季刊 『道』 179号 [連載] 松井健二 神道夢想流杖心会
~ 1月24日発売 季刊 『道』 179号より ~
松井健二 神道夢想流杖心会主宰
「武術においても、一般の生活においても
五感ないし六感が大切」――
このことを伝えるための導入として、
松井氏は「幽霊・霊体」についてから語り始めました。
* * *
<連載>
師につくし 自己を磨き 人を育てる
「五感を呼び醒ませ ― 鈍化した社会の中で ―」
・・・幽体は、宗教的修行、あるいは武術的修行の結果として
「観じる」あるいは「感じる」ことができるようになるようです。
この理解があると分かりやすい話があります。
乙藤先生の師である白石範次郎先生は博多の名刹聖福寺の
東瀛老師(とうえいろうし)と懇意でした。
ある時老師が白石先生に言いました。
「わしが切れるか?」
白石先生は「されば」と白刃一閃。
頭皮寸前で止めた。
老師は微動だにせず、「ほう、切れたのう」と賞賛されたという。
皆さんの考えなら、どうせ本当に切らずに止めるのが
判っているのだから、「切れた」もないもんだと思うでしょう。
でも、これは間違いなく切り、切られたのです。
なぜなら、我々ですら肉体から離れた幽体を打たれると
「打たれた」という感覚を持ちます。
白石先生は老師の本体たる幽体を切り、老師は切られた
という実感を持ったはずです。
ただ、このようなことは、修行をすれば体現できることですが、
無闇にやるべき事ではなく、価値観を持つべき事でもありません。
白石先生の話題になったので、頭書の幽霊の話に戻ります。
これも乙藤先生からお聞きした話です。
昔、博多に幽霊屋敷がありました。
白石先生は「幽霊退治に行く」と出かけ、その家に入り、
夜を待ちました。夜更けになると女の幽霊が出てきた。
なんと白石先生は「お前は何故出てくるのか」と尋ね、理由を聞き、
「分かった」と言って帰り、幽霊の言い分通りにしてあげた所、
その後幽霊は出なくなったと言います。
白石先生の腹の座り方、人柄を彷彿とさせます。
私の場合はそうはいかない。実際にあった事ですが、
怨念に満ちた幽霊に遭遇した時、古武道に伝わる印を結び、
呪文を唱え、九字を切り、無言の気合で消すのがやっとのことでした。
これでは今度は私が恨まれかねません。・・・・
* * *
この後、現代人の感性がなぜこれほど退化してしまったか、
そして武術修行に必須な感性とは、
どれほど研ぎ澄まされたものであるかが綴られていきます。
* * *
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