読者の声| 季刊『道』 217号(2023年夏)
「どう」に登場される方々は、生き切ることを実践している方々ですのでとても説得力があります
静岡 理学療法士 60代 男性
今回もとても勉強になることばかりでした。
今回程対談または執筆された方々と宇城先生との繋がりが実感できた号はなかったと感じております。
宇城先生は、「生き切る」ことによって次世代に芽を出すことができる。次世代に生き様を見せていくことが我々の役目であるとおしゃられました。
宇城先生の生き切るとの意味は、死ぬ時が最高を指しています。
現状維持は退化なりと言われているように、常に勉強をして自分を成長し続けていくように日々が稽古として取り組みなさいとの意味である捉えております。
では、どのような稽古をすれば良いのか。
それには、師の存在が必要であります。
師の生き様に学ぶではなく、真似ぶであります。
頭でわかったのではなく、師の教えを行動に移すことが大事なのです。
では、人生を導いて頂ける師はどのように巡り合うことができるのでしょうか?
野中氏のインタビューで、「ヒト同志では遺伝形質の違いはほとんど無い。あえて才能の違いがあるとすれば、自分を引き出してくれるヒトとの出会いを持てるかどうかにかかっている。」とお話しされていましたが、この語句に全て集約されていると思いました。
今回登場された方々も、自分を導いてくれた宇城先生をはじめとした師との出会いが自分の人生を変えたと話されています。
私も今の自分でいいのか?この人生で悔いがないのか?を随分悩んだ時期がありました。その時にどう塾に出会い、宇城先生に出会うことができました。
宇城先生とは面識もないし、一緒に参加する友達はいなくて不安もなりましたが、今ここで参加しないとダメだというエネルギーに突き動かされて行動した覚えがあります。この方から学ばなければ自分が駄目になるから、参加するという行動があったから宇城先生と繋がりができました。
師に出会うためには、自ら行動しないと繋がらない。
師がいるから、生き切る具体像が見えてくるし、何をすべきかがわかってきます。
あとは、やるかやらないかは自分自身の問題です。
「どう」に登場される方々は、生き切ることを実践している方々ですのでとても説得力があります。
師に巡り合うこと、そして師を目指して行動すること。それが死ぬ時が最高であるように生き切ることである。その生き様が、子供、孫に伝わってより良い人間作りの手本を示すことが日本を救う唯一の道であると確信しました。
ありがとうございました!
今号も繰り返し読んで、付箋やマーカーだらけになりました
東京 会社員 60代 男性
今号も繰り返し読んで、付箋やマーカーだらけになりました。
今号は、いつもと違って表紙がイラストで、「おっ」と思ってしまいました。
描かれている動物や鳥たちはなんとなくユーモラスで可愛らしく、眺めていると思わず笑みが浮かびます。作者はいわゆる障がい者といわれる方。巻末の「気づく、気づかせる」にも掲載されていた動物のイラストも素晴らしく、こちらも魅入ってしまいました。
記事によると、作者の柴崎優翔さんは、「目が本当に澄み切っていました。」「純粋だから・・。」とありました。
純粋だからこそ、そこによこしまな作意が全く無く、それ故に純粋に人に感動を与えるような素晴らしい作品を描けるのだなと思いました。またそこに金澤翔子さんの書に通じるものも感じました。
健常者である私たちは、稲本氏の記事にもありましたように、デカルトやニュートンからきた近代合理主義は万能であるとの既知の刷り込みをされ、学校での教育とか、受験勉強とか、スポーツの勝利至上主義など、世の中のあらゆる場面で、
常識という名の非常識で染め上げられ、未知なるものへの憧れとか、自然への畏敬という純粋さを失って、人間本来の能力をことごとく封印させれているとを改めて痛感させられました。
今号に限らず、『道』に登場する方々は、そういった既知を超越して人間本来の潜在能力を発揮していたり、また人間本来の姿に戻る啓蒙活動をされている方々ばかりだなと思いました。
今号で特に印象に残ったのが山元加津子さんの記事でした。写真にもありましたミヤマヨメナの群生を見て、「この景色の美しさは一つひとつの花が、美しく輝いているからだと気づいた時に、私たちもまた、一人ひとりがみんなしあわせでなければ、全体のしあわせは決してあり得ないのだ。」と書いておられました。この文章にはハッとさせられました。私たち一人ひとりが人間の本来の潜在能力を発揮できるような社会であれば、きっと素晴らしいのにと夢想してしまいました。
私も還暦を過ぎ、社会生活を送る中で泥や垢に塗れてしまい、純粋さを失ってしまっています。しかし『道』に登場する方々の生き様をヒントに、その垢を少しでも落とし、子供の頃の純粋さに戻っていきたいと思いました。
表紙の絵はとても素敵です
千葉 自営業 30代 男性
表紙の絵は以前、道塾の冒頭で流して頂いた映像で紹介された絵だと思いますが、とても素敵です。
