東京・大阪・仙台・熊本・岡山 特別合同合宿  (2016.3.12-13)

温かく素晴らしいご指導をありがとうございました    埼玉 海上自衛官 49歳 男性 YN

 生まれて初めて石割を体験させていただきました。最初は、緊張のためか力が入ってしまい割れませんでしたが、2回目に割れました。2回目もまだ力が入っていたような気がします。女性の人達のほうが、余計な力が入っていなく、パキッと簡単に割っているような気がしました。  
 肘を柔らかくすると、衝突感なく相手を自然に倒せました。簡単に倒せたことにびっくりしました。肘を柔らかくするだけで、こんなにも違うことに大変驚きました。肘や膝など関節を柔らかくすることの重要性を知りました。相手に入るときの呼吸法についても、披露していただき大変勉強になりました。これからの稽古に生かしていきます。  

 君が代の説明の映像は、分かりやすく、心に染み入るように入ってきました。私の学生時代は、君が代の歌詞の意味をよく分からずに斉唱していました。歌詞の意味を知って斉唱すれば、全く重みが違うと思います。子供達だけではなく、大人達にもぜひ知ってほしいと思います。そうすれば、日本人としての誇りが芽生え現在のようなおかしな事件や事故が少なくなるような気がします。  

 二日目の朝、浴槽に入っていると隣に誰か来たことは、知っていたのですが、気にせず目を瞑りボーとしていました。そうすると、隣から宇城先生のような声がしたため、目をちゃんと開けて、隣の人を見たら、宇城先生がおられました。まぐろ漁師の方と話をされていました。宇城先生が隣に来たことに、気づきもせず挨拶もしなかった事に対し、大変失礼な事をしてしまい、穴があったら入りたい気持ちでした。しかし宇城先生は、私のそのような無礼な行為も気にせず、浴槽の中での検証に私を参加させていただいたことは、とてもありがたかったです。二度とこのようなことがないように今後務めてまいります。申し訳ございませんでした。  

 今回の合宿もあっという間に過ぎてしまいましたが、経験させていただいたことは、しっかりと持ち帰り、自身の中で咀嚼し、日常に活かしていきます。欲を捨て、謙虚になれるように日々精進してまいります。今回も温かく素晴らしいご指導をありがとうございました。全く至らない私ですが、何卒ご指導のほどよろしくお願い致します。ありがとうございました。

 

実践は不思議なことばかりで毎回驚き    神奈川 柔道整復師 56歳 男性 AI

 今回の合宿で先生は、人間の可能性ということを話されておられましたが、そのことを通しての数々の実技の展開で、忘れられない感覚を心身で幾度も感じさせて頂き、大変感動致しました。 先生が気を発せられた時に空間を伝わって、前方から重力のようなものが押し寄せて来た時には自然に立っていられず、ふんばりきれずに身体が動いていました。
 また、四つんばいになって構えていた際に、自分の周りが濃度の濃い空気に満たされたと感じた瞬間に、相手の人を触れずに投げられるという現象が生じていました。

 今回の合宿では、広い講習場内を先生の気が飛んで来たり、充満したりと、驚嘆のエネルギーを感じ、先生より何度も経験させて頂いていても、驚きを隠すことが出来ませんでした。そして、講義中に先生は「物事をミクロでとらえるのではなく、マクロでとらえるように」とのお話しをしておられましたが、この言葉が気に掛り、頭から離れずに考え続けておりました。

合宿が終わり帰宅した後、一人稽古の際にそのことを思い出し、マクロの意識を持って行いました。そして、日常においてもマクロの意識を持って仕事に就くようにも致しました。それ以来、以前より私の日常の仕事において、行なうのが大変困難なことがあったのですが、何とか少しずつ出来始めるようになってきました。本当にこの事実に対して、驚きと感謝の気持ちで一杯になりました。ありがとうございました。

 

実践は不思議なことばかりで毎回驚き    神奈川 主婦 78歳 女性 SH

 宇城先生、大変お世話になりましてありがとうございました。おかげさまでとても楽しく有意義な合宿でした。石割も楽しかったです。実践も不思議なことばかりで毎回驚いています。全員に気を送りみんなに効き目があるというのは納得できます。しかし、例えば三人組のその中の一人だけに気を送るなどということがどうして可能なのか不思議でなりません。

 合宿で嬉しいのは食事の時や宴会の時に宇城先生と直接お話が出来て、又、お叱りや改善すべき点を直接教えて頂けて大変有難く、感謝しています。 「まだ対立がある」、「表情が和やかでない」とご注意を受けて、有難く猛反省をしています。敵対心を持つとか、競争しようというつもりはないのですが、対立があるというのは人を受け入れてないということなのでしょうね。身体的に「統一体」になるというのもまだ分かってないと思うのです。
 誰に対しても何に対しても対立がないということは、和やかな気持で全てを受け入れ、身体的には天人地をつなげれば統一体になれるということでしょうか。先生の気が他の人達には通じているのに自分だけ感じなかったらどうしようと不安になります。無心になってないのですね。 老人だから進歩が遅いのか、何がいけないのかよく分からないのです。

 しかし、先生を間近に拝見しているだけで知恵、知識、能力があるというのは素晴らしい!! と感動し、ご一緒の空間を共有するだけで、自分も少しだけ進歩するような錯覚に陥って幸せに感じます。有り難いことです。 今回は、宴会の時全然知らない人とも共通の話題を見つけて、楽しく会話ができました。 (元来社交性がないので)少しは進歩したかなと嬉しかったです。
 塾生の方々は皆さん姿勢が良いので影響されて自分も姿勢が良くなってきたと喜んでおります。 いろいろとありがとうございました。

 

気のエネルギーのスピードは、桁違いだということを身体で感じ感動と驚き   
                                           長崎 漁業 41歳 男性 MM

 宇城先生 道塾合同合宿御指導 誠にありがとうございました。又、全国の塾生と出会えて、仲良くなれて、たくさんのお話ができて かけがえのない時間を過ごす事ができました。

 実践では、先生から気を通して頂いて頭で物事を考えると気が消える、思いを続けると気が続いて人を投げられたり、二人組みで一人が四つん這いになってもう一人が上から乗って腰を掴んで、そのままだとひっくり返らないが先生に気を通してもらうと投げられる、更に時間を速めてまた気を通して頂くと今度は、触れずに投げられたのが不思議でした。気のエネルギーのスピードは、桁違いだということを身体で感じ感動と驚きでした! 気は、人間の中にある人間力を引き出す究極の次元にあることを自分の身体を通して宇城先生によって体験させて頂きました。 身体を通しての学びは、自分の中の自信と勇気を奮い立たせてくれました。
 講義では、物の見方 マクロとミクロについて お話して頂きました。物事を小さく見ると怒ったりする様な事でも大きい視野でみるとどうってことないと言う物の見方の意味がよくわかりました。 更に「義に生き義に死ぬ」と先生がおっしゃっておられたのが印象的でした。先生の真心、生き様そのものの言葉だと心に感銘致しました。 そして、先生のお言葉に「皆がファミリー」なんだとおっしゃった時凄く愛を感じました! 何か大きな愛に包まれている様に思えて心が震えました! 先生の偉大さと心に触れられる喜びと感動、感謝で胸がいっぱいになりました。

 入浴の時、先生から声をかけてもらいお話して頂いたのがとても嬉しかったです。 そこで四次元五次元の体験もして頂いたのが心に残りました。私は今回初めての参加でしたがとても実りのある合宿でした。 宇城先生に二日間学ばせて頂いて、自分が普段如何に真剣に生きていないか、覚悟がないか、時間が止っているかを気づきました。
 今回の合同合宿で学んだ事を活かして、自分の器を大きくして内面をを正して今自分にやれる事を真剣に覚悟を持って日常に活かしていきたいと心から想っています。道塾合同合宿に参加できて自分を見つめ直す事ができました。本当に楽しい合宿でした! 宇城先生本当にありがとうございました。

 

検証で今の自分が持っている常識の小ささがよくわかりました  佐賀 会社員 48歳 女性 IS

 2日間に渡る春の合宿でのご指導ありがとうございました。毎回合宿では講義以外でも先生のお話をたくさん伺えること、じっくり時間をかけて検証ができること、各地の仲間との再会を楽しみにしています。
 最初の検証の石割りでは、「石は割れない」という自分の常識がそうではないことを全員に体感させていただきました。もちろん先生のご指導で、持ち方・力加減・打つポイントを教えていただいたからこそ割れたのですが、それでも想像以上にあっさりと割れることが驚きでした。
 この検証で今の自分が持っている常識の小ささがよくわかりました。自分で作った常識を言い訳に使って身を守ってきたのですが、その反面大きな世界に出ず自分を閉じ込めてもいました。自分の常識は大きな視点から見た常識とはまったく違うものです。
 先生はこのことを幾通りもの検証を用いて人間には無限の可能性があることを示し、誰にでもできるのだから心を開いて自分の思い込みを捨てるよう実際に体験させながら体に落とし込もうとして下さっています。変われなかったのは自分の有り様のせいでした。いったい自分に本物の『人間』になる日は訪れるのだろうかと暗澹となりますが、それでもまたここから始めます。濁っていて、さざ波が立っているお猪口の水でも、さざ波の一つ一つに月は宿ってくれるのですから、怖じけずに自分をさらして真心を映しいらないかせを外していくよう行動していきます。今回も幸せな時間をありがとうございました。学びをもたらしてくれる塾生の仲間にも感謝です。

 

今回の合宿で海老がが脱皮するように古い鎧を脱いだ感じがしました   
                                        神奈川 自営業 63歳 女性 MT

