沖縄語り部の祈り 季刊『道』174号 山里和枝さん
「今も悲しく悔しい思いばかりです。
「笑顔でいたほうがいいよ」と言われるのですが、どうしても笑顔になることはできません。」
最新号の『道』174号で、そう語る沖縄戦語り部の山里和枝さん。
当時19歳だった山里さんが体験したことは、その後の人生におけるすべての“笑顔”を奪い去ってしまうほどの壮絶なものでした。
看護助手として海軍壕へ派遣されたときの体験を山里さんは語ります。
「壕には傷の治療のお手伝いと思って行きましたら、
もう治療どころではなくて、死体の片付けばかりです。
毎日、傷病兵が亡くなります。そのまま壕に置いておいたら腐臭でたいへんなので、
死体を外に出さなければならない。
台車に死体を乗せて捨てに行くのですが、衛生兵2人が台車を引っ張っていく時に
私に「後ろから押してついて来い」というのです。
死体が落ちないようにしっかりつかんでおけと。
(中略)
死人を捨てるのはまだいいんです。
治る見込みのない人も生きたまま捨てるのです。
まだ意識もはっきりしている人をです。
「僕はまだ生きてるよ、生きてるよー! 助けてくれ、頼む頼む、生きてるよ!」と言って
扉にすがるのですけど、衛生兵はもう振り向きもしません。
そのまま引き返していくんです。生きたまま捨てられる。あんな残酷な・・・。
もう思い出したくもないです。」
生きたまま捨てられる現実、蛆(うじ)に食いつぶされて死んでいく兵隊。
その様をみて、即死することを心から願ったという山里さん。
壕の事態はその後、さらに壮絶さを増していきます。
そのなかで生き抜いてきた山里さんの言葉、
「私の思いは、沖縄戦のような戦争は絶対に二度とあってはならない、ということだけです。」
しっかりと受け止めなければならないと思います。
記事を読んだ読者から、感想をいただきました。
「”沖縄戦語り部”の山里女史のインタビューは、一度で読みきることができず、
内容の重さに耐えられないほどでした。
「壕に行くときは黒糖と牛乳をいつも忘れずに持っていく」とおっしゃる山里女史は
「どうしても笑顔になれない」ほどのものを抱えていらっしゃいます。
壕の中に数百人で住むという現実は想像を絶します。
さらに壕内の死体捨て場や、泣き声を止めるために我が子を
窒息死させなければならなかった母親のことを想うと、戦争だけは、
何が何でもあってはならないのだという気持ちが沸いて来ます。
山里女史を訪れ、教科書からでは伝わらない、戦争の重みを知る子供達のように、
実際に辛苦を経験した方々が御存命のうちに、その思いを受け継がなければと思います。」
記事の全文は、『道』174号をお読みください。
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