2014年 大阪中上級 第2回 (2014.3.5)

自分の視点の低さや狭さに気づかせてもらえた   京都 会社役員 41歳 男性 ST

 いつも素晴らしい学びの機会をいただき、本当にありがとうございます。
前回4月の道塾では改めて言葉にならない感動を覚え、 その感動を少しでも報告したいと思いながらも、一向に筆が進まず悩んでいたところ、 もう明日が6月の道塾となってしまいました。
大変遅くなり恥ずかしいのですが、4月の道塾の感想を送らせてください。

 自分のスケールのあまりの小ささに気付かされた回でした。 自分では素直な部類の人間だと思っているのですが、 自分でも全く気が付かないところで常識に振り回されて視野狭窄になっていたり、 物事に対する自分の普段の解釈がいかに自分に都合よく恣意的なものなのか、 ということなどが猛烈に思い知らされました。 本を真っ直ぐ丁寧に置くと気が通るなんて、 私の自分の力では全く見ることも知ることもできない世界です。 メモを取ると弱くなるなんて思いつきもしませんでした。

 物事の見えている部分しか、あくまで表面的な部分しか見ていなかったこと、思い知らされました。
自分の視点の低さや狭さに気づかせてもらえたこと、改めて本当に感謝しています。
この学びの爽快感は何なのでしょうか?この溌剌とした気持ちはどこから来るのでしょうか?
これぞ本物の教育なのだろう。心底そう思います。

 「優しさと厳しさは同じである」そのお言葉の通り、道塾でのご指導で宇城先生の発せられる圧倒的な迫力は、 畏怖させられるものでありますが、同時に愛情や温かさを感じてなりません。 入塾して5年。まだまだレベルの低い私ですが、それでも最近、 宇城先生の仰ることが前よりも素直に受容できるようになってきたと感じることがあります。

 言葉にならない領域での感じ方ですので説明が難しいのですが、 とにかくその自分の内面的変化をとても喜んでいます。 これからもっと成長していきたいです。
いつも素晴らしい学びと刺激をいただき、本当にありがとうございます。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。

 

道塾での教えは、日常の中に活かしてこそ意味がある 大阪 臨床検査技師 47歳 男性 NI

 「心は気をつくり、気は血をつくり、血は身をつくる」と先生はおっしゃられました。 昨年には、「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かうところに応じる」 ともご教示いただきました。初級より一貫して、普通では体験できない気のちから、 気の優しさを、先生に気を通していただくことにより、自身の身体で体験させていただいております。 ふりかえって(フィードバック)、入塾時のころを思い返しますと、専ら知識に頼り、 自分なりに理屈を考えて、自らの浅薄な知識に、無理にでも (当時は少しくらい頭で判るのではと考えて)あてはめようとしていた私でした。

 ところが、今では「気には凄い力があるのだ。それも、気の力は優しさの中にこそあるのだ。」 と理屈抜きに感じられる自分に変わっています。素直に自分の身体が感じられるようになりました。 ならば、頭で考えることはないのか?確かに考えることはありますが、表現としては 「考えていても、そんなことは気にしなくなった。」と言うことです。 自分の中のどこかにいた、マジックのタネを見つけるかのような、さもしい横着な心は、 圧倒的な気の強さと優しさの中で霧散しました。 では、気をどのようにして身につけるのか、先生は「気をうつす」とおっしゃられます。 我々からすると激流の大河のような先生の気に対して、お猪口のような器を差し出しても、 水は弾かれて数滴しか残りません。

 しかしながら、先生は我々の器そのもの(細胞の一つ一つ)を 瞬時に変えてしまわれます。自分勝手な考えや行動をすることをしなければ、 全ての人に気が使うことのできる可能性があることもお示しいただきました。 そして、毎日に活かしていく方途(フィードフォワード)もご教示いただいています。

 サンチンの例をあげて、「脇を締める」とか意識して考えるのではなく、 「ただひたすらに」行いなさいと示していただきました。道塾での教えは、 日常の中に活かしてこそ意味があります。
空手の型を日課の中に取り入れることは、その中の一つです。 さらに進んで、「心あり」の行動を日常で行っていくこと。考えずに、身体が反応することができるようにすること。
型を活かすことの意味が、頭でなく、 身体で解り(反応し)始めたと感じています。

