24 3月

季刊 『道』 179号より 松井健二氏 連載

◆ 最新『道』№179よりご紹介◆

 松井健二 神道夢想流杖心会主宰

<連載>
師につくし 自己を磨き 人を育てる
「五感を呼び醒ませ ― 鈍化した社会の中で ―」

・・・現代人は一見普通の人に見えてもとんでもない犯罪を犯します。
この要因は、多岐にわたりますが、偏に人にもまれて来なかったこと、
物事に対して一番吸収学習能力がある子供の時代から、
パソコンやゲーム機、携帯電話、スマートフォン等による
自分一人だけの享楽で時を浪費してきた結果、
薄っぺらな情動と判断だけで生活するようになったことに
起因する面が少なくないと考えています。

脳科学の分野では「手足を複雑に使うほど脳の使用エリアが広くなる」
と言われます。
ところが、生活上最も多様な使い方が可能な「手」だけを見ても、
パソコンやゲーム機、携帯メール等の場合、手を使っているとは言い難い。
つまり脳の使用エリアが極小のまま年をとるわけです。

結果として出所進退を明らかにできない、
正々堂々と人と対面できない、
また、卑怯な人間を養うことにしかならない
匿名性の高いSNSの多用により、人間力、包容力が培われず、
血の通った人間関係を構築することができない、
あるいは他人を思いやる気持ちも育たない、
自ら人をもてなすことが出来ない、
また人間性あるいは人格を見抜く能力もない者ばかりに
なったのだと思います。

そこでは本当の意味での人間同士の対話や議論も表面的なものとなり、
喜怒哀楽への共感も希薄なものにならざるを得ません。

百人の「メル友」より、心が通う一人の友のほうが大切ということも
知らねばなりません。
そのためには人間同士の気の波動が伝わらない電子機器に
あまり頼るべきではありません。

武術は人間を対象とするものです。
人を見抜く力もなかったら所詮浅薄なものにしかならないと
考えています。・・・・

*   *   *   *

師につくし 自己を磨き 人を育てる
「五感を呼び醒ませ ― 鈍化した社会の中で ―」 に寄せられた感想をご紹介いたします。

●取り組もうと思った『正しく見る』こと  

松井健二先生の連載記事、 「五感を呼び醒ませ ― 鈍化した社会の中で―」を読ませていただき、何を努力しようと思ったのかを伝えさせて頂きたいと思います。
今回もとても内容の濃い中、私に気付くことができました点は、

『感性を磨く努力をすること』
『人と向き合い人を知る努力をすること』
『正しくものを見ること』
『技術を磨くと共に自分の意識をコントロール出来る強さを身に付けること』
『心でもって身体の感覚をコントロール出来るように訓練すること』

 とても上級のものもありますが、先ず私が取り組もうと思いましたのは『正しく見る』ということです。
 私の今の『見る』は、メディアの録画という機能が感覚をダメにしたのか傍観者の『見る』そのものであり
『この時に全神経を集中させて見る』ということが、自分にとってどれ程難しく、全く出来ていない事なのか、杖を始めてから少しずつ気づいて参りました。
 『真剣に見る』という訓練を続けるこ とで、謙虚さを失った心から、見たいようにしか見ない、見たいものしか見ない、聴きたい事しか聴かない、都合の良いように理解する悪い癖をも、正していけるかもしれないと思うのです。

 『観の目の体現』について、『光を感じて動作しました』とありますが、とても静かで研ぎ澄まされた心身でしか感じることが出来ないでありましょう光を、とても緊迫した状況下で捉えるのには余程の自己コントロール力が必要であると思うのですが…凄いです。
  また、結界とは、神社の中でも白っぽく見える空間の事かな?と思いました。 神社の玉砂利の音は、とても身体に響くので静かに歩きたくなります。

  もうすぐ、私は岐阜を去るのですが最近周りの山々を見てとても感じるのが、『受け入れてもらっていたのだ』ということです。
この地に来て私は人々だけでなくこの自然にも受け入れてもらっていたから、このように生活してこれたのだと、そのように感じ感謝しています。

(岐阜 主婦 30代 女性)

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*   *   *   *

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20 3月

宇城憲治氏の近刊『ゼロと無限』 動画「十数人を投げ飛ばす」

以下の映像は2月25日に行なわれた仙台宇城道塾での実践検証の様子です。

5人に抑えられた人が、気に満ちた統一体になることで
自分の本来の力を発揮し、おそいかかる複数の人を次々に
投げ飛ばしているところです。

私たちは、本来、生まれながらに素晴らしい能力をもっています。

その生まれながらの力をそのまま発揮させることができれば、
このようなことも実際可能であるのです。

今、世界は熱戦の時代から冷戦の時代、テロの時代を経て、
現在は人間の智恵とエネルギーが問われる時代に突入しています。

今必要なのは消費するエネルギーではなく、新しいものを作り出す、行動につながるエネルギーです。

4月上旬に発売の宇城憲治氏の新刊『ゼロと無限』では、
人間のエネルギーをいかに取り戻し、幸せに生きるかの法則を提示しています。

謙虚=自分/宇宙=0(ゼロ)
可能性=自分/謙虚=∞(無限)

