2014年 大阪初級(後期) 第2回 (2014.8.12)

人間には途方もない力が宿っているという事を実感 大阪 会社員 51歳 男性 TH  

 宇城先生、ご指導ありがとうございます。
第二回目の道塾は友人と参加させていただきました。
友人の最初の印象は半信半疑でしたが宇城先生の検証を体験していくうちに『ありえない!』って言う感じで驚きと戸惑いで、気の力と不思議さを痛感していました。

今回は、調和の大切さを学ばせていただき、気の力で統一体の体験をさせていただき
「何人もの人数を指一本で動かす」の検証では、宇城先生が、なんの苦もなく、やってのけられますが、やはり常識が常識でない気持ちと「気」によって人間には途方もない「力」が宿っているという事を実感しました。

5、6人の連なった塾生の列で一番前の方が手のひらを上に向け、その前の方が、
その手の上で両手を右にくるくると回す検証では宇城先生が気を入れると連なった塾生の方々が同じように体が回りだし!さらに横から押しても、びくともしませんでした。気の凄さを実感しました!

今回、調和の大切さを学ばせていただき、体験だけではなく社会に少しでも役に立つような行動に移していければと思います。まず!ゴミを見つけたら、すぐ拾うなど日常で実行していこうと思います。
ありがとうございました。  

 

ごみを拾うということが調和と同じ効果をもたらす 大阪 教員 53歳 女性 IK  

 調和ということがどれほどの力を発揮するのか、 ごみを拾うということが調和と同じ効果をもたらす。 思わずゴミを拾うことが楽しくなってきた。 今日は試合で召集の係りだった。いつもは声をからしながら召集しているが、 声をかけることに笑顔で緊張をほぐしてもらったら…という感じでやれば スムーズに運んだ。 相手が喜ぶように行動すると同じ事でもこちらも楽しくできることがわかった。 これからもご指導よろしくお願いいたします。

 

道塾に通わなければ、気づくことがなかった 京都 大学院博士 29歳 男性 YS  

 前期から受講を始めて半年以上経ちましたが、この間に悟った重要なことの一つは、「素直になること」の大切さです。何かに迷ったとき、あるいは将来へ向けての行動方針を立てるとき、頭で考えるのを一旦離れ、道塾で気が通ったときのような素直な心持ちになってみると、展望が開けることが多くなりました。その上、こうした状態で得られた展望は、とても的を得ている場合が多いのです。こうした発見は、道塾に通うことがなければ、気づくことがなかったかもしれません。とても感謝しております。

 

気のエネルギーがもたらす影響は計り知れない 奈良 教員 51歳 女性 TT  

 今第2回目も、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。 道塾に参加することにより、少しずつ自分が変わってきているように思われます。 今回は「調和」について学びました。 古代から主流であった天動説は地球を中心にして太陽や月が周り、 宇宙が広がっている、即ち自己中心的概念であるために部分体であり 相手とは対立の関係しか生まれない。

しかし、コペルニクス的転回である地動説は太陽を中心にして地球が回り、 宇宙と調和しながら統一体となっている。即ち、調和であること。 そしてこの調和について具体例を学ぶさせていいただきました。 調和とは絆のこと。まず、二人で向かい合い、鼻に手を伸ばし 距離感をはかりました。届かなかった手が、きちんと挨拶をすることによって 手が簡単に届き、不思議かな距離が変化しました。

次に、三人一組の検証では、自分の指と指を組んだ両脇を他人に引っ張られた時、 宇城先生が気を通して下さると、指が外れてもその瞬間、息は止まらないし、 腕や体がぶれずに外した手も自由に動きました。 次に、二人一組で相手が座り、持ち上げるのが困難だった検証が、 宇城先生の気により、軽く持ち上げられたり、踏まれた足も気の力によると 動けなくなったりしました。

また、先生の竹刀での打撃による痛さの違いを目の当たりにして、 気というエネルギーがもたらす影響は計り知れないということを実感しました。 先生の調和の具体例の説明にどんどん引き込まれていき、 対立ではなく調和することの大切さ、また、心を開き相手と調和することで 大きな力が出せること、相手と調和できた時の喜びは素晴らしいものでした。