 そこから、また、型に戻って、 それを日常の行動(身体)に活かすのですね。
先生がおっしゃられることが、実は釈迦や孔子などの先哲たちが残されたものと通じると思っております。 釈迦は、お経(弟子への講義を弟子が文章として残したもの)において、人の行動・振る舞いを教えていますし、 孔子は「仁」(相手の身になって、人に優しさをもって接する)を最高の徳としました。
先生は、「心あり」の生き方の大切さと、その生き方を、一人ひとりに実体験を通して教えていただいています。

 ここで重要なのが、実体験していることです。「心あり」の行動と、「心なし」(自分勝手)な行動とでは、 雲泥の差があることを、我々は身体で学びました。それも、惜しげもなく、時に厳しく、時に笑いを交えながら。 本当に、先生と出会うことのできた私は、幸せだと感じます。先生ありがとうございます。 自らの一人革命のため、「心あり」の行動・振る舞いを行ってまいります。 そこに、おろそかになりがちな、先生から言われる「真剣」を加えていくことを、心に常に置きながら、 今日も明日も、仕事に、家庭に、時に遊びに、ただひたすらに。

 

希望と道を与えてくださり、努力は私たち次第   滋賀 営業 33歳 女性 AF

 中島さんのリハビリ―について、ビデオを見せていただき、先生が 「不幸になったり、身体が不自由になったりする時に気の効果がもっと分かる」とおっしゃていました。 本当に、上手くいかない時に成長できると感じていて、不幸になることや不自由になることを有難く受け取り、 成長の道を開けることができると思いました。しかし、受け取るだけでは足りず、努力と希望が重要だと思います。

先生は希望と道を与えてくださり、努力は私たち次第だと感じました。 また、自分の行動はどのぐらい周りに影響するか大変よく分かりました。 靴を揃えても、隣に形が崩れている靴があって、そのままに置いておくと、 身体は強くならない。自分の行動だけではなく、周りへの気付きも非常に大事だと感じました。 日常生活でも自分に集中してしまうと、他人への気遣いはできなくなるし、それは身体にも悪い影響を与えてしまいます。 それは、先生がおっしゃっている心の余裕がない状態(車のガソリンメーターのE)と同じではないかと思いました。 心に余裕があれば、他人や周りにも気遣いができるようになる。
「めんどくさい」「やってもいいのか?」という考えが出てくる時点で遅い、余裕がない状態になってしまっています。 また、先生が大勢の人を気で動かす時ですが、エネルギーの方向の見やすさ、パワーのすごさに感動しました。

普段、私はこういうことができると全然感じていないですが、二人に乗る練習の時に、気を通していただくと、 お二人の形がどんどん崩れていく瞬間、「できる!!」という喜びを感じました。
この感動は本当に大事にしたいと思っていますし、日々のパワーになるように、これからも自分を信じて、 周りに気遣いができ、心に余裕がある行動を心がけたいと思いました。
ご指導誠にありがとうございました。

 

気の世界を体験することにより、生まれるスピード   大阪  会社役員 41歳 男性 MO

 宇城先生より気を送られることにより、私達は、気の世界を体験することが 出来ます。
そして、その気の世界を体験することにより、私は自分に何が 足りないかを自覚することが出来ます。 全く不思議な感覚ですが、言葉や態度だけでなく、体験させて頂くことにより 感じる世界があります。
それは宇城先生が仰る通り、スピードがまるで違います。 物事を理解するのにかかる時間が、気の世界を体験させて頂くことにより、 まるで異なるのです。 この日も宇城先生より、気の世界を体験させて頂き、私は物事に本質が あることを知ってさえいなかったのだと自覚させられました。 これまで私が、固執してきたものは、全て捨てなければならない本質と全く 反対の事であったと自覚させられました。
真の強さというものを知ったとき、「筋肉を中心とする肉体的な強さ」を 追い求めることは、得られるものより、失うものの方が大きいことを知りました。 心から尊敬する師の存在を知った時、立場的に上司であることや、 自分より裕福な人を目標とする価値観が、全く見当違いで、本来生まれながらの 完成形である自分自身から、逆に遠ざかって行くことを知りました。 私ではなく公を取ろうとする志の美しさを知ったとき、見た目や服装、 心無しの言論では、決して取り繕うことは出来ないないことを知りました。
道塾に参加して、宇城先生より気の世界を体験させて頂くたびに、自分の中で 1つ1つこれまで誤魔化してきた部分を自覚させられます。 私は、今後も道塾で気の世界を体験させて頂くことにより、道塾に参加する前の 自分と全く別の人間に生まれ変わりたいと思います。 全く別の人間に生まれ変わることが出来た時、今見ている風景も全く変わった 世界に見えると思います。
今後とも道塾にて、ご指導を宜しくお願い致します。