 北海道から九州まで多くの方が参加されて、とても活気に溢れた合宿でした。初めて素手で石を割ることが出来ました。 宇城先生が石を選んでくださり、割り方をご指南頂きました。先生の気配りの中、無事に出来たと思います。一人でやったら怪我をするよ、と先生が仰っていたのを忘れる事が出来ません。夕飯の時、石を割る事が出来ずに手が腫れた方が宇城先生に気を入れてもらい、腫れが引いて行くのを目の前で見る事が出来ました。気の力の凄さを目の当たりにしました。
 合宿では全員が体験してみる事が出来き、その体感はとても貴重です。動物の歩き方、四つん這いになった両腕を掴まれ、背中から掴まれ、歩く事など出来るわけがない。でも気を入れてもらうとぐいぐい引っ張って歩ける。まず始めに出来ない、という頭があれば出来るはずがない。それでは何をやっても一生出来ない。マクロからミクロを見る。ミクロからマクロを見る。観点を変えて見る事の重要さ。新聞、テレビ、マスコミは歪曲して伝えている。私たち庶民には真実が伝わっていない。宇城先生は奥深く真実を見ていて地軸にも及びます。武道を知ると言うことが真実につながる。歴史を学ぶ事によって未来が見えてくる。24時間が修行。心の修行。心を込めて真剣に向き合うと心の動き、見えないものが見えてくる。
 最後に三戦を二回皆でやりました。いつもの稽古でやる事がないのでもっと教えて頂きたいと思いましたが、二回やったあと、とても充実感を感じ気持ちが清々としました。三戦の素晴らしさを益々感じました。今回の合宿で海老がが脱皮するように古い鎧を脱いだ感じがしました。合宿に参加する度、自分に何が出来るだろう、何をしたら良いだろう…毎回課題を頂いています。

 

勇気が湧いてきました。自分ではできない体験ができました   
                                        神奈川 郵便事業 36歳 男性 DK

 合宿という貴重な時間を宇城先生と一緒に過ごし、勇気が湧いてきました。自分ではできない体験ができました。 ミクロに見る。マクロに見る。義に生きる。呼吸。様々な体験と実践が自信となりました。会社に必要とされる人間となるように諦めの気持ちに負けないように日々実践して修行して会社から報酬をもらいたいです。 今後とも御指導をお願いします。

 

普段の道塾では得られない貴重な時間となりました   滋賀 教員 50歳 男性 TF

 入塾して既に7年目ですが、合宿は今度が二度目で久しぶりの参加となり、ワクワクする気持ちと不安の両方を持って臨んだ合宿となりました。

 合宿はおもむろに石割で始まりました。先生が石を一つ取り上げパーンといとも簡単に割られました。この瞬間に参加者の心が一気に一つにまとまったような気がしました。私も含め、初めて参加される方々や緊張しておられた方々の心がほぐれ、すんなりと講座に入れたように感じました。
 ほとんど全ての塾生が石割を体験させてもらったと思うのですが、先生が一人ひとりに対して石の持ち方から割れやすい方向やタイミングなどを懇切丁寧に指導される姿に心打たれました。本当にありがたいことだと思いました。教えるとはこういうことを言うのだと感じました。

 気を通していただくことによって不可能と思うことが現実となる体験はもとより、先生のご指導により、動物のような呼吸や体の使い方をすることで統一体になることを検証したり、気を通していただいたことを自分の身体の中にいかに持続させられるかなどを、じっくりと時間をかけて体験させていただいたりして、普段の道塾では得られない貴重な時間となりました。自分達で意識的に動いたのでは到底出てこないスピードや回転する力などが先生の気によって参加者全員に生じることに驚きと喜びと一体感を感じ、調和することのすばらしさを思い知りました。

 他の塾生の方々はどの方もお話しすると本当に穏やかで温かで、魅力的な方々ばかりでしたし、それぞれの方々の宇城先生に対する思いや考え、道塾の学び方が、自分の学びにとってのわかりやすい解説や、励ましとなり、本当にこの合宿に参加してよかった、自分の目が開けたと感じています。「ファミリー」の言葉があたたかく心に響き続けています。ご指導ありがとうございました。

 

非常に充実した時間を過ごすことができました   北海道 市職員 41歳 男性 TM

 先日の合宿の際には、ご指導いただきましてありがとうございました。お陰様で非常に充実した時間を過ごすことができました。合宿の中の先生の言葉の中で今一番印象深かったのは「猿は水に映った月を掴もうとする」という意味のことです。我々はこの猿を笑える立場ではないと感じました。この言葉は、逆に言うと「水に映っていないものは存在しない」と考えることに通じます。
 このことを単なる概念としてではなく体験として理解できる実技がありました。それは、4人1組となり一人がもう一人の上向きとなった親指を手のひらで上から押さえているのを、別の一人が下の人の腕を掴んで下ろし、残った一人が上から押さえている人の押さえた腕を上にあげるというものでした。通常の状態では簡単に動かされすぐにバラバラとなりますが、先生が気を通ると、上から親指を手の平で押さえている人が、残りの3人全員を下に押さえつけ倒すことができました。

 また、別の実技では、2人一組で一人が手の甲を上にして片腕を前に出している状態で、もう一人がその二の腕の上方に相手には触れずに片手を出している状態で先生が気を通すと、下の人が手を返して元に戻すだけで上の人の重心が上に浮いてしまい簡単に倒されるというものがありました。

 これらの事実が明らかにするのは、目に見えない空間で何らかの物理的な力が働いていることが一つ。それから全く別に存在すると思われる人間同士が、まるで何か大きな集合体の一部であるかのように一体化してしまうということです。 こうなってくると、「私」という存在が周りから独立しているという「常識」が実は水に映った月のようなものであり、実は一人の人間というものは宇宙という大きな存在の中の一要素でしかなく、周りと調和しながら何か大きな存在のために働くべきものなのではというところに思いは行き着きます。だから、自分のことだけしか考えない利己的な状態であると時間が止まり周りから取り残されてしまうし、反対に自分を無くし他利的な生き方をすると大きな力が発揮できるのだと思いました。

 このように考えていくと「統一体」というのは、なろうとしてなるものではなく、自然に備わった力であり、欲に翻弄される生き方から「他利」の生き方にシフトしていけば、自然に表れてくる結果であり、なろうとする目的ではないような気がします。あくまでも人間として成長することが目的であり、そのためには心を育てることが大切で、心を育てるには正しく行動すること、更には、正しく行動するためには、今まで道塾で教わり体験したことそして自分を信じ、「内なる自分との戦い」により絶対的な価値観を追及していくように努力を重ねていきたいと思います。

 

全員で輪になった時のエネルギーの厖大さに圧倒   宮城 公務員 54歳 男性 YF

 石割りから始まった今回の合宿。いつもの道塾より残るものが多かったと実感しております。石割りもコツと言ってしまえばそれまでなのでしょうが、力を入れずにパンと割る方もおれば、色んな所に力が入った様子で割っている方もおりました。
 この実践は一瞬のことであり、自分も石を割ることは出来たのですが、二人がペアを組み向かい合った状態から一方が後退してから元の位置の戻るという実践においては、最初はできるものの、少し時間が過ぎると直ぐに出来なくなる自分を知りました。回りを気にするようです。継続時間が極端に短かった自分を知ることができたのは合宿での収穫でした。
 一瞬から短時間、短時間から長時間、長時間から日常的に進歩していくために、出来たということに良しとはせず、続けることに今後は取り組んでいきたいと思います。帰ってからも前に伸ばした腕を捩じって戻すという動作を時々行っていますが、日常の動作・所作に取り入れていけたら良いと思っているところです。
 
 合宿ではペアを組んでいただいた方や同部屋の方々からも得るものが多かったです。いつもは先生のおっしゃっていることが理解できないことも多いのですが、その方々からの一言で理解度が上がったような気もしています。また、全員(70名強)で輪になった時のエネルギーの厖大さに圧倒されましたが、その時には一体になったことにより自分にできるという気持ちの萌芽感も得られました。これらは合宿に参加する意義の一つのように思います。

 今回の合宿での経験も活かし日常を過ごしていきたいと思います。一人革命にはまだまだ道が遠いのですが、それを目指していきたいと思います。 最後に、先生に対しまして合宿でのご指導、どうもありがとうございました。御礼を申し上げます。また、有意義な時間をご提供いただきました道塾事務局の方々にも御礼申し上げます。

 

自分の指針となる学び多い充実した時間でした  大阪 会社員 38歳 男性 SK

 仕事にしても、何にしても今回の合宿も自分の指針となる学び多い充実した時間でした 。
例えば、ミクロとマクロをセットで考えるという視点。仕事では業務というミクロに囚われて全体が見渡せず、焦ったり感情的になったり、職場の同僚や取引先と衝突したりしたことはマクロの視点が欠けているのも原因だと思いました。
 仕事は片手間でやらないといけないとは、いま自分が格闘している担当の仕事や出来事が、マクロの視点を持つことによって、実は取るにたらないものだと体で知ることだと思いました。
 それにしても宇城先生の、仕事を取ってきては仲間や部下に分け与え、かつ仕事を取るために必要な態度や問題点を指摘して改善させ、マクロの視点から保険の仕組みを知られて いたので2年できっぱり仕事を止められるというのは本当に桁違いのレベルだと思いました。
 以前日本ではリーダーや経営者になるための教育の仕組みがないというお話がありましたが、大半はミクロの視点のみで考え、仕事がうまく行かないと上から課されるノルマやそれを達成しなければいけないプレッシャーなどに囚われ、うまく行ってもその職場の世 界しか視野が広がらず、その世界でしか生きていけない人間になるのがむしろ普通だと思います。マクロの視点とは、長期的視野とも関係していると思いますが、先が見えるので、今から手を打っておくというのがマクロの視点を見据えた本当の生き方だと思いました。
 人間とは「間」のことという教えがありましたが、人と人との「間」を大切にする。そして人を裏切らない、人をほっておけない身体になることと、実習で体験させてもらいまし た「人の幸せを願いワクワクした気持ち」で気持ちを切り替えずにいると気がより長く保持できるという事実は何か大きなところでつながっているような気がして不思議な感覚に なりました。

