「一人革命」を体現した結果の甲子園出場に学ぶ 大阪 会社役員 40歳 男性 M.O
これまで道塾に参加させて頂いて、「出来る自分」と「出来ない自分」について、最近少し落ち込む時間が増えてきました。
「出来る自分」は、道塾で宇城先生から気を送ってもらった時の自分。
「出来ない自分」は、普段一人で仕事や生活をしていて中途半端なままでいる自分です。
周囲の道塾の生徒さんとお話しさせて頂く機会があり、そんな時は益々焦りばかり がつのっていきます。
最初道塾に通い出した時は、自分の知らなかった世界への驚きと新鮮しかありませんでした。それから、分かっていても出来ない自分への焦りは怒りや自分自身への、失望すら感じる日々です。
そんな中、今年の夏、森島先生の桜井高校が甲子園へ出場しました。この時は、本当に驚きました。
私は、奈良県の出身ですから、これがどれほどの偉業か理解できます。奈良県の代表校は、天理高校か智弁学園というのは常識となっています。これらの高校に入るのは、甲子園に出場するより難しいと言われています。
私の同級生にも、リトルリーグで実績がありながら、天理高校のセレクションに落ち、その後大阪の近大附属に入学して、レギュラーとして甲子園で優勝したぐらいです。
森島先生の生徒さんの感想文は、普段から道塾のメールを通して読ませて頂いておりましたが、内容は驚くべきことばかりです。森島先生は、自分自身だけでなく生徒さんにまで宇城先生の影響を浸透させられ、宇城先生の一人革命を体現されました。
今は、自分自身すら実践できない私ですが、私も経営者として、いつか森島先生のように自分自身の会社を森島先生のように変えられるように、これからも宇城先生の下で学び続けたいです。
これまで道塾に参加させて頂いて、「出来る自分」と「出来ない自分」について、最近少し落ち込む時間が増えてきました。
「出来る自分」は、道塾で宇城先生から気を送ってもらった時の自分。
「出来ない自分」は、普段一人で仕事や生活をしていて中途半端なままでいる自分です。
周囲の道塾の生徒さんとお話しさせて頂く機会があり、そんな時は益々焦りばかり がつのっていきます。
最初道塾に通い出した時は、自分の知らなかった世界への驚きと新鮮しかありませんでした。それから、分かっていても出来ない自分への焦りは怒りや自分自身への、失望すら感じる日々です。
そんな中、今年の夏、森島先生の桜井高校が甲子園へ出場しました。この時は、本当に驚きました。
私は、奈良県の出身ですから、これがどれほどの偉業か理解できます。奈良県の代表校は、天理高校か智弁学園というのは常識となっています。これらの高校に入るのは、甲子園に出場するより難しいと言われています。
私の同級生にも、リトルリーグで実績がありながら、天理高校のセレクションに落ち、その後大阪の近大附属に入学して、レギュラーとして甲子園で優勝したぐらいです。
森島先生の生徒さんの感想文は、普段から道塾のメールを通して読ませて頂いておりましたが、内容は驚くべきことばかりです。森島先生は、自分自身だけでなく生徒さんにまで宇城先生の影響を浸透させられ、宇城先生の一人革命を体現されました。
今は、自分自身すら実践できない私ですが、私も経営者として、いつか森島先生のように自分自身の会社を森島先生のように変えられるように、これからも宇城先生の下で学び続けたいです。
塾長のお話に感じる「自然の真理を大切にすること」 大阪 医療関係 24歳 男性 M.U
今回、庭に出てきたタヌキのお話がありました。雨の日にタヌキの子どもが溝に落ち死んでおり、それから親タヌキが来てこれからどうするのかを宇城先生は観察されていたそうです。すると、すぐに巣に連れて行かず、雨が止んで濡れた体が乾いてから連れて行ったとのことでした。
宇城先生は、誰からも教えられたわけでもない、この乾かすという知恵をタヌキが自然に行っていたことに驚いたとおっしゃっていました。このお話をきいたとき、「本当に自然って無駄がなく、よく出来ているんだな~」と思いました。
それぞれの動物たちの本能、DNAに刻み込まれているのだと思います。この「自然」を客観視してしまい、自分が枠の外にいるようにとらえてしまうことが多いと反省しました。
自然と人間を切り離して考えている内は、地球からの愛(重力)を感じ取れないし、調和して一体となる統一体には程遠いと思いました。
