1月19日に亡くなられた第48代横綱 大鵬・納谷幸喜氏に、国民栄誉賞が授与されることが決まったそうです。
未だ破られない32回優勝、「巨人・大鵬・玉子焼き」と子どもが大好きなものの一つに数えられ皆に愛されたのは、ただ「強い」だけではなく、その裏に優しさ、いたわり、真の愛情があり、横綱だからこそ謙虚な姿勢を持ち続けたからこそということを、季刊『道』156号での宇城憲治氏との対談で語ってくださいました。
両氏の対談の一部を、紹介いたします。
「もう一丁! その厳しさが育てる 越える力」より
納谷 ・・・私は130キロぐらいありますが、四股では重心をぐうっと片足に130キロ乗せる。それからガーッと足を上げて筋を伸ばす。そうやって片足でバランスを取っているわけですよ。これを200回から250回やる。反対側もやる。そうしたら片方に130キロですから、両方で260キロ。それぐらいの体重の相手に来られても持ちこたえるものを作っているわけです、バランス感覚を。丸い土俵を回りながらね。すると怪我も少なくなるし。
宇城 相撲にある伝統の稽古こそが相撲に必要な身体を自然と教えているわけですね。
納谷 基礎の基本はそうなんだね。それをしっかりとやって、またぶつかり稽古で押す。下から目を見て相手に当たる、苦しくて本当に息があがりますよ、だけど息があがっている時はまだ力があるから、「もう一丁来い、もう一丁来い」と。本当に苦しいけど、それでも「もう一丁来い」と。そうやって最後の力を振り絞らせますよ。そうしたら、私も「よくやった」と。それが全部身になるわけですよ。苦しい時に。
やっぱり、しんどいからってこれでいいとやめたら、それ以上絶対上に伸びていかないんですよ。それを乗り越えていけば、出世していくわけです。
この丸い土俵が大学以上だ
何でも教えてくれる
宇城 限界を知る、知ったらもう一つその上に挑戦する。そういうことを「もう一丁来い」と言って体を通して教える場は、本当に大事だと思います。
納谷 私は相撲しか知らない相撲馬鹿です。私はよく「馬鹿になれ」と。相撲取りでいい子ぶっていろんなことに関わっちゃ駄目だよと。
お前がこの相撲社会で生きるなら、この丸い土俵が大学以上だ。何でも教えてくれるぞ、と。
「このなかに何でも埋まっている、それを掘り起こすのがお前だ」と言っている。だから馬鹿になる時も必要だよ、と。自分のプライドも捨てなきゃいけない時もあると。横綱だから胸だけ出していればいいのではなくて、頭を下げなきゃいかん場合もあるぞ、と。それを乗り越えてこそ、人は「よくぞやった」と言ってくれるよ。
最近、私もそう言えるようになりましたからね。昔はそういうことをいろんな大人が言ってくれたものなんです。ところが今、言わなくなった。だからいろんなものがどんどんどんどん廃れていく。
宇城 本当に大人がそういうことを言わなくなりましたね。ましてや歴史ある相撲の世界には厳しいしきたりがある。相撲界は、日本の縮図でもあるわけで、規範になってもらいたいですね。特に相撲のような伝統は、一回崩れると元に戻るのが厳しくなる世界ですよね。
納谷 相撲社会に昔の良きものがいろいろある。規律が厳しいからこそ、みんなが相撲は素晴らしいと言って観てくれていたわけですよ。ところが今は、相撲社会が一般社会に入りこんでいる。お客さんに来てもらうためには、いろんなことをしなきゃいけないけど、一般社会の風潮に合わせすぎたら駄目なんです。意味が違うんです。やっぱり惹きつける何かがなきゃ。・・・
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今、相撲界でも、スポーツ界でも、指導のあり方が問われています。
本当の指導とは、人を育てるとはどういうことかを、教えてくださる対談でもあります。
掲載号 季刊『道』156号(2008春)
宇城憲治対談集『大河にコップ一杯の水 第2集』にも収録されています。
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