2013年 東京上級 第2回 (2013.4.9~10)

気の深さがどれほど深いか今一度実感   埼玉 不動産業 46歳 男性 K.S
 今回検証で、1人の人が真ん中で両手を広げ、両サイドの人が両手で真ん中の人の手を掴み、更にサイドで掴んでいる人の後ろへ4、5人連なり、腰をしっかり抱え掴んだ状態で真ん中の人が動こうとする検証を行ないました。この状態で前に出ようとしても逆に自分が後ろに跳ね飛ばされる感じで、あまりにも力の差が有り過ぎ、左右の列はビクともせず、全く何も出来ませんでした。しかし、その状態でも気を通されると、左右の列をいっきに引き付け、前に進む事が出来ました。これを普通にやろうと思ったら、相当な筋力が必要です。女性でも出来てしまうという事実は、力=筋力という常識をあまりにもはっきりと覆してしまう衝撃的な検証でした。
 次に左右の人達に親指を立ててもらって、その上に手の平を軽く乗せた状態で前に出ようとしました。すると、私の場合、左手の列の方は引っ張って行けましたが、右手の方は動かせませんでした。すると、丁度先生がいらして「力でやろうとしているからだ」と仰り、軽く手を添えて押されると、右の列がガクン!と強烈に動きました。おそらく私は、一回目の成功によって調子にのり、欲が出て、力でやろうとしてしまい、調和ではなく衝突を起こしてしまったのではないかと思います。せっかく気を通してもらっても、受ける器がしっかり出来ていなければ宝の持ち腐れになってしまうという事をあらためて実感しました。
 そして、気を通してもらっているにもかかわらず出来ない自分、先生が列を動かした時の凄さを間近で直接感じ、気のレベルの桁が恐ろしく違う事が良くわかりました。例えですが、霧の中を歩いていて、先生はどれ位先にいるのだろう?と、霧が晴れたら見えるかと思っていたら、地平線の彼方でやっぱり見えない。この様な感じでした。筋力は相当鍛えても一般人の5倍ともなれば限界に近いと思われます。50倍はありえないとわかります。しかし、気の差は50倍、100倍、1000倍、もしくはそれ以上も有り得るのではないかという気がします。気の深さがどれほど深いか今一度実感しました。それを正しく求め活用する事は、深さゆえに、もの凄い可能性がある様に思えます。そして今回は心からの調和と自然体の重要性を強く感じ、ぶれてしまう心など、自分にはまだまだ足りない物だらけだと思いました。

 

無意識にできるよう育てられたことに感謝   神奈川 大学生 19歳 女性 H.O

 「三つ子の魂百までも」。宇城先生がおっしゃるのを聞いて、母がよく言っていたことを思い出しました。3歳までの期間が吸収しやすい時期であり、大切な時なのですね。それを分かっていた母は素晴らしいと思いました。自分自身に記憶はありませんが、母がその時期に注いでくれたことが、今になっても変わらず生き続けているのでしょう。お箸や鉛筆の持ち方、食事の際には肘、左手や背筋への注意、また靴を揃えることなど、幼い頃からしつこく言われてきました。先生も、『心と体 つよい子に育てる躾』の一部として挙げています。正直、子供の私にはそんなことなど分からず、鬱陶しいとばかり思っていましたが、最近ではそれに感謝できるようになりました。躾が自分の中に染みこみ、自然とできるようになっているからです。周りを見ると案外出来ていない人が多く、比べるとまず見栄えに差が出てきます。そして先生がおっしゃるように、身体の強さが違います。心が安定した感じです。私はまだ、教わったことをこなしているにすぎませんが、無意識にできるよう育てられたことに感謝です。子供の躾について、精神論ではなく、先生のお話からは納得できました。その躾に、更に心が入るようになれたらいいのかなと思います。

 

事実を体験し無限の可能性への「希望」を確信   東京 自営業 47歳 男性 T.W

 宇城先生より、人は5%の自分の能力しか使えていない。その5%の中で考えているから限界があるのだといった主旨のお話がありました。このとき自分は「常に謙虚であること」、「思考にとらわれず、まずは行動すること」の大切さが改めて理解できたような思いがし、心がとても晴れやかになりました。それは道塾での実習を通して自分自身が一般常識を超えた大きな力を発動できる事実を体験し、無限の可能性への「希望」を確信しているからです。
 自分にとって毎回の道塾は生き方の学びとともに、日常生活を具体的に省みて正していくための場ともなっています。

 

未来を明るくするのは“今の自分   東京 会社員 26歳 男性 N.S

 今回の講義で、1歳から10歳までの間にしっかりとした教育をしなくてはならないというものがありました。難しい話だとしても、子供達はそれを受け取れる力がある。その1歳から10歳までの間が、一番無意識の記憶として刻まれる期間なのだと思いました。
無意識の教育がしっかりとしていればブレることはなく、どんどん成長していける。
 しかし、道塾での複数の人を動かすという検証では、リスクがなければただやってみることは出来ますが、リスクがある場合、すでに無意識のところで逃げてしまっている自分がいることを教えていただきました。その時はチャンスがきても自分でそのチャンスを避けてしまっている。人間が行動する上で、すべて無意識のところが作用していることが改めてわかりました。

 また、無意識での教育ができていない人間は、何をやっても成功していけないのではないかとも思いました。狼に育てられた子供は、そのあと人間に育てられたとしても狼の習性が抜けないお話がありました。それだけ1歳から10歳までの教育が大切であり、通常の教育ではもう手遅れになってしまうことを感じました。
 しかし、先生はその誰もが指導できない無意識の部分を指導してくださいます。自分ではどうすることもできない無意識の部分に気づき、気づかせてくださいます。また先生にお会いするだけで自分が悩んでいることがとても小さく思います。自己中心に勝手に悩んでいるだけ。
前に前にどんどん前進していこうという気になります。先生と同じ時間を共有させていただくことで、勝手に無意識の部分が変化している。その無意識の変化にこそ人生の進歩、成長があるのだと思います。
 日常生活でも先生がいつも仰るように「席を譲ろうではなく、気づいたら譲っている自分がいた」でなくてはならないのだと思いました。「譲ろう」では頭の命令であり、また咄嗟に応用が利きません。

 それと今回は、過去に依存している自分がいることに気づかされました。先生が話された「伸びない人は過去に依存している」
まさに自分がそうでした。過去に依存している話を聞いた相手は嫌がる。その癖を取らなくてはいけない。まさに自分のことだと痛感すると同時に、過去に依存している自分を捨てれば伸びていけるという希望が湧いてきました。
未来を明るくするのは過去の自分ではなく、今の自分だという事を肝に銘じていきます。