 

言葉だけでなく深いところでのご指導がある  東京 生活支援員 33歳 女性 ES

 合宿でのご指導、誠にありがとうございました。
 猫に小判、豚に真珠、暖簾に腕押し、豆腐に鎹、糠に釘…宇城先生の大きな大きな本当に大きな情愛によって、この学びの場があります。あまりにも楽しい幸福な空間の中で、ふと、それでいいのかという自問が生じました。感謝でしかありませんが、先生の情けにすがったり甘えてはいけないのだと感じました。
 最も悲しい時代で、その事にも気づかず、平和ボケという人間として腐りかけたような生き方をしているのに、都合よくごまかしている日々。1~2ヶ月に1回の道塾と半年に1度の 合宿に、もの凄く贅沢なご指導を受けて、その価値も分かっていないのに、先生が創り出して下さる楽しい空間にいる自分。楽しんで楽しんで「あー楽しかった!」と、終わらせ るわけには絶対にいかない。世界最高峰の学びをどうするか。そういう先生の桁違いな懐の深さと、現実というものの残酷なまでの厳しさを感じる瞬間でした。
 如何に気づけるかは自分の心次第。自分の心から少しでも欲をなくし、自分の足で立つ信念の強さを持って学ばせて頂こうと思いました。甘えも欲。言葉だけではなく深いところ でのご指導がある宇城塾で、この荒波を生き延びる為の危機感と調和の心に少しでも近づけるよう精進していきたいと思います。

 講義の途中で、相手に引っ張られたり押されたりする瞬間の、一番最初の内面について宇城先生に問われた時がありました。直ぐには答えられず、まだどこか素直になれませんが 、無言のむっとした感情があると思いました。勝手に許可なく私の身体に変化を起こさないでという感情が近いと思った時、受け入れ態勢が全くないのだと感じました。宇城先生 がしばしば仰る「いつでもどうぞ、どこからでもどうぞ。」の真逆な感覚が、私の身体全体に無意識レベルで張り巡らしてあるのを感じました。これは、あえて自ら自己犠牲の方 向へと進まなければならないと思います。
 ミクロな視点で築き上げてしまった自己防衛のようなものなのか。そう思った時、世の中には、宇城先生が示して下さるマクロの視点で もっと優れた自己防衛本能がある事を思いました。身の危険を察知する人間の能力。頭での理解ですが、日常において確認していきたいと思います。

 今回一番嬉しかったことは、一日目の懇親会があっという間で、気づいたら2時半だったことです。びっくりしながらついまた話し始めて3時半。私は宇城先生の近くに行ってお話を聞きたいという思いが強くあります。皆さんもそうだと思いますが、場をわきまえない欲になっていました。しかもそう思いながら、近くの方とお話するのは失礼だと気づきました。また、今を生きていないですし、そこにある間を無視している事になります。そう思った時から、その時近くの席になった方と、その瞬間 を共にさせて頂こうと思いながら話し始めていたら、本当にあっという間でした。そして何よりも楽しかったです。これもまた、今までの自分にはなかったことです。
 長くなりましたが、思いの限りを書かせて頂きました。気づかせて頂いた事は日常に即活かしていきます。ありがとうございました。

 

「石割り」今までの常識が簡単に覆った瞬間  神奈川 契約社員 28歳 男性 NS 

 今回の道塾合宿は希望者全員が自然の石を楽々と割ってからの始まりとなりました。
通常「石割り」は一般人には不可能で、鍛え抜かれた達人にしか割れないというのが今までの常識でした。しかし石を割った希望者は年齢問わず宇城先生から簡単なアドバイスを もらい即座に本人自身で見事に割っていました。その中には女性もおり、いかに今の世の中がメディア、マスコミ等に作られた真実を自分達が勉強せずただ鵜呑みにしているだけ という事実を痛感致しました。また今までの常識が簡単に覆った瞬間でもありました。

 そして今回の合宿で「気を切らさない」ということが自身のなかで一番大きな課題となりました。
先生から呼吸により自分で「気」を流す方法と課題を与えて頂いたように思います。
 私は頭で考えるクセがあります。その頭で考えた瞬間に気は切れてしまう。また強引に力でやっても気は切れる。「気」を切らさないことは難しく、自分では切れていないと思っ ても相手を投げようとした時に投げが掛からない。この「相手を投げよう」と思った瞬間に「気」は切れてしまいます。また心が不安になっても「気」は切れてしまう。それは弱 気であり「弱い気」でもある。
 行動に関しても「もたもた」すると「気」は切れてしまう。やるならパッと勢いよくやる。もたもた行動すると隙が生まれる。これは日頃の自分の行動を表していると感じました 。日常からもたもたせず、パッと行動することを心がけて直していきます。

 「投げようとする」、「心が不安になる」、これは相対的な影響を受けており、絶対的世界での「自分との戦い」に主眼を置かなくてはならないと思いました。
相対の影響により自身の心が右往左往と揺らぐ。相対のなかであっても己を見失わず、自分との戦いを課さなくてはならない。
 その絶対的世界に足を踏み入れてこそ「気」は切れず、より強い「気」を得られる。真の集中力も絶対的世界に身を置いてこそ出てくる。だからこそ厳しさを求め、相対の影響を 受けてもぶれない強さ、自分を見失わない強さを身につけていく必要があります。心を強くする修行を通し、不動心、自然体を求めていく。

 日々、相対的影響を受ける日常でぶれない自分を創っていく。また心と肝は密接な関係にあり、びびるか、びびらないかでわかる。日常で日々起こる出来事や影響、「まさか」の 事態の際に誰もが前向きに物事を乗り越えていきたいと思います。
 しかし頭でポジティブに思おうとも、ワクワクして捉えようとも残念ながら頭の命令はききません。頭より身体が優先される。肝が据わるからこそ心も安心を保て、前向きとなり 行動することができる。心と身体は一つであり、心と身体が互いに助け合うことでより強い心、より強い身体になっていくのだと思います。

 ハウツー的な方法で「気を切らさない身体」を身につけることはできない。答えを求めるのではなく深さを求める。逆に答えを求めると深さへ向かうことができなくなる。
 今回、挨拶で「おはようございます」と元気良く発しながら礼をすると呼吸で身体を強くした時と同様の強さになることを教えて頂きました。毎日おこなう挨拶がどれほど大切な ものなのか、先生に学べば学ぶほど深さが増していきます。
 また片手を体の正面に出し、掌を上に向け、掌を返す。たったこれだけの動作を先生と一緒にするだけで統一体となりました。掌を上に向け、掌を返す、この動作を自分でやると 二挙動となる。
しかし先生と一緒にやると一(いち)の動作となります。身体の使い方、スピードの質が全く違う。これはサンチンの突きを出すときや受けをするとき、肘の使い方などサンチン に落とし込んで稽古していきたいと思います。

 また三人組となり連なった二人が片膝をついて踏ん張ります。それをもう一人が踏ん張っている相手の手を取ってひっぱり倒すという検証をおこないました。その際、私はすでに 衝突するひっぱり方になっていました。出した手とは逆の足を前に出して立っていました。 この立ち方、姿勢がすでに無意識にも衝突している。それが普段の日常で無意識にも周りと衝突している、と先生に指摘されました。無意識にもひっぱろうとしている自分の心( 欲や我)が衝突する身体(姿勢)となっている。
 衝突が起こる原因には自分の視野が小さいミクロのものの見方、考え方になており、ミクロとマクロ両方の視野を持つことが大切だというお話がありました。

 先程の検証を人数を何倍にも増やし、今度は宇城先生が引っ張りました。私はストッパー側に入り、先生から学んだ呼吸で下に下に落としてがっちり構えていました。しかし先生 がひっぱる瞬間、その場の空間が大きな何かで包まれてしまうような感覚となり全く抵抗することができなくなりました。列はなす術なく先生に引っ張られていきます。
 ミクロでは自分の狭い視野で物事を考え腹を立ててしまうことがあるが、マクロの視野を持つことにより全体が見え衝突が調和へ変わる。言葉でミクロとマクロの説明はできても 体験を通して私達にその場で理論と実践を必ず示してくださる先生に心底驚かされました。マクロの視野こそ宇城先生のものの見方、考え方そのものであると思います。

 また全国から宇城先生に学ぶ塾生が集った合宿の二次会、三次会はとても貴重な時間となりました。時間が濃密でいて楽しく、日常でヒントになることや気づかされる瞬間、場面 が何度もありました。合宿から日常へ帰りそれはより思い出され、とても心に残りました。
 合宿を振り返り受講中にはもっと自分から積極的にどんどん稽古に入っていかなくてはいけないと感じました。傍観者になっているのと自分から参加し体験するのとでは得られる 情報量が全く違う。学校の授業のようにただ受身で聞いているだけでは駄目であり、勿体なさすぎる。自分の学ぶ姿勢が何より大切であり、それは心を開くことが重要だと思いま した。
 また普段の道塾でも上級クラスは椅子に座って先生の話を聞くのはもう卒業しなければいけないと感じました。椅子が用意してあるからお客さんのように据わる自分。普段の道塾 は通常二時間しか学べません。その二時間をより濃く、より実りあるものにするのは自分次第です。先生の講話から実技に移る際、椅子を片付けている時間が勿体ない。パッと実 技へ移れるように自分達で学ぶ場を作っていかなくてはいけないと思います。