宇城先生と宮崎監督の対談を興味深く読ませて頂きました。特に練習と稽古の違いについて、稽古は身体を通して学ぶことであり、潜在力の発掘である、そして稽古というものは24時間であるということを改めて認識致しました。
それから、連載の「塩から社会を見てみれば」はとても面白いです。ありがとうございました。
表紙に力をもらいました
佐賀 学校職員 40代 男性
今回の『道』は、表紙に力をもらいました。表紙の絵を見ると、元気をもらった気がします。あらためて、本文のみならずいろんなところに気を配って製作される『道』のすばらしさを認識した気がします。
日々、道を究めるべく実践されている宇城先生と宮崎監督のお二人のお言葉、子どもたちとの向き合い方、見守り方、その姿勢に、大変学ばせていただきました
福岡 ビルメンテナンス業 40代 男性
巻頭対談を読ませていただきました。自分の学生時代のスポーツ体験や部活動を思い返しながら、また子どもたちの学校の体育授業や習い事との違いに驚きつつ、先行きが不透明でますます困難になりつつある今の時代にあって何のためにスポーツをやるのか、その意義やあり方について、現状のスポーツの問題を克服し、それをスポーツ道にする為には何をしなければならないのか、本来あるべき教育について、宇城先生と大阪産業大学野球部の宮崎監督のお二人の対談から大変勉強させていただきました。
学生時代は勉強ももちろん大切であるが「身体を使わない勉強」だけでは頭だけの知識になってしまう、その点「身体を使うスポーツ」では身体を通して人間の可能性に挑戦する、人間の潜在力を引き出す創意工夫を行うことができ、さらにその培ったものを「試合」という場で実際に試してみる、実践することができるため、今の時代にあってスポーツが大事であるとのお話に大変納得させられるところがありました。今の子どもたちを見ているとコロナ禍の影響もあり家での勉強が増え、スマホやゲーム等の遊びが主流となり、身体を使った外遊びが極端に減りつつある中で、スポーツを通して、身体を通して学ぶことの意義は大変大きいものと感じております。
しかし、スポーツの主体が「勝ち負け」に走ってしまうと、意識が外面に向かい、肝心な内面に向かわなくなる、それでは「一生懸命」であっても「真剣」ではない、ボランティアに行くと寄り添うという行動が内面への気づきを諭してくれる、また「野球で」ではなく「野球を通して」の様々な経験が、勝った負けた以上に社会に役立つ人間としての基本をつくる、学生の成長に繋がると考え、宮崎監督の野球部では被災地でのボランティア活動を続けておられることや、「丹田道」という学生とのメールを通したコミュニケーションを毎日発信されていること、「一分間スピーチ」を通して学生同士の関わりをつくる機会を設けられておられ、いわゆる学校の部活に留まらない、スポーツ道、野球道への日々の実践に感銘を受けました。
「本来あるべき教育とは、大人が子供のやりやすい環境を整えることではなく、自らが動き、自らが変化していく、そういった中から自立し責任ある心、人を思いやる心が育っていく」
『「気づかせる・気づく」が大事。自転車の例と同じで、何度も「できない」「こける」体験を通してできるようになる。理屈ではなく「身体」で覚える。「身体」の変化に気づくことが大事』
『こけること、思い通りにいかないことから逃げない心が「真剣」ということ』
『人間は、お互いの距離が近過ぎると部分体になり全体が見えなくなるので、ちょっと離れて遠くから「見守る」ことも必要、寄り添い、全体を包み込む空気感、「間」を感じる(掴む)身体を持つことが大事』
日々、道を究めるべく実践されている宇城先生と宮崎監督のお二人のお言葉、子どもたちとの向き合い方、見守り方、その姿勢に、大変学ばせていただきました。
また現地にボランティアに行った学生のお話や、84歳のおじいさんとの日々のやり取り、「夢ハウス」の障がい者の方々との交流のお話に、大変勇気づけられ、元気をいただきました。
力の出る対談を拝読させていただきありがとうございました
東京 ビル管理 40代 男性
宮崎正志氏と宇城先生の巻頭対談を拝読させていただきました。
勝ち負けを競うスポーツの世界でボランティア等で学生達の心をつくる活動をされておられ、丹田道というメールを14年間続けている事にも感服致しました。
宇城先生がいつもおっしゃられております行動する事、人に寄り添う事で信念が生まれ、心身ともに強くなる事を教えていただきました。
日々の生活において目の前にあるものをつい優先してしまい一番大切な事に気付かない事が多々ございます。目の前の勝ち負けよりももっと大切な事、人に寄り添い、思いやる事で人と繋がり本当の真剣さを知り、そこに人としての心の成長、喜びがあるのではないかと感じました。
人への思いやりを常に心に置き行動したいと思います。
今回も力の出る対談を拝読させていただきありがとうございました。
表紙の動物達の絵に感動しました
奈良 教員 女性
今月号の『道』の表紙の動物達の絵に感動しました。
