「プラス思考、マイナス思考というのは意味がない。末期がんの患者にプラス思考になれと言っても、なれるわけがない。」 という宇城先生のお言葉にはたと膝を打った。私は教師だが、今教育界では「否定的な言葉は使わず、代わりに肯定的な言葉で言い換えてみよう」が大流行りである。 私が教室に「卑怯な真似をするな」と書いて張ったところ、管理職に批判された。
しかし言わなければならないものは言わねばならないし、成長するためには今の自己を否定しなければならない。その際にはどうしたって否定的な言葉を使わざるを得ない。前回同様、これをすれば良いという答えはないがやれることはたくさんある、と気づかされたのは 「欲がある人間は魅力がない。が、欲を取り去ることは難しい。だから人が喜ぶことをしたらよい。それは視野を広げることにもつながる。
なぜなら何をその人は望んでいるのかよく考えるようになるから。」 という先生のお言葉である。○○してあげた、~~してくれない、という考えが頭をよぎる度に、このお言葉を思い出して戒めたい。今回の受講でも、得るものはいくつもあった。しかしながら一方で、挫折感というか敗北感を味わった。今までは、すごい人を見たときに「自分はまだまだである。努力をしなくては。」と謙虚になり、前進する力を得ていた。
ところが第4回目の受講後は、あまりの自分のできなさにあきれ、自分の人生はくだらない、 と思うようになってしまったのだ。自分とは何か。大きな課題を課された。数日経ち、この状況で良いと思えるようになった。生物は危機的状況にあるからこそ進化することができる。今までは現状になんとなく満足していたから私は変われなかったのだ。ご指導ありがとうございました。
北海道 プロゴルファー 男性 59歳 KS
書くことが苦手で毎回感想文が遅れて申し訳ありません。私のわがままと創造力のなさに自分が情けないです。 ただ毎日、正座、座礼、お辞儀などを続けています。少しづつ身体にまっすぐが入って来ているような気がします。気が通ってないと1人も倒せないのに、気が通ると10人かかっても 次々と投げ飛ばしてしまうことを目のあたりにして、改めて気のすごさに驚かされました。毎回、気は心、愛、欲を捨てることなどで潜在能力が引き出されるというところに行きつきます。今回、欲を捨てるのは難しいので、人を幸せにすること、人の喜ぶことを毎日 少しでもいいからやりなさいというお話がありました。肝に命じて謙虚に生活していきたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。
各種スポーツ界の大御所として活躍する著名な人物達ばかりのみならず、職業や年齢も地位や立場も関係なく、それぞれの各世界で世間的にも名の知られた一流どころの人達、また各種色々な団体の多数の方々に至るまで部分体と統一体とでは まるで桁違いの相違が有る事実を指導し進歩向上させる方向に導き、 交流を通し体験自覚させ更なる深みへといざない更に更に進歩向上への道を示唆成長を促し、日夜渾身の努力を続けている宇城先生、一体寝る時間が何時あるのだろうかが心配になるのは、決して私一人では無いハズと思います。
私は少し耳が遠いようで講演の話の半分位しか理解出来てないところもありますが、実演では熱も入ってきて声もハッキリ聞こえ身体検証にも少しずつ参加出来て理解度が段々深まってきました。気はタダ(無料)だから…と、ユーモアたっぷりに笑みを浮かべながら説明され、身体検証を通して身体が極端に重くも軽くも弱くも強くも変化する事を学び、決して裏切らない逃げない心と身体を繰り返し体験を重ねながから、 一人一人に気づかせ進歩成長向上へと根気よく導いてくれる器の大きさ心の広さ熱意に感激、頭が下がります。
