見えない場のエネルギーを感じて
小説と武術 潜在意識にはたらきかける力
小説家 吉本ばなな
VS UK実践塾 宇城 憲治
今書いているものは、
読んだら忘れるぐらいサラッとしてるんだけど、
もっと深層、潜在意識の奥に入って、この選択が現われた時に、
幸せなほう、楽なほう、快不快であれば快のほう、
軋轢が少ないほうを選べるような誘導を心がけています。
1987年『キッチン』で作家デビュー以来、次々にベストセラー作品を世に送り込み多くの読者を魅了してきた吉本ばななさん。その人気の秘密は、読み進むうちになぜか心が癒されていく不思議な文章の力。そして一つひとつの表現に込められた深い思い。対談ではその癒しの根源についてや、お父様である思想家で詩人の吉本隆明氏についてのこと、現在のばななさんが小説に込める熱い思いについて、語っていただいた。
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文庫にならなかった貴重な対談本
宇城 ご著書『幸せへのセンサー』の「体はちゃんと知っている」というエッセイで、ばななさんが石のお話をされて、なでたり、叩いたりで変化すること、石だけでなく人間の体も変化していくということについて触れておられていて、きっと目に見えない世界のことも分かっておられるなと直感しました。
私は40年前に吉本隆明氏が書かれていた『試行』という論文雑誌を、世の中の仕組み、思考のあり方を学ぶために夢中で読んでいました。その方がばななさんのお父さんとは不思議な縁を感じて今日は来ました。
吉本 そうなんですか。その雑誌は冒頭のところで毎回父が一人二役で言いたい放題を言う項目があるのですが、常に人の悪口を言っていて、なんでこんなことをするんだろうと子供の時は思っていましたが、この年齢になって、父はこういうふうに言わないと、やっていられなかったんだろうな、というのがよく分かります。
宇城 そうなんですか。その頃私は技術畑を歩んでいましたので、隆明氏の分析力には感動でしたね。
次の出会いは『吉本隆明×吉本ばなな』対談本で、この本は吉本家の様子が鮮明に書かれていて、ばななさんの今を想像しながら今日は楽しみにきました。この本はばななさんが33歳くらいで、お父さんが75歳くらいの時のものですね。すごく勉強になる本で、今日持ってきました。
吉本 そうですか。実はこの本、父がいろいろ言い過ぎだと母がすごく怒って、文庫にしようとしたら母が反対して出版が差し止めになってしまい、今は流通していないのです。ですからよく先生がこの本を持っていらしたなと。父としては正直に言ったわけですが、逆に正直に言い過ぎたと怒られて。
宇城 この本、そんなに貴重な本だったんですね。
吉本 そうなんですよ。母がこれを文庫にするなら家を出るとか言って、家出してしまったんです。私はきっと「あの辺にいるんだろうな」なんて思っていたのですが、母は思い詰めると本当にあてつけで死んだりするような人で、父が電話で「どうしたらいいかな」と言ってきたので、「丸坊主になってダイヤを買ったらいいんじゃない」って言ったんです。結果、本当に大丈夫だったんですよ。娘ってすごいなって思いました(笑)。
宇城 お母さんは言ったら必ずやるという人だったみたいですね。
吉本 そうなんです。そういうところがあったので、父は本当に坊主になってダイヤを買っていました。そうしたら母は帰ってきました(笑)。
それとあの本では渋谷陽一さんというロック評論家がインタビュアーで、彼は海外ではミック・ジャガーとかマドンナとか、日本ではサザンやRCサクセションを何回もインタビューしているプロだったので、質問のあり方がロックな感じで、普通の文芸の編集の方がしないような質問をされるので、すごく面白かったんです。
ただなにしろ文庫にならなかったので、内容はよく覚えていないのです。
宇城 そうなんですか。ではこの本、本当に貴重ですね。ビートたけしとタモリの人間のあり方の違いといったことひとつをとっても鋭い視点で捉えられていて、なるほどと。いろいろよく分析されているなと思いました。
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●プロフィール
◎ よしもと ばなな
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞〈Under35〉、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『下町サイキック』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在力を気づかせる活動を展開中。「気」による「不可能が可能となる体験」は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手実践塾、道塾、教師塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長
のびのびと おおらかに 歩き続ける
85歳現役実業家の原動力
ケニア・ナッツ・カンパニー創業者 佐藤芳之
まだ85だからね。
90になっても100になっても同じ気持ち。
そこに伸びしろがあるってことは、
まだまだ可能性があるということ。
イコールそれは若さであり、パワーであり、
その人間を突き動かす何かだと思うんです。
何歳になっても突き動かされ続けてほしいなと。
どうしようもない状況になっても、
「いやそんなもんじゃない、もっと別のことあるぜ」と
思うわけです。
これまで二度にわたり巻頭対談にご登場いただいた佐藤芳之氏。85歳の今も世界各地を駆け巡り、新しいビジネスを興し続ける。
今回はケニアからの一時帰国を機に単独取材を依頼。あらためてそのパワーの源であるご両親のお話や、壁や国境もなく、何事も自然体で受け入れる氏のものの見方・考え方、さらにはユニークな実践子育てについてなど、ユーモアたっぷりの語り口でお話しいただいた。
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日本は動物園になってしまった?!