一匹一匹の動物たちの優しい笑顔や表情に見入り心安らぐ思いでした。特別支援学校の優翔君が、素直で優しい調和からの心で描いた絵と知り、ストンと心に落ちました。腕相撲も然り、大人が出来ないことが理屈ではなく一瞬にしてやりとげてしまう。改めて無意識からの実践実証を学ばさせていただきました。
「大豆は枯れ切ってこそ、土に埋めると目を出す。青い大豆の豆では土に埋めても目は出ない」という文章に深い感銘を受け、次世代へ引き継いでいく私たちの使命も痛感しました。ありがとうございました
『道』を通して、多くの気づきを与えていただき感謝
奈良 教員 50代 男性
稲本正氏の「森に生かされて」を拝見し、謙虚に生きることの大切さを改めて実感させられました。
今回も『道』を通して、多くの気づきを与えていただき感謝しております
この地球に生きている限り自然と離れて生きていけないことを改めて思いました
大分 団体職員 50代 男性
稲本正氏の記事「森に生かされて」
生命とはなんぞやという疑問を解決したくて大学で生物学を学びましたが、求める答えは得られず今に至ります。共生進化を読んで、昔は野生生物が9割、今は人間と家畜が9割という内容は、現代の感染症をよく表していると感じました。
若い頃は毎週登山をしていました。森の中にいると気分が良くなると感じていたので、調子が悪くなるといつも森に行っていました。ある時、仕事が忙しくて森に行けないことが数ヶ月続きました。久しぶりに森に行った時、森に行けば気分が変わることさえ忘れている自分にぞっとしました。
この地球に生きている限り自然と離れて生きていけないことを改めて思いました。ありがとうございました。
対談では、教育の現場に立つ者として、また野球に携わっているものとして、自分自身の在り方を見つめ直す大きなきっかけをいただきました
山口 教員 30代 男性
この度の宇城先生と宮崎監督との御対談では、教育の現場に立つ者として、また野球に携わっているものとして、自分自身の在り方を見つめ直す大きなきっかけをいただきました。
とかく、目新しい練習方法や試合の勝ち負けに囚われがちな私にとって、人間としての成長へ導いていく、本質的な指導を実践していくことが、どれだけ子ども達にとって大切なことであるかを感じました。
その過程で得られるものは、全く次元が異なるものであることは、宮崎監督の実践と宇城先生との御対談を拝読し明らかでした。
私も子ども達にそのような指導ができるよう、そこを目指して精進していくと同時に、共に子ども達と学び合っていきたいと思いました。
稲本正さんのインタビューでは、若き日からご自身の哲学をもち、困難に挫けることなく突き進んで来られたからこそ感じられるエネルギーの強さを感じました。森と人間との関係、自然の理をわかりやすくお話くださり、とても惹き込まれました。私も自然にすごく興味があるので、稲本さんの書籍を是非読ませていただこうと思います。
野中さんのインタビューは、野中さんの溢れんばかりのエネルギーが伝わってきて、心の中に爽やかな風がいっぱい吹いているようでした。
自然と、もっと前に進んでいこう!そう思いました。
道を読むといつも元気をいただきますが、この度は特に読んでいると心が満たされているのを感じました。
いつも素晴らしい記事を本当にありがとうございます。
境界に縛られたり、間違った常識に囚われたりして、自分の可能性を閉じなければ世界は広がっていくということを大いに学ばさせて頂きました
北海道 市職員 40代 男性
宇城先生と宮崎監督の巻頭対談では、宮崎監督が200人もの部員に対して、「気付かせる、気づく」実践を行って野球を通じて成長させていく実践を行っていることに感銘を受けました。頭でなく身体で間を掴んでいくというお話に自分も実践していこうと思いました。
稲本さんのお話には、小説家→物理学者→植物という境界に拘らず自由な精神と行動力を感じました。ご子息達の命名の仕方がまた素敵で、その後のご活躍のお話からも、自主性を重んじる教育の仕方の教育が素晴らしかったのではないかと想像いたしました。
野中さんに関しては、まず伸び伸び育たせてくれたご家族が素晴らしいです。そして、ご本人の「傍を楽に」というところからジャーナリストを志望するところの軽やかさが心地よいです。人との出会いの大切さについても改めて教えさせて頂きました。
工藤さんの連載では、生命は海から生まれ、塩が細胞のエネルギーを作るというお話があり、よく体を使うと体が塩分を欲することを思い出しました。塩分の摂り過ぎは体に悪いという知識で考えるのでなく、身体で感じるようにしたいと思いました。特にこの夏は暑いので塩を食べて変化を体で感じたいと思います。
野村さんのどこでも笑顔で溶け込むところはまさに調和だと思います。
表紙の絵を含めて、柴崎さんの絵は素晴らしいと思いました。宇城先生が「視覚や聴覚がいかに不確かで怪しいか」と述べられた通りで、この絵を見て感じる通りに、何事も余分なフィルターなしで、物事を見聞きしなければと学ばさせて頂きました。
全体を通じて、境界に縛られたり、間違った常識に囚われたりして、自分の可能性を閉じなければ世界は広がっていくということを大いに学ばさせて頂きました。ありがとうございました。
