2017年 仙台 第2回 (2017.5.13)

活気あふれる充実した時を過ごさせていただきました   
                               岩手 特養老人ホーム施設長 66歳 男性 NN

 今回の道塾のテーマは、「人間の可能性」でした。  
 私達の住む世界には、目に見えるものだけを信じようとする人達と、目に見えるものと目に見えないものとが混在してこの世が成り立っているんだということを理解している人達で成り立っているのではないかと思っています。 
 前者の目に見えるものしか信じようとしない人達は、人間の可能性を高めるには筋力等の向上が不可欠だと信じて、筋トレ等のトレーニングに励むことによって人間の可能性の向上を図ろうと努力します。一方後者の、目に見えるものと目に見えないものと合わせて考える人達は、筋力による可能性には限界が有り、目には見えない未知の(気等の)エネルギー等を取り入れることにより、人間の可能性は無限大に広がりをみせることを理解している人達です。道塾生は後者に当たると考えます。  

 今回の仙台道塾の内容もテーマにふさわしい内容の数々で、「ワクワク」しながら時間の過ぎるのが惜しい位の活気あふれる充実した時を過ごさせていただきました。  
 具体的内容の一つとしては、「正座」の仕方を教えていただきました。江戸時代の武士は正座をこのようにしていたんだと、新たな発見をした思いでした。  
 もう一つは、「仙骨を立てる」方法でした。今までは仙骨を立てるとは、背筋を真っ直ぐに伸ばして立つことだと勘違いをしていたことを初めて実感しました。  
 仙骨を立てるトレーニングをしてみて思ったことは、仙骨を立てるトレーニングの姿勢がライオンや虎などの四足動物の立ち姿にそっくりだなと思ったことでした。だからライオンや虎等の動物は特にトレーニングしなくても、仙骨が立った状態の姿勢で日常の生活を送っているだけで、常にあれだけのパワーを生み出せるのかと合点が行った思いでした。  
 それと見せていただいた、呼吸法だけで相手を崩す方法など、先生の言われた、「この上の上が有る」という奥の深い技法の数々、どこまで奥が深いのか私達には想像もつきませんが、これからも道塾や合宿等を通じて先生の足元に近づくよう努力したいと思っておりますので、今後とも良きご指導のほど切にお願い申し上げます。

 

 

師とそこに集う仲間たちに出会えたことは本当に幸運   北海道 市職員 43歳 男性 TM

 正しい正座を行うことにより体が強くなるという実践が非常に印象に残ったとともに、このことをもっと深く掘り下げて考える必要を感じました。

 道塾に来る人々は皆きっと、現状に満足することなく自らを向上させようという意志をもって来られているのだと思います。私も同様ですが、宇城先生というものすごい先生から学ぶことにより、何かを得られるのではないかという甘い考えや期待があったことは否定できません。

 正しい姿勢をすると体が強くなるという考え方は実は考え方が逆で、先人たちは自然と調和することにより、それこそ自然にそのような姿勢を身に付けたのだと思います。

 「これをすれば上手くいく」というような考え方の底には「なるべく楽をして自分だけ良い思いをしたい」という自分でも気づかない欲が含まれており、その根本から叩き直す必要を感じました。欲 をベースに行動しているがために、その行動は必ず誤った結果となり、また無知であるがためにその理由も分からないというのが我々凡人の人生です。

 先人たちが自然法則から自然な姿勢を身に付けたのであれば、現代人である私たちは逆に自然な姿勢から自然の法則と心のありようを学ばないとならないと思います。そのことを可能とするのが師の存在であることを痛感しました。

 宇城先生がなされることは、余りにも想像の域を超える次元にあるので、「師」と呼ぶには畏れ多く自分など弟子の資格はないと思い込んでいましたが、空手に入門しなくとも、自分が師だと思えばその時点から即ち師となることに気付きました。

『天狗芸術論』にも月は「光を分けて水にあたふるにはあらず。 (中略)月において加損なし。」 とあります。月は初めからそこにあり、それを映すかどうかは映す側の心次第です。
 宇城先生という師とそこに集う仲間たちに出会えたことは本当に幸運としか言いようがありません。このような機会をいただき本当にありがとうございました。

 

 

先生の教えを常に念頭において生活していきたい   埼玉 教員 40歳 男性 TS

 先日の仙台道塾では、正しい正座の仕方を教えていただき、ありがとうございました。  
 宇城先生の正座は、脚の間に紙を挟んでも抜けてしまうほどすぐに立ち上がれる状態になっており驚きました。先生のように仙骨を立てすぐに動けるような正座ができるようになってからが本当の修行が始まるということを肝に銘じ日々鍛錬していきたいと思います。しかし、正しい正座をしようと思い、日々心掛けて取り組んでいますが、上手くいきません。踵とお尻を離して正座しようとすると太ももが辛くなり1分間も姿勢を保てません。自分の正座が全くできていないことがよく分かりました。自分なりに研究して、正しい正座を体得したいと思います。  

