221号 (2024夏)


テーマ 「守る勇気と行動を今」

終わらない戦争・紛争
進む一方の分断と対立

しかし、これを解決し乗り越えるちからを
私たち人間はもともと持っている。

そのことに気づき、生き方を変えれば
まだまだ希望はあるのではないか――

そう感じて希望への一歩を踏む
きっかけとなる一冊となりました。

 

2024年7月23日発売

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読者の声

  巻頭対談

ゴリラに学ぶ喧嘩の極意

― 負けず、勝ちをつくらず、共存する社会 ―

 

総合地球環境学研究所所長/霊長類学・人類学者 山極 壽一
VS UK実践塾 宇城 憲治

 

221号 対談 山極壽一・宇城憲治 221号 対談 山極壽一・宇城憲治 221号 対談 山極壽一・宇城憲治

ゴリラ社会では身体の弱い者の言うことを聞く。
それはそもそも「負ける」という姿勢がないからなんです。
ぶつかってエスカレートしてしまうのを防ぐ仕組みができている。
僕は人間社会の基本原理というのは
こっちじゃないかと思っています。

日本は戦争の仲裁者としての資格をいっぱい持っている。
原爆を落とされた被害国ですから。
その国が立ち回って、
こんな悲惨な出来事を起こさないようにしましょうよと
呼び掛けることによって、お互いが戦争を起こさずに済む、
メンツを持って引き分けることができる。
これがもともと人類が持っていた
仲裁の歴史じゃないかと思うのです。

40年以上ゴリラ研究に携わり、その第一人者として、また霊長類学者として、ゴリラ社会のあり方から人間のあるべき姿を見つめてきた山極壽一先生。長年の観察研究で気づかされたことは、ゴリラの中に見る、人との共通祖先の姿にこそ、本来の人間らしさがあるのではないかということだ。終わりの見えない戦争や、新たな衝突の危機に晒されている今、ゴリラが実践する闘いの平和的仲裁のあり方や相手の立場を尊重する共存の仕組みに学び、人間が忘れつつある気概、気構えを取り戻すことが急務だと語る。

ゴリラが示す「勝ちをつくらない」生き方と、江戸時代の剣聖が示し宇城憲治氏が体現する「戦わずして勝つ」のあり方をベースに、今私たちがかかえる課題について縦横に語り合っていただいた。

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武術の「戦わずして勝つ世界」と、
ゴリラの「勝ちをつくらない世界」

宇城 本日は楽しみにしてまいりました。私は空手と居合をずっとやってきて武道で取材されることが多かったので、いつも「武道家ですか」と言われるのですが、現役時は技術開発と経営に携わってきました。特にイリジウム衛星携帯電話では電源部門の開発本部長として、またビデオムービーなどの電源開発などにも携わり、電源の心臓とも言えるパワーICをアメリカのシリコンバレーで開発、電源部門の小型化、高速化などをやってきました。


山極
 そうなんですか。イリジウム携帯電話はアフリカでも使っていましたよ(笑)。通信情報技術と武道とどうつながりがあるのか興味深いですね。


宇城
 すべての電気製品の起動は電源であり、また通信はまさにコミュニケーションということになりますが、情報は途絶えた時、電源は感電や火災という死の危険性があり、それに対する安全規格が各国の法律で決められていて、それに合格しなければ許可が下りないほど厳しい。一方の武術はもともと生と死の中から生まれた術技で、どちらも「死に直結する」というところでは一緒ではないかなと思いますね。

また開発技術という仕事は「無から有」を創る世界なので、開発した物が正しいかどうかの検証の見極めによっては、市場に出てからのクレームにつながり、即何億という損害になってきますので、開発品の「検証のあり方」は非常に大事になってくるわけです。そういう意味では術技の効用が命取りになる武道と一緒かなと思いますね。もちろん昨今のスポーツ的な武道とは違いますが。

先日山極先生の「ゴリラから生き方を学ぶ」という講演動画を拝見いたしまして、「勝とうとすることと負けないことは違う」というところなど、武術の教えに通じていて感動しました。
「勝つ」というのは、真剣勝負であれば相手を殺すということで、「負け」は自分の死を意味するわけで、一番いいのは「戦わないこと」で、「戦う前に勝負をつける」というあり方が江戸時代の剣の究極でもあったのです。