 先生の空手、道塾に自分がどう向き合うのか。自身の学ぶ姿勢、何を学びに道塾にきているのかを自身へ問いかけ、弟子としての自覚を強く持っていきたいと思います。 自分との戦いで情けない自分、弱気な自分に怒りを持つことは大切な事だと日常へ帰り実感しております。 また言い訳をするということは「逃げている」ことであり、この逃げる自分に対しても怒りを持つこと。日常から「気」を流し、「気」が切れることを戒め、ぶれない身体、ぶれ ない心を創っていきたいと思います。歴史的に継承された理論(師の教え)と実践、また真実へ気づき自身が勉強することで裏付けある自信を積み重ねていきたい。感謝の想いを 日常から行動で表し、逃げずに向かっていきたいと思います。ありがとうございました。

 

人間として大切なことを沢山学ばせて頂いた  東京 会社員 30歳 男性 OM

 この度は合宿でのご指導ありがとうございました。
 初日の講義は石割りから始めて頂き、私は内心「自分だけ割れなかったらどうしよう」という思いでいっぱいだったのですが、先生が暖かくご指導くださり「練習はいらない、一 発でいけ」と仰っていただき、思いきってやって、気付いたら石が割れていたのですごく嬉しかったです。先生には「誰にでも割れる」と仰って頂いておりましたが、実際にやる までは本当に割れるんだろうか、失敗したらどうしようという気持ちが渦巻いていて、自分を知ることになりました。本当にありがとうございます。

 合宿の素晴らしいところは、全国から集う方々と一緒に、先生に学ばせていただけることですが、今回は特に、各地域を代表されて挨拶された塾生の方々の言葉、真剣、先生への 眼差しに学ばせて頂くことが多く、感動いたしました。また、先生がつくってくださるファミリーの輪の中にいられることの有難さと温かさを感じました。
 今回のご指導では「義に生き、義に死す」という先生のお言葉がとても深く残りました。これまで自分の人生には無かった言葉です。折に触れて自分に言い聞かせ、まさにそうい う人間になりたいです。

 合宿では、人間として大切なことを沢山学ばせて頂きました。それは思いやりや優しさ、心の大切さであり、また先生の愛情と厳しさであり、そして我々には本当に無限の力が宿 っているのだという感動です。四つん這いの手足を押さえられている状態で前に進めたとき、感じたことのない全身全霊を感じ、感動いたしました。

 職場をはじめ、いろいろなところで、損得が先に働いてしまい、衝突をしてしまっていた自分に気づきました。先生の過去のご経験の話にとても勇気と学びを頂き、今は、今の自 分の状況、環境の中で、自分の潜在能力に目覚める生き方をしていきたいという気持ちでおります。
先生が導いてくださるその教えの中で、大河にコップ一杯の水の生き方、染まらぬスピードを身につけ、人生を変えたいです。ご指導ありがとうございました。

 

「石割り」塾生が次々と割っていく様子は圧巻   千葉 柔道整復師 40歳 男性 CN

 この度も先生と寝食を共にさせていただける合宿を開催してくださりありがとうござい ます。
 二日間に渡るご指導ありがとうございました。
 今回の合宿では先生の著書やお話では聞いた事のあった、自然石割り、からスタートしていきました。先生が一つ一つ石を選んでいかれる時に、どの石にするか、持ち方、角度などを瞬時に判断して塾生に指導してくださる様子がとても印象的でした。通常の指導であれば「こうすれば出来ますよ」というようなコツ的な教え方になってしまうと思うのですが、先生のご指導は全然違いました。ただ割れれば良いということではな く、一人一人に心を合わせられて石の大きさから硬さまでいろいろな意味で絶妙に合った物を選ばれているように感じました。塾生が次々と石を割っていく様子は圧巻でした。そして見ていると割れない場合は必ず先生の示した持ち方でなかったり、力の入れ方だったりと、自分の癖が強く出てしまった 瞬間に割れないという事が起きていました。

 外から見ていると癖というのはよくわかりますが、自分の癖に気がつくというのは大変な事だとあらためて理解しました。自分の中から自分を見ていたら癖は自然な行動になって しまっているからこそ、気づきにくく直し辛いものであるととても腑に落ちました。見ているうちに自分の癖も顔を出すのが解りました。割れなかったら、という格好をつけるという癖が頭をよぎりました。
 しかし、先生の前に行った途端に木っ端微塵にそんな考えはなくなりました。「一発でいけ」と先生に言われた時の感覚は大変不思議な感覚で、何か中から動かされるというか行 動したくなるような、きっと先生が上司や指揮官であったらこんな感じで仕事に向っていけるんじゃないかと感じるような瞬間でした。
 割れた瞬間はあまりにも気持ちよく、目に映る実際の石の風貌とはかけ離れた手応えでした。
先生は子供に石割をさせていたというお話を聞いたことがありますが、子供の頃にこの体験をしたら、パフォーマンス等に心を動かされるような事はなくなるだろうなとあらため て感じました。

癖といえば自分の癖にもあらためてたくさん気づかせていただいた合宿でした。本当に修行不足ではありますが、気づけば気づくほど濁りがすんでいくような気分で何か清清しい 気分です。出来ないを知るというのは、なまじの出来損ないの数倍数十倍清清しい事だと感じます。出来損なっている自分は暗いです。出来ない、さあ出来るようにやるか、とい うのは本当に気持ちが良いです。

 先生のように出来るわけがないという絶対的な差と、気を通していただいた時の出来るという自分の中に眠っている自分、とんでもない矛盾が物凄く希望です。先生の計り知れない世界というのは終わり無く、途方も無い世界であると思います。しかし、先生は実際に存在していて一触までして自分達に伝えてくださっています。
 よく伝説やお話では天から聖人が降りてきたというようなお話がありますが、先生は本当に自分達のところまで下りて話をしてくれお酒を飲んでくれます。お昼のお弁当も必ず床に座って自分達に目線を合わせていてくれるというのは、まずありえない事ですし、そのような先生に繋がった自分達というのは絶対に気があるのだと信じ ます。
 気を通していただき何人もの列を引っ張る、押さえつけられても動けるなどの合宿での体験を日常に落とすためにも、自分の小さい我欲に走らずに離れていても同士がいること を忘れずに、清清しく進みたいと思います。

 怪我をされた方への先生の対応に本当に感動いたしました。特に先生の言われた「大丈夫」という言葉に全てが集約されているかのように感じました。絶対的に包み込んでくれる ような安心感のある言葉に、もし、腕がちぎれたとしても先生に大丈夫、と言われたら大丈夫な気がする、例え有名な医者が見込みは無いと言ったとしても、先生の大丈夫を信じ ようと思います。 私が治療の仕事をするにあたっての目標の一つに「大丈夫と思わせられる大丈夫という言葉を言える存在になりたい」というのがあります。それは、幼少期に母親がどんなに調子 が悪い時、痛いとき、「大丈夫」と言ってくれ、その方が医者よりも誰よりも安心だったからです。先生の「大丈夫」という言葉はまさに、自分の目指すそのままでした。先生の 愛を感じさせていただきました。ありがとうございました。そんな存在になりたいと本当に強くおもいました。今回もたくさんのご指導をありがとうございました。

 

塾生皆の学ぼうとする真摯な態度に非常な感銘  神奈川 警備員 55歳 男性 HS

 今回初めて合宿に参加させていただきました。 一般日程の道塾では理解できない塾生の皆様の学ぼうとする真摯な態度に非常な感銘を受けると同時に今までの自分を変えようとする姿勢、仲の良さにもただひたすら感銘を受け ました。
昨年、先生に後押ししていただきました転職を失敗してから、回りでも自分自身に対しても理不尽な事が立て続けに起こりました。 警備員として通勤上一番勤務しやすかった銀行支店を10月で支店転勤となり、異動した店舗では意地の悪い先輩警備員にこれでは人間ではないと思われるほどのいじめを受けまし た。自衛隊の新兵時代にも勝るとも思えるようないじめです。トイレに入っていたら直ちに出てきて自分の作業の手伝いをしろといわれ無理やり便意を抑え、出されて仕事を手伝 わされたり、1つの小さなミスを7回も8回も顔を見るたび皮肉られたり、自分のミスを私に全部被れといわれたり、周りの行員さんも見ていて酷いと慰めてくれるような現状で す。あまりの酷さに警備会社本部に訴えたところ「あの人はそういう人ではないよ。お前はまだ自衛隊時代の階級を引きずってるな。」と言われただけで終わりでした。今でも、 警備会社の人は私をその様に見ているのだと思います。
12月には、通勤途上においてエスカレーターから転倒し左足踝靭帯断裂という重傷を負い3ヶ月経った今ようやく固定ギブスをはずし合宿には参加することが出来ました。ちなみ に会社からは、労災にはできないと言われました。警備会社というのは、おおかれ少なかれ一種のブラック企業だと感じました。警備会社としては破格の年収(約380万)により、 かつ自衛隊という安定した人材の供給源があるたお前が一人やめても代わりはいっぱいいる、そういう理屈なのです。 いつか、転職失敗した時点で先生から「悪い気があるとその気に全てが吸い寄せられて更に悪くなる、気をつけなさい。」と言われましたがまさにそのとおりでした。
合宿では様々な方にいろいろなお話を聞き、皆様のいう「先生に師事するようになってからは、悪い人が回りに来なくなりました。先生に良い気を頂いているおかげです。」と皆 様が口をそろえておっしゃるので私のこの悪い気を良い機に変えるよう努力しなければならないと肝に銘じた次第です。
合宿において、皆様が出来た気の力による理屈では推し量れぬような動作・行動が一部自分には出来ないことがありました。気が通っていない、又は気が悪いのでしょう。改善す るためにサンチンを昼夕休み時間及び帰宅しても練習することにしました。ずっと悪かった私の気ですが何とかこの合宿を転機としてよい気に変えてゆきます。