このタヌキのお話からは、自然の偉大さに気づかされただけでなく、宇城先生の学ぶ姿勢も勉強させていただきました。私であれば、このような場面にあっても、ただ通り過ぎてしまい学ぶことが出来なかったと思います。
いつも宇城先生のお話の中で感じることは、宇城先生は大多数の人たちによって作られた「常識」だけでなく、「自然の真理」といったものを大切にされているように感じました。だからこそ、宇城先生ほどの方でも、常に謙虚でいらっしゃるのではないかと思いました。
宇城先生は、気で重くなるのは、重力・密度が変わっているからとおっしゃっていましたが、今回はボールで検証してくださいました。同じボールを同時に落としたときに、気を通したボールが早く落ちました。
今まで、重力が変わることを疑ってはいませんでしたが、他人を介さない、より目に見えてわかる変化であったため「これで疑っていた人は信じるしかないな!」と思いました。いかに周りの方に理屈でも科学的(客観性、普遍性、再現性)にわかってもらうかといった宇城先生の愛を感じました。
本当にありがとうございます。
福島の原発事故で真実を伝えようとされた方々のお話があり、自分の命が危なくなるかもしれないのに周りの人のために行動されていました。
『道』176号の表紙になっていた吉田松陰先生もまず相手のために、国に暮らす人達のためにまっすぐ歩まれていました。 「何のために」というところが、ぶれない心を創っていくのかと思いました。ただ漠然と時間を過ごしていることが多いので、何のためにこれをしているのかをはっきりさせていきたいと思います。
『道』で連載されている稲田美織さんの、168号での「二度とあんなテロを起こしてほしくないという志、そうならないために私を使ってほしいと強く神様に思った」という文が思い出されました。自分がこの世に生まれた使命、役目を感じることができたら、今以上に行動力も人間力も高めていけると思いました。
道塾から二日後のことでした。終電時間となっていた駅の階段を降りて歩いていたとき、後ろの方から「ドーン」と音が聞こえました。いままでの私なら、そのまま乗りかえのホームまで気にせずに歩いていっていたと思います。しかし、宇城先生の講義を受講してすぐであり、通勤の電車の中で「道」を読んでいたことが影響し、来た道を戻って音を確認しに行きました。
すると、酔っ払っていた方が階段から落ちて頭を流血していました。 周りにいた人達と協力して救護の方々が来るまで対応させていただきました。
この経験から、終電時間で自宅に帰れなくなるにも関わらず介抱?してくださる温かい方々がいることを確認できました。こんなところでも人の人情、絆を感じることができました。 また、今までの私であれば、家に帰りたいという欲から来た道を戻っていくことはなかったと思います。そして、「他にも人がいるから大丈夫」という気持ちの恐ろしさを感じました。ひょっとしたら人が倒れた音かもしれないと思っても、「他にも人がいるから大丈夫」と思って帰っていたと思います。 実際に倒れた現場に出くわしても、周りにも人がいれば、「他にも人がいるから大丈夫」「誰かがやってくれるだろう」と思って通り過ぎてしまうかもしれません。
動物界では、一人でいるときよりも、群れでいるときの方が安心(油断)してしまい肉食動物に狩られてしまうという話を聞いたことがあります。
周りに流されず、無関心にならず、まずは自分から行動を起こすことの重要性を日常で感じることができました。そして、今までの私であれば、「介抱するのを手伝ったよ」と後日周りの人に自慢話をしていたと思います。
今回も、優越感のようなものは少しあったと思います。しかし、それ以上に、「病院先で回復されているだろうか」、「もっとよい対応の仕方があったのではないか」といった気持ちが強かったです。
まだまだ素直さ、謙虚さ、行動力が足りず、損得勘定を頭で考えてから行動してしまうことが多いですが、宇城先生から日々学ばせていただいていることを実践していき、人をひきつける、魅力ある人になって人様の役に立てるように頑張っていきたいと思います。
今回、庭に出てきたタヌキのお話がありました。雨の日にタヌキの子どもが溝に落ち死んでおり、それから親タヌキが来てこれからどうするのかを宇城先生は観察されていたそうです。すると、すぐに巣に連れて行かず、雨が止んで濡れた体が乾いてから連れて行ったとのことでした。
