講座受講から1週間以上たちますが、まだ身体と心の興奮が冷めません。 今回の受講は初参加者が三割に以上居られるという事で直ぐに実技に入りました。 宇城先生は、常識が非常識になると様々な説明をしながら私達に「気」を通してく れ、不可能を可能に出来ることを体験体感させてくれました。
まっすぐ歩いているつもりなのに身体は斜めに進んでしまう。自分の手なのに自由に 開け閉めができない。大勢でスクラムを組み先生に突き進んでも横に・下に崩される。4・5人で先生と腕相撲をしても倒される。まるで空間が歪んでいるこのような体験は初めてです。
その他いろいろな体験をさせて頂きましたが、そのどれもが常識では説明が付きません。説明はできませんが間違いなく出来る私がいます。その私と普通の私。この間にある壁は?考えれば考えるほど分からなくなります。 きっと私の無意識の中に問題があり、答えがあるのだと思います。
答えは出ませんが一つだけ言えることは、私の中に隠れている潜在能力は只者ではな い事だけは分かりました。今回の潜在能力講座を通して、自身の能力を開花させたいと思います。これからも宜しくお願いします。
凄い!の一言だ。本で読んだり聞いたりするより、体験しないとこの凄さは分からない。一回目の今回は、初めての人が五人いるということで、“気とは”をサービスで多く体験させていただいた。
わたしは気を少しは感じることができるが、それを自由自在に出し入れできるのを見たのは初めてである。目が?????!!!!テン。ウン・・・・・・・・・驚きの連続である。 動きはきついけれど、楽しく、細胞が喜び、体が元気になる。
先生の話の中で、気を使うと視野が大きくなると話されていたのが耳に残っている。 成る程、視野が狭くなると問題が大きく見える。反対に視野を大きくすると問題が小さく見え、いろいろな解決策が見えてくる。
今まで頭で考え、それにとらわれていた自分の人生が見えてきて。これからどんな世界が見えてくるのか、とても楽しみでワクワクしています。
今回、潜在能力開発講座を受講させていただきました。私は500床の急性期病院のリハビリテーション室の室長を務めております。当院は2年前に全国で初めての自治体病院の合併病院であります。 開院当初は、2つの文化を融合させるのに心血を注いでまいりました。
毎日毎日が、無我夢中で帰宅時間は常に12時近くでした。私も大変でしたがスタッフも大変だったと感じています。皆、必死でした。 何とか1年目を乗り越え、2年目になりだいぶ落ち着いたきた様子となってきました。
が、何か人間関係がギスギスし始めている感じを受けています。災害時でもそうでしょうが、非常時は皆助け合って乗り越えていくのが日本という国民性だと思います。しかし次第に落ち着いてくると人を攻撃したり批判しあったりと、次第に人間関係が脆くなってくるのも国民性でしょうか。当部門もそのような、空気を感じています。ここはリーダーであるべき私が、何とかしていかないといけない、何とか職場が働きやすいものになって欲しい。 そのためにも、今まで以上に自分が変わらなくてはと思い、この講座に応募しました。
1回目は、今まで拝見したことのない参加者が半数程いらっしゃり新鮮な雰囲気でした。内容は、初心者に対応した初級編の内容でしたが、それがとてもよかったです!一つ一つ、実技の説明を宇城先生が丁寧にお話されたことが、私には復習になり解ったつもりで全然解っていなかったことに気がつきました。
講演の要旨は統一体と部分体の違いについて丁寧にお話され、特に心の在り方、日常生活をいかに心有りの生き方をするかが大事かを再確認しました。 「心の発動が技となり、形となる」 「欲は部分体で衝突を生み、人が喜ぶ行動=利他行動は統一体となり調和を生む」 これは、私のような治療者には大変参考になる言霊です。