 

目に見えないエネルギーによって生かされている   滋賀 学生 23歳 男性 NI

 久しぶりの道塾でしたが、短時間の中でも今回も重大な気づきを頂きました。 あらゆる角度から丁寧に、また身体を使って教えて頂ける稀有な環境に、改めて感謝しております。ありがとうございます。
 地球環境の乱れについて、それが人類全体の心の波動の乱れともリンクしているというお話は、ハッとさせられるものがありました。このお話に鑑みると、人間は地球という一つの生命体を構成する細胞のようなものなのだと思います。人間の心が乱れ、地球環境が乱れているという事実から、そう遠くない未来にいろいろな危機が立ち現れてくるのだと考えるのが自然だと思えてきます。
 何気なく日常を過ごしていては、太陽光や空気や木々によって我々が生かされているのだという当たり前のことを忘れてしまいます。 人間の世界という低次元での見苦しい争いの中で思い上がってしまっては、地球から頂いている重力というエネルギーから遮断されて当然です。単なる祈り(感謝)の所作だけで重くなるという実践にはそのことが明るみにされているのだと考えました。立ち方や座り方、靴を揃えるなどの日常の動作においても、身体が重くなったり軽くなったりします。その差は横着をせずに真心(感謝)を込められているかどうかに関わるのだとすれば、今この瞬間を真剣に生きて大事にする感覚を保つ努力が必要です。
 日本人が古来重んじてきた日常の所作や礼法の中には「理」が存在し、それはその効果が目に見えるものではなかったとしても、とにかく大事であるとは頭ではなく身体で分かっていたからこそ、継承されてきたのでしょう。 現代人に見えていないものが、嘗ての日本人には見えていたとも考えられます。対照的に今は、科学的根拠がないものは全て非効率で不必要だと見做し、合理性一辺倒でないがしろにしてきました。
 例えば電車の中で足を組んで座る人の姿が目立ちますが、昔の日本人ならそのようなことはあり得なかったのではないでしょうか。 武士を描いた絵にはそのような様子は少なくとも見られませんし、嘗ての戦前の軍人が映った写真にも見られません。如何に現代人が、科学的根拠という目に見えるもののみを根拠とし、生命や宇宙の神秘を忘れて傲慢で横着になっているか、ということだと思います。
 宇城先生のご指導を受ける前の嘗ての自分を思い出すと、隅から隅まで横着の極みでした。 このような実証は、ニュートン物理学の視座からでは説明できず、最新の量子物理学がその答えに近づいてきているというお話は、大変希望が沸くものでした。天動説から地動説へと常識が移行したときのような大転換の手前で、その最前線の実例を目の当たりにしているのだと思うと、 どれだけ有難い学びを頂いているかということです。現代人が理解できるように、再現性・客観性・普遍性のある実証を根拠として、最新の科学が証明し始めたことを即座に用いて私たちに伝えようとされている宇城先生の途轍もなく大きな思いやりを感じました。とはいえ、いつでも科学が人間の潜在能力を後追いしているという現実では、自らが生きる証明となり、一人革命で人々を導いて行くのが先決であり、またそれが使命であるとも感じます。ニュートンの古典物理学から最新の量子力学への動きのように、古い悪しきものを捨てて先の先を見て、スピードを上げて行動していかなければなりません。目に見えない空気や太陽のエネルギーによって生かされている感謝を土台に、すべてのものを大きく広く受け入れられるような自信と器を育てるべく、日々一歩一歩着実に「真剣」な生き方へと近づいて行こうと思います。

 

