2014年 熊本 第2回 (2014.4.18)

常識の延長線上にない、気の存在を感じる事が出来た  福岡  ビルメンテナンス業 44歳 男性 YY  

 前回に引き続き、2回目の宇城道塾に参加させていただきました。 冒頭に宇城先生がお話をされる内容は、最近ニュースで話題になっていることから、 国際・国内の政治について、更には科学的なテーマについてと大変多岐に渡るものですが、 それぞれのテーマについて「気」の観点から明快に語られるため、 色々な気付きを与えて下さるとともに、不思議とすぐに腹に落ちるように感じます。

 毎年千名近い行方不明の児童がいる事実や、学校における柔道教育の問題に関してなどは、 自分も何処かで同じニュースを見聞きしていたはずなのに、本当に真剣に捉え、危機意識を持ち、 問題が起きてから対応するのでは遅すぎる、未然に防ぎ、自分を守らなければいけないといった所までは思い至らず、 平和ボケして、何処か余所事、他人事として考えていた自分に気付かされました。

 宇城先生が指導されている陸上競技の学生さんのお話の中で、 「光よりも早く動けるわけではなく、象よりも力が強いわけでもない」 「人間が本来持っている力を追究していかなければいけない」 という指導をされた事を聞き、相対的な競争の中で育ってきた自分の価値観の狭さに気付かされるとともに、 自分の日常の中にある常識や思い込みに捉われずに、何を目指して行くべきなのかについて示して戴いたように思います。 宇城先生のお弟子さんが半身不随になられ、医者からも見放される状況から宇城先生の気によって歩けるまでに 回復した映像を見せていただき、改めて気の可能性や凄さを感じる事が出来ました。 物をぞんざいに扱うと椅子から立ち上がれるようになっていたのに途端に立てなくなる、 きちんと物を揃える、型によってまた立てるようになるのを目の当たりにすると、 つい疎かにしがちな日常こそが本当に大事なんだと反省させられました。

 また歩くためにやる訓練と完全復帰を目指した訓練の違いについても説明していただき、 指導の前後で、実際に歩き方や顔付き、姿勢・雰囲気がガラリと変わる様子が見て取れました。 歩けるようになった事自体でも凄い事ですが、更に完全復帰まで、厳しく、 そして優しく指導されようとなされている宇城先生の姿勢に感銘致しました。

 塾の後半では、 「心は気を創り、気は血を創り、血は身を創る」 「雑用というものはない」 「剛と硬、柔と軟、ゼロ化と腑抜け」 についても、実践を交えながら、その違いを示しながら教えていただきました。 物にも気が効く、更には物が伸び縮みをする、回転させる事も出来るという事を体験させて頂きました。 常識では考えられないですが、実際に手の中で、物が伸縮や回転する事実を受け、宇城先生が常々仰られている 「常識の延長線上にない」気の存在を感じる事が出来ました。

 ここまでくると、最早、頭で考えても仕方がない、 宇城先生が仰られた「水月」のように、ありのままを映し、身体で感じる事でしか気は捉えられないと思いました。 最後の方で、空手の実践を少し見せていただき、 「相手の時間に入る」「相手と調和する」と、力が強い事や、身体の大きさは全く関係がなく、 身体を速く動かせれば強いというわけでもない、相手と調和する事で初めて実現出来る同時多元の世界を垣間見る事が出来ました。 宇城先生に教わった事をしっかりと体得して、少しでも、一歩でも近付く事が出来るように精進して参ります。 第二回もご指導ありがとうございました。
第三回もまた、ご指導をよろしくお願い申し上げます。

 

平和惚け真剣さにかける、今の私自身であると感じました   熊本  販売 44歳 女性 YA 

 今回も色々な検証の数々を体感させて頂きました。
また、渡り鳥の話では、翼に怪我をしていたら飛び立つ事がでず、その事は即、死を意味する! 平和惚け真剣さにかける、まさしく今の私自身であると感じました。 先生の前では取り繕う事も出来ず、自分が日常の生活でしている事がそのまま出てしまってました。 私がやっていたのは、謙虚なふりだったと気づかされました。人に対し、物事に対し、自分自身に対し、 なんて横着な態度、言動だったのだろうと反省させられました。 また、懇談会の時、先生が私の横に来て下さり「今日は楽しかったか?」と聞かれました。 その時は「はい、とても楽しかったです」と答えたのですが日に日にその言葉の重さ深さに気づかされました。 なんと大きな愛情で包んでくださったのだろうと感謝感激で涙がとまりませんでした。
今迄、色々な人に出会い、皆様の愛情により先生に出会う事ができて本当に感謝しております。
講習会で学ばせて頂いた事を日々の生活にも活かせるようにやっていきたいと思います。