どうすれば子どもたちに気づかせることができるかを考えて、自分の行動や言葉使いを見直そうと思いました
神奈川 主婦 女性
宇城先生と宮崎氏の対談で、教育現場が「気づかせる・気づく」場であるべきたとの話がありました。
被災地のボランティアに参加する話、大学生が小中学生に野球を「教えにいく」ではなく「一緒に入ってやる」つまりやってみせる。
子育てでも、どうすれば子どもたちに気づかせることができるかを考えて、自分の行動や言葉使いを見直そうと思いました。
野中ともよさんのご両親のお話から、私も子どもに対して、母港のような、子どもを丸ごと受け入れて愛せるようでありたいと思いました
女性
宇城先生と宮崎正志先生の対談では、宮崎先生が長年宇城先生に学ばれ、野球部活動を通して実践をされてきたうえでのお言葉、さらにその実践に対する宇城先生のお話がとても勉強になり、何度も読み返しています。寄り添うということ、共生するということ、気づく気づかせるということ、先を取るということ等、宮崎先生の実践を通してのお話から、宇城先生のお教えが、どれも重みとリアルさをもって迫ってきます。宇城先生に学ぶということはどういうことか、それを具体的に示してくださっている宮崎先生の姿から学び、自分の日常を変えていきたいと思いました。
また、野中ともよさんのお話では、ご両親のお話から、私も子どもに対して、母港のような、子どもを丸ごと受け入れて愛せるようでありたいと思いました。太陽系が銀河のなかをすごいスピードで移動しているというお話から、決して元に戻ることができず、前に向かって変化し続けないといけないこと、そして未来の世代に向けて、私たちが私が変化していかなくてはいけないと思いました。自分の判断基準をいのちが喜ぶということに変えること、そして日常のなかで選択して行動を変えていきたいと思います。
勝ち負けだけの野球だけではないことが野球に生きてくる
東京 造園業 60代 男性
宇城先生と宮崎正志監督の対談では野球を通してというところで、スポーツのしての勝つためのやりかたとは違い「やらせる、教える」ではな「気づかせる、気づく」への転換アマチュアのスポーツを通して、災害地へのボランティアの活動を通して現地の人たちとの触れ合うことで、言葉ではなくなにかを感じることで野球の練習に戻ったとき生徒さんが変わることはまさしく勝ち負けだけの野球だけではないことが野球に生きてくるのではと感じました。
稲本さんの原子物理を学ばれて植物と人間の関係を通して植物の大切さに気づきそこから森を歩き森を生かすことを実践されていることはなかなかできることではないとおもいました、好奇心や興味を持たれたら現場に行く実行力もすごいと感じました。
野中ともよさんのキャスター時代から今までの行動力に「生きていく」ことでその道、その局面でしっかり歩いていく自覚があるというお言葉から納得してしまいました。また西洋と東洋の文明の違いを考えさせられました。
自然(じねん)漢字は同じでも読み方で意味の違いがあることから、自然薯のことが思い浮かびました。
『道』は最高の本物の教科書、大人や親の先生であり、生きてゆくための道しるべ
奈良 主婦 女性
宇城先生と宮崎監督の対談から
「その場にいる人たちに境界がなくなり全部が溶け合う」
そういう空間をつくれる人間、気づかせる指導ができる人間。
そのような指導者が子どもたちの前に立つ最高の導く人間なのだなと思いました。
「手の平」のお話。ジャンルを超えてご指導されている宇城先生のお姿は「調和」「仲良くしたら争いは起こらない」まさにそれを見せてくださっている。
「手の平」のお話がとても深い温かいものに感じます。
日頃からその手の平を大切にしてる日本人の所作にも通ずるものがあるのだろうと感じます。
「「技を極める」方向に向かう」そういう学びをしていかなければ人間の本質に向かってはいけない、
生き様にはならないのだなと思いました。
稽古と練習。天と地の差があるのだろう。
自分は「練習」で生きてきてしまったのだろう。身体を通しての学びでないと何も変わらないと改めて感じます。
稲本氏のお話から
原発のことから自然界のことまで知らないことばかりです。
森、植物、昆虫のことまで「その辺のこともちゃんと子どもたちに教えないといけない。」この言葉が大変強く心に残りました。
自分が知ってこなかったし、知ろうともしなかった。
大人、親が勉強していかないといけないことを改めて感じました。
工藤氏の連載では
人間にとって必要な本来の塩の摂り方と矛盾している塩の扱い方。
今の医療の在り方があまりにも酷く、それ以上に何の疑問も持たずこうして医療を受けていることに恐ろしささえ感じます。
でも知らなければ勉強しなければ分からない。そしてこうして教えて頂く場に出会わなければ変わらない。
『道』でお話くださる方々が毎日されていることをこうして『道』で共有してくださる。決して自分にはできないような経験を「道」で分けてくださり、覚悟、命をかけた寄り添いをされているお姿で語りかけてくださいます。