宇城先生は、誰からも教えられたわけでもない、この乾かすという知恵をタヌキが自然に行っていたことに驚いたとおっしゃっていました。このお話をきいたとき、「本当に自然って無駄がなく、よく出来ているんだな~」と思いました。
それぞれの動物たちの本能、DNAに刻み込まれているのだと思います。この「自然」を客観視してしまい、自分が枠の外にいるようにとらえてしまうことが多いと反省しました。
自然と人間を切り離して考えている内は、地球からの愛(重力)を感じ取れないし、調和して一体となる統一体には程遠いと思いました。
このタヌキのお話からは、自然の偉大さに気づかされただけでなく、宇城先生の学ぶ姿勢も勉強させていただきました。私であれば、このような場面にあっても、ただ通り過ぎてしまい学ぶことが出来なかったと思います。
いつも宇城先生のお話の中で感じることは、宇城先生は大多数の人たちによって作られた「常識」だけでなく、「自然の真理」といったものを大切にされているように感じました。だからこそ、宇城先生ほどの方でも、常に謙虚でいらっしゃるのではないかと思いました。
宇城先生は、気で重くなるのは、重力・密度が変わっているからとおっしゃっていましたが、今回はボールで検証してくださいました。同じボールを同時に落としたときに、気を通したボールが早く落ちました。
今まで、重力が変わることを疑ってはいませんでしたが、他人を介さない、より目に見えてわかる変化であったため「これで疑っていた人は信じるしかないな!」と思いました。いかに周りの方に理屈でも科学的(客観性、普遍性、再現性)にわかってもらうかといった宇城先生の愛を感じました。
本当にありがとうございます。
福島の原発事故で真実を伝えようとされた方々のお話があり、自分の命が危なくなるかもしれないのに周りの人のために行動されていました。
『道』176号の表紙になっていた吉田松陰先生もまず相手のために、国に暮らす人達のためにまっすぐ歩まれていました。 「何のために」というところが、ぶれない心を創っていくのかと思いました。ただ漠然と時間を過ごしていることが多いので、何のためにこれをしているのかをはっきりさせていきたいと思います。
『道』で連載されている稲田美織さんの、168号での「二度とあんなテロを起こしてほしくないという志、そうならないために私を使ってほしいと強く神様に思った」という文が思い出されました。自分がこの世に生まれた使命、役目を感じることができたら、今以上に行動力も人間力も高めていけると思いました。
道塾から二日後のことでした。終電時間となっていた駅の階段を降りて歩いていたとき、後ろの方から「ドーン」と音が聞こえました。いままでの私なら、そのまま乗りかえのホームまで気にせずに歩いていっていたと思います。しかし、宇城先生の講義を受講してすぐであり、通勤の電車の中で「道」を読んでいたことが影響し、来た道を戻って音を確認しに行きました。
すると、酔っ払っていた方が階段から落ちて頭を流血していました。 周りにいた人達と協力して救護の方々が来るまで対応させていただきました。
この経験から、終電時間で自宅に帰れなくなるにも関わらず介抱?してくださる温かい方々がいることを確認できました。こんなところでも人の人情、絆を感じることができました。 また、今までの私であれば、家に帰りたいという欲から来た道を戻っていくことはなかったと思います。そして、「他にも人がいるから大丈夫」という気持ちの恐ろしさを感じました。ひょっとしたら人が倒れた音かもしれないと思っても、「他にも人がいるから大丈夫」と思って帰っていたと思います。 実際に倒れた現場に出くわしても、周りにも人がいれば、「他にも人がいるから大丈夫」「誰かがやってくれるだろう」と思って通り過ぎてしまうかもしれません。
動物界では、一人でいるときよりも、群れでいるときの方が安心(油断)してしまい肉食動物に狩られてしまうという話を聞いたことがあります。
周りに流されず、無関心にならず、まずは自分から行動を起こすことの重要性を日常で感じることができました。そして、今までの私であれば、「介抱するのを手伝ったよ」と後日周りの人に自慢話をしていたと思います。
今回も、優越感のようなものは少しあったと思います。しかし、それ以上に、「病院先で回復されているだろうか」、「もっとよい対応の仕方があったのではないか」といった気持ちが強かったです。