自分のゼロ化とは、謙虚になること。

謙虚になるとは生かされていることに気づくこと。

謙虚を分母に自分を分子に置くと、無限の可能性に気づくことができる。

本書では、今回の映像で紹介されたようなことだけでなく、
たとえば、がっちり組んだ100人を1人で動かしたり、
男性4人を相手にした腕相撲で女性が勝ったり、
子供が大人を倒したりなどの実践事例を紹介しながら、
不可能と見えることが実は可能であること、さらにこの可能性に蓋をしているのが、我であり、目先の欲であり、現在の常識であることを示しています。

そして私たちがいかに常識にしばられて、真実を見れなくなっているか
すなわち常識にマインドコントロールされているかを解き明かしていきます。

真実は、実践事例が示すように、エネルギーみなぎる統一体の身体を取り戻せれば不可能は可能となり、

さらに、その統一体となった人の思考、ものの考え方、感じ方も、必ず幸せの方向へむかいます。

今の自分からの脱皮を願っている方に必読の書です。

『ゼロと無限』現在ご予約受付中です。


宇城憲治著 「ゼロと無限」2,000円 (税抜)

ご予約期間中は送料無料です。

   *    *    *
こちらで、実際に体験された方の感想を紹介しています。
宇城憲治 道塾事務局ブログへ

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19 3月

季刊 『道』 179号 [連載] 金澤泰子 「あふれる真心と

本文:
~ 1月24日発売 季刊 『道』 179号より ~

<連載>
あふれる真心と愛
「争いを消し平和をもたらす翔子の教え」

(国体の開会式で5メートル四方もの大紙に
 堂々と揮毫した翔子さん。)

・・・・実を言うと、私は翔子の席上揮毫の時は
いつも不安に駆られて、びくびくしている。

翔子のあの摩訶不思議な力がいつか
途切れてしまうのではないか、
晴れ女を自慢しているけれども、もしかたら
肝心なこの時に大雨になるのではないか、
もしかしたら、もしかしたら…と私はいつも不安。

この日も台風が日本列島に近づいていて
天候が危ぶまれていた。
しかし開会式の当日は蒼い大空に細かな雲が
きらきらとして天の美しさを見せてくれていた。

私は会場の隅で、あっぱれな翔子に手を合わせていた。
翔子はどれほど平穏で無事な世界に
生きている子なのだろう。

翔子には不安がない。
大丈夫な子だ。
何度でも賛辞を送りたい。
私の娘は本当に不思議です。

かつて私は、翔子の書に力を得て救われる人が
この世に一人でもいるならば、
喜んでくれる人が一人でもいるならば、
大道でもいい、駅前広場でもいいから
大字を書かせ続けよう思っていた。

しかし今、この大舞台で何万人もの前で
しっかりと書いたことは私の願い以上の、
想像をはるかに超えた素晴らしい、
誇らしい出来事でした。・・・・

    *    *    *

このあと、翔子さんの驚くほどの“審美眼”について
母・金澤さんが語ってくださいます。

本文の続きはぜひ今月発売の『道』179号でお読みください。

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18 3月

季刊『道』179号 佐藤美南さん『ありがとう』感謝の気持ち

寄り添う心で 被災地の今  「宮城県南三陸の今」佐藤美南

「『ありがとう』感謝の気持ちを
素直に伝えることの大切さを学びました」

―― 高校生語り部「まずもって」
南三陸町志津川高校1年 佐藤美南

(佐藤さんは学校で被災。不安な一夜を友達と過ごし、翌朝家族と再会。
避難生活が始まる。)

・・・気仙沼に親戚が多くいるのですが、気仙沼の町が
燃えていると聞いた時に、母は、もしかしたら皆危ないかもしれないと、
とても心配していました。
だからと言って自分たちも被災してしまっているから
行けるわけでもありません。
本当に無事を祈るしかありませんでした。

やっと携帯電話が使えるようになった時に、電話やメールで
親戚の安否確認をしたのですが、一人だけ、小さい頃から
とてもかわいがってくれた伯母と連絡がつきませんでした。

母の姉なのですが、妹である母のこともいつもかわいがり、
母もその伯母をとても尊敬していたので、
自然と私たちもそうなっていました。

その伯母と連絡がとれない。
私は、それが本当に辛かった。
私は、「もう駄目なんだな」と、心の中で思っていたのですが、
「どこかにいるはず」という気持ちがありました。
私にとって身近な人の死は伯母が初めてでした。