 四つ這いになり、ライオンのように腹の力を抜いた状態から仙骨を立て、立ち上がるという実践では、延髄から仙骨までが1つに繋がったような感じがしていままでにない気持よさを味わいました。常に腰にあった違和感、痛みも一瞬で良くなりました。凄い事を教えていただきありがとうございました。  
 事実が先にあるという先生の教えは、日頃の自分の行動を振り返る上で重要な教えになっています。私は事実よりも先に理論を信じてしまう悪い癖があります。信じる理論も事実を自分で確かめることをせず、知名度の高いものを無条件に取り入れてしまうことがあります。しかし、宇城先生と接しているとそうしたことの間違い、愚かさを強く感じます。自分が間違った方向へ行きそうになる時ストップをかけてくださいます。悪い癖が出てこないよう先生の教えを常に念頭において生活していきたいと思います。  
 ありがとうございました。

 

 

濃密な時間で瞬間瞬間が気づきでした   東京 会社員 26歳 男性 SM

 宇城先生、ご指導ありがとうございます。大変ご多忙の中、貴重な機会をいただきありがとうございます。非常に濃密な時間で瞬間瞬間が気づきでした。

 本来の正座が持つエネルギー、そしてその究極とも言える宇城先生の気の凄さに感動しました。正座は何かあったらすぐに立てるように、いつでも次の行動に備えている姿勢で、かつ必要なエネルギーを蓄えていることを示してくださいました。仙骨を前に押し出すように、またへその下からすっと前に落とすようにすると、上から押さえられても難なく立つことができ、相手とも調和できました。これほど大変な力を持つ姿勢であるにも関わらず、学校教育では正座を教えずに体育座りで弱い体をつくっていて、逆に正座をさせたら体罰と言われます。常識というものがいかに間違ったものであるかを感じます。悪意によって作り出された常識に洗脳されているのが現状だと感じざるをえません。

 宇城先生が正座をされると、列を押さなくても、正しい姿勢と礼で、すでにもう相手と調和して勝負がついて倒れています。人間の持っている無限の力、そしてそれをはるか高い次元で体現されている宇城先生の姿に鳥肌が立ちました。
 人間としての本質がそこにあるのだと先生はおっしゃいます。10年、30年と重ねると見えなかったものが見えてくるとおっしゃっていたこと、それが私たち塾生にとって希望であり、それを示してくださる師の存在が大変ありがたいことです。その変化のための一歩を踏み出し、希望をもって続けていくことが大切なことだと思います。

 宇城先生にご指導いただいていることを、自己中心的な見方で部分的に解釈・利用する、ということに意味はありません。根っこの本質の部分に気づかせていただいているのにも関わらず、自分の欲やプライドに囚われて、どんどん違う方向に行ってしまうのは悲しいことです。
 学ぶ土台ができているか、というお話にもありましたが、まさに自分で気づき、自分を変えていくことでしか、先生の教えを実践したことにならないと感じます。情けないことにこの1週間は、仕事の中で自分のふがいなさを感じる機会が多く、迷いがあることなども手伝って、不安定な気持ちがありました。頭で同じようなことをずっと考えて身体が止まっている状態だったと思います。大変元気をいただきました。
 自分自身に余裕がなく不安になり 、不安で元気がないと周囲の方にも気を遣わせてしまいます。逆に自分が、周りの人を元気づける、勇気づける人間になりたいと思いました。そのために正しい姿勢、特に正座を身体で繰り返し、身体から変化させてまいります。日常の中にいくらでもヒントやチャンスは落ちており、生かすも殺すも自分次第と思います。精進いたします。ありがとうございます。

 

新たな一歩を積み重ね、自分の変化成長に繋げたい   福島 地方公務員 48歳 男性 HO

 今回も素晴らしいご指導をいただき誠にありがとうございました。

 今回のテーマは「人間の可能性」でありました。これは、これまで宇城先生が一貫してご指導してこられたテーマでありますが、今回は身体にスーッと染み込むような感覚がありました。
 車はガソリンを燃料として走る。生命体は食物(命)を食して生きている。ガソリンも食物もエネルギーに変換されているわけですが、人の場合、行動するエネルギーは心から発生しているのだと思いました。その心を創るのは、頭脳ではなく身体であることを、我々は宇城先生のご指導を通して気付かせていただいております。
 しかし、我々は自分に自信が持てず、内面がぶれているため、答えや拠り所が欲しくて、自分自身が理解できる範囲の些末な点に執着し、貴重なご指導をただの自分勝手なハウツーに貶めてしまっているのではないかと感じました。

 大切なことは、自分自身の我を捨て、謙虚になり、師に身を委ね、ご指導の本質に触れること、そして気付くことだと思います。

 宇城先生は本質をお持ちになっておられるからこそ、武道やスポーツのご指導ばかりではなく、技術開発や企業経営、人間教育といったあらゆるカテゴリーで自由自在、縦横無尽に行動できるのだと思います。本質は全ての事柄に共通する真理。それを体現されている宇城先生の姿は、我々にとってまさに希望であり、自分も宇城先生のようになりたいという心のエネルギーが湧いてきます。
 このエネルギーを持って、今この時から新たな一歩を踏み出して参ります。新たな一歩を積み重ね、自分の変化成長に繋げたい 、命ある限り師の思いを実現できるよう前に進みたいと思います。
 これからも厳しいご指導をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。