 

心を込めてそれを行えばそれは雑用ではなくなる   福岡 自営業 47歳 男性 YT 

 4月18日本年度2回目の熊本道塾に参加させて頂き 誠にありがとうございました。
毎回の事ですが、宇城先生のお考えの深さ、ご指導にいつも驚き、 感動を頂いております。 今回特に心に残りましたことは、 「会社等の仕事の中でコピー取りやお茶を出す仕事はいわゆる 雑用と言うが、心を込めてそれを行えばそれは雑用ではなくなる。」 というお言葉でした。自分は、何事も心を込めて行えているか? 自分に問い返す機会を与えて頂きました。 家族にも一番に伝えさせて頂きました。
ありがとうございました また、中島先輩のお話では、先輩の完全復活を意識される先生は、 歩行のみの復活を意識されていた中島先輩ご自身に対して お叱りの言葉を仰ったそうです。
現在中島先輩は、職場復帰されるまでの回復をされておられるそうですが、 完全復帰の意識があってこその職場復帰であり、歩行のみの意識では 到底現在の中島先輩の状況はなかったと思われます。
まさに「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かう所に応ずる」 そのものであると思います。 そして、物事を成就させる為には、その更に先を目指さなければ、 そこには到達できない。という実例を示して頂きました。 私も、今後の稽古、日常に生かしていきます。 ありがとうございました。

 

何事も、ものにも心を込めて感謝すること   福岡 通訳 64歳 女性 YN 

 今期第2回の熊本道塾に参加させていただき、誠にありがとうございました。 形あるものにこだわり続けて、見えないもの、科学的に解明できないものを軽視 してきた結果、 様々な問題を抱えながら、その打開策を見つけ出せず、閉塞感と希望の光が見え ない人間社会に なっているように思います。

 今回も常識の範囲では信じられない検証の数々を体 感させていただき、 自然体(統一体)で気を出せることこそが人間力の回復のカギだと確信しました。 数人で持った棒を先生が気で伸ばしたり、縮めたり、回したりされたとき、どれ だけ私たちが 95%の未知の世界に生きて、狭い知識の中でしか物事を見ていないか、あらため て思い知らされました。 先生の気は常識や左脳で理解できない世界です。
『物はもの』としか捉えていま せんでしたが、 物質も量子論的にみれば分子構造物であり、見えないものと同じ捉え方をすべき であることを 気づかせていただきました。ものを丁寧に扱うという行為と同様、何事にもなに ものにも心を込めて 感謝することが自然の理にかなう行為なのだと思いました。

 そして頻繁に起きる 事件や事故などがすべて 「心なし」が原因の人災であることや表層的な事実の底に、理にかなった自然の 法則が働いていることを 学ばせていただきました。 数年、道塾で学ばせていただきながら、ふと自分自身を振り返り、先生のご指導 を左脳で処理して知識として 取り込んでいるだけで実は何もわかってはいないのではないか、と自問自答する ことがあります。 「心あり」の実践は反省の日々ですが、先生から学ばせていただいたことを実践 すること、 これまでの自分を捨て、先生の教えを映すことは、努力する唯一価値のあること だと思っております。
 これからもご指導宜しくお願い致します。ありがとうございました。

 