治療においてもっとも大切なことは、対象者に喜んでいただきたい、良くなっていただきたいという真摯な心で治療を行う姿勢であり、その繰り返しが自分の治療体系を構築して行くことになるのだと思いました。誰のために、この仕事があるのか?有名になりたいために技術を磨いているのか?自分の治療で患者さんは喜んでいるのか?再度、原点に戻りたいと思いました。「ごみを拾うことは統一体への道である」 気がついてみると、2年目になり、新人も入り、また臨床実習を再開し大勢の実習生が勉強に来ています。彼らに挨拶・礼・掃除の大切さを教え、積極的に行っております。
が、私自身が掃除を疎かにしていたことに気がつきました。講座から帰って、朝掃除をしますと学生やスタッフが慌てて「私たちがやりますから」と声を掛けてくれましたが、やはり掃除は気持ちがいいものです。常にごみは率先して拾っていきます。今の私の心境が宇城道塾に初めて参加したときのような状況と同じでした。
今回の潜在能力開発講座が、再度原点に戻り純粋な気持ちで参加できました。解ったつもりで胡坐をかいていた自分を恥じ、何も解っていなかった自分のスタートにしていくつもりです。次回を非常に楽しみにしております。
今年の4月、オペラの公演に出演の機会を得ました。声楽家として年齢的にも限界に近い状態にあり、日ごろは指導者として学生に偉そうにアドヴァイスをしている私にとっては、公演に足を運んでくださるお客様、指導している学生、主催団体に対し、恥ずかしい演奏は絶対にできないというプレッシャーの中で稽古に励み公演初日を迎えました。
その数日前息子(道塾生)が帰省し、1冊の本(ゼロと無限)を「宇城先生が書いた本だけど読んでみたら絶対役立つよ、楽屋に持って行って」と置いて帰った。翌日練習への電車の中で目を通した、不思議とそれまで廻っていたいろんな思いが抜けて行った。当日楽屋にも持参し表紙を眺めていると「我欲をゼロ、謙虚」などの文言が不思議と高まる気持ちを 平常心へと導いてくれたような気がしました。
夢中で演奏し無事終了できた。息子を通じてそれまでも数冊の本、DVD等で宇城先生の事は存じ上げていましたが、 機会があれば実際に講義、実演を体験してみようと思ようになりました。 受講当日ご指導いただいた内容は本当は計りしれないほど奥深い内容だと思います。それを会得するまでの努力、誰もが会得できるものではない計り知れない貴重な内容を初めて体験する我々に分り易く伝えて下さろうとする熱意が素晴らしかった。
多くの体験の中で大半は何が起こったのよく体感できなかった。それが正直な思いです。ただ負ぶって「気」を入流してもらった時、何か分らない凄い圧力感じ、歩けない状態になった。又女性が男性を投げ飛ばす現実を見て科学では計り知れない「気」なるものの存在する事を目の当たりにした体験は大きい。「気」を流していただいたのに自分に何の変化も体感できぬことも起きた。雑念、孤立などこれまでの人生での事が子供にできる事をも阻んでいるんでしょう。何回か体験する事で全て体感できる自然体になりたいものです。
一点に集中しすぎるとすると呼吸が止まり多くの可能性をなくしてしまう。このことは声楽のいかに自然に息を流すかと言う事に相通ずると思いました。大いなる発見でした。ブレスは自然にはけたときには、自然には入ってくる。大きく吸い込むものではない。その様な連続した呼吸ができる身体の状態を知りたい。呼吸は我々声楽家の永遠のテーマです。
唇を破裂させたときに入ってくる息はドイツ語の最後の子音をうまく処理できて入ってくる息に似ていた。次回このことを個人的に質問出来たらと願っています。自然にという言葉をどういう状態が自然であるかを実感、体感出来たらと思いました。心、感謝、生きて、生かされてを通じて先生の問われる真実を見極める力を養えたらと思い2回目を楽しみにしています。