『道』は最高の本物の教科書、大人や親の先生であり、生きてゆくための道しるべです。
誰も教えてくれない事実を教えてくださる宝庫であるように思います。
宇城先生の連載「真似る力」から
五感のお話で「「視覚と聴覚」は脳の潜在意識(自覚されないが、本人の行動や思考に影響を与える秘められた意識)が大きく影響するので、対象の捉え方について大きな課題があります。すなわち錯覚です。」
このお言葉を見た時、はっと大変心に強く衝撃を受けました。
自分のフィルターをかけあまりにも自分の思い込みの世界で縮こまっている。
これでは何も変わらないのだな。
「身体の主観」で学ばないと何も変化はできないのだなと感じました。
宇城先生のされることを見て真似て実践される柴﨑さんの姿や目が思い出されます。
そこがもう違うのだなと。
あの目の力、優翔さん、かずまさんたちにはその錯覚というものが無く素直に入っていく。
錯覚ばかりの世界で生きている自分が大変ちっぽけなお遊びの在り方に見えてきます。次元が違うのだと思いました。
自分の錯覚の中でもがくのではなく、自然に身を委ね、全てにおいて感謝と謙虚さへ向かうことの大切さを感じます。
見る力の違い。
見ただけでできる優翔さん、かずまさん。
自分は何一つ見ていないということを気づかせてもらいました。
全く話にならないレベルで物事を見ているのだと。
何も見えていないのだなと
あまりの衝撃に言葉が見つからないです。
矛盾だらけの身体 見えていない目 錯覚の世界から
「自然の理に従う」「矛盾のない身体」に向かってみたいなと思いました。
この度も『道』での学びと気づきをありがとうございました。
どの方の内容にもエネルギーがある
男性
今回も読みごたえのある内容をありがとうございました。
どの方の内容にもエネルギーがあるのは、登場されている方々それぞれが、いわゆる常識というところを通り抜けて深い世界に到達し、実践されているからだと思います。
宮崎さんの対談では、宮崎さんが宇城先生と出会ってから、大きく舵を切って、指導の在り方、学生との関わりを大きく変えられて、実践を続けられていることに感銘を受けました。宮崎さんのような指導を受けた学生が世の中に出ていっていること、これから世に出ていくことで社会が変わっていくと希望を感じます。
稲本さんのインタビューでは、植物のすごさを考えさせていただきました。また、稲本さんの歩み方も大変刺激になりました。
実は2年前、独立して法律事務所を作るとき、円満解決を目指す法律事務所というコンセプトのイメ―ジを広げているとき、稲本さんの『脳と森から学ぶ日本の未来』を手にしました。最近、事務所で植物を育て始め、植物から学ぶことの多さを感じています。
野中さんのインタビューでは、野中さんのご活躍の根底にある愛、和洋折衷の両親などの多くのエピソードから、生まれてきたものも環境もすべて生かし今を生きていくという生き方に感銘を受けました。ご縁のお陰。変わっていくこと。たくさんの学びがありました。
前島さんの連載は、ユウくんにとって、ゆめの森との出会いはどれだけ大きいものだろうと思います。前島さんが愛と厳しさと両方で関わりながら、ユウくんが自身の道を見出し始めていることに感動しました。
工藤さんの連載は、生命と塩、海がいかにつながっているか教えてくれます。毎回、どれだけ塩って大切なんだろうと考えされられます。
佐々木さんの連載は、ヒロシマナガサキの思いをあきらめてはならないと強く響きました。
野村さんの連載は、いつも写真だけでなく文章も面白いです。命の流れと無数の出会い。そこにかけがえのない瞬間が訪れることを思いました。
山元さんの連載は、咲き誇るミヤマヨメナの美しさは一つ一つの花が美しく輝いているからという表現が印象的でした。
見えない役割を持っていることを知らずに相手を否定することがまだまだあります。そんなとき、思い出したいと思います。
金澤さんの連載で、翔子さんが生まれ、泰子さんが絶望されたとき、山下清の存在がかすかな光であったこと、その光をたどって翔子さんに書を教えられたことを知りました。長い時間が経ち、翔子さんの書が人々に感動を与え、勇気づけるようになり、また翔子さんが自活するようになられたいま、翔子さんが光となって多くの人の希望になることはまさに天の道ではないかと思いました。
岩井さんの連載、黒川さんの手記では、家族として地獄と絶望を感じていたところから、笑顔を取り戻し、仲間達に希望を与えているいまのことまで書かれていますが、この間の苦労や大変さは想像ができません。常識が通用しない世界での歩み。家族としての覚悟、家族会の意味など考えさせていただきました。
宇城先生の連載では、「ビールの味は飲めばわかる」というこれまで聞いてきた言葉について、「触覚、嗅覚、味覚」は理屈より身体の主観が優先すること、「視覚と聴覚」は脳の潜在意識が影響し、不確かであるという説明があり、一触が大事ということの意味の深さを考えました。
また、特別支援学校の高校生が、宇城先生のすることを教えられてもいないのに真似てできたことはすごいことだと思いました。