まだまだ素直さ、謙虚さ、行動力が足りず、損得勘定を頭で考えてから行動してしまうことが多いですが、宇城先生から日々学ばせていただいていることを実践していき、人をひきつける、魅力ある人になって人様の役に立てるように頑張っていきたいと思います。
これから、もっと自分を変えていきたい 奈良 自営業 35歳 男性 K.O
今回、初めにヨットの話をされていて、私は少し遅れてそのお話を途中から聞かせていただきました。そこで感じたのですが、すごく和やかな空気でそのお話をされていたのがグッと空気が変わり、ピリッとした緊張感の中講義が始まり、気がつけば宇城先生のお話にのめり込む自分がいました。
身体を持ち上げる実践で前で手を重ねたとき、サンチンの呼吸のときは身体が重くなり、逆に気合を入れたときは、普通よりも軽くなる。月の重力と時間のお話をされたときに、重力と時間は関係している。宇城先生の気が、重力と時間をコントロールされているという事実で、子供の時に色んな事を想像し、ワクワクしていた感情が、宇城先生のお話で甦りました。
昔は何に対しても好奇心があり、どんなことでもワクワクしながら希望を感じ生きていたはずが、大人になるにつれ、その好奇心が理屈に変わり、希望が、今ある出来事にしか目がいかず、知らない間に 本来あるべきものに気づかなくなっていました。
宇城先生に気を通していただき、呼吸を教えていただき、気づきを与えていただき、変化させていただき、希望を与えていただいている事に、例えようのない感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそ、自分自身が変わり、周りを変え、その流れが繋がる事に使命感を感じます。その為に宇城先生のご指導は、私にとって絶対的なものであり、生涯の宝物でもあります。これから、もっと自分を変えていきたいと思います。
今回、初めにヨットの話をされていて、私は少し遅れてそのお話を途中から聞かせていただきました。そこで感じたのですが、すごく和やかな空気でそのお話をされていたのがグッと空気が変わり、ピリッとした緊張感の中講義が始まり、気がつけば宇城先生のお話にのめり込む自分がいました。
身体を持ち上げる実践で前で手を重ねたとき、サンチンの呼吸のときは身体が重くなり、逆に気合を入れたときは、普通よりも軽くなる。月の重力と時間のお話をされたときに、重力と時間は関係している。宇城先生の気が、重力と時間をコントロールされているという事実で、子供の時に色んな事を想像し、ワクワクしていた感情が、宇城先生のお話で甦りました。
昔は何に対しても好奇心があり、どんなことでもワクワクしながら希望を感じ生きていたはずが、大人になるにつれ、その好奇心が理屈に変わり、希望が、今ある出来事にしか目がいかず、知らない間に 本来あるべきものに気づかなくなっていました。
宇城先生に気を通していただき、呼吸を教えていただき、気づきを与えていただき、変化させていただき、希望を与えていただいている事に、例えようのない感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそ、自分自身が変わり、周りを変え、その流れが繋がる事に使命感を感じます。その為に宇城先生のご指導は、私にとって絶対的なものであり、生涯の宝物でもあります。これから、もっと自分を変えていきたいと思います。
教育は目に見えないものを教える 奈良 中学校教師 49歳 男性 Y.O
先生が講義でおっしゃっておられた、「教育は目に見えないものを教える」というお言葉が、特に心に残っています。ついつい目に見えるものを答えにしがちですが、それでは物事の本質の深さは教えることができません。先生は我々の目に見えないものを根気強く、ていねいに教え続けてくださいます。先生の気高さと深い愛情に敬意を表します。
以前、懇親会で先生に「どうすれば先生は破門になさいますか」という質問をいたしましたところ、先生は、「自分からは破門にしません。相手が去っていけばそれが破門です」と答えていただきました。そのお言葉をうかがったときの感動は今でも忘れません。先生の懐の深さ、愛情の豊かさ、許す心に感銘を受けました。最近特に、先生の教えの真心が自分の心に素直に入ってくるように感じます。先生に教えていただく時間が何か大きなものに包まれた安心感で満たされています。これからも先生がおっしゃっている「1人革命」をおこし、「侍」になれるように精進いたします。