―― 今回のように長期にケニアのご自宅を離れる時はどなたかに会社を任されているのですか。
佐藤 給料などお金については私が握っています。そうしないとスタッフが盗んでいってしまうからです。会社をあげるとなったらすべてを任せますが、自分が現役でいる間は、現場の仕事をちゃんとおさえ、経理、お金の出入りをきちっとします。システム化したチェックポイントをつくって徹底します。そういうことをせずに現場に任せているところはみなつぶれています。アフリカでのビジネスでは(最近は日本でもそうかもしれませんが)「信用」とか「信頼」と言う言葉は辞書から捨てなさい、と言っています(笑)。
今あまりにいろいろなことが「きれいごと」になってしまって、人を助けるとか、社会のためとかに関心がいっていますが、まず自分を助ける、自分のためになることをやって、自分がしっかりしないといけません。何もしなくて遊んでいるのが新しい生き方だと言って、ぬくぬくしているなんて、まるで動物園の動物たちみたいですよ。自分が〝動物〟であることを忘れてしまっている。
今は自分で自分を守ることをしない。枠の中だけで、「いいの、悪いの」とやっているだけ。日本という国は、動物園になっていますよ(笑)。動物園にはゴリラにしてもサルにしてもボスはいるけど、しかしそれは本来のボスじゃない。
このあいだルワンダの森に入って実際のゴリラに会ってきたんです。そこを管理している人に「ゴリラの関心は何か」と聞いたら、「自分の手下をつくること」だと。「その喜びは何だ」と聞いたら、「3頭でも4頭でもメスゴリラたちと家族をきちっと守って、寝るところをつくり食事も確保して、一族つれてぞろぞろ歩くことだ」と。では「彼らが戦う時はどういう時か」と聞いたら、若いオスたちが3~4頭でメスゴリラを攻めにくるので、それらと戦ってやっつけてメスゴリラたちを守る時だと。それがゴリラの強さだというのです。それがダメになったらシルバーバックは自分で去っていくのだと。
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●プロフィール
◎ さとう よしゆき
1939年宮城県生まれ。南三陸町で幼少期を過ごし、1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。同年ガーナ大学に留学。1966年から5年間、ケニアで日系繊維企業に勤務。31歳で退職し、いったん妻子を連れて日本に帰国するが、32歳で単身ケニアに戻り、鉛筆工場、製材工場などビジネスを立ち上げ、1974年、ケニア・ナッツ・カンパニーを起業し世界五大のマカダミアナッツカンパニーに成長させる。2008年に同社をタダ同然で現地パートナーに譲渡し、微生物を活用した公衆衛生、肥料事業をケニア、ルワンダで展開、現在は岩手県八幡平市が開発した培養技術を使い、ルワンダで苗木生産し鉢物リンドウを世界中に販売するビジネスを進行中。
戦争は終わっていない
― 傷ついた人に寄り添い、事実を伝え続ける ―
写真家 大石 芳野
被害に遭っている人たちのことを知りたい。
どうしてそんな目に遭わなければならなかったんだろうと。
私と同じように生きていて、家族団らんができることを、
誰もが当たり前に望んでいるはずなのに、
それができないというのは何故なのだろう。
それが知りたいから行く。
そして知ったら引き出しの中にしまってしまうわけにはもういかない。
一人でも多くの日本人に伝えたいと思うのです。
女性の社会進出がまだ珍しい時代、20代の頃からフリーランスの写真家として世界各国の戦地で取材し、戦争の犠牲になった人々に寄り添い続けてきた大石芳野さん。
戦争が終わっても、癒されることのない戦争の記憶に苦しみ続ける人々がいることに衝撃を受けた大石さんは、「終わっていない戦争」をテーマにこれまでベトナム、カンボジア、アウシュビッツ、アフガニスタン、ウクライナ、広島、長崎、沖縄など、100ヵ所以上の国や地域を訪れ、カメラを通して戦争の理不尽さ、悲惨さを伝えてきた。
これまでの活動の思いや、取材を続ける原動力について語っていただいた。
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強制収容所での写真取材
〈第二次大戦中のヒットラー時代、当時の新体制に抵抗した人やユダヤ人が強制収容所に入れられ、そのほとんどが虐殺された(ホロコースト)。その数は約600万人に及ぶという。『夜と霧』は心理学者ヴィクトール・フランクルがその収容所から奇蹟的に生還した体験をつづった書として知られるが、大石さんはそのポーランドの強制収容所から生還した人たちを3年の歳月をかけて取材し、1988年に写真集『夜と霧は今』、続いて証言の詳細を綴った『「夜と霧」をこえて』を出版した。生還者の忌まわしい記憶とその後を取材した貴重な文献となっている。〉
―― ご著書の『「夜と霧」をこえて』を拝読し是非お会いしたいと思っておりました。本日はお時間をありがとうございます。
大石 ありがとうございます。実はメインはこの『夜と霧は今』という写真集なのです。『「夜と霧」をこえて』は写真集のあとに依頼を受けて書きました。
『夜と霧』というのは、実は作戦の名前なのです。「夜と霧作戦」というのがあって、「夜と濃霧の中で密かに近づき、政治犯を捕まえる」というのがナチスのやり方だった。著者のヴィクトール・フランクルは、『夜と霧』というタイトルはつけなかったのですが、訳者の霜山徳爾氏が訳した際にこのタイトルをつけたのです。ですから日本では『夜と霧』がフランクルの代表作になりました。
それで私の写真集も『夜と霧は今』にしたのです。当時はナチスの強制収容所の生き残りの人たちがまだご存命でした。今としてはとても貴重だと思います。
迫害という意味ではユダヤ人が一番ですが、国としてはポーランドは相当やられているのです。アウシュビッツとかマイダネクとか「絶滅強制収容所」と呼ばれるところがポーランドに一番多いのです。