振り返って、自分の中に対立構図があること、本来持っている力を自ら使えなくしていることを自覚し、無意識領域での調和とは何か、日常の中で取り組んでいこうと思います。
安藤さんの連載では、愛らしい小ギツネ達の写真と小ギツネの事故のエピソードから、生きていることとその厳しさ、ありがたさを考えさせていただきました。人間の世界でも、大切なことで気づいていないことがたくさんあるのだと、このかわいい写真を見ながら思いました。
今回も多くの学びをありがとうございました。
『道』は身体に眠っている本来の心を揺り起こしてくれる文字以上のエネルギーを受け取ることができる
男性
■巻頭対談
学生たちが被災地など実際の現場に訪れて、ボランティア活動をしているお話はとても心に沁みました。夏の除草作業では、休憩時間を早めに切り上げてでも「やりたくなる」という感覚。文章からではありますが、お二人の対談を読ませて頂き、この「やりたくなる」という感覚はネルギーが内から出てくるということなのだなと、感覚的にわかったような気がしました。
人助けをすると気持ちがよく、お礼を言われるとさらに「やりたくなる」。これを繰り返していくと、自然になり、お礼を言われなくてもどんどん「やりたくなる」という無尽蔵の人間エネルギー製造回路が身体にできてくるのだと思います。
今対談にて宇城先生が「自然にエネルギーが高いほうから低いほうに流れて共生関係になる」と仰っていますが、この人間エネルギー製造回路が強い人ほど調和する力があり、エネルギーが弱っている人に寄り添うことができるリーダーになることができるのだと思います。「やりたくなる」という感覚。
季刊『道』を読むと、通常の本とは違い、文字という脳で受け取る活字媒体ではありますが、身体に眠っている本来の心を揺り起こしてくれる文字以上のエネルギーを受け取ることができます。
■森に生かされて
稲本正さんのお話で、「先生はコーディネーターをすればいいんだよね」という言葉にとても感銘を受けました。私は教師ではないので、その世界の事に詳しくないですが、教師の先生たちは全て自分でできないといけないという一種の“我欲”に縛られてしまっているような気がします。自分のキャパ以上の事をしなければならない状態では、教育に対して向き合う時間を作ることはとても難しいと思います。科目を教えるためには専門的な知識は必要であることは当然だと思いますが、今ではインターネットや映像媒体を通じて世界中の優秀な人たちの講義を受けたり、映像を見たりすることができます。昔に比べて新しい情報を仕入れることは圧倒的に容易になったので、あとはこの情報から何を掴むのか。この情報をどう活かすのか。ということを学生が自分自身で考えて、ディスカッションをして、実社会で実践していく力を養うことに力を入れていけば、今までの日本の一律教育よりも日本でそして世界でも活躍できる人材が育っていくのではないかと思います。そして、何よりこのような教育を受けることができた子どもたち自身の人生が有意義で幸せなものになると思いす。「先生はコーディネーターをすればいいんだよね」という言葉は、日本教育界で頑張る教師の先生方にとって、そして多くの子どもたちにとって、大きな救いになる言葉なのではないかと思います。
■私たちは自然の懐で生かされている
野中さんのお話を読んで、ハッと気づかされたのは、私も『日本を昔の良かった時に戻すにはどうすれば良いか』ということを考えていたということです。宇宙が誕生してから一瞬たりとも同じ時空に存在するということはあり得ないはずなのに、“元に戻そう”と考えている。今やらなければいけないことは、良かった頃に戻すのですはく、今を変化させて、まだ見ぬこれからの未来に何を新たに創造していくのかを考えて行動に移すことだ!と、なんとも当たり前にわかっていなければならないことに気が付いていませんでした。もとに戻そうなんていう過去にこだわった考えではなく、調和の世にしていくために常に良い方へ変化し続けるために、エネルギーを育み、未来に目を向けて今を生きることが大切なのだと思いました。一瞬たりとも同じ時空は存在しないという当たり前ですが、見失いがちな価値観を思い出させて頂きました。
■愛と関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち
安心して戻ることができる場所があるということはとても大事なことなのだなと感じました。ゆめの森も、安心して戻ることができる場所の一つ(一つと言ってもとても大きな存在です。)この場所があるから、外で上手くいかない時期があっても、一旦戻ってきて安心して力を蓄えてまた外に向かっていくことができる。ユウくんについてのお話を読んでいると、ゆめの森が子どもたちにとって安心できる大切な場所であることが分かります。
■塩から社会を見てみれば
工藤さんのお話は、医療を批判するのではなく、その資本主義システムに対して苦言を呈し、『もっと良くなるためにはこうしたらいいですよ』という情報を伝えられているので、嫌味なくスッと読むことができます。我が家ではアマテラスを使わせてもらっています!