宇城先生の動きの俊敏さには改めて感動、DVDや動画で凄いと感動していたのですが、 間近でホンモノの生身の動きを目の前で拝見し「速すぎ~これじゃ誰も敵わないハズだ…!」と改めて感動、これが還暦過ぎ60代半ばのかたの動きナノか…!間に入るなどという事実をもっと若いうちから知り得る事が出来ていたならなぁ…と惜しく思いつつも… 死ぬまでにおおいに楽しみながらも頑張っていれば半歩でも一歩でも真似事でも 少しは出来るように近づけれるかも…と、宇城先生と同じ会場の空気を吸えただけでも光栄に感じている。
終了間近に気を入れられた一人に別人が触れると簡単に倒され、またその倒された人に他の人が触れるとまたまた簡単に倒されるという気の連鎖、不思議なモノだな~と思いながら楽しくなって笑ってしまっていた「それだけでも無料の治療…」と笑む宇城先生、帰り道はやはり偶然でない…いつものように体中が軽くなって爽やか、まるでマッサージかなにかの治療でもして貰った後のように心地よく、気持ちまでも晴れ晴れスッキリ、とにかく気ってよくは解らないけどホントに凄いモノだ!!!人を心の底から幸せにもしてくれる。次回もおおいに楽しみです。
今回の受講では、倒れている人から気が伝わり触った人が、次から次へと倒れて行く技を見て、改て気の凄さを実感しました。宇城先生の受講では、いつもながら凄いと不思議が、頭の中で交錯している状況です。 道塾の二時間が、まるで魔法の世界にいる様な感じになるのは、自分だけでしょうか!?道塾が終わって帰宅後、現実に戻って行く自分が情けなくなります。だけど嘆いてばかりは、いられませんね。自分も身に付けなくては… 先生のおっしゃる調和の心を日々実践していくしか無いのです。そして先生がネットワークを造ると言う志しに感動しました。 自分は何の力も有りませんが少しでもお役にたてる様に毎日を修行したいと思います。
先生の肩を何度かジャブを出す様な形で全速で取りにいきましたが、掠りもしません。そのまま、訳のわからぬうちに投げ転がされ、顔をあげるともう目の前で先生が残心をとられていました。そして「遅い。」と一言。先生からすると僕はどれだけ遅く、漫然とみえることでしょう。せめて、遥か先を突き進んでいる先生を見失わないように、日々、瞬発力で事にあたりたいと思います。そして、次回の道塾では成長した姿で臨めるように意識していきます。どうもありがとうございました。
今回最も心に刺さったのは、ビビってすぐ逃げようとする、そういう子どもにしてはいけない、と先生がおっしゃった言葉です。 子どもを叱ろうとして手を上げる、その手を真っ先に避けようとする逃げ腰の姿勢…。 子どもたちもさることながら、自分はどうなのだろうか。常日頃、生徒たちとその保護者の方の姿を見ていて、「親は子の鏡、子は親の鏡」は本当だな、と思わされます。前期の道塾でも教えて頂いた通り、指導者の心がけや姿勢もまた、生徒たちに映されていくのでしょう。怖いことです。
…道塾に通い始めて10ヶ月。無意識のレベルを上げるべく、日常の鍛錬に気にとめて生活するうちに、 理想からは程遠いながらも、ほんの少しは変化しているような気がします。気づくと気を抜いている自分がいて、まだまだなのですが。このことに関連して指導者は自身の人間の器を大きくする努力も してくべきであることに気づかされました。器の大きい指導者は遠い先のこと、広い視野で指導することができる。本当にその通りです。自分の理想の形を思うと気が遠くなります…が、千里の道も一歩から。一歩一歩歩くしかないですね。
最後に、やはり「気」の威力を今回もまざまざと見せつけられました。 「気」を入れて頂くだけで、自分の視線や行動が見違えるほど迅速になること。「気」を入れてもらった人が次から次へと向かってくる人を、まるで映画や芝居の主人公のようにはねのけていくこと。 凄いです。そして、そんな能力が潜在的に自分にある! 開発していかない手はないですね! 気が遠くなっている場合じゃぁない!