本当に、もうお別れという時に、
「私はたくさんのことを伯母にしてもらったけど、
私は何をしてあげたかな」と思い、「何もしていないな」と。
私は感謝の気持ちすら伝えていない、
「ありがとう」の一言をなぜ言わなかったのだろうという
後悔の気持ちが沸き起こりました。

伯母に、ちゃんと最後には「ありがとう」と伝えたのですが、
もちろんそれに応えてくれることもありませんでした。
今でも、なぜ、あの時、何かをしてもらった時にすぐに
「ありがとう」と伝えなかったのだろうと思います。

それから私は、家族や友達に対し、心に思った時はすぐに
言葉にすることを心がけるようになりました。

私はこの語り部の活動を通してこの震災で学んだ、
「言葉にすることはとても大切なこと」ということを
伝えていきたいと思っています。・・・・

(はじめは語っているうちに
涙で話せなくなることもあったという佐藤さん。
それでも「逃げていても何も始まらない」と
語り部を続けてきました。
インタビューは、この活動を通して得たこと、そしてこれからの
夢について、続いていきます。)

     *    *    *

以上の佐藤美南さんの思いに寄せられた読者の感想をご紹介します。

・・・・一番感動して、泣いたのは、佐藤美南さんの記事のところです。 私は、あの、佐藤さんの写真を観ただけで涙が溢れてきてしまいます。 何度観ても、涙が溢れてきてしまい、なかなか、読み進めることができません。 自分は、もうどっぷりと大人なのに、何をやっているのだろう?、自分には何ができるのだろう?と、痛いほど考えさせられました。

そして、私の夢に一つ、新たな夢が加わりました。いつか私が自然栽培の農業に成功し、それで食べていけるようになったら、 できた農作物は、まず、佐藤さんをはじめとする、福島の子どもたちに食べてもらおう、せめて、食べ物だけでも、とてつもなく恐ろしい内部被曝の恐れのないものを食べてもらいたい、 私はこの福島の子どもたちの為に、私の人生の凡てを賭けてこの自然栽培の農業に取り組もう、と想いました。

宇城先生が「大河にコップ一杯の水」、木村先生が「ハチドリの一滴」と常々おっしゃるように、私はそれをやっていきたいと想いました。私には、それしかできませんから。

(岡山 農業 20代 男性)

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12 3月

季刊 『道』 179号 [連載] 松井健二 神道夢想流杖心会

~ 1月24日発売 季刊 『道』 179号より ~

  松井健二 神道夢想流杖心会主宰


「武術においても、一般の生活においても
 五感ないし六感が大切」――

このことを伝えるための導入として、
松井氏は「幽霊・霊体」についてから語り始めました。

   *    *    *

<連載>
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「五感を呼び醒ませ ― 鈍化した社会の中で ―」

・・・幽体は、宗教的修行、あるいは武術的修行の結果として
「観じる」あるいは「感じる」ことができるようになるようです。
この理解があると分かりやすい話があります。

乙藤先生の師である白石範次郎先生は博多の名刹聖福寺の
東瀛老師(とうえいろうし)と懇意でした。
ある時老師が白石先生に言いました。

「わしが切れるか?」

白石先生は「されば」と白刃一閃。
頭皮寸前で止めた。
老師は微動だにせず、「ほう、切れたのう」と賞賛されたという。

皆さんの考えなら、どうせ本当に切らずに止めるのが
判っているのだから、「切れた」もないもんだと思うでしょう。
でも、これは間違いなく切り、切られたのです。

なぜなら、我々ですら肉体から離れた幽体を打たれると
「打たれた」という感覚を持ちます。
白石先生は老師の本体たる幽体を切り、老師は切られた
という実感を持ったはずです。

ただ、このようなことは、修行をすれば体現できることですが、
無闇にやるべき事ではなく、価値観を持つべき事でもありません。

白石先生の話題になったので、頭書の幽霊の話に戻ります。
これも乙藤先生からお聞きした話です。

昔、博多に幽霊屋敷がありました。
白石先生は「幽霊退治に行く」と出かけ、その家に入り、
夜を待ちました。夜更けになると女の幽霊が出てきた。

なんと白石先生は「お前は何故出てくるのか」と尋ね、理由を聞き、
「分かった」と言って帰り、幽霊の言い分通りにしてあげた所、
その後幽霊は出なくなったと言います。
白石先生の腹の座り方、人柄を彷彿とさせます。

私の場合はそうはいかない。実際にあった事ですが、
怨念に満ちた幽霊に遭遇した時、古武道に伝わる印を結び、
呪文を唱え、九字を切り、無言の気合で消すのがやっとのことでした。
これでは今度は私が恨まれかねません。・・・・

   *    *    *

この後、現代人の感性がなぜこれほど退化してしまったか、
そして武術修行に必須な感性とは、
どれほど研ぎ澄まされたものであるかが綴られていきます。

   *    *    *

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