■私たちは銀河のなかに生きている
師である宇城先生のお言葉を借りると、『知的生命たる英知』は地球の生命が誕生したときから紡いできたDNAの中にある調和の力に気が付くことこそが、その英知なのではないかと思う。平和を実現する英知を“信じたい”という願望から、“信じる”という希望にまで高めるのは、今を生きる人間にしかできないことであり、いつの日かすべての人間がその英知に目覚めることができれば、世界は平和になるのだと思う。
■地球を歩く
イタリアは私にとって心がときめく国です。まだ行ったことがないです。思い返してみると、小さい頃に母親に「行ってみたい国ってある?」と聞くと、「『ローマの休日』が好きだからローマに行ってみたい」といっていたことを覚えていて、ずっとイタリアが頭にあり、いつか母親と一緒に行ってみたいと思い続けています。今回掲載されているイタリアの写真に心が躍りました。
■ありのままの私たち
「必要なもの、必要な人しかいない」という理想の調和の世界はそこにあるけれども、一死多殺を選択せざるを得ない状況が生まれる現実は、人の世がまだ調和融合の世界になっていないということだなと思います。いや、サムシンググレートの中では、この一死多生の考えも誤りなのかもしれません・・・。考え出したら眠れなくなりそうです。
■きょうも、いい日
私にも、人に伝えられることが何かあるのだろうか?ということを考えました。とにかくエネルギーを持って精一杯真剣に生きることだなと思いました。それを見た人たちが、あとは何なりと受け取ってくれるだろうと。
■今日一日を生きる
黒川さんの手記の中の『もし娘が回復半ばで亡くなっても家族会と娘にありがとうと言えると思うようになりました。』『私は私、貴方は貴方で人生を生きていく。』という言葉に、私の師である宇城先生が以前仰っていた『あきらめること(白黒はっきりとさせること)』が大切だという言葉が頭に浮かびました。『私は私、貴方は貴方』。これもまた『一人革命』であるのだと思いました。自分がダメになったら、苦しんでいる家族も共倒れになってしまう。薬物依存に苦しむ家族を決して見捨てるのではないですが、共にダメになることから自分を守らなければならない。そのためには『私は私』である芯を作らなければならない。黒川さんや家族会の皆さんは、剣の時代の頃のように生活の中に生死をリアルに感じる世界で生きておられるので、『一人革命』を起こせるのだと思いました。生半可な人生を歩んでいないのだなと圧倒される手記でした。
■気づく、気づかせる
見学に来られた高校生の生徒さん達の様子を拝読し、私が率直に感じた感想は、「私はもっと素直にならなければ」というものでした。ありのままをそのまま受け取る為には、今を生きていなければならないと思います。過去を悔い、未来の事を心配して、今が無い。今を見なければ、過去と未来を見てしまうと我がでてきてしまう。今を真剣に生きられなくなってどれくらい経つのでしょうか。いや、物心ついてから今を真剣に生きられたことなどひと時も無かったのかもしれません。頭で考えず、ただ素直に今を生きる。素直に全て受け入れて、今を生きる。『あきらめる(明らかにする)』ことが大切なのだと感じました。少しでも素直になり、今を生きられるよう、精進します。
■日常の奇跡
子狐を見て、「かわいいね」だけではない、生きているのが当たり前ではない厳しい世界で生きているのだという現実。それは野生の動物だけではなく、人間も生きているのが当たり前ではないのに、生きていることが当たり前かのように錯覚して生きています。私がそうです。しかし、いつ死ぬかわからない。いつ訪れるかわからない死におびえるのではなく、いつ死んでも良いくらいの気の持ちようで、今を精一杯生きたい。そう思いました。
今回も素晴らしい内容の記事
福島 会社員 40代 男性
今回も素晴らしい内容の記事を読ませて頂きました。国民の一人一人が自己中心的な考え、政治家や官僚が、自己の利益の為に、会社の経営者が株主と自己の保身の為に行動してると感じる今の世の中におきまして、自分の事だけを考えるのが当たり前でなく、自分は全体の中の一部でしかないと改めて思わされました。全体の中の一部と言っても、歯車の様なものでなく、一人一人が周りを助けるのが当たり前、それでいて自分と周りの幸福を感じる。それが本来の生物の世界の本質だと思いました。
今回の『道』の表紙、見た瞬間にとても賑やかだなと感じました
静岡 農業 40代 男性
今回の『道』の表紙、見た瞬間にとても賑やかだなと感じました。
賑やか、と感じるという事は活気がある、エネルギーがあるという事だと思います。裏表紙にはキタキツネの子供たち。こちらもまさに自然のエネルギーが収められている写真でした。それだけで何だか心地よいというか、安心するように感じます。
「気づく、気づかせる」で支援学校の生徒さんのお話がありますが、その子の目には自然はとてもエネルギーに満ち溢れて、皆、笑っているように見えるのだと。
ようはエネルギーがある、という事だと思います。そしてそのような純粋な心であるから、身体でも即座に宇城先生の真似ができるのだと。宇城先生が書かれているように、大人は色々と我欲が出てきます。やってやろうとか、できなかったら恥ずかしい、というのも自分中心の、自分の立場を守ろうとする我欲です。そのような我欲のない心で書いた動物の絵はまさにその動物のエネルギーを真似て書いている、先生の技を映したようにキャンパスにそのエネルギーを映しているのだと思いました。