誰にでも気のエネルギーが備わっている   福岡 大学教員 47歳 女性 YK 

 目に見えないエネルギーや気の通った状態などを、今回もまた新しい検証や違う角度から体感させていただきました。 気の通った状態とそうでない状態との違いを、以前よりもう少し明確に認識できたような気がしています。 日常においても、言葉を心に浮かべながら具体的に考えたり思ったり、祈ったりすると、身体が統制されておらず、そのまま動いていると危険かどうか身体も心も感じていない状態とはこの事かな、などと思うことがあります。これを宇城先生が部分体といってあるのかな、という気がしたりします。言葉などを具体的に認識する意識の、もう一つ奥の、言葉になる前の無意識の意思や願いで動くとき、身体は統制がとれて、生物として自然な動作をしているのだろうな、と思うこともあります。教えていただかなかったら、そのような事は思いもよらなかったと思います。宇城先生の気のエネルギーによって、ヒトとして本来の天地自然の法則に合ったような状態になると、気持ちがよくなり気分がすっきりします。 これは道塾後にいつも感じます。道塾後はぐっすり眠れて、簡単に気持ちよく目覚めるので、睡眠覚醒まで変わるようです。
 日本には他の国々のような宗教はありませんが、元々、文化や習慣、価値観そのものが宗教的な役割をしており、考え方や判断に、ある一定の宗教的な基準があったのですが、社会が変わり、宗教的な基準となっていた文化や価値観がなくなっている、というお話があったと思います。しかし、アフリカから発生した人類は、長い年月かけて日本に到達し、日本人となるまでに、色々な遺伝子が掛け合わされたため、頭がいい素質をもつことや、宗教が無くても宗教的考え方や文化を持つ素質がある、ということも教えてくださいました。そんなに優秀であるはずの素質も、意識でものを覚える教育を受けることで抑え込まれる、ということでした。 その抑え込まれた素質を表出できる、本来の意識の持ち方を教えていただけるのは、おそらく宇城塾しかありません。
 宇城先生がこのように、人の意識と無意識を変えたりされるのに気の強大なエネルギーを使われるのを、色々な検証から体験させていただいています。しかし、本当は誰にでも、宇城先生ほど強くはないにしても気のエネルギーが備わっており、これが本人の希望になるという側面が、道塾に参加させていただく大変重要な意義だと思っています。
 気によって、人の意識だけではなく物質でも変わることも教えていただきました。 「棒が伸びますよ」と言われると、棒を握っていた手の平に、棒を構成している物質が、粒子みたいなものがぴりぴりと動いているのを感じて、びっくりしました。宇城先生は触れずに、棒を回すことも伸ばすことも可能でした。物質も変われば、空間も変わります。気を通しますと言われた空間とそうでない空間では、大人数が一斉に手を叩くと、響きが変わったようで、違った印象の音になりした。このような気をとおしていただいた空間の中では、ヒトが本来の生物的自然な状態になれる、というのは宇城先生にしかしていただけないです。空間も物質も人も時間も変わるので、多元的だと言われてあるのだろうと思うことがあります。不自然な状態では、身体の動きも宇城先生の言われる部分体になり、自然の状態では身体の動きも統一体になるということを、それこそ脳ではなく末梢の細胞で感じるような気がすることがあります。
 私は、脳や脊髄が身体に張り巡らされた神経を使って生命を維持し統制していると教えられたので疑いようもなかったのですが、それだけではない制御機構があって、末梢組織の細胞ひとつひとつが外的刺激を感知する能力をもち、周囲の細胞に影響を及ぼし、それが中枢に伝達されるとは考えもしませんでした。 これまで、そのような事は無いとされていると思いますので、細胞が感じるとの説明を、私は何かの比喩だと思っていたようでした。それを、中島先輩のご病気からの快復過程で見せていただいた宇城先生の気の治療の動画を目のあたりにして、細胞は感じることができるのかと思いました。
 細胞一つとっても、どんな制御機構をもっているのか多くの部分で明らかにされていないし、まして細胞に知覚能力があるとは考えもされていないと思います。 しかしその一方で、細胞は自分の伸びるべき正しい方向を探して伸びたり曲がったり、存在しない方がいいと 判断して自滅したりする現象はわかっているようです。その機序の全体像はほとんど不明のままだったりしますが。そのうえ、頸椎が傷つかれたにもかかわらず、気をうけた細胞が変化してお膝が伸びたり、歩かれている事実を紹介してくださり、本当にそんな細胞のシステムがあったことにびっくりしました。常識がくつがえされるとはこういう事を言うのかと思い、衝撃でした。そして、自然の法則に合っている状態でいることはとても重要なことだと教えていただいています。
 進化する、発展する、成長する、という万物が向かう自然の法則にあわなければ、衰退する、停滞する、壊れる、いうことになり、能力が出ず、身体に支障が出たりするのかなと思いました。自然の法則と一体となるように、物に対しても人に対しても、いつも丁寧に接するようにしたいです。

 

自分の弱さを自覚、少しでも成長したい   佐賀 教員 39歳 男性 HK

 宇城先生、本当にありがとうございました。 謙虚・感謝・教育問題・中島さん(実践塾)の怪我の経緯。 小保方さんの騒動、その他、現在の事件や出来事を踏まえてたくさんのお話や 体験をいただきました。
ある方が、講習の後の懇談会の時に「先生がいるから集まることが出来る」 と話をされていて、まさしく宇城先生を中心に大きな輪が出来て、 時代を変えるうねりとなっているのかもしれないと思います。

