先生によって私たちの眠ったエネルギーが解放される 福岡 自営業 女性 40歳 NF
アインシュタインが娘リーゼルに宛てた手紙は先生が常々体現し、発信してくださっていることがそのまま文になったような内容で大変感動しました。氏の手紙の中に「個人は自分の中に愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている」とありましたが 宇城先生は正に最強の発電機です。 先生によってわたしたちの眠ったエネルギーが解放される。人間は進化するために生まれてきたのだと思わせてくれる先生のお姿は私達の希望です。先生のおかげで人として少しずつかもしれませんがまともになってきているように思います。生まれてきた意味を正面から自分に問えるような生き方が人としての本来あるべき姿であり、誇りをもって生きることは 宇城先生という絶対的な師の存在無くしてはあり得なかったと思います。先生に学ぶということは何もわかっていなかったことにいかに気付いて変わっていくかの連続だと思いますが僅な光でも照らしていけるように生きていきたいです。今回も何より貴重な時間を過ごさせていただきました、本当にありがとうございました。
アインシュタインが娘リーゼルに宛てた手紙は先生が常々体現し、発信してくださっていることがそのまま文になったような内容で大変感動しました。氏の手紙の中に「個人は自分の中に愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている」とありましたが 宇城先生は正に最強の発電機です。 先生によってわたしたちの眠ったエネルギーが解放される。人間は進化するために生まれてきたのだと思わせてくれる先生のお姿は私達の希望です。先生のおかげで人として少しずつかもしれませんがまともになってきているように思います。生まれてきた意味を正面から自分に問えるような生き方が人としての本来あるべき姿であり、誇りをもって生きることは 宇城先生という絶対的な師の存在無くしてはあり得なかったと思います。先生に学ぶということは何もわかっていなかったことにいかに気付いて変わっていくかの連続だと思いますが僅な光でも照らしていけるように生きていきたいです。今回も何より貴重な時間を過ごさせていただきました、本当にありがとうございました。
受講の中で自分の体の違いに気づくことができた 福岡 会社員 男性 38歳 TS
今回も熊本道塾に参加させていただき、ありがとうございました。 所用により遅れての参加になりましたが、いつも以上に中身の濃い道塾だったと受講を終えてから実感しております。
僅かですが、道塾受講の中で自分の体の違いに気づくことができました。それは宇城先生と同じ場所にいるだけで地に足が着いているという感覚です。
道塾受講中は膝から下が怠くなるくらいに足の裏をしっかりと意識することができます。先生がされた検証の時に先生のお腹を触らせていただきましたが、誰かに押されるというより先生に吸い寄せられるという感覚を体験しました。地球の重力に逆らってというよりは、もう一つの地球が目の前に存在してその重力に引き寄せられているという感覚でした。
後日になって、道塾受講中に私が感じた足の重さは先生が創り出した空間の磁場(魅力)なんだと思いました。日常に戻り道塾で体験させていただいた地に足が着いた感覚を思い出しやってみようと試みますがなかなか上手くいきません。それだけ日常の自分が浮ついているという証拠だと思います。
先生に師事させていただくようになり、私の周りの環境が変わりました。その環境は良くなったというよりも、むしろ厳しい環境に置かれたというものです。今までは先生に師事していれば勝手に周りの環境がどんどんよくなり良いことばっかりがあると勘違いしていました。
厳しく変わった環境の中でこそ宇城先生の教えがどれだけ有難いかを実感することができます。 厳しい環境に身を置く、または置かれるからこそ師匠の言葉の一つ一つの意味が少しずつ見えてきます。 しっかりと挨拶をすれば良いことがあるのではなく、挨拶で周りの環境を変えていく。挨拶に限らず日本の文化の中には、それだけの力が内包されていること、そして自分の方向性の勘違いをやっと気づくことができました。 厳しい環境であるからこそ人間力が試される、その流れに負けない自分が作られる、そして師匠の有り難さが実感できると確信しております。
今年最後の道塾受講で大きな大きな気づきを得ることができました。 これから訪れるであろう厳しい環境の流れに流されることなくしっかりと地に足をつけて邁進して参ろうと思います。
今回も熊本道塾に参加させていただき、ありがとうございました。 所用により遅れての参加になりましたが、いつも以上に中身の濃い道塾だったと受講を終えてから実感しております。
僅かですが、道塾受講の中で自分の体の違いに気づくことができました。それは宇城先生と同じ場所にいるだけで地に足が着いているという感覚です。
道塾受講中は膝から下が怠くなるくらいに足の裏をしっかりと意識することができます。先生がされた検証の時に先生のお腹を触らせていただきましたが、誰かに押されるというより先生に吸い寄せられるという感覚を体験しました。地球の重力に逆らってというよりは、もう一つの地球が目の前に存在してその重力に引き寄せられているという感覚でした。
