2016年 東京初級(前期) 第4回 (2016.4.26)

頭で考えるのではなく行動を起こしてみようと思います   千葉 学生 19歳 男性 TO

 どう塾に参加させていただきありがとうございました。今回も、実技では宇城先生に自身の身体が引き寄せられる『引力』を感じたり、気を通したら身長が伸びていたりなど驚くことばかりでした。
 中でもエントロピー増大の法則についてのお話しはとても考えさせられるものでした。
 90℃の熱湯は放っておくと20℃に温度が下がってしまう。20℃に下がった湯は90℃に上昇することはない。
 どう塾で宇城先生に気を通していただき『調和』や『統一体』の強さを教えていただく度に私は『統一体』になるにはどうすれば良いのかと頭でばかり考えていました。しかし、それでは日がたつにつれ温度はどんどん下がってしまいますし、頭で考えていては何時までたっても『身体能』のスピードに追いつけません。90℃に保つには頭で考えるのではなく、思ったこと・感じたことをすぐに行動し実践してみるというエネルギーが必要なのだと教えていただきました。

 次回のどう塾まで温度が下がらぬよう、頭で考えるのではなく行動を起こしてみようと思います。
 今後ともご指導のほど宜しくお願い致します。ありがとうございました。

 

先生の生きざまを感じたり、学べる我々はとても幸せ   東京 経営者 36歳 男性 HO

 宇城先生、スタッフの皆様、先日も大変大きな学びをいただきまして有り難うございました。「生きざま」についてこれほど考えさせられたことはありませんでした。頭で考えるだけではなく、いかに行動で示していけるかで、オーラや人からでる何かが変わってくるという大事なことを教わりました。「生きざま」を示せる大人は、子供もそれをみて影響を受けると思います。それが本来の教育なのではないかと思いました。

 宇城先生の生きざまを感じたり、学べる我々はとても幸せと思います。世界最高峰の先生から直接教えを受けられるのは、限られた人生にとって最も貴重でありがたいことなのですから。宇城先生は、わたしたちには想像のできない高みにいらゃしゃっいますが、いつも穏やかな眼で、ときには真剣な眼差しで、なかなか進歩しない私達に、ユーモアを交えて楽しく教えてくださいます。何度も何度も私達が「気付く」までご指導くださる姿に頭が下がるばかりです。「学べば学ぶほど、謙虚になっていくのが本当の学び」という言葉も印象的で、今のスポーツ界とは、真逆の方向性では?と考えさせられました。
 私達がやってできないことを、先生は100%の確率でいつも実際にやってみせてくださいます。また先生から直接、自分ではできなかったことを、「できる状態」に瞬時に変えて、「写す」ことをしてくださる指導の「深さ」を今ごろ気づきはじめたというほど未熟ですが、何度も講義を聞いて、「写して」くださることで、薄皮を剥がすごとくではあるものの、細胞が記憶して、元々生まれたときに持ってた状態記憶を呼び戻したい!近づいていきたい!とワクワクしています。深い学びに感謝しております。

 

2回目、3回目となると受け止め方が異なって来た   東京 無職 63歳 男性 HF

 今回は4回目の受講となり、これまでと異なる発想の転換がありました。
 今回の講習でおこなった検証の中には、これまでの3回の講習で行った検証と同じ系統のものがいくつかありました。初回目は、“わぁすごい!なぜ?”と驚いていたのが、2回目、3回目となると受け止め方が異なって来たように思えます。初回に、素直に驚くというステップから、もう少し理解を深めた考察へ進めるようになったように思います。“この検証は前にやった”というのではなく、同種の検証を何度も繰り返すことが理解を深めていくうえで絶対に必要なのだということに気が付きました。

〈実技での検証から〉
①ペアでの検証。相方さんに後ろから腰回りを抱え込まれた状態から気で相手を振り払う。
 この検証は取り掛かる前から“多分できる”という予感がありました。実際、相方さんを左右に振り廻せました。“対立してはいけない”という心構えで脚腰廻りをゆったりと回転させたように思います。
 前回、四つん這い態勢を抑え込まれた状態から前進する、という検証で、力づくで前進しようとして失敗しました。これを反省し、“対立してはいけない”を教訓としました。 ただ、これは先生から気を通してもらっているから出来たことで、先生からのサポートが無ければ、先生がよく仰言る“腑抜け”でしかなかったかもしれません。でも、出来る予感があり実際できた、というのは一歩前進のように思いました。
(第3回の講習会で、正座の状態で相方さんに両肩を押え込んでもらう。この状態で肩を揺らす検証。というのがありました。この検証で、相方さんを右前方へ投げ飛ばしてしまったのですが、この検証はまだ信じられません。自分のやったことが全く理解できないのに出来てしまう、あるいは、出来る予感が無いのに出来てしまう、というのは、やはり克服しなければいけないと思いました)。

②先生の周りを全員が取り囲む状態から、全員が回転させられるという検証。
 私はこの時、踏ん張り過ぎて、足裏と絨毯の間での摩擦熱で軽いヤケドを負ってしまいました。足裏を通じてこの検証を躰に焼き付けた、と言っていいかも知れ ません。 この検証は何回か参加してきましたが、いつもアンドロメダ大星雲の渦巻きを連想します。『道』188号の中で、先生は、「気」はある面、大宇宙の重力と重力波に対して、小宇宙での重力と重力波ともいえるのではないかと思っています。と書いておられます。アンドロメダの回転も、先生の周りを回る塾生の回転も、回転する原理は同じなのかもしれない、と思いました。

③中腰の形で手のひらを上に向け開くと 揺らがない。
 手の平を握った場合と、上に向けて開いた場合とでは揺らぎ方が全然違いました。 日常の動作にも応用できるかと思いました。サンチンの構えの中にもこの原理が生かされている、というように先生は説明されたかと思いますが、申し訳ありませんが、この個所はよく聞き取れませんでした。

④相方さんに後ろから肘をつかんで上方へ体を伸ばしてもらう。背が伸びる。
 前にこの検証と似た、腕が伸びる、という検証がありました。よく考えると、気を通ずることによって腕が伸びるとか、背が伸びる、というのは、相対する闘争場裏において、相手を制するための最重要の術技の一つなのではないか、生死に関わる術技なのではないかと思い至りました。

〈先生の講義から〉
“本棚”、“みかん箱”、“人間”。これらの本質は“棚”、“箱”、“間”であること。
 先生は、このテーマをこれまでの講習会でも語られ、そしてまた『道』188号の中でも述べておられ、このテーマについて、私ども塾生はよくよく理解しなければいけないと思いました。この“間”の中に、先生が何を観ておられるのかを察するのはとても難しいです。“気”を操ることのできる先生の内面を察するのは無理、と言ってしまえば身も蓋もないのですけれど。“間”の前にある文字“人”だけを取り出すと“人-主義=ヒューマニズム”になるでしょうか。ヒューマニズムというのは抗し難(がた)いスローガンの観がありますが、私は前々から、どこか欠陥のあるイデオロギー、ないしはスローガンと感じていました。理由はありません。単なる感覚です。
 先生が述べられる、「人と人との間、関係こそが大事なのであって、・・・だから人という生命体だけの存在では孤立し、あるいは自己中心になりかねないし・・・自他共存の関係が築けず人間として成長できないということにもなるわけです。」 というお言葉を手掛かりに、自分なりに考えを深めていきたいと思います。