―― どのようなことがきっかけで取材されることになったのでしょうか。
大石 きっかけはポーランドの新聞社が私の写真展を開催してくれるとなったことです。 それはカンボジアやアジアで撮った写真を展示する写真展で、タイトルは「人間、戦争、平和」でした。その時に新聞社に「強制収容所を生き延びた人の写真取材をさせてほしい」とお願いをしたら「分かりました」と。当時はソ連の厳しい状況下にありましたが、なんとか取材ができ、1回だけではなく何回も通いました。
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●プロフィール
◎ おおいし よしの
写真家。日本大学芸術学部写真学科卒業。元東京工芸大学芸術学部教授(現在は客員教授)。戦争、内乱後の市民に目を向けたドキュメンタリー写真を多く手掛け、ベトナム戦争、カンボジアの虐殺、スーダンのダルフールの難民、広島、長崎の被爆者への取材を続ける。またパプアニューギニアなど世界各地の人びとの暮らしに寄り添う視線からの写真作品にも定評がある。著書に『小さな草に』(朝日新聞社)、『沖縄 若夏の記憶』(岩波書店)、写真集に『長崎の痕』『戦争は終わっても終わらない』(共に藤原書店)、『戦禍の記憶』(クレヴィス)など。
受賞歴 土門拳賞、エーボン女性大賞、紫綬褒章、JCJ賞、他。育 教えて!汐見先生 マンガでわかる「保育の今、これから」』(Gakken)など、多数。
◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』
「塩は世界で一番の薬」
怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。
◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。
◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』
「生活と家族の関わりを立て直す」
今秋の前島氏の著作第二弾『輝きを取り戻す思春期の子供たち』発刊を機に、今回は事例をお休みして、ゆめの森こども園の開園から10年にわたる実践と、全国オーガニック給食の活動から見えてきた展望を詳しく伝えていただいた。
◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。
◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』
「闇に浮かぶ湿原の神」
ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。
◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。
◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』
「人類を救う赦しの心」
生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。
◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。
◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』
「宮古島のたび」
世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。
◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。
◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』
「『翔子の書』 魅力のひみつ」
ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。
◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。
◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』
「父のこと、母のこと」
人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。
◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。
◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』
「茨城ダルク家族会手記 まず、自分が変わる」
薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設を回り責任者やスタッフを育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、入寮者が回復に向かっていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。
◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。
◆UK実践塾代表 宇城憲治
連載『気づく気づかせる』
「実存・実証先にありき ― 理論・理屈は後追い ―」
最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。
◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長
(準備中)
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