後日になって、道塾受講中に私が感じた足の重さは先生が創り出した空間の磁場(魅力)なんだと思いました。日常に戻り道塾で体験させていただいた地に足が着いた感覚を思い出しやってみようと試みますがなかなか上手くいきません。それだけ日常の自分が浮ついているという証拠だと思います。
先生に師事させていただくようになり、私の周りの環境が変わりました。その環境は良くなったというよりも、むしろ厳しい環境に置かれたというものです。今までは先生に師事していれば勝手に周りの環境がどんどんよくなり良いことばっかりがあると勘違いしていました。
厳しく変わった環境の中でこそ宇城先生の教えがどれだけ有難いかを実感することができます。 厳しい環境に身を置く、または置かれるからこそ師匠の言葉の一つ一つの意味が少しずつ見えてきます。 しっかりと挨拶をすれば良いことがあるのではなく、挨拶で周りの環境を変えていく。挨拶に限らず日本の文化の中には、それだけの力が内包されていること、そして自分の方向性の勘違いをやっと気づくことができました。 厳しい環境であるからこそ人間力が試される、その流れに負けない自分が作られる、そして師匠の有り難さが実感できると確信しております。
今年最後の道塾受講で大きな大きな気づきを得ることができました。 これから訪れるであろう厳しい環境の流れに流されることなくしっかりと地に足をつけて邁進して参ろうと思います。
「楽しいことが大切」その意味の奥深いことを改めて実感 福岡 主婦 女性 48歳 MY
今回の道塾ではアインシュタインの手紙を紹介下さいました。彼が娘に託したものは大きな願いが込められていました。手紙の内容は未来でなければ理解してもらえないだろうと書かれていましたが、彼の未来である今、愛がエネルギーだと伝えているその現場に私は立ち会っているのだと身が震える思いが致しました。
エネルギーの発電機は自分の中にあり、愛は発電することを待っているとは、正に宇城先生が一貫して言われている言葉です。愛は人を引き付け、護り、力を与えることは、いつも先生が実践を通して何度も何度も私たちに伝えて下さっています。ゴミを拾ったり、座席を譲ったり、自然に身体が動くことで強くなるのは身体から他への無償の愛が発動しているからだと思います。子どもに触られた親が強くなって長い列を後退させることができるのも愛のエネルギーが人を貫いているからだと深く納得致しました。
頭で「ああでもない、こうでもない」と考えているのはどんどん空回りしていくばかりなのだと分かりました。そこに、愛はないからです。先生は、愛は心から発動しているものであり、一瞬で相手に到達すると仰います。だから、先をとることが出来るのかと思いました。考えている最中は、愛は横に置いて心は自分に向かっているような感じがします。愛は心が相手に向かっています。実際の行動をする前に既に動いているから、早いのではないかと思いました。
楽しいことが大切だとも先生はよく言われます。苦しい気持ちのままでは、他人に心を注げません。自分の中に心が居ついてしまいます。心の自由を無くし余裕が無くなります。そこに「愛を」と言われれば、器の小さい私にはかえって苦しくなるばかりだと思います。しかし、楽しく感じる心にはゆとりがあります。幸せな気持ちになり、この気持ちを人にも配りたいと思います。「楽しいことが大切」その意味の奥深いことを改めて実感しました。「仕事の奴隷になるな」という言葉も同じことだったのだと分かりました。心を亡くす=忙しい、です。心を亡くして、愛はあり得ません。なぜ謙虚であらねばならないのか、なぜ靴をそろえるのか、姿勢を正しくするのか、躾が大切なのか、スポーツの何が駄目なのか、全てつながっている事が分かりました。
宇宙からの理論、先生が言われる言葉は本当に単純でシンプルなものだったのだと気付きました。だから、分かる人にしか伝わらないのですね。子どもは言われなくても出来るが、大人には出来ない。この理論を頭で考えると全く理解できないというパラドックスに陥る。そこには愛以外、何も必要ないのだと心底分かれば先生の言葉が更に更に深く自分の中に入ってくるのだと今回の道塾で感じました。アインシュタインの伝えたかった事を完全に分かって実践している先生のこの現場がなければ、偉大な科学者の言葉も表面的にしか理解できなかっただろうと思います。これから実践を重ねていく事によってもっと深く、新たな発見を持って理解していくのだと嬉しくなりました。
今回の道塾ではアインシュタインの手紙を紹介下さいました。彼が娘に託したものは大きな願いが込められていました。手紙の内容は未来でなければ理解してもらえないだろうと書かれていましたが、彼の未来である今、愛がエネルギーだと伝えているその現場に私は立ち会っているのだと身が震える思いが致しました。
エネルギーの発電機は自分の中にあり、愛は発電することを待っているとは、正に宇城先生が一貫して言われている言葉です。愛は人を引き付け、護り、力を与えることは、いつも先生が実践を通して何度も何度も私たちに伝えて下さっています。ゴミを拾ったり、座席を譲ったり、自然に身体が動くことで強くなるのは身体から他への無償の愛が発動しているからだと思います。子どもに触られた親が強くなって長い列を後退させることができるのも愛のエネルギーが人を貫いているからだと深く納得致しました。