 

とても刺激になり、学びの大きな2日間  東京 マーケット運営 30歳 男性 YT

 二日間の合宿でのご指導ありがとうございました。一年ぶりの合宿参加でしたが、先生 のご指導はもとより、全国の様々な現場で戦われている塾生の方々と交流できるのは合宿ならではの経験で、とても刺激になり、学びの大きな2日間でした。

 先生は気を通して、一瞬にして人を変え、本来の人としての可能性とエネルギーを引き出してくださいます。それは常識では考えられないレベルで、5人10人に引っ張られていよう とも抑えきれないほどです。しかし、自分もそのエネルギーを持っているにも関わらず、日ごろ「疲れるから」「損をするから」と、行動やエネルギーの出し惜しみをしているこ とがいかに多いかと反省しました。 『時間』の観点からいうと、いまの自分の時間は止まっているのだと思います。

 また、合宿を通じて先生の厳しい生き様に触れさせていただき、自分の生き方に対して、「自分は何を掘り下げていくのか」「自分の道は何か」という問いかけが出てきました。 いま自分はファーマーズマーケットという、農家さんが対面販売をする週末のイベントの企画など、人の集まる場づくりを仕事としてやらせていただいています。様々なつくり手 の方と交流できるという恵まれた環境です。一方で、つくり手の方々の仕事に恥じない仕事ができているのかというと、まだまだ自分に自信を持てていません。それはやるという 覚悟と、動くことの積み重ねがまだまだ足りないからだと気づきました。
今後は、先生に教えていただいたことを活かして、自分の仕事が小さいながらも「人の和をつくる」ことに向かえるよう励んでいきたいと思います。 そして、人に優しさだけでなく、厳しさも持った愛で接することができるようになりたいです。
 合宿中は動物の呼吸や生きた関節の柔らかさ、統一体を切らずに持続させる練習など、前に進むための様々なヒントをいただきました。まずは次回の道塾までしっかりと取り組ん でいきたいと思います。 二日間本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

 

実際にやってお示し下さる先生に向かって走り続けることが希望  奈良 教員 男性 NM

 この度の道塾合宿にお声掛けを頂き、また参加をさせていただきまして、誠にありがと うございます。 やはり、全国から集まってこられる、寝食を共にできる、時間があるということで、親睦・親交、繋がりが深まり、塾生同士の刺激や反応も強烈でした。以前参加させていただい た時よりも、より一層このことを感じさせていただきました。

 人間とは、宇宙、地球上において人と万物とで織りなす布のような存在かと。
 縦糸と横糸・・・。人間力・・・。
 それは人間・時空間・真心によって同心円の中で螺旋を駈け上がる龍が如く。
 宇城先生は、このことを我々に体感させて下さいます。
 事理一致を実例・実態(実体)として示して下さいます。
 マクロの世界とミクロの世界を、見えない、見たことがない、見ることができない、行けない、行ったことがない、行くことができない世界を。先生は想像と創造を駆使し、我々にこのミクロとマクロの世界を言葉ではなく、体感させて下さる。まさに、道塾での宇城先生のご指導は生きた、活かせる「実学」です。 そして謙虚さは、心身でしか絶対に身につかない、頭での謙虚など嘘だということも学ぶことができます。これが希望です。
 教員という立場である私にとって先生は、先生が希望です。できるできないではありません。実際にやってお示し下さる先生に向かって走り続けることが希望です。そうすることで気がつけば、勝手に勇気が湧いています。そして、自然と先生と万物に勝手に感謝している自分がいます。このことを感じられることが幸せです。

 AKBの「365日の紙飛行機」、中島みゆきの「糸」という曲を耳からだけではなく、全身で感じられました。 宇城先生、皆さん、そして合宿に感謝です。
本当にありがとうございます。

 

道塾の皆に出会い交流できる事が大きな刺激  茨城 会社員 53歳 男性 KO

 この度は、道塾合宿に参加の機会を頂きありがとうございました。 宇城先生の合宿は何度参加させて頂いても新鮮な学びの喜びがあります。 先生が私達に合わせてずっと降りてきてご指導頂いている。先生の高さ深みは掴み様がありませんが唯々その時間を共有させていただき身体に確かに伝わっていると感じます。ひ とつでも多く映して自分のものにしてゆけるように心がけてまいります。

最初に本棚、みかん箱、人間のお話を頂きました。 本の棚、みかんの箱、人は間で存在する。単なるものではない人間が持つ潜在力、身体の力に気づきなさいと問いかけて頂いた様に思います。

 合宿の最初に石割体験をさせて頂きました。石は堅い、鍛錬しないと=筋トレしないと割らないという常識を覆してだれでも割れるものだと体験させて頂きました。 でも実際に自分で体験させていただき、割れた時は「割れた!」と嬉しく感じました。 なんだか石を割ったというより、普段の日常で「困っていることや難しいんなあ」と躊躇したり避けている事を「やってみたらどうだ!」と問われているようにも思いました。

 身体の使い方でも四つん這いになって手足を四人にしっかり捕まれたら前に進む事ができません。しかし肘を深く曲げていってそこから体を前に出していったら身体が強くなって 掴まれていても手を前に進める事ができ、四つん這いで前進する事ができました。 身体にこんな強い力が宿っている。人間ってすごいなあと感じました。今までは強くなるには、部分を鍛えて腕立てや筋トレをして鍛えることしか出来ませんでしたが、こうして身体にもともとある力を引き出す強さが本物でこの力が日常や仕事やす べてに通用するんだと感じました。

 今回の合宿の体験から、頭で考えて躊躇するのではなく身体で行動してみよう、人とも恐れずに語り話しあってまいります。貴重な体験、ご指導をいただき本当にありがとうござ います。
全国から来られた道塾の皆様に出会い交流できる事が大きな刺激になりました。また次回全国の皆様に再会する時は成長しているよう進んでまいります。

 

先生が結ぶ絆のありがたさを改めて感じた  東京 会社員 30歳 男性 HF

 宇城先生、二日間にわたり貴重なご指導ありがとうございました。 今回の合宿は、先生に今まで教えて頂いてきたことが一つに繋がった感覚がありました。それは同時に自分が今まで如何に道場に教えを置いていってきたかを気づかせて頂く感覚 でした。

 型から入る方法、姿勢から入る方法、呼吸から入る方法、先生は様々な方法でどこかをキッカケに気づくように、正しい身体、本来の力を発揮できる身体への戻る道を歩み出すよ うに、一人革命の道を踏み出せるように、ずっと教えてきて頂いていたのだという感覚が急に湧き出て来ました。先生はいつも下に降りてきて少しでも分かりやすく、少しでも伝 わるように教えて頂いているという感覚を今まで以上に感じました。

 そうした感覚は、気づいたことを行動に移せていない自分、こうやろうと心に浮かんだことに素直に身体を任せられず、頭で考えてしまう癖、事理一致から遠く離れた次元でいつ までもウロウロしている自分というモノをはっきりと認識させられました。0度でも100度でもなく中途半端な温度を上下しているのは変わっているとは言えないという言葉がまさ にその通りなのだと改めて思います。
 そうした悩みが生まれる中で、今回の合宿という場で師を同じとする仲間と再会できたこと、その仲間と一晩中語り合える機会を得られたのは本当に助けになりました。大阪のM 先生やMさんの話やその存在そのものに元気づけられたこと、熊本や仙台のなかなか会う機会のないメンバーともゆっくりと話せたこと、先生が結ぶ絆のありがたさを改めて感じ ました。

 今回、2日間を通して先生をはじめ様々な方々から気づきを頂きました。そうした学びを少しでも日常に活かせるように日々過ごしていきたいと思います。 この度も貴重な場とご指導ありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

 

日々進歩・成長しなければと自覚を深める機会になりました  岡山 教員 27歳 男性 MK

 今回初めて合同合宿に参加させていただきました。2日間宇城先生や全国の塾生のみなさんと寝食をともにし、宇城先生からはもちろん、参加していた全員から大きなエネルギーを受け取ることができました。
 懇親会の際に、私たち宇城道塾生はみなファミリーである、と先生がおっしゃられたとき、私は胸があつくなりました。全国各地で、それぞれの道で、塾生たちが日々熱い思いをもって奮闘しておられる。それぞれの「一人革命」が実を結んだとき、ファミリーとしていつの日か大きな流れを作りだすことになるのではないかと感じました。

 私は高校教員で、この4月から新採用となります。「一人革命」を起こし、その結果多くの生徒や保護者、周りの教職員に良い影響を与えていけるように、日々進歩・成長していかなければならないと改めて自覚を深める機会となりました。
 すべての実践・講習内容が大変興味深く、印象に残っておりますが、その中でも特に人間ピラミッドの実践は学校教員として関わりが深いということもあり、強く印象に残っています。小学校の運動会の醍醐味であった組体操が、危険だからという理由で取り組まない学校、自治体が増えてきていますが、それは、結局のところ指導者の力量不足だということがよく分かりました。
 宇城先生がひとたび指導をすると、怪我人が出ないどころか、崩すときでさえも見栄えのあるパフォーマンスになったことには大変驚きました。大人であれだけのことがすぐに出来るようになるのだから、子どもに出来ないはずがありません。そう思うと、怪我をさせたくない、あるいは、怪我が起きてしまった時に責任を取りたくないからと、貴重な教育の機会を奪おうとしている学校現場が情けなく思えます。組体操に限らず、子どもたちの学ぶ機会とその成果を保証できるかどうかは、教員の力量にかかっているということを忘れてはいけないと思いました。