先生が講義でおっしゃっておられた、「教育は目に見えないものを教える」というお言葉が、特に心に残っています。ついつい目に見えるものを答えにしがちですが、それでは物事の本質の深さは教えることができません。先生は我々の目に見えないものを根気強く、ていねいに教え続けてくださいます。先生の気高さと深い愛情に敬意を表します。
以前、懇親会で先生に「どうすれば先生は破門になさいますか」という質問をいたしましたところ、先生は、「自分からは破門にしません。相手が去っていけばそれが破門です」と答えていただきました。そのお言葉をうかがったときの感動は今でも忘れません。先生の懐の深さ、愛情の豊かさ、許す心に感銘を受けました。最近特に、先生の教えの真心が自分の心に素直に入ってくるように感じます。先生に教えていただく時間が何か大きなものに包まれた安心感で満たされています。これからも先生がおっしゃっている「1人革命」をおこし、「侍」になれるように精進いたします。
いつかは変わっていける、変わる自分をめざして 広島 会社員 45歳 男性 K.O
今回の先生のお話の中で強く印象に残ったのが、”男は侍たれ”、”生き様を見せる” でした。
その言葉を聞いた瞬間に何か胸の中で熱く感じるものがありました。常に心の中で刀を差し、妥協せず自分自身を高めていくのを諦めないでいく。まだまだ頭先行で妥協だらけの日常を送っていますが、伝統文化に裏打ちされた所作 (お辞儀、祈り、三戦等)を大切に実行して、いつかは変わっていける、変わる自分をめざしていきます。
さらにアメリカの9.11テロを例えとして、報復は報復を生む事を仰っておりました。相手と衝突では無く調和が大切であると。また同時に、常に真剣勝負なのだと。”三本勝負で最初の一本を取って、後の二本は相手にとらせる。”、 ”真剣を持った勝負では最初の一本で決まる。後の巻き返しなど出来ない。” といった事をビジネスで実行されてきたお話は、とても貴重で深奥な世界を感じるお話でした。
技術者そして経営者として生き馬の目を抜くビジネスの世界に身を置かれてきた先生の説明にはとても説得力がありました。私自身とてもこのような事が実現できている訳ではありませんが、同じビジネスの世界に身を置く人間として、何か大きな指針を与えてもらったような感じがします。
また、我々一般の者は気を受けてもそれを受け取るチャンネルが無い(切り替えられ ない)のだというお話や、日本人が世界で一番生命力が弱いといったお話も納得できるものがありました。確かに自分も心身錆びついており、その通りだと思います。それを覆して挽回できるようにまずは行動、そしてあきらめずに挑み続けていく。そういった気持ちでこれからも日常を過ごしていきたいと思います。
今回の先生のお話の中で強く印象に残ったのが、”男は侍たれ”、”生き様を見せる” でした。
その言葉を聞いた瞬間に何か胸の中で熱く感じるものがありました。常に心の中で刀を差し、妥協せず自分自身を高めていくのを諦めないでいく。まだまだ頭先行で妥協だらけの日常を送っていますが、伝統文化に裏打ちされた所作 (お辞儀、祈り、三戦等)を大切に実行して、いつかは変わっていける、変わる自分をめざしていきます。
さらにアメリカの9.11テロを例えとして、報復は報復を生む事を仰っておりました。相手と衝突では無く調和が大切であると。また同時に、常に真剣勝負なのだと。”三本勝負で最初の一本を取って、後の二本は相手にとらせる。”、 ”真剣を持った勝負では最初の一本で決まる。後の巻き返しなど出来ない。” といった事をビジネスで実行されてきたお話は、とても貴重で深奥な世界を感じるお話でした。
技術者そして経営者として生き馬の目を抜くビジネスの世界に身を置かれてきた先生の説明にはとても説得力がありました。私自身とてもこのような事が実現できている訳ではありませんが、同じビジネスの世界に身を置く人間として、何か大きな指針を与えてもらったような感じがします。
また、我々一般の者は気を受けてもそれを受け取るチャンネルが無い(切り替えられ ない)のだというお話や、日本人が世界で一番生命力が弱いといったお話も納得できるものがありました。確かに自分も心身錆びついており、その通りだと思います。それを覆して挽回できるようにまずは行動、そしてあきらめずに挑み続けていく。そういった気持ちでこれからも日常を過ごしていきたいと思います。