宇城先生の講義の中でへレンケラーの「愛の反対は憎しみではなく無関心である」 という言葉やマザーテレサの愛の話をされました。 私は、この言葉が大好きです。今、危機的状況にある日本だからこそ、決して、 奴隷として無関心になるのではなく、、謙虚な心で自分を高めていき、 自分の身の回りから変えていきたいです。 今後ともご指導よろしくお願い致します。

 

今という時を逃してはならないと感じました 石川 教員 44歳 男性 YK 

 今回も貴重な学びをいただき、ありがとうございました。 「調和」が気を顕在化させ、「対立」が気を消失させる。 気は「自信」を生み、気合いは怯えや不安を生む。 今の日本は、考えようとせず政治やマスコミなどの「奴隷」となっている。 気を感じるためには「脱皮」せよ。そして、「天命」を見いだし、遂行する。

20年以上前になりますが、私は大学時代、それまでの野球を辞め体育会応援団に 所属しました。下級生時代は上級生の言いなりで、何事も気合いで 耐えることが求められました。そこには想像も創造も必要なく、 思考すらかえってじゃまなものでした。まさに「奴隷」的な存在です。 私は、3年間を気合いで耐え、団長となりました。吹奏楽、 チアリーダーを含めると総勢70余名の頂点となり、オーダーメイドの 学ランでバッチと腕章を付けて歩けば、大学構内だけでなく神宮球場その他、 自校他校問わず多くの者から挨拶をされ、まさに有頂天となっていました。

教職に就き子どもたちの前に立ったときも、応援団長を引きずったままでした。 私個人ではなく、団長という立場・肩書きに対しての他が示した態度を勘違いし、 今思えば自信ではなく過信を燃料に、暴走機関車のごとく走っていました。 10年ぐらい経ってから、何となくうまくいかないことが起き、 ここ数年は部活指導で行き詰まっていました。 私が脱皮するには、あまりにも幾重に重なった固い殻を脱ぐ必要があります。 塾長の脱皮のお話を聞き、以前聞いたヒナが卵から生まれ出るとき、 親鳥が殻を外からつつきヒナがそれに応えて内側からつついたときだけ この世に生を受ける。そのタイミングが早くても遅くても命を失うということが 思い浮かびました。

帰って調べると「啐啄同時」という言葉でした。 どんなに頑丈な殻であろうとも今脱皮しなければ、せっかくの塾長の教えが 私の学びとならない。今という時を逃してはならないと感じました。 もう一つ強く感じたことは、とても小さな点でしたが「調和」を 確認できたことです。そして、ゴミを拾うなど利他の行動で、 一瞬にその調和点は域(より広い範囲)となることも確認させていただきました。 「できる!」という実感が何より大きかったです。

今は私の「天命」はわかりません。しかし、塾長の砂漠に咲く花 (季刊『道』)のお話を聞き、誰にでも「天命」が存在し、 この一生でそれを見いだすか見いださないかは自分次第であると思いました。 少なくとも無ではなく点ではありましたが「調和」を確認できたことが、 「天命」を見いだすことにつながりそうだと感じました。 ワクワク感のような元気をいただきました。 「欲」をなくすことに悩んでいたのですが、夢があれば我欲が消えていく というお話も腑に落ち、後押しをいただきました。 次回までに考え、何らかの行動をします。 本当にありがとうございました。失礼いたします。

 

先生のご指導の深さに改めて気づく  京都 教員 31歳 男性 TN  

 昨日の第2回目の道塾では、いかに頭がいろいろなことを 邪魔しているということです。 先日たまたま読んでいた本にこのようなことが書かれていました。 昨日の先生のお話聞かせていただいている時に以下の内容が ずっと頭の中から離れませんでした。

この世が完全であった時代には、誰も価値ある人間に注意を払うこともなく、 能力ある人も敬うこともしなかった。支配者とは木のてっぺんの枝にすぎず、 人民は森の鹿のようだった。彼らは誠実で正しかったが、自分たちが 『義務を果たしている』という認識はなかった。