 そして、サンチンの稽古の時には、有難いことに宇城先生に直接ご指導をいただくことができました。自分では、まっすぐ立っていたつもりだったのですが、前傾姿勢になっていると指摘していただきました。これは、私の日常生活のクセです。日頃から気をつけつつ、引き続いてサンチンの練習に励んでいきたいと思います。最後に、普段の道塾以上に、現状の自分の甘さを自覚するとともに、自分を含めたすべての「人間」が本来持っている力、可能性を体感することができました。できる自分を取り戻すためには、日本人の伝統的な型を大事にすることや、他人や環境と調和することが大切なのであって、そうすることで身体に気が通るということを実践の中で宇城先生に示していただきました。このことを常に心がけ、とにかく実践・行動し、それを継続していくことしか道はないと思います。

 合宿を終えて、いろいろな現状に危機感を感じると同時に、未来がどう変化していくのか、少しワクワクしてもいます。本当に気付き、変化の多き、充実した合同合宿になりました。
 2日間にわたり、ご指導いただいた宇城先生をはじめ、企画・運営をしていただいた事務局の皆様、そしてともに学んだ全国の塾生の方々に心から感謝申し上げます。

 

ご指導いただいた貴重なお話や経験は、まさに圧巻  男性 NF

 道塾合同合宿、ご指導ありがとうございました。合同合宿への参加の許可を頂き感謝の念にたえません。宇城先生や仲間と寝食を共にし素敵な空間を共有することができ、二日目の朝に素晴らしい富士山が見えたように、心が澄み渡っていく自分を発見できました。  
 お風呂の中でご指導いただいた貴重なお話や経験は、まさに圧巻でした。 お湯に包まれていることから、空気に包まれている時の感覚よりも四次元の空間に誘っていただいていることをより強く具体的に感じることができたからです。露天風呂のお湯の注ぎ口横で固められて立てなくなった時には熱くてたまらず冷や汗が出て二重の驚きとなりました。
 
 石割り、間について、四次元について、呼吸、五行のお話、近藤先生の実践、プロ野球選手へのご指導、マクロとミクロ、持続することと切り替えること、歴史を知ること、子から孫へ、その他ご指導いただいたことは多岐にわたりますが、ご指導いただいたことすべては、宇城先生の生き様を惜しみなく深く伝えていただいているという親心が、強く心と身体に響きそして刻みこまれました。本当にありがとうございました。

 以前より、これから迫る荒波に対応するために様々な準備をするようご指導いただいたおかげで、長女自らが中高一貫校である学芸大学附属国際中等教育学校への進学を希望し4月より入学する運びとなりました。立命館同様のIB(国際バカロレア)MYP、DPカリキュラム認定校、さらにスーパーサイエンスハイスクール指定校ということで、より多く勉学に打ち込む環境へ身を置くことができ、本人はこれからの学校生活をとても楽しみにしております。次女も姉の後ろ姿を見て意欲的に日々を過ごしております。これらは、 日頃の宇城先生のご指導はもとより、親子塾に参加させていただいた体験の影響が残っております。今後、家族で先生にご指導いただける機会を引き寄 せられれば、さらに良い方向に加速していくことに違いありません。より一層、家族との時間を大切にしてまいります。
 
 この度は、合宿でのご指導、誠にありがとうございました。宇城先生の心を、そして、日本の心をこれからも真剣に学び、素晴らしい日本を復活するべく、日々、精進してまいります。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

 

気を入れられた時の感覚が合宿では強く感じた  福島 会社員 54歳 男性 MO

  合宿でのご指導まことにありがとうございました。今回の合同合宿はいきなり宇城先生の石割からスタートし、とてもびっくりしました。今回私も石を持参しましたが正直こんな石が割れるのかなと思っておりました。しかし自分も宇城先生の指導で割る事ができて、とても楽しくうれしい合宿のスタートになりました。実践では二人が向き合い、一人が気を通され下がっていき戻ってくるまでの変化、気を通された状態が維持できれば戻った時相手を投げれるが、気が抜けていれば投げられないし、相手には変わった瞬間がわかります。気の入った状態を保つのが難しかったです。

 

 また四つん這いの一人を数人で押さえ動けない状態から気を通されて動く事ができる。動物は動く事ができる、動物は手足から動こうとせず体を前に持って行くから動ける。二人組での四つん這いから動物の呼吸でゆっくり立ち上がると相手を投げる事ができる。動物にできて今の人間にはできない、人間力の低下。その人間力の低下が生み出すとても陰惨で悲惨な事件事故。どうして今の日本人ひいては人間は現在の心ない人達の多い世の中になってしまったのか、豊かさを追い求めそして快適さ快感を求める欲、人間の我欲が全面に出てしまい本来の人間の素晴らしさ、すごい力がひっこんで隠れた状態の今現在、自分たち宇城先生から学ぶ塾生はそのひっこんでしまった人間力を取り戻し我欲をできるかぎり捨て、自分のやるべき事を仕事でも生活でも宇城先生の言われる人の三倍やってはじめて自分が変わり、周りも変えていく力を得る事ができるのではないでしょうか。だから今やるしかないんだと、スピードが大事、考えたり悩んだり怒ったりしている暇はないんだと強く感じました。

 

 また、物の見方ではミクロとマクロで見るということ。小さい部分で見ると腹が立ったり怒ったりする事でも、大きい視野で見れば何のことはない小さな事なんだと思えるようになるとの教えは、小さな事で腹を立て苛立っている今の自分にとってたいへん大事な教えでした。仕事などで苛立った時、宇宙から地球の日本を見ているようなイメージをすると不思議と苛立ちがおさまります。

 

 合宿では実践時に感じる気を入れられた時身体がすとんと落ち重くなる感覚や心の状態や視野の広がりなど、合宿ではいつもの道塾より強く感じます。参加した塾生みんなが一体となって宇城先生から学ぼうとする気が、宇城先生からの気を強く体感させるのかと思います。その感覚を身体に覚えこませ、日々の生活において姿勢と内面と心を正し、まず今の自分を変える事を第一に頑張ります。 2日間のご指導ありがとうございました。

 

「善の循環」を生み出せるようになることが今後の課題  大阪 歯科衛生士 50歳 女性 HN

  この度は二日間にわたり、宇城先生および全国の塾生の方々と寝食を共に過ごし、ともに学ぶ貴重な機会をいただきましてありがとうございました。また、皆様にはご心配、ご迷惑をおかけしてしまったことを申し訳なく思っています。私にとっては今までの合宿で一番たくさんの経験をさせていただいた二日間でした。
 石割りは以前から体験してみたかったので、今回合宿ならではの企画ということで大変楽しみにしていました。 しかしながら、残念なことに石を割るどころが手を負傷してしまうという予想外のことが起こってしまい、いろいろなことを考えさせられました。
 ご指導いただいている通りにできず、左手での固定が不十分であったことや、まっすぐに振り下ろせていないこと、石を割ろうと思う欲が出てしまうこと、当たる瞬間に石も下げてしまい衝突してしまうこと・・・など、石割に挑戦しながら「この状態が普段の私なんだな」と思いながら挑戦していました。もっと力を抜いて石(=人)に接し、無意識の中の割ってやろう(負けるまい)と思う気持ちをすべて吸収・消失させ、ただただ振り下ろす(当然のことを正しく行う日常)そんな生き方を教えられたのだと感じました。

 先生がおっしゃっていた「この石を何故だが選び、ほかの石に変えてもよかったんだけど、そうさせない何かがあって、それはあなた自身が選んでいたに違いない」と。この出来事は単純に石を割れたとか割れなかったことが問題なのではなく、それに取り組む姿勢によって何かを学びなさいという教えだったと思っています。一生懸命は良いけれど、それは集団の中で一人でくるくる回っているだけで、隣の人と衝突こそすれ、集団を動かすことなど出来ないことを身をもって体験したのだと思います。
 しかし、道塾生のみんなは、こんな私を気遣ってくれ、受講の最中から氷を持ってきて冷やしてもらったり、心臓よりも高いところに上げておく方がいいと三角巾を巻いてくれたり、荷物を持ってくれたり、食事を運んでくれたり、かわるがわるマッサージのようなことをしてもらったり、オーガニックの抗炎症効果があるというクリームをくださったり、石が割れなかったことをこうすればよかったよ!とアドバイスをくれたり、あれは当たった石が固すぎたんだねと励ましてもらったり・・・それは新幹線に乗って帰るまで続き、何人の人たちに声を掛けていただいたか数え切れません。
 そして、感じることは皆さんのお声かけが口先ばかりの言葉ではなく、本当に寄り添ってくださっていたということです。また、面白いことに私が右手が痛そうにしているのを見ていて、主人も右手が痛くなっていたそうです。
 検証の中で、気が通った状態では、個人個人の回転がどことも衝突せずきれいにくるくる回っているのを私は外で見学していました。まるでぜんまい仕掛けの人形が回っているようでした。その中に一人の人が入ると、歯車が回っているような感じで外側にまでうまく通り抜けることができました。これは、今回の「善意の心」が塾生に次々と伝達していった様子と重なり合って見えます。 目に見えない力が伝播していき、「循環」させることが大切なのだと思いました。
 
 合宿での経験は、家庭や職場に持って帰り、人を非難するのではなく、思いやりを持ってともに生かしあい、「善の循環」を生み出せるようになることが今後の課題だと思いました。貴重な経験をありがとうございました。

 

