2014年 仙台 第4回 (2014.12.14)

気の世界は人間の可能性を無限に広げている   宮城  会社員 57歳 男性 HK

 今回のどう塾、講義のあと最初に先生と5-6人が対峙して行う腕相撲の実技がありました。これはこれまでも見せていただいている実技の一つなのですが、その中でまた新たな気づきの感覚を持つことが出来ました。
 先生は腕相撲をしているのですが、決して合わせた手のひらを通してしているわけでないようです。その接触している手のひらのところに心を奪われてはいけない、もっとこちらの手が進むべき空間に意識をもっていかなければいけないと。
 物理的な力と力が衝突する手のひらの部分に意識を合わせると力の行為になってしまい力対力の衝突の世界に嵌ってしまう。そうではなくて、この手をすでに実現しているかのように、先にある空間に手のひらを持っていくという観点でとらえるのだと。先生以外に人がやると、どうしても力でやろうとしてしまいます。そしてそれをやろうとすることで、一人側のひとにとっては1人対多数の状態をまさに手のひらから感じて、同時にこれは押し返すのは無理だなとあきらめてしまう。実際大勢に押さえ込まれた手はビクともしないようです。そしてそれと同時に今度は多数側の押さえている人たちにも、力で一人の側の人がやろうとしていることを感じでそれは無理でしょうということがすぐにわかってしまう。しかし先生がやるとその感覚が持てない。
 先生は力ではなく、力ではない別の次元でその腕相撲の場を捉えているようです。このことを時間のスピードが違うのだとも言われました。時間が早いか遅いかという違いとして捉えている。そして押さえ込まれている手のひらを見るのではなく、それを返してしまった状態(それはつまり大人数側がひっくり返されるということですが)としての空間、あるいはそのような状態をすでに見ている、あるいはそこにただ持っていくという意識がある気がしました。すでにある、あるいはできているという時間的には未来を見ているような意識の感覚です。

 このような腕相撲でみせられたような不可能を可能にする能力。それは仕事をする能力としてのエネルギーと言い換えられます。他の実技でも、一人対多人数でその力ではないエネルギーの世界を感じました。気が通った状態の一人を皆が次から次へと押さえにかかるがそれは跳ねのけられる。それではと皆が一気に押さえにかかる。10数人に押さえ込まれた状態となる。しかしそこからその集団を押し返すように跳ね除けてしまう。
 このような 多くの相手を押し返すというのは、大きなエネルギーが必要でしょう。個人の肉体的な力では無理です。でも現実にできている。そのエネルギーはどこから供給されるのでしょうか?それは決してはねのける人の筋肉からではなく、先生の言う調和のエネルギーということになるのでしょうか。そしてそのエネルギーの源泉はどこにあるのでしょうか?筋肉のような肉体からでないとすれば、それはもう別の世界。例えば飛躍しているかもしれませんが、今の科学で存在が推定されてはいるが、まだまだ未知なるモノとして研究が進められているダークエネルギーのような、宇宙における95%側からのエネルギーなのかもしれません。このあたりの解明は、気の世界で実現されている事実を前にして今後の科学の課題ともいえると思います。

 日常生活においても力と力の接点だけを見てしまい、そこに囚われ、結局衝突してしまうことがあります。そのときにどれだけ先の世界を見て行動できるか、それは気の持つエネルギーをどれだけ身に付けてきているかにかかっているように思います。
 計算で正しい答えを言った場合と、間違った答えを言った場合の差を、腕を押さえることで検証する実技。身体は正しい答えを言ったことに対応して気が通り強くなりますが、先生がさらにそれを逆転させるよう弱くしてしまうこともできます。これは気のエネルギーの奥の深さのレベルの違いを感じさせられる瞬間です。
 気の世界はその深遠さのレベルにおいても人間の可能性を無限に広げています。にもかかわらずそのほんの一部あるいはまったく身に付けていない私(たち)にできることは、日々の生活における修行の継続が一つの回答なのという思いでこれからも歩んでいきたいと思います。1年間のご指導ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。