 様々な実践の中で一番驚かされたのは、宇城先生がみんなの前で、 棒が伸び縮みするということをされたところです。 この状況、まさしく宇城先生のお言葉である 「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」で、 体験していない人には何回言ってもにわかに信じがたいと思いますが、 実際みて、体験することで「実際にある」ということを感じることが出来ました。 また、竹の棒を肩に乗せて、鉄棒の様に人が乗っても、気を通して貰うと、 痛くない、痛さの質が違う。 先生から気を外されると、我慢できない、踏ん張れない痛さ、この違いというものも、 なんだろうな? という思いと共に宇城先生のすごさ、そして人間や生命のすごさを感じました。 自分自身情けない人間で、すぐ調子にのり、横着な考えや行動をとってしまう弱さがありますが、 道塾に参加させていただくたび、そういう自分の弱さを自覚でき、少しでも成長しようと思って 家に帰ることができます。そういう時間をもてることに感謝したいと思います。

 また、心よく送り出してくれる家族がいるから自分も宇城先生に学べるのだと、 今回の道塾に参加させていただく中で強く感じました。そのような家族にも感謝して、生活をしたいと思います。
最後に、宇城先生がおっしゃった「心が気を創り、気が血を創り、血が身を創る。」 このことを忘れずに、まずは、日々の生活の中で、少しでも心が磨けるような人間になりたいと思いました。
本当にありがとうございました。

 

何事にも気、統一体が必要である   大分 臨床検査技師 28歳 男性 SM

 今回の道塾に参加させていただきまして、多くの気付きを得ることができました。 私は医療の現場で働く身ですが、頸椎損傷されました方の映像を見せていただき 現在の医療の常識では考えられないことが目の前で起きていることに、 宇城先生の仰られる気の凄さを改めて認識させていただきました。
同時に宇城先生が何度も仰られていたように 「何故そのようなことが出来るのか?」でなく 「何故私に出来ないのか?」を考えるようになりました。 靴を揃えることや、人に親切にする、ゴミを拾うなどの行動は常に心に留め 実践していましたが、それが「真剣」にやっていたかと問われると、 「まじめ」のレベルであったと解りました。 真剣の積み重ねで私のレベルを上げていきたいと考え、今後の生活を更に 精進してまいります。

 また、今回私の心を揺れ動かされた言葉が二つあり、 その一つが「同次性多次元の動き」です。 私は一つの事に専念すると、他が疎かになる性格であると思っていましたが、 それは性格でなくただ単に私が部分体であったからだと気付きました。 一つの専念をなるべく多くこなせるように、という考え方をしていましたが、 それは間違いであり全てのことに気を配り、だからこそ、その中の一つも 専念できるのだとわかりました。私の職場では複数の業務が同時に発生し、 検査結果の報告にしても間違った報告が患者様の命に直結するため気を配って おかなければいけないにも関わらず、複数業務があったことにより間違った 報告がされることは過去に多々ありました。 解決策として、結果報告する際は集中するといったありふれた対策が出せれる ことが現状でした。そこに本質が解決していないことは解っていたのですが、 どうすれば良いかまでは解らずにいました。

 今回「同時性多次元の動き」というお話を聞き、「結果報告する際は集中する」 ということは更に部分体を強めることであり、何の解決にもなっていないと 明確に解りました。しかし、職場の者は「気」という存在を意識したことが ないと思うので、その中で宇城先生に教えていただいたことをどのように 活かしていくかが、職場における私の責務だと考えています。 もう一つの言葉が、「雑用という用事はない」という言葉です。 宇城先生が雑用とは何だと思うかの質問に私も「お茶汲みやコピー」を 考えました。しかし、それらも心があるかないかで「仕事」にするか 「雑用」にするか変わってくることに、感動せずにはいられませんでした。 私も職場で後輩にコピーを頼むことが多いのですが、何か悪い気がしつつも 頼んでいました。 それは私がコピーを雑用だと思い頼んでいたからだと気付きました。 私が行けない時に後輩に頼むのですが、そこに気配りや、このコピーの 重要性など、コピーとうい仕事に後輩の心が入るように頼むようにしてみようと 考えています。

今回の道塾に参加させていただき、この世の何事にも気、統一体が必要であると 気付きました。同時に、それは昔なら当然であったことにも関わらず、 現代社会が忘れさり本来必要でないものを重要視した結果がこの時代に 表れていると思います。心ない社会を変えていくためにも、まず私から変わり 周囲を変えることの出来るように宇城先生に教わった事を常に心に灯し、 日々の生活を修行の場とし、毎日を真剣に生きてます。 今後とも、宇城先生よりご指導ご鞭撻を賜れますよう宜しくお願い致します。 花冷えに風邪など召されませぬようご自愛下さい。

 