いつもありがとうございます。気で倒された人間が、今度は他の人間を倒す検証では、先生が「頭を切り替えるな切り替えるとそこで気が途切れる」 と話されていた事が印象に残りました。先生の話しを頭で考えて理解するのではなく、そのままに受け取るという事が如何に大事か。そして普段から自分が頭でばかり考えている事を改めて感じました。
自分の所で気が途切れると自分のあとに続く人にも気が届かなくなる。日常生活においても自分のあとに続く人間を潰してしまう事につながる。気を通された人間が他の人間に気を通してなげることができる。そこに勝ち負けはない。道塾で学んだことを自分の日常に持って帰り、周りに影響与えるこの事が一人革命になる。
また、1人の人間を3人の人間が後ろから支えるている状態で 前の人を押して倒すという検証では 「押すな。押すと自分の我がでる」と言われていたのが思い出します。ほんの少し力が入っただけで自分の我がでて、統一体からほど遠くなり相手は倒れなくなってしまう。我を削り欲をなくすことがとても難しく、大事だという事が体感できました。今回も政治・経済・今の日本が置かれている状況など、さまざまな話しを聞くことができ大変勉強になりました。 正直な話やっと道塾生としてはスタートラインに立てた気が致します。今後とも御指導のほど宜しくお願い致します。
昨日は、いつものように何か一つの言葉としてこれを覚えて帰ろう という感じではなく、全体的に「なんか大丈夫」と思いました。ここ最近、なんとなく不安で自分が取り組むべきものに取り組めずにいて、どこか何かから逃げているようなそんな感じでした。取り組むべきことがなんなのか、それもわかっているのに出来ないのではないかと勝手に不安になって動けなくなっていたと思います。昨日の道塾で、ただ一生懸命やるだけだと思いました。まずは動くことなのだろうと思います。私の場合、漠然とやらなければならないと思っているところにすごく時間がかかります。行動すること、まずはやってみようと思います。来月もよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
第4回東京初級後期の講義を受けたのですが、今回は体の変化以上に心の変化を感じる事ができ驚きと気の奥深さがありました。今回の講義の翌日に転職先の面接があり、行きの電車では不安な心がよぎっていましたが、講義を受けた後では地に足がついたようになり不安よりも楽しもうと思えるようになっていました。また当日の面接も適度な緊張があるだけで、とても落ち着き、周りをみる余裕があり不思議な体験でした。体の変化だけでなくら、心の変化を感じる事ができ、これからの人生に役立つ経験を積む事が出来ました。
今回の道塾では言葉にできないエネルギーをたくさん頂きました。自分の欲、肩書きを捨てることができて、受講後にはとても素直になれた自分に驚きました。これからの一ヶ月でこの気持ちがまた悪くならないように心がけます。そのためには「人の幸せを第一優先にする。人が喜ぶ事をする」 「我欲を捨て、謙虚になる」事を実践していきます。器を大きくして、もっと深い 世界、事柄を理解できる人間になりたいです。そしていつか学んだ事を子供、周りに伝えられるような人材になり、自分の意識や常識が変われたように、他の人々が気付ける機会を生み出していきたいです。
真面目や誠に尽くすことはとても良い事ですが、奴隷にはなってはいけないと認識しました。自分で学び、自分で考え、深く学んでいきます。そうすれば、ごまかし、隠蔽に惑わされず、本質を見抜ける人間になれると気付かされたからです。そのような人間になる為には、無駄なことをしている時間が無い事にも気付かされました。 そしてスピードを疾くしていこうと思います。
今までの自分は欲や恥、不安が邪魔をして、行動が遅かったです。自分の行動を信じて、最後まで責任をもってやりきりたいと思います。迷った時は「人を喜ばす」事を心がけます。 「気」の力には何度実感しても驚くばかりです。人が机の上に乗り、先生が気を通すだけで机自体の重さ(重力)が重くなったり軽くなったりする。一瞬で無力化されて倒される、けど倒された後も人を投げることができる。先生ではない素人でも気を通されると、合気道の達人でも出来ない事が出来るようになる。このように重力も操れる「気」が受け身をとったり、欲が出たり、対立したり、 頭で理解しようとすると直ぐに消えてしまう事も不思議でした。
従って、受講中は頭で「なぜ?」を理解しようとするとたちまち置いていかれるので、気を貰い続ける為に身体と心を全開にして、目の前で起こった事に素直に感動し、変化に気づき、先生の教えを「写す」ように自分の身体にとりこむ様にいしきしました。すると、受講後、「気」のおかげで腹がすわったような感覚を得ることができて、本当に嬉しかったです。「気」という存在、潜在能力に気付かせて頂いたき、本当にありがとうございます。深く大きな存在に少しでも近づけるよう、潜在能力を引き出せるように心を改めて謙虚に過ごします。今回は本当にありがとうございました。たくさんのエネルギーをありがとうございます。