まさにその筆頭が新陰流の柳生石舟斎が編み出した「無刀取り」という術です。その兵法を徳川家康が徳川時代の平和への政策の一方針にしたのです。先生が講演でお話しされていたゴリラの「負けない」お話とつながっていて、なるほどなと。つまり強かったら相手をぼこぼこやったらいいけれど、ゴリラの世界ではそれをやらずに「守る」というのがあると。そこに武術に似た世界があると思ったのです。

スポーツでの勝敗は審判による「判定!」で決まるわけですが、武術の実戦の生と死の狭間では、「意識」を超えて潜在意識の世界になっているのではないかと思っています。つまり意識よりはるかに感知の鋭い身心による深層意識の世界です。スポーツなどの「意識の世界での勝負」では事の起こりが遅れるということなのですね。


山極
 僕はゴリラからいろいろ学びました。研究するうちにそもそも喧嘩をするというのはどういうことか、という根本的な疑問にぶつかったのですが、その回答が「喧嘩をする前よりもいい関係になること」でした。つまり、それが喧嘩の極意だと。
今のウクライナへのロシアの侵攻やハマスとイスラエルの軍事衝突を見ても、武力で勝敗をつけるしかないところに陥っていますが、そもそも「ぶつかった」ということは、双方の主張がぶつかり合ったわけで、そのぶつかる本来の意味は、それ以前よりもいい状態を作ることにあったと。そうでなかったらぶつかる意味がない。

僕が見てきたサルたちによる解決への方法が二つあって、基本的に集団生活をするサルたちは、ニホンザルもそうですが、優劣の論理で暮らしを作っていて、ぶつかった時に、瞬間的にどっちが強いか弱いかを決めて、周囲はその強いほうを応援する。すると効率的に勝敗がつくからぶつからずに済むし、ぶつかってもすぐに決着がつくわけです。その結果、勝者が相手に対し特別な態度を要求するわけですね。それは劣位の表情とか構えですが、そういうのをサルたちはよく心得ていて、負けたほうは「負けました」という態度を取るわけです。
ですがこの方法だと、負けたほうは恐れや恨みをいだき、その後も双方が対等に付き合えない。つまり「格差」が継続してしまうわけです。

もう一つの解決方法はゴリラから学びました。それは「勝ちをつくらない」ということです。つまり両方がメンツを保って共存できる。それは当事者同士ではできないので、間に入る第三者が必要なのです。しかしその第三者が喧嘩している双方より強いと、その強いのが両者をねじ伏せるという話になってしまいますが、仲裁者が双方よりも弱い立場であれば、喧嘩している当事者が互いに自粛して、第三者の顔を立てて引き分けることができる。この「双方が威厳を持って、敬意を持って、メンツを保って引き分ける」というのが一番立派な解決方法なんですね。

僕は人間社会はこのゴリラの社会から来たのではないかと思っています。平等を志向して、階層というもの、あるいは格差というものをなるべく意識しないようにしていったのではないかと。

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221号 対談 山極壽一・宇城憲治

 

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●プロフィール

◎ やまぎわ じゅいち

1952年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。
ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020年まで第26代京都大学総長。人類進化論専攻。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議長を歴任。現在、総合地球環境学研究所所長。著書に『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』(毎日新聞出版)、『「サル化」する人間社会』(集英社)、『共感革命』(河出新書)等。


◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在力を気づかせる活動を展開中。「気」による「不可能が可能となる体験」は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手実践塾、道塾、教師塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長

  ロングインタビュー

ここに、ふつうの暮らしや幸せがあった
カラー化写真が呼び起こすもの

広島テレビ放送株式会社/「記憶の解凍」 庭田 杏珠

 

221号 庭田杏珠 221号 庭田杏珠 221号 庭田杏珠

戦前にこういう日常があったんだ、戦争が起こればそれが失われるんだ、ということを知った時、じゃあ今自分が生きている時間はもしかしたらあの時と同じような戦争が起こる前の日常かもしれない、戦前なのかもしれないことに私たちが気づけるかどうかだと思うんです。

だからこの『記憶の解凍』の写真を見て、戦争はやっぱり絶対ダメだよねというところや、核兵器が使われたらどういうことが起こるのかということを想像して、自分事化するところにつなげてもらえたらいいのかなと思っています。


高校生の頃から白黒写真をカラー化することで、戦争体験者の失われた記憶をより鮮明に掘り起こしていく「記憶の解凍」に携わる庭田杏珠さんは、今年大学を卒業したばかりの22歳。きっかけは原爆投下で全家族を失った濵井德三さんとの出会いだった。以来、展覧会、アプリ開発、音楽、映像制作など様々な方法で、戦争体験者から受け取ったメッセージの継承に取り組んでいる。