だからオウムや馬、クマ、恐竜の絵も本当に生き生きとしていてまるで生き写しだと。宇城先生の空手の型、サンチンの絵も描かれていますが、表紙の動物たちと同じように、微かに微笑んでいるような、それでいて真っ直ぐな瞳、中心から張り出された大樹の根っこのような足、桃色系の背景と、被写体の持つエネルギー、本質を見事に捉え、またこの子の心が見事に反映された、まさに「絵」とはこのようなものをいうのではないかと思うような絵でした。
「理」とは自然の法則で、それを体現し、人間社会の我欲に汚れ切った我々大人に対して、そうでない純粋な心身で人間の潜在能力を発揮したり、絵など、金澤翔子さんもそうですが、そのような姿を見せてくれる。人間の可能性、偉大さ、自然と繋がっている人間本来の姿をこうして見れる事は自分たちにとっても本当に大きな可能性、希望を感じさせてくれるものであり、また金澤泰子さんが言われているように、同じような障がいを持った人たちにとっても、大いなる希望に繋がる事だと思います。
巻頭対談でも、被災地でのボランティア活動を通して、お互いにエネルギーが入って元気になり、自ら行動するようになる。自然とエネルギーが高い方から低い方に流れて共生関係になる、と宇城先生が言われていますが、まさにそれが自然、人間という生物にとっても自然の事なのだと思います。これは経済の一面一つを見ても、企業が内部留保でため込んでしまうのは、すでにこの自然の理から外れていて、だからダメなのだとすぐに分かります。しかしそれは企業側に心というエネルギーが無いので、当然といえば当然のような気がします。
人は集めるのではなく集まってくる、エネルギーがあるからそのようになるのだと。高校生くらいならばまだ身体で体験したことは強烈にその細胞に刻まれると思います。それは社会に出てからも、あの時は、、と思い出す事ができる、本当に財産だと思います。
野球など身体を通してのスポーツを「道」にしてそこでの成長を自らの人間的成長へと繋げていける、そのような指導のできる人間が増えれば、各スポーツで起こる様々な不祥事、事件、問題も無くなるのではないかと思います。その先頭を走る宮崎さんのような指導者が増えれば、スポーツで人生をダメにしてしまう子供がいなくなるのではないかと。宇城先生に真摯に学ぶ指導者の姿に、現状の勝利至上主義、国民の政治の腐敗へのガス抜き、または目くらましにしか使われていない今のスポーツに対しての、希望を感じられました。このような指導者の元から名前だけのエセサムライジャパンではなくて、真のサムライジャパンとなる選手が生まれてくる事を期待してしまいます。
しかし、それには自然の理合いに沿った指導、生き方、心を持った人間、それを育てない事にはできません。それを今回の支援学校の生徒さんから絵や技の検証を通して、教えてもらう、感じさせてもらう事が出来ました。同時に我々大人がもっと真剣にその事を学ばなければならないと強く思いました。それが大豆のように枝豆からしっかりと枯れ切る、人間として生き切る、という事であると思います。そのような人間の元で初めて後世にエネルギーを伝えていくことができる。実を結ぶ種を残していけるのだと。それがもっとこれから顕著になってくると思います。そのような生き切る生き方を加速させることが急務であることが今回の『道』を読ませていただき、感じました。
今号も実践者の方々の桁違いのエネルギーに満ちた素晴らしい一冊
福島 公務員 50代 男性
今号も実践者の方々の桁違いのエネルギーに満ちた素晴らしい一冊でした。読み終えて心と身体にエネルギーが満ち溢れ、本当に元気になりました。このエネルギーをもって、自分自身が、そして自分に関わる多くの人々が、共に幸せに生きることができるよう、その幸せが子や孫の時代まで絶えることなく続くよう、日常というステージで、今この時を大切に行動したいと思いました。
季刊『道』では様々なジャンルで活動をされている実践者の方々のお話が紹介されており、その本質的共通性にいつも驚かされておりますが、今号ではその共通する中心がこの宇宙の理(ことわり)であることを改めて強く感じました。
野村哲也さんの「地球を歩く」
「僕らは争うために生まれて来たのではない。この美しい地球で思いきり幸せになるためにやって来た」
山元加津子さんの「ありのままの私たち」
「一人ひとりがみんなしあわせでなければ、全体のしあわせは決してあり得ないのだと思うのです」
まさに「なにものも等しく幸せに生きること」が、我々生命体のパーパス(存在意義)であるはずなのに、個人も国家も今だけ自分だけという我欲に囚われ、分断され、衝突し、自然の摂理を狂わせた人類は次々と大災害に見舞われ、未来が見通せない不安感から人はますます孤立し、自ら不幸になっているように感じます。
世界全体がこのような状況だからこそ、気づき、自ら動き出した人間が、手と携え、繋がり、そのエネルギーを失うことなく、繋がりの力で増幅させ、この世の常識という非常識を変えていく、なにものも真に幸せな生き方ができる世界に転化させていく、その具体的な手法を我々に伝え、行動するエネルギーを与えてくれるのが、季刊『道』のパーパスなのだと思いました。
読み返してエネルギーをさらにいただきます。
次号も楽しみにしております。ありがとうございました。