「最先端の常識」は目に見えないことろにある   大阪 教諭 43歳 男性 KY

 今回も道塾中上級クラスでのご指導、ありがとうございまいた。新しい発見、自分の中でモヤモヤしていたことが晴れた喜びなど、いつも以上に実りある2時間であったように思いました。
 まず、講義の中での一番の発見は「最先端の常識」は目に見えないことろにあるということでした。今の世の中は目に見えることがすべて、科学的に数字などで検証されたことがすべてのように錯覚しています。以前からそのことについては疑問を持っていた私ですが、それを宇城先生は「気」というエネルギー論で、わかりやすく説明し「あたま」で理解させ、検証を通して「からだ」で理解させてくださいました。

 私は道塾でお世話になりはじめ、私の中で何が変わってきたかというと、一つは今まで以上に目に見えないものを信じるようになったことです。そのような自分の変化から、感謝する心、思いやる心、気配り、謙虚さなどが自分の体内から沸々と湧き上がってくることをよく感じるようになりました。まだまだ至らない私ですが、道塾でお世話になって大きな変化だと思っています。この変化が周りの人への変化につながり、良い方向へと向かうことを望むばかりです。これこそが宇城先生の仰る「一人革命」の第一歩ではないかと思っています。
 それから、「心は身体に優先する」という言葉も印象的でした。手を合わせる合掌の姿勢を取るだけで身体が強くなりました。しかし、同じように手を合わせても、心の中で願い事をすると身体が軽くなりました。
 実は、私は毎朝神社に参拝していますが、一度も願い事をしたことがありません。ただ、手を合わせ、宇宙からのエネルギー、大地からのエネルギーをいただき、そして感謝しています。それが間違いではなかったのだと、話を聞き、検証をしていく中で嬉しくなり、大きな幸せをいただいたような錯覚に陥りました。いつもそうなのですが、道塾からの帰りは「幸せ」な気分に浸れます。そこが甘いと叱られるかもしれませんが、今回も「幸せ一杯」で帰路につけました。「幸せ」な気分になり、「生きるエネルギー」を与えられ、「自分が進むべき方向」が発見できる道塾が楽しみでなりません。
 次回の道塾まで、再び宇城先生の教えを実践し、吸収する毎日を過ごす覚悟でいます。 ご指導ありがとうございました。

 

日本の日常には、凄いちからがあることを実感   奈良 会社員 45歳 女性 TI

 日本の日常には、凄いちからがあることを実践で見せて頂き感動しました。見て感じることの凄さも今まで以上に実感しました。
 一番驚いたのは靴を揃えること。自分のだけではダメだということに とても驚きました。なぜ?という理由がわかったからきちんとするというのもおかしいですが、正座をはじめ、一つ一つの動作をきっちり丁寧にして、自分の土台づくりをしていきます。
“全てのものにエネルギーがある。”
 エネルギーは目に見えませんが、エネルギーの迫力を先生に見せて頂き、エネルギーの伝わる威力を実感しました。エネルギーを意識して日常を送り、見えないものを見、感じて生活していきたいと思います。
“生かされて生きることができている。”
“だだ生きているだけではいけない。”
 生かされているということは意識から離れ、忘れがちですが、感謝していきたいと思います。
“教えをこう時に「自分」は必要ない。”
  とても心に響きました。初心にかえることができました。

 また、全員の列を先生が押したり引いたりされた時、身体の力が下に落ち、ふわっと抜けた感じがしました。女性の方が押された時も、「力入れてません」とおっしゃっていました。それを聞いて、今まで当たり前と思ってたことが何だったのか本当にショックでした。今の常識・マインドコントロールを取り払って自然体で生きていきたいと切に思いました。また、リハビリをされている映像を見せて頂き、脳からの命令ではないのに動作ができるということ。常識では考えられませんが、これがまぎれもない現実。今の自分は脳からの命令でしか動けていないというのも現実。ですが先生に、できる自分を体感させて頂いています。人間が持っている本来の回路を呼び覚ましたいです。
 前回から2ヶ月、薄らぎ出していた感覚が、また、たくさんの“できる実体験”を通して、みんなできるんだ・自分もできる、という思いが強くよみがえりました。ありがとうございました。今朝、身体の軽さ・りきみのなさを実感し、感動しています。この感覚がいつまでも続いて欲しいです。ありがとうございました。