この4月から地元テレビ局に勤める庭田さんに、これまでの取り組みや、思い、そして未来の若い人が自分なりの形で体験者の想いを伝えていく大切さなどを語っていただいた。

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被爆前の日常の姿が想像させてくれたこと

―― 庭田さんは幼い頃から平和教育を受け、高校生の頃からは平和活動にも積極的に取り組んできたそうですが、この「記憶の解凍」に取り組むきっかけは何だったのでしょうか。

庭田 高校1年生の時に平和記念公園で偶然、濵井德三さんにお会いしたことがきっかけでした。原爆が投下される前は、平和記念公園は、中島地区という4400人が暮らす繁華街でした。濵井さんの生家は、その中島本町というエリアにあり、そこでご家族が濵井理髪館を営んでいて、そこで生まれ育ったという方でした。
お会いした時に濵井さんから「今はここに何もないけど、自分は中島本町33‐1という戸籍をずっと移していない。ここで家族みんなを原爆で失ったんだ」と伺ったのです。

もともと中島地区について知ったのは小学5年生の時でした。平和公園のフィールドワークでもらった広島市発行のパンフレットがあるのですが、これを開いていくと今の平和公園と原爆が投下される前の中島地区が見比べられるようになっていて、被爆前の中島地区には、映画館だったり、森永のお菓子とかを売っているお店があったり、カフェがあったり、そしてこれが今私たちがいるレストハウスの元の姿ですが、そういう日常の姿があった。
そういう日常が原爆投下前に本当にあったのだなと。それがたった一発の原爆で失われたのだなということが初めて想像できたのです。

―― それまではそういう想像ができなかったと……。

庭田 はい。幼稚園の時に初めて平和記念資料館に行って、今はリニューアルされて実物展示が多くなっているのですが、当時は被爆後の悲惨さに焦点が当たっているレプリカなどの展示が多く、その被爆後の惨状を目の当たりにして、すごく怖くなって夜も眠れなくなりました。

小学校に上がってからも毎年8月が近づくと平和教育があったのですが、そういう中で被爆前の日常のことを知る機会はなく、被爆後の悲惨な光景が主で、広島だけではなくて戦争による悲惨さを学ぶことのほうが多かったのです。
ですから当時は悲惨な光景を目の当たりにするのが平和教育だと思っていたのですが、小学5年生の時にもらったこのパンフレットがきっかけで意識が変わりました。

パンフレットにある日常の姿を見ていて、原爆が投下されるほんの1秒前までは今と変わらない日常があったこと。そしてそれがたった一発の原爆で失われたんだなということが想像できたのです。それで、このことを伝えていきたいなという思いに変わっていきました。

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221号 庭田杏珠

 

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●プロフィール

◎ にわた あんじゅ
2001年、広島県生まれ。2024年東京大学卒業後、広島テレビ放送株式会社に入社。peace artist。「平和教育の教育空間」について探究している。
2017年、中島地区(現在の広島平和記念公園)に生家のあった濵井德三氏と出会い、「記憶の解凍」の取り組みを開始。これまでに展覧会、映像制作、アプリ開発など、アートやテクノロジーを通した戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む。
国際平和映像祭(UFPFF)学生部門賞(2018年)、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞(2019年)、令和2年度学生表彰「東京大学総長賞」などを受賞。
東京大学渡邉英徳氏との共著『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書、2020年)で「広島本大賞」(2021年)を受賞。2021年8月、HIPPY氏、はらかなこ氏と楽曲『Color of Memory ~記憶の色~』、達富航平氏とMVを制作。音楽とカラー化写真のコラボレーションにも挑戦。2025年公開予定の映画『記憶の解凍』制作中。

  ロングインタビュー

戦争に至る究極の道筋を突き詰めない限り、戦争は止められません
映画(ドキュメンタリー)に平和への思いを託して

ジャーナリスト/映画監督 三上 智恵

 

221号 三上智恵 221号 三上智恵 221号 三上智恵

沖縄みたいな最前線の場所にいると、
自分が割れる生卵になってでも、その殻を積み上げて
後ろの人が行けばいいぐらいの覚悟で
壁に立ち向かう人も少なくはない。
自分の地域の暮らしと誇り、自分の子や孫の環境を守るために
やらざるを得ないじゃないですか。
そうやってやらざるを得ない場所にいる人と、
百の理由を探して「やらない」と言うことが
できる場所にいる人たちとの違いはあると思うんですよ。