初めて受講いたしました。ご著書を一通り読んで、頭では「なるほど、そういうこともあるのだ」という感じで なんとなく納得したつもりで参加いたしましたが、「気」によって、常識からは考えられない動きを目の当たりにし、また、 自分に気を通していただくことで、先生と同じことができてしまうことに 驚きと感動の連続でした。仰向けで寝転がり、くの字に曲げた足の上に先生が乗ったのですが、重みは確かにあるのに、全く痛くありませんでした。
しかし、その次に、「では気を抜いて乗ってみます」とおっしゃってから乗られた時は、思わず悲鳴を上げてしまうほど痛かったです。どちらの時も乗る前の先生のお顔を見ていましたところ、気を通した時の先生のお顔は、柔和であたたかく安心感がありました。
しかし痛い時のお顔は、同じように笑顔なのに、何か自分の中に警戒するような感覚がありました。先生のお話では、痛くなるような乗り方のときは「人に乗る」という意識で乗り、痛くない時は「普通に地球に乗っているのと同じ」という意識とのことでした。自分の中でもその意識をなんとなく感じていることに気付き、それは普段、人と人が接する時に 警戒したり安心したりする感覚と同じなんだな、と思いました。
つまりそれは、自分の想念が、気として瞬時に周囲に撒き散らされている、ということなのだ、と改めて気付き、思いというものが如何に大切かを痛感いたしました。また、気によって、たちあがれなくなったり、動けなくなったりという体験をしましたが、この時の感覚は、物理的に立ち上がれない、というよりも、立ち上がろうとする気力がなくなる、という感覚でした。(マンガによくある「ヘナヘナヘナ・・・」となってしまう感じです) その他にもさまざまな体験をさせていただきました。
いろいろな実験をしている途中で、何度か、 自分の身体が一回り大きくなったような感覚がありました。 特に肚のあたりから足までが、周囲の空気と自分が一体になっているようで、あたたかくどっしりしていながら、軽やかでもある、という状態で、大変心地よかったです。いつもそのような状態でいられたらいいなと思いました。先生は、空手を極めた方ということで大変厳しい方ではないかと お会いするまでは緊張しておりました。
しかし実際の先生は、やわらかく、楽しく、おおらかで、このことにもビックリしました。人には誰にも大きな可能性があることを、身体を通して知りました。そしてまた、その可能性を開くのに、広い視野を持つことがとても大切だということが 今まではただ頭の中で「広い視野をもつべし」と呪文のごとく思っていましたが、そうではなく、感覚として、広い視野の重要性を感じることができました。受講して本当に良かったと思います。次回も大変楽しみです。それまでに呼吸法をできるだけマスターしたいと思います。
お世話さまになっております。昨日参加させて頂き、又々新しい感覚を味合わせて頂くことができました。 年を重ねて参りましたが、恥ずかしながら世の中のことに疎く、何事もあまり気にかけること無く過ごしてきてしまいました。3・11以降 遅まきながら世の中に矛盾の多くあることを感じておりました。
それまで専業主婦をしておりましたが、あることで仕事をはじめ多くの方々に接する機会を得ることで、 「世の中の常識は常識じゃない」ことを知り、そこが糸口となりいろいろ知りたくなっておりました。 いろいろ本も読んでみましたし、言葉では気、無意識などとでてきますが、なんだかある様な、ない様なつかみどころがない状態でおりました。
どうにか知りたい、とっても知りたいと思っておりましたところ、今こうしてご縁を頂き、気のこと、無意識のことを含めいろいろなお話、実践を通して教えて頂けますことがとても新鮮であったり、確認であったりし、心わくわく参加させて頂いております。こうして学ばせて頂きますことを、小さいながらでも私なりの伝え方をさせて頂けましたら、少しづつでも変化が起きてくるのではないかと思っております。先づは子供、孫にこの場で学ばせて頂いておりますことを伝えていきたいと思っております。ありがとうございました。