彼らは、互いに愛し合い、しかもそれが『隣人愛』だと知らなかった。 彼らは誰もだますことはなかったが、それでも自分たちが 『信頼すべき人間だ』と認識していなかった。彼らは頼りになる人間だったが、 それが『誠』だとは知らなかった。 彼らは与えたり受け取ったりしながら自由に生きていたが、 自分たちが『寛大』だとは知らなかった。

それゆえに彼らの行為は語られることがない。彼らは歴史を作らなかった。 困っている人がいれば助ける。食べ物にしても分け合って食べる。 ということを当たり前にしており、しかもそれが「良いこと」・「悪いこと」 という認識など全くなく行動していたんです。 しかし、人間に「知恵」がついたことで、上記に述べたようなことも、 困っている人を助けても自分をよく見せようとしたり、 周りの目を気にして見て見ぬフリをしてしまうようになってしまったのが、 非常に残念です。

上記の時代では、それが当たり前でしたが、 今の現代を生きる私にとっては、『知恵』も『情報』も多様化しているのが 当たり前。その中を生きていくには、『知恵』がありながらも どう行動していくか。その基本が挨拶であり、ゴミを拾うこと、 先生から指導していただいていることの深さに改めて気づかせていただきました。 『知恵』は決してダメなことではない。むしろ正しく使えば、 人生を何倍も充実したものにしてくれるものであるのに・・・。

頭で考えるクセがついてしまっており、まさに『奴隷状態』とは このことだと思います。 そして、何より先生が『1度の人生!どう生きるのか』ということを おっしゃっていたことが最も印象に残りました。 とにかく『勉強不足だ。』と痛感しました。自分自身日本国民でありながら、 日本の政治などがどれだけ危機的状況にあるのかもわかっていませんでした。 

地球という存在にいかされていることを考えるのであれば、 どう行動していかなくてはいけないのか。本当に考えさせられた時間でした。 人間も蝶のさなぎのように脱皮しなくてはいけないんですよね。 すごく納得できました。 第2回も本当に多くの気づきをいただきました。 自分のこどももぜひ先生に触れてもらいたいという思いも込み上がってきました。 今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。

 

形だけではなく、そこに心をのせて実行していきたい  大阪 教員 31歳 女性 AT 

 今回の道塾では調和と対立についてを中心としたお話、 そして体験をさせて頂き有り難うございました。 対立からは何も生まれず、調和の中でこそ本来の力を発揮することが できるということは理解しているつもりでも、 実際には実行できていないということがよくわかりました。

つい頭で考えてしまい、損得感情で動いてしまう自分がいます。 まだまだ脱皮できていないのだなと強く感じましたし、 一度しかない人生をこのままでは終わらせたくないと思いました。 考えてしまっている時点で駄目だということ、頭で考えるよりも前に、 自然体で行動できるようになっていかなければなりません。 そのためにも、挨拶はもちろん、ゴミを拾うことなど、 形だけではなくそこに心をのせて実行していきます。

私たちの命は地球によって生かされているものです。 地球を中心として月や星がまわっているのではなく、 太陽を中心として地球が動いています。 それと同じで、自分を中心として世の中が動いているわけではなく、 太陽や地球のお陰様で私は生きることができています。 そのことを忘れずに、地に足をつけ地球と繋がり、 日々生かされていることに感謝を忘れずに生活をしていきたいです。

私はまだ、整えられた場所でしか行動できていないですし、 1つの世界だけしか知らず、偏った知識しかない状態です。 今、日本が危機的な状況にある中で自分に何ができるのか、 強く考えさせられました。私には見えない世界がたくさんある中で、 一部の人の利益のための奴隷にはなりたくありません。

宇城先生に気を通して頂くと、体が熱くなり、 できなかったことができるようになります。 でもそれは自分が本来持っているはずの力であるのだと思うと、 少し勇気が湧いてきます。一人革命に少しでも近づけるよう、 まずは私自身の行動を変えるためにも、心を変えていきます。 私の行動が渦をつくり、少しでも周りを巻き込んでいけるように頑張ります。

毎回、宇城先生のお話を聞くたびに、自分の心の中につかえていたものが スーッと消えていき、明日が楽しみになります。 道塾での学びを、日常に活かしていけるよう日々過ごしていきます。 9月の道塾も楽しみにしております。今後とも宜しくお願い致します。