これかな、と思った一歩一歩から行動していきたい  埼玉 金融業 36歳 女性 NS

  先日は春季合宿にて二日間ご指導いただき誠にありがとうございました。朝方の澄んだ空気の中、雪化粧の富士山がとても綺麗に見え、またピンクの花がたくさん色鮮やかになっており、そのコントラストが大変美しかったです。
 合宿の二日間を通して一番印象に残っているのはマクロとミクロのお話です。例えば頭に来る人がいて、その人のことを悪く思うと自分が益々小さくなること、人間の懐は無限で、懐深くその人やその人がやっていることを受け止めると 自分の大きさが全然変わっていることを学びました。私はよく電車の中で周りへの配慮に欠ける方(鞄や立ち位置が他の人の邪魔になっていても気づかない、もしくは気づいていても動こうとしない方や、列を無視し割り込む方、等)が近くにくることが多いのですが、すぐカッとなって、自分はいけないことをしていると気づかせなければと、例えば割り込む人に対し阻止したりします。しかし、正しいことをしているようですが、自分がどんどん小さく苦しくなる気がしていました。もっと違う方法で人を変えなければならないと思いました。それが一人革命だと思います。
また、私は鞄や自分の立ち位置が邪魔にならないように気を遣いますし、割り込みはしませんので、一見この方々とは全然違うように思えますが、根本に同じものを持っているので、頻繁に私の近くにそういう方が来るのではないかと最近思います。それが私の問題、私を抑えている部分、色んなところにつながっている気がしてます。 素直さが必要だと思いました。また、もっと大きく広がらなければと思いました。
 飲み会の席では皆さんとずっとお話ができて幸せな時間でした。私の男性とのおつき合いについて、先生はじめ皆様にお気づかいいただきとてもありがたく思っております。自分で自分を抑え込むのをやめなければと最近思うことが多くなっていたので、先生や皆様に色々言っていただき、やはりそういう時期に来ているのだと感じました。 以前の感想文でもお伝えしたことがありますが、手立てがはっきり見えていなくても、行動が物事を変える、あるべきところへ導くと実感していますので、 これかな、と思った一歩一歩から行動していきたいと思います。引き続きご指導の程よろしくお願いいたします。

 

今回割った石は、自分の殻を破る為の励みに  千葉 会社員 47歳 男性 YT

  今回も合宿にてご指導いただきありがとうございました。伊豆での合宿参加も3度目になり、全国から塾生が集うこの時を楽しみにしておりました。曇りで肌寒さを感じる天候でしたが、講義中の熱気もあり会場で寒さを感じる事はありませんでした。
 最初に石割りを体験させていただきました。世間一般的に自然石は固くて人の手で割れるというイメージがありません。女性を始め皆さんが自然石を割るのを見、体験させて頂いて感動しました。女性でも石が割れる。しかも力任せに割るのではなくてただ手を振り下ろすだけで割れるというのは衝撃的でした。自分は石を割ると考えただけで力が入ってしまい体が固まりました。余計な力が入ると石も割れません。
 先生が石割りをさせ、体で気付かせてくれたのは、如何に常識というものが可能性を制御してしまっているかということです。固いから割れる訳がない。割るのには相当な力がいる。結果、割れない。こんなことが日常にはたくさんあると思います。
 今回割った石は、自分の殻を破る為の励みとしていつでも見られる場所においておこうと思います。行き詰まった時、もう八方ふさがりだと感じた時に、その思い込みを払拭してくれる味方になってくれると思います。
 人間という言葉は、人の間だと教えていただきました。本棚は本の棚、みかん箱はみかんの箱、人間は人の間、すなわち「間」だとおっしゃった時に一瞬意味が分かりませんでした。人間という言葉にそのような考え方をすることがありませんでした。 先生の下に学ばせていただき、年を重ねて参りましたが自分はまだまだ何も分かっていないということが分かりました。
 「間」とは「間合い」であり、「空間」です。人と人との間にある見えないものに左右される生き物だということにあらためて気付かせていただき、感動しました。 見えないものこそが一番大切だということに気がつかないまま過ごしてきました。気付かないまま失ってしまったものもたくさんあります。目に見えるものを大切だと思い、表面だけを気にして生きてきましたが、今こうして先生の下で本質を学べる事に感謝しております。こんな恵まれた環境にありながら身の処遇を嘆くようでは罰があたります。人の間にある見えないものを繊細に感じる事のできる人になりたいと思います。感じるだけでなく、その「間」にある美しいものを他の人に渡せる人になりたいと思います。

 合宿を終え、日常の生活の中ですり減ったり迷ったりしていた自分が色々なものを洗い流して清々しい気持ちになることができました。宇城先生の愛情に深く感謝いたします。各支部の先輩や一緒に学ぶファミリーの皆さんとご一緒できたこと、又その機会を頂けたこと、感謝いたします。本当にありがとうございました。

 

先生の凄さ改めて理解し桁違いの事を行っていると痛感 千葉 柔道整復師 30歳 男性 YT

  合宿という貴重な場に参加させて頂けた事に感謝申し上げます。
 今回の合宿はいつもとスタートが異なり石割からのスタート。初めの一人目の時は見ていて本当に先生以外の人が割れるのかと半信半疑でした。しかし、初めての方がいとも簡単に石を割られ、次々と塾生の方々が割られていくのを見ていていつの間にか割れるのが当たり前!雰囲気も割れて当然という空気に変化し、できないからできるになっていくという感覚かと強く感じました。それはやる本人より周りで見ている方が感じることが多かったと思います。
 中には一発で割れない時もありました。その時は自分の癖を出しているので、先生が言われたとおりにやっていなかったり、変な力みが生まれタイミングがおかしくなっていたりと、みている分にはよくわかりました。いかに普段の動きが自分の癖で、部分体で動いているのかが理解でき見るだけでも気づきになりました。
 石が割れることには意味が無いとおっしゃられていた事がよくわかり、割れるというパフォーマンスの事にとらわれるのではなく、癖を無くしていく謙虚さを出していかないといけないと思います。 そしてできるという事がどんどん進化していく事が今回の合宿中で体感できました。
 以前にも行なった事のある四肢を抑えられたまま四つん這いで前に進めるかという検証で気を通して頂いたときの身体が、以前よりももっと軽く進めるようになっていました。 細胞が覚えており、より反応が良くなった感覚です。これは石割の時と同じ感覚でした。初めてやった時は進めるけど自分でも必死でなんとか動いていましたが今回は掴まれているという事すら気にもならないくらいでした。
 その他の検証も変わり代わり行ったり、繰り返すことによってさっきより感覚が良い、統一体の感覚でもレベルが違うのだなと。 そういった感覚が増えるにしたがって先生の凄さが改めて理解し桁違いの事を行っているのだと痛感いたしました。
先生が見せてくれている世界は統一体のまだ入り口にしかいない事。そしてこの登っていく階段が上がれば上がるほど見える景色も変わり、先生のいる場所の遠さが理解できるようでした。
 しかし、身体の変化が増えていくと気をキャッチできるアンテナが増えてきたようで感動しました。進歩するために変化し、変化する事で深さを知るそして自我ではなくそのままを受け入れるための謙虚さを改めて心に響きました。

 挨拶をする際の行動と呼吸(声)がバラバラになっていると身体は強くならないという事がさらに段階を踏んでいくことで統一体へと近づいていく。 ただ頭を下げるよりも、ただ挨拶するよりも行動と挨拶が同時に行われることでより身体が強くなっていく。挨拶をすることによって身体が強くなることが腑に落ちた瞬間でした。
 言葉を発するのは頭、行動をするのは体。これを同時にすることで初めて統一体になっていけると強く感じました。インスタントの挨拶ではなく、心から行動をした挨拶のレベルの高さに驚きと挨拶一つとってもその人のレベルがわかってしまうようなおもいでした。

 そして、自分の常識を次々と覆される中で特に驚かされたのは石割でケガをしてしまった方へ気を通された時です。接骨業界ではあのレベルで腫れ、痛みがあれば間違いなく骨折を疑い動かないように固定をしています。しかし先生が気を通されていくとみるみる腫れも引き痛みも消えていき動かせるようにもなっていきました。もう、これは驚きの何物でもありません。
 一週間ほど腫れが引くのにかかるものが、先生が触れて1分もしないうちに目の前で引く現実。何が起きているか到底理解できない世界です。おそらく細胞が活性化しているので常識では3週間ほどかかるものが凄まじいスピードで治ってしまうように思います。今の医療では計り知れないものが目の前で起きたことを素直に受け入れこれだけの事が引き出せられるようになりたいという目標ができました。先生のお側にいることで希望が湧き出てくることは間違いありません。 これからもご指導よろしくお願いいたします。

 

考えることより行動するこ とが重要  大分 会社員 25歳 男性 KK

  今回は道塾合宿に初めて参加させていただきました。初日の石割りは非常に驚きました。先生が「実際はこんなもん。行動して結果が出る。」 とおっしゃっていました。考えることより行動することが重要だと思いました。そして、今回は何回も気を入れていただいて普段の自分ではできないような驚くべきことを体験させていただきました。先生は人間が本来持っている力だとおっしゃっていました。
 今回の道塾での経験を通して本来の力を発揮できるように努力して行きたいと思います。また、ミクロとマクロのこともとても印象に残りました。物事を小さい視点ではなく大きい視点で見ることができるように自分自身成長して行きたいと思います。今回は本当に貴重な体験をさせていただきありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いします。

 

全国の仲間たちが頑張っているのを見聞きできる合宿は、とても勉強になる  静岡 理学療法士 52歳 男性 TO

  先日の合宿では大変お世話になりました。病院合併で、3年間土日ほぼ休みなしの状態でしたので、本当に久しぶりの合宿参加でした。 久しぶりのため、気後れして参加をどうしようかとも思ったのですが、どうしても宇城先生のご指導に触れさせていただきたくて参加させていただきました。
 参加して、本当に良かったです!! 久しぶりの仲間とのひと時、新たな仲間との出会い等、普段時間に追われている生活から解き放された合宿は最高でした。 宇城道塾は私にとって楽しみが大きく二つあります。
 一つは、宇城先生に気を通していただけると身心が元気になること。いわば、治療をしていただけること。 今回も、仕事が多忙で頭がフラフラして星が出るような状態でした。疲れていて仕事や人間関係にも嫌気がさしていた状態でした。が、初日の四つ這いで前進していく実技で汗をびっしりかいた後はとても身心が爽快で気持ちよくなりました。長い間の疲れが、一瞬で吹き飛びました。その後の懇親会でのお酒も大変美味しくいただけることができました。
 二つめは、私は理学療法士で患者の治療に携わる仕事ですが、宇城先生の講義・実技は治療のヒントが満載にあることです。

