2013年 大阪中上級 第2回 (2013.4.16)

私なりに一歩一歩進みたい   兵庫 会社員 52歳 男性 S.S

 今回も押されたり、引っ張られたりと難なく崩されました。
通常、押すのも引くのも線で来るので逸らすことが出来るのですが、気で押されると線ではなく面で来るので、抗し難い力になります。圧倒的な力です。 引っ張られたら、全身があっという間に持ってゆかれます。手首、腕、肩、胴と順番に引っ張られるのではなく、一気呵成に持ってゆかれます。絶対動かない、絶対投げられないと踏ん張ってみても、力が来ると敵う気がしなくなってしまいます。戦意喪失の状態です。
 先生はよく、もっとすごい世界があると仰いますが、毎回見せていただいている世界がすでに十分にすごい世界です。追いつける気が全くしないのですが、私は私なりに一歩一歩進みたいと思っています。次回も楽しみにしています。

 

心を鍛え、そこから出てくる力こそが本物   大阪 高校教員 50歳 男性 Y.K

 気によっていったいどれだけの人間が動かされるのだろう。人間にはいったいどれだけの力が存在しているのだろう。目の前で起こっている現象を見て、ただただ驚きでした。3人から4人連なっている先頭の人が、歩いていく人に指一本触れるだけで連れていかれるのは圧巻でした。
 鍛えるとはどういうことか。筋力トレーニングをやって強くなろうとすることにどれだけの意味があるのかと、今更ながら思い知らされました。トレーニングルームで筋力トレーニングをし、罵声を浴びせられながら競争に勝とうとする中で競技力の向上を目指すことが、選手も指導者も正しいと思っています。しかし、実際は違います。心を鍛えること、そしてそこから出てくる力こそが本物です。それを宇城先生は私の目の前で証明されています。体育教員・部活の顧問として、生徒たちにそれをどのように伝えていけばよいのか。自分の無力さを感じるばかりです。口先だけでは誰もついてきてくれません。自分の心を成長させるしかありません。そこから出てくる力で伝えるしかないことを、強く強く感じさせていただきました。

 

身体を通して知ったはずの気“上級の落とし穴”   大阪 医師 54歳 女性 H.A

 二人で向き合い、互いの両腕を組みながら腕力で相手を左に倒そうとすると、右側が虚になるという検証をさせていただきました。力を抜いたつもりでもなかなか思うようにできませんでした。無意識のうちに衝突をする癖が深く染み付いているのだとわかりました。腕の力づくで来られるとどうしても力で受けてしまう。先生は、日常の中で真剣に生きサンチンに自分を映すことで衝突する癖を薄めていけるとずっと仰っているのに、まだまだできていない自分です。初級の時に、胸に意識がいくと背中が虚になる検証をご指導いただいたことを思い出しました。その時は、思いがけない現象に不思議がるだけでした。今はその意味を理解し、自分へのフィードバックができるようになりました。

 “上級の落とし穴”のお話もしてくださいました。上級になった今までに先生が何度となく気の力を体験させてくださる機会に恵まれてきました。身体を通して知った気の存在が、その経験を重ねることでかえって頭の知識としてインプットされて、本質を外れてしまっているということだと受け取りました。道塾での体験を頭のフィルターに通し、以前の自分に合うハウツー式の形に仕立て直しているのではないか?それに焦点を合わせて居ついてるのではないかと思いました。岩場(ロッククライミング)にあって初めて命がけの真剣が味わえている気がして、趣味の山登りに嬉々としている私を諭していただいた気がしました。心が身体を作り、その身体から気が発せられるということを忘れ、統一体でないと命を失うリスクの高い状況に自分を追い込んで喜んでいるのは可笑しなことでした。日常で心を鍛え、先生の生き様にこそ焦点をあてて自分に映していかなければ、と思いました。心の有り様を深く考えて参りたいと改めて強く感じました。

 

頭は常に冷静で、心は常に必死でなければならない   大阪 会社員 40歳 男性 E.S

 身体は気に従い、気は心に応ずる。現代の風潮はこれを逆に捉えている。気や心は目に見えないからです。先生のお話を伺ううちに、体罰問題もいじめ問題もその弊害がいよいよここにきて表面化したものではないかと思いました。知らず知らずのうちに我々もそんな風潮に染まっているのでしょう。

 必死になれば人はついてくる。いくら術策を弄しても人はついてこない。それでついてくるのはいざとなれば逃げる連中ばかりだ、と先生は仰います。生きとし生けるものはみな必死に生きている。ただ唯一、我々人間だけが必死に生きることを忘れてしまう。あまりに長らく忘れているので、必死がどんな状態なのかもわからない。実技の際に先生が、顔をうつむけているのは力任せになっている証拠だと仰いましたが、必死といえばわれわれは相手と衝突する強引な状態をしか知らないのです。今回の検証で明らかになったように、それでは共倒れになってしまう。
 駅のホームに転落した親子を助け出した塾生の体験談が紹介されました。必死になることで気が働き、身が動く。そしてその力は他人の心にまで影響を及ぼしたのです。

 今回の講義で、先生はご自分の日常のエピソードなどをいろいろと話してくださいました。そこで気づいたのは、先生は常に必死であるということです。しかし、先に申しましたような相手と衝突する強引さは少しもありません。あるのは我々を包み込むあたたかな雰囲気です。

 我々は頭を必死にさせてしまっているのです。そういえば今日の教育にせよスポーツにせよマスメディアにせよ、頭を必死にさせるものばかりです。頭は常に冷静でなければならない、心は常に必死でなければならない、そう感じました。

 

自分の身体はすごいことをまた感じた   徳島 高校教員 39歳 男性 K.S

 今回も沢山の気づきをいただきました。ありがとうございました。冒頭、「三つ子の魂百まで」のお話をしてくださり、10歳までの躾がいかに大切か、また、10歳以降の私たち大人との接し方がいかに重要かがよくわかりました。体罰がなぜ駄目なのか、また体罰によって指導してきた学校教育が崩壊した今、今後ますます問題点が出てくることを「人格」と「理性」によってわかりやすく説明してくださいました。さらに、現在の私たちがやるべき事、理性ではなく人格によって物事を判断し、行動するためにどうしたらよいかを示してくださいました。まさに「心の発動が気」でした。理性で判断すると間違ってしまう。人格を高め、形成するために「心」のあり方を教えてくださいました。今の私たちに希望が見えました。
 先生は、いつも私たちに希望を与えてくれます。今の現状では本当に駄目になると示してくださる一方で、人間の持っている力の素晴らしさを教えてくれ、出来る自分を経験させてくれ、これなら私たちも取り組めるのではないかと思わせてくれます。まさに真の教育者であると感じました。
 また、全員が床に寝ている状態から起き上がる実技では、簡単に起き上がれるが先生が気を通したとき起き上がるのに違和感を感じ、起き上がれない。しかし、無理矢理起き上がると立ち上がってもふらふらと不安定な状態で気分が悪くなる。このことを経験したとき、先生がおっしゃった「遮断すること、心を閉じることが一番危険な状態である」ということが実感できました。なかなか問題に立ち向かえないことが日常であります。しかし、何も考えず心を閉ざし、立ち向かってしまうと身体が知っており、非常に危険な状態に陥ってしまうことを身を以て理解できました。ですから「本気の姿勢に周りがついてくる」ということを実技の中で教えてくれたとき、心を開き、本気になって物事に立ち向かったとき、周りの人が支えてくれ、また私が支え、一体となって取り組めるのだと感じさせていただきました。自分の身体はすごいことをまた感じられました。ありがとうございました。