を感じる言葉だと思います。

全文は、最新号『道』174号でお読みください。

花輪英三(はなわ えいぞう)
仏教慈徳学園園長
1961年生まれ。父・次郎が補導委託先として少年たちを家庭に迎え入れていたため、子供の頃から少年が回復する姿を見て育つ。
1984年立正大学哲学科卒、少年院に奉職。しかし少年の回復には家庭的な処遇が大切との考えから、1988年少年院を退職して学園の後継者となることを決意。1998年結婚、3人の子供に恵まれ、現在夫婦ともども後継者として少年たちと共に暮らす生活に専念。
神奈川県社会福祉協議会会員 
立教大学社会福祉研究所所員 
日本犯罪心理学会会員