頭で「ああでもない、こうでもない」と考えているのはどんどん空回りしていくばかりなのだと分かりました。そこに、愛はないからです。先生は、愛は心から発動しているものであり、一瞬で相手に到達すると仰います。だから、先をとることが出来るのかと思いました。考えている最中は、愛は横に置いて心は自分に向かっているような感じがします。愛は心が相手に向かっています。実際の行動をする前に既に動いているから、早いのではないかと思いました。
楽しいことが大切だとも先生はよく言われます。苦しい気持ちのままでは、他人に心を注げません。自分の中に心が居ついてしまいます。心の自由を無くし余裕が無くなります。そこに「愛を」と言われれば、器の小さい私にはかえって苦しくなるばかりだと思います。しかし、楽しく感じる心にはゆとりがあります。幸せな気持ちになり、この気持ちを人にも配りたいと思います。「楽しいことが大切」その意味の奥深いことを改めて実感しました。「仕事の奴隷になるな」という言葉も同じことだったのだと分かりました。心を亡くす=忙しい、です。心を亡くして、愛はあり得ません。なぜ謙虚であらねばならないのか、なぜ靴をそろえるのか、姿勢を正しくするのか、躾が大切なのか、スポーツの何が駄目なのか、全てつながっている事が分かりました。
宇宙からの理論、先生が言われる言葉は本当に単純でシンプルなものだったのだと気付きました。だから、分かる人にしか伝わらないのですね。子どもは言われなくても出来るが、大人には出来ない。この理論を頭で考えると全く理解できないというパラドックスに陥る。そこには愛以外、何も必要ないのだと心底分かれば先生の言葉が更に更に深く自分の中に入ってくるのだと今回の道塾で感じました。アインシュタインの伝えたかった事を完全に分かって実践している先生のこの現場がなければ、偉大な科学者の言葉も表面的にしか理解できなかっただろうと思います。これから実践を重ねていく事によってもっと深く、新たな発見を持って理解していくのだと嬉しくなりました。
貴重な体験、気づきを学べる場所 大分 会社員 女性 42歳 KM
今回の道塾で、私は本当の「人を守る」ということを体感することが出来ました。
二人が向かい合って、相手の方がフルスイングで竹刀を打ち込もうとしてきたのに対し、受ける方が短い竹刀で受け、入ることが 出来るかどうかの検証でした。フルスイングで打ち込もうとする方も、当たったら危ないという意識もあり、竹刀を振り落とす手にブレーキがかかっていました。それに対し、宇城先生は途中で止めたら意味がない。本気で打ち込むよう注意されていました。そのお言葉で、お遊びではない、ただの検証ではない、正に「真剣」「本気」「命懸け」といった、一瞬にして空気が張り詰めた感じがしました。勿論、誰も受けられるはずがありません。 しかし、宇城先生はそんな本気で振り下ろす竹刀を物ともせず、その竹刀に触れることなく相手に入り制圧していました。その宇城先生の動きは全く慌てることもなく、信じられない程ゆっくり、堂々としたものでした。そして、その受ける方の後に皆が立ち、同じように相手がフルスイングで打ち込んでくると、こちらまで怖さが伝わって来るのに対し、宇城先生の後に立つと全く怖さが伝わって来ないのです。怖さどころか安心感を感じました。頭で理解したのではない、身体の感覚で、これが本当に「人を守る」ということだと実感しました。言葉で「人を守る」というのは簡単です。しかし、宇城先生は言葉ではない、行動、実践で示してくれます。 身体で気づかせてくれます。このような貴重な体験、気づきを学べる場所があること、宇城先生という師に直接御指導頂けることに、感謝の気持ちでいっぱいです。
今回の道塾で、私は本当の「人を守る」ということを体感することが出来ました。
二人が向かい合って、相手の方がフルスイングで竹刀を打ち込もうとしてきたのに対し、受ける方が短い竹刀で受け、入ることが 出来るかどうかの検証でした。フルスイングで打ち込もうとする方も、当たったら危ないという意識もあり、竹刀を振り落とす手にブレーキがかかっていました。それに対し、宇城先生は途中で止めたら意味がない。本気で打ち込むよう注意されていました。そのお言葉で、お遊びではない、ただの検証ではない、正に「真剣」「本気」「命懸け」といった、一瞬にして空気が張り詰めた感じがしました。勿論、誰も受けられるはずがありません。 しかし、宇城先生はそんな本気で振り下ろす竹刀を物ともせず、その竹刀に触れることなく相手に入り制圧していました。その宇城先生の動きは全く慌てることもなく、信じられない程ゆっくり、堂々としたものでした。そして、その受ける方の後に皆が立ち、同じように相手がフルスイングで打ち込んでくると、こちらまで怖さが伝わって来るのに対し、宇城先生の後に立つと全く怖さが伝わって来ないのです。怖さどころか安心感を感じました。頭で理解したのではない、身体の感覚で、これが本当に「人を守る」ということだと実感しました。言葉で「人を守る」というのは簡単です。しかし、宇城先生は言葉ではない、行動、実践で示してくれます。 身体で気づかせてくれます。このような貴重な体験、気づきを学べる場所があること、宇城先生という師に直接御指導頂けることに、感謝の気持ちでいっぱいです。