列強の国々の一角に位置していて、情報もあるし、
何かできることもあるのに何もしないということは、
それだけで人はあらゆる分野の加害者になってしまっている。
歴史を知ろうとしないことも、その一つです。

軍事要塞化が加速する沖縄の現状を長きにわたって取材してきた三上智恵監督は、12歳で初めて沖縄に訪れた時、旧平和祈念資料館の展示資料に衝撃を受け、この沖縄の歴史的事実を自分が伝えていかなければと思ったという。

アナウンサーとして、現在はフリーのジャーナリスト、映画監督としてほとんどの本土メディアが伝えてこなかった沖縄の現状を動画で記録し、抗っても抗っても強行され翻弄されていく、その絶望でしかない生の記録を、4本のドキュメンタリー映画にして伝えてきた。

そして今年、6年ぶりに5本目の『戦雲』の制作公開に踏み切った三上監督。映画には「戦争を止めるために一緒に走れる人が集まり直してほしい」という熱い思いを込めた。これまでに至る軌跡、そして映画制作への思いを語っていただいた。

【三上監督の『沖縄スパイ戦史』上映会を開催します 2024/8/21 】

 

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知らないうちに
加害者になる怖さを知ってほしい

―― 三上監督の最新作映画『戦雲』(2024年)と一つ前の『沖縄スパイ戦史』(2018年)を拝見させていただきました。沖縄が国防の名の下に様々な犠牲を強いられていることは分かっているつもりでも、今回の映画を見て、あらためて言葉がなく、「知らない」ということはこういうことだなと思いました。今日は監督に今に至る経緯や想いを中心にお話を伺えたらと思っております。よろしくお願いいたします。

三上 ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。これまで広島、長崎、沖縄などを取材されたとのことですが、沖縄戦の中でも護郷隊(※右頁参照)のような全く語られない分野があるということや、スパイ虐殺の本当の理由など、戦後80年近く経っても明かせない事実もあるわけです。被害者としての話は語ることができても、自分が加害者であったというエピソードは、なかなか話せない。

しかし今『戦雲』を見れば、日本中の人が自分たちは加害者の一角にいることに気づくと思うんです。知らないふりをしていたとか、自分には関係ないとやり過ごしていることで、直接的に宮古・石垣・与那国を要塞化し苦しめる側に立ってしまっている。でも人は自分の加害性に向き合いたくない。あるいは認めることになるかもしれないような情報やニュースをオミット(除外)することを無意識に選んでいるわけです。

私は「何もしない」=「加害者」だと思っているのです。中立は、権力者側についているのと同じ。こういう列強の国々の一角に位置していて、情報もあるし、何かできることがあるのに何もしないということは、あらゆる分野で加害者になってしまっている。歴史を知ろうとしないことも、その一つです。

何十年前まではみんなが共通のニュースを受け止めていた時代がありましたが、今はみんながニュースを選ぶ時代となり、都合のいいニュースだけを知ろうとするので共通の認識すら持てなくなっている。そういう構造の中で、今私たちはものすごい情報過疎にあると思うのです。

だからそれに気づいてもらう手段として、ニュースが果たせなくなってしまった役割も含めて、もうドキュメンタリーしかないかなと思っているのです。わざわざ映画館に足を運ぶのは、その人にとって少なくとも大事な人生の出来事になるわけですから。

沖縄戦では、沖縄の方々は圧倒的な被害者で、その話だけでも来世まで終わらないぐらいの被害があるわけですが、同時に『沖縄スパイ戦史』で描いたように、戦争では敵に関係なく、自ら自分たちの仲間を殺していくというところまで行きついてしまうわけです。そういう事実をオミットして被害だけを訴えても、同じ過ちを犯すのを止める力を養うことはできない。私は誰かを責めるために加害性の話をしているわけではなくて、知らないうちに加害者になってしまう怖さを知ってほしいのです。

日本を守るため、沖縄も守るために来た兵隊たちがどのようにして虐殺者になっていったのかを知れば、今も、そこにつながる同じ誤ったルート(道筋)があるのではないかと気づくことができる。だからみなが嫌がっても、過去の間違ってしまった地図を白日の下にさらし、日本が誤らないように、あなたが誤らないように、私が誤らないように正しい地図を共有していかなければならないと思うのです。
そういうメッセージを外に出していく手段がドキュメンタリーなのか、本なのか、講演なのか……で悩むところではあるのですが。