まず、求める未来を想定した行動を   山口 建設業 48歳 男性 TY

 feedbackではなくfeedforward。…生きているのは”今現在”しかないのだから、 過去を起点にいわゆる「石橋をたたく」未来を求めるのではなく、まず、 求める未来を想定した行動を逆算して「今、はじめる」という事でしょうか。 そこには「今」という概念のとらえかたで、「未来を大きく変える力を得る」 という事にも言い変えることもできる気がしました。 あらためて謙虚に、心の水面に波風をたてずに月の光を映していけるよう、 精進してまいりたいと思います。どうも、ありがとうございました。

 

謙虚な心が本当に大切   佐賀 教員 55歳 男性 TM

 今回から熊本の道塾に参加させていただきありがとうございました。 道塾の皆さんの真剣に取り組む姿に圧倒され、私自身も身の引き締まる思いで 参加することができました。
今回特に印象深かったことは 『心は気を創り 気は血を創り 血は身を創る』ということです。 特に大病を患った私にとっては、自分自身が変わらなければ同じ病気に なると言われ、その答えが見つからずにいたときに道塾との出会いの中で希望が 出てまいりました。謙虚な心、正しい姿勢、思いやりの気持ち、これらのことが 本当に大切なことなんだと理解できました。以前から取り組んでいた弓道でも、 正しい正座、歩き方、礼の仕方も深く考えずにただ何となくやっていましたが、 心をこめた動作で自分にでも良い気が出そうな気がして、このことを改めて 気付かせていただいたことに感謝いたします。
 宇城氏のお話や実技検証は ダイレクトに心に響きます。次回8月の道塾を楽しみに、また、 道塾で出会った皆さんとの再会を楽しみに、謙虚な心を持って 日々の生活を送っていきたいと思います。

 

目に見えないものに向かっていくことが重要   福岡 運転士 37歳 男性 TS

 今回も熊本道塾に参加させて頂きありがとうございました。 日本を取り巻く様々な危機的社会状況を通して、知らないことの恐怖、 知っていることの恐怖、知ってしまった恐怖を教えて戴きました。
私達は今、当たり前に生活はできていますが、それは全て本当では ないということ。平和ボケの裏に隠された真実を目の当たりにし、 負のスパイラルはどんどん加速しているように感じます。 そんな世の中にあって宇城先生の展開される道塾は希望を与えてくれる 唯一のものですが、自ら学びに来ているにも関わらず、自分を師匠として、 他人を信じない人間には成長はない、他人を信じない人間は、 自分を信じていない、自分に自信が持てない人間だと学びについての 大きな勘違いを御指摘戴きました。

 自分の心にさざ波を立てず、ただただ心を開く。言葉では簡単に言えますが、 頭脳優先で生きてきた私達には自分の心を静めることもままならず、 もっと自分の内面に向けた問いかけを繰り返し行わなければならないと感じます。 自分を取り巻く環境や、自分自身にも、目に見えるものではなく、 目に見えないものに向かっていくことが重要なのだと思いました。
また本や物を大事に扱うと力が宿り、自力で立ち上がることができない 塾生の方が簡単に立ち上がれるという映像を見せて頂きました。 この物を大事に扱う検証は数年前から先生が提唱されていることでしたが、 目に見えないものを信じようとしていなかった私は物を大切にすれば いいんだと思い、その先にある真実が見えていませんでした。 分子原子レベルで考えれば例え本という無機物でもその構成は有機物となんら 変わりなく、それらが固まって形をなしているということは、 そこにエネルギーがあるということ。そのエネルギーを大事に扱うことで 調和が生まれ、一見、本という何もエネルギーのないように見えるものから エネルギーの伝達が発生し、人間という有機物に対して力を与えている というものでした。

 この事実を知ると物を大事に扱うという行動が、 行動自体は同じだとしても自分のプロセス、また自らやるのか、 やらされるのかという観点で全く別物になると思います。 長い棒を使っての検証でも、宇城先生が気を通すと棒が伸びたり、 縮んだりして、その棒を掴む十数人の方が簡単に動かされていました。 今までは何か神秘的なもの、不思議な力というようなイメージであったものが、 95%の未知のものであることには変わりありませんが、検証後に先生が 「これは科学だ」と仰られたことが腑に落ちた気がします。 古来より無宗教である日本人は、本能的に分子原子の存在を知っていたから こそ全てのものに畏敬の念があり見えない存在(神)があると信じていたのでは ないかと思いました。だからこそ、昔の日本人には力があり間違った世の中を 正そうとする行動が伴っていたのだろうと思います。 宇城先生の提唱される人間力の復活に向け、先生から戴いた新しい視点で日常を 変えて行きたいと思います。
まことにありがとうございました。