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221号 三上智恵

 

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●プロフィール

◎ みかみ ちえ
ジャーナリスト、映画監督。
毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。
初監督映画『標的の村』(2013)でキネマ旬報文化映画部門1位他19の賞を受賞。
フリーに転身後、映画『戦場ぬ止み』(2015)、『標的の島 風かたか』(2017)を発表。
続く映画『沖縄スパイ戦史』(大矢英代との共同監督作品、2018)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞。
著書に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書、第7回城山三郎賞他3賞受賞)、『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』『風かたか「標的の島」撮影記』(ともに大月書店)などがある。

  連 載

221号 工藤清敏

◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』

「人生はなんとかなる」

怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。

◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。

221号 前島由美

◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』

「世界のママたちの思いはひとつ」

療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。

◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。

221号 安藤誠

 

◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』

「新緑とキビタキの歌」

ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。

◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。

221号 佐々木隆

 

◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』

「備え無ければ憂い計り知れず」

生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。

◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。

 

◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』

「ユカタン半島 ~遺跡のちから~」

世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。

◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。

221号 山元加津子

 

◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』

「きみちゃんの生き方」

人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。

◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。

221号 金澤泰子

 

◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』

「引き継がれ育まれた、翔子の感性」

ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。

◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。

季刊『道』 岩井喜代仁

 

◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』

「取り組みの結実 茨城ダルク出身者への恩赦」

薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設を回り責任者やスタッフを育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、入寮者が回復に向かっていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。

◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。

221号 宇城憲治

 

◆UK実践塾代表  宇城憲治
連載『気づく気づかせる』

「平和への道筋と実践 ― 戦わずして勝つ ―

最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。

◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長

  編集後記

対談前に山極壽一先生の資料やご著書、講義動画などを拝見させていただき、ゴリラの世界にすっかり魅了されました。ゴリラ社会の見事な平和的解決のあり方や、人間以外の霊長類は、仲間を殲滅するほどの行為はしないこと。本来はそうでないはずの人間が今、エスカレートしてしまっていること。山極先生の何万年という時間軸をベースとしたお話や、宇城憲治先生の江戸時代の史実から学ぶ姿勢から、「知る」ことは今の目の前の「点のような知識」ではなく、大きな視点でものを見、考えるあり方であることを教えていただきました。

『戦雲』『沖縄スパイ戦史』を拝見し、三上智恵監督の取り組みを知りました。なぜ諦めずぶれず沖縄に寄り添い、活動が続けられるのか、その思いに「触れたい!」と沖縄に飛びました。行動する人としない人の間には、自分たちでは気づけぬ「山ほどの言い訳」がある、そのことが胸に刺さりました。

22歳の若さで自分が経験していない戦争を「自分事」にしようと取り組んでいる庭田杏珠さん。一つひとつの言葉が正直でまっすぐで、本当に力強かった。山極先生は、言葉の登場が人間社会に暴力を蔓延させる原因となったとお話されていましたが、その言葉も、「真心」と一致して発せられる時は、とてつもないエネルギーとなって人に伝わることを今回の取材であらためて感じました。

  (木村郁子)

熱い思いにあふれる二人の女性に出会うことができました。

お一人目は、広島で生きることを決め就職されたばかりの庭田杏珠さん。徹底して相手に寄り添い、白黒写真をカラー化するという手段でその人の心の安らぎを第一に取り組んでこられた。取材当日も「遅れます」と連絡をくださり、「戦争体験の取材をしていて電話を切れなくて」と駆けつけてくださいました。私たちの質問に言葉を選び、丁寧に丁寧に伝えようとする様子から、「記憶の解凍」の聞き取りでもこうして写真提供者に向き合っているのだなと、その思いの深さが分かりました。

お二人目は、映画監督の三上智恵さん。軍事要塞化されていく沖縄の闘いにずっと寄り添い、ドキュメンタリー映画という形で発信を続けておられる。抗っても抗っても進んでしまう基地建設や武器配備に、虚しさ悔しさに苛まれることが数えきれないほどあったでしょう。でも、やり続ける。

両氏とも、11、12歳で人が踏みにじられた事実を受け取りそれを自分事にして、そこからぶれることなく今につなげておられます。本来、人間にはそういう感性がある――。動かない理由を並べるのではなく、「服に火がついている!」と対処に走れる人間でありたいと思います。まずは、上映会をやります。36頁をご覧ください。一緒に受け取ることから始めませんか?

(千葉由利枝)

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