 今回も呼吸法の習得や三戦の構え等、非常に勉強になりました。いつも、凄い!と感嘆していますが、それを治療に生かす楽しみはまた格別で、非常に翌日は仕事が楽しくなります。
 さて、今回は合宿で内容も盛りだくさんでした。書けばきりがない程ですので、今回は最近人間関係疲れしていた私にとって一番のヒントと感じた「マクロとミクロで物事を考える」、と教えてくださったことについて述べたいと思います。 合併してからの3年間は本当に忙しく、まさしく心を失っていく感じがしています。人の悪いところばかりに目が行ってしまい、ますます自己嫌悪に駆られる日々でした。スタッフの相談にも「○○さんのいいところを探していこう!」とは言っているものの、自分自身がなかなかできていませんでした。スタッフ間の人間関係で、正直疲れ切っていた感じがしていました。そんな気持ちから脱却の救いを求めて合宿に参加をしたのも事実です。

 宇城先生の珠玉のお言葉の中で特に肚にスッと入ってきたのが、「マクロとミクロで物事を考える」ことの大切さをお話していただいたことです。「嫌いになったり、腐ったりしたらおしまいだ。それはミクロで考えていることだ。マクロで考えるとは、もっと広い見方ものを考えるということだ。それは相手の立場になって置き換えてみることもマクロの見方である。」と先生はおっしゃった気がします。
 例えば、誰かが私の悪口を言ったとします。ミクロでは「あの野郎」と思えるでしょう。しかし、相手の立場に置き換えるマクロの考え方では、その人が私の発言、振る舞いの何かが気に入らなかったのでしょう。
 人は皆考えや感情が違うから、何かがその人の心の琴線に触れたために私に対する発言が出たのだと考えるだけでも、ずいぶんと楽になりますし、何言われても仕方ないや、他人だからと妙に開き直れる気持ちになります。何もかも違う他人に合わせようとしているから悩むんだ。私は人を楽しませ、人を好きになること、人に尽くすこと(自分では楽しむ、好きになる、尽くすの頭をとってTST行動と呼んでいます)にいそしんでいれば、他人から何を言われようと心痛めることはないと確信しました。
 他人の顔色ばかりを伺う人生から、、「マクロとミクロで物事を考える」思考と「義に生きて義に死す」。家族、スタッフ、友人に思いやりを尽くす人生を歩もうと、この合宿で誓いました。全国の仲間たちが頑張っているのを見聞きすることができる合宿は、とても勉強になります。次回以降もできる限り参加したいと強く思いました。ありがとうございました。

 

全国の仲間たちと共に過ごした時間は濃密で誠に至福の時  福島 地方公務員 47歳 男性 HO

  宇城先生、合同合宿でのご指導、誠にありがとうございました。二日間にわたる講義はもとより、行き帰りの電車の中、お風呂、宴会、二次会、朝食、昼食、そして合宿後の打ち上げと、宇城先生と、宇城先生に学ぶ全国の仲間たちと共に過ごした時間は濃密で誠に至福の時でした。
「驚き、笑い、感動、反省、感謝、希望、元気、やる気」 言葉にすればこうなりますが、宇城先生のご指導に私が得た感覚は私の中にあり、私の拙い語彙で伝えることは難しいです。
 しかし、本当に楽しかった、腹の底から笑った、とことん飲んだ、仲間と心から語り合った、元気になった、俺には宇城先生と仲間たちがいる、俺は一人じゃない、止まらないで行ける、頑張れる、やれる、できる! この身体中に何かが涌き出て、満ち溢れています。
 この感覚を切らない稽古は、合宿で宇城先生より御指導いただきました。後は実践いたします。社会、家庭、仕事など日常の中で検証し、反省し、修正いたします。この身体で感じた「気」を己の人生に活かします。自分を、家族を、友を、自分に関わる人々を幸せにします。人と人との関わり、それこそ「間」であり、それを大切にすることで互いの関わり合いに変化が生まれると思います。関わり合いを変えることで、自身と相手ばかりではなく、周囲の空間に変化をもたらすと確信しております。この世の矛盾、欺瞞、それを作り上げている構造に飲み込まれず、次元を変えて闘える力。宇城先生に授けていただきました。
 歴史を見れば、何故こんな馬鹿なことがおき得るのかということが無数にあります。これは支配している体制や構造が、摂理に従わず暴走している証明だと思います。一人一人はおかしいと思っていても全体が動いてしまう。それは、宇城先生が気で全体を包み込み、変化させ、動かしていく力の対極に位置する力なのだと思います。
 人々が何かに囚われ、個々の気を失う時、流されるように何かに動かされる。人々が何かに囚われる原因は、個々の欲に強く関わるものであり、それは何者かに作為的に与えられたものの方が圧倒的に多いと感じます。
 今この時、我々を包み込むコントロールを違和感として捉えられるようになったのは、宇城先生のご指導のお陰で変化できたからだと思います。この変化を成長に繋げ、自身の生産性を高めて参ります。人の生死は対、それ自体は何もなく、その間、まさしく間(ま)が人が生きるという事だと思います。間を大切にできるよう日々精進して参ります。素晴らしい体験を本当にありがとうございました。これからもご指導をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

 

考えるという癖がいかに重病か思い知らされました  神奈川 自営業 52歳 男性 RK

  合宿でのご指導ありがとうございました。とても楽しい2日間でした。せっかくの合宿なのに私が早朝に帰宅することで同部屋の皆さんに気を使わせてしまい申し訳なく思っています。
 石が簡単に割れるので驚きました。でも先生が石を選んで、持ち方を教えて、叩き方を教えて、下さっての事で知らなければ石は固いから簡単には割れないとずっと思いこんでいたと思います。 四つん這いになって、左右につながった人を動物の動きで引っ張っていく時は、何も考えてなくてただ「行ける!」という思いだけで動いています。考えるという癖がいかに重病か思い知らされます。
 合宿の間は練習場からホテルへ戻るときに、たまたま隣を歩いている方と話ながら帰ると、夕食の時に偶然その方が同じテーブルに着かれたり、トイレから出るとばったり廊下で会ったり、人間とは間の事であるという事がたくさん起きて楽しいです。
 日ごろは駅のホームで電車を待っている時にホームで怒鳴っている変なおじさんが「同じ電車に乗らないといいな」と思っていると大体同じ車両に乗ってきます。トラブルになったことはないです。これからは楽しい偶然が多くなっていくような気がします。
 日曜日の昼に川崎駅に戻ったので土曜日から時間にすれば30時間ぐらいなのですが、1週間ぐらいの旅行から帰ったような感覚でいつも見る景色が懐かしい写真を見るような、少し過去を見ているような不思議な感覚でした。 貴重な経験を生かして日常を過ごしていきます、ありがとうございました。
※実践塾の時も午前で帰ると遠足の途中で自分だけ帰るような寂しい感じがいつもしますが、今回は合宿なので仲のいい友達が引っ越ししていく時のような、子供のころしか味わったことのない切ない感覚になりました。

 

ただ一歩を踏み出すこと、そしてそれを続けることが調和につながる  神奈川 会社員 50歳 男性 TK

  合宿では大変お世話になりました。 自分達が何かをするとき、そこに意識が働きます。そして、その瞬間時間が止まり、対立が発生します。どんなときでも相手がいる時には、相手にとらわれ対立が発生していることが分かりました。「調和」と口で言うのは簡単ですが、今の自分達には非常に難しい事だと感じます。
 合宿での実践で、先生に気を通していただいた後、いろいろ歩き回ってまた戻ってくるものがありました。何かがある状態で、それを切らないようにして戻ってくるとき一つ一つの行動をきちんと行っていました。そうすることがその状態を保つために必要だという気がしました。そして、元の位置に帰ってきて相手を投げることが出来た時、素直に嬉しく感じました。
 自分達には統一体になることが出来ません。しかし、その状態を体験させてもらっています。目には見えないことですが、何かがあることは確信しています。そこに近づくために自分なりに小さなヒントでもいいから見つけていく事が大切だと思います。自分の行動を一つ一つ丁寧に行うこともその一つであるような気がします。道は遠く果てしないものだと感じますが、その道は正しい道なので迷いはありません。ただ一歩を踏み出すこと、そしてそれを続けることが調和につながるのだと感じました。ありがとうございました。

 

人間の無限の可能性を信じ、スケールの大きさをつくっていきたい  東京 会社役員 54歳 男性 TK

  道塾合同合宿でのご指導、誠にありがとうございました。今回の合宿も本当に素晴らしく、心に残る合宿となりました。自然石を割った塾生達の驚きや喜びの表情が、とても印象に残りました。また北は北海道北見から南は九州壱岐の島まで、全国の塾生と出会う事ができました。仕事の関係で、限られた時間しか参加できず、車で何時間もかけて来られ、また同じ日に何時間もかけて帰っていかれた塾生もいらっしゃいました。本当に一人ひとりの塾生が、先生の教えと気のエネルギーを求めて集まっているんだと、実感しました。
 身体と呼吸によって、自分の身体が大きく変化する事が体験できました。また先生の気によって変化した自分が、頭で物事を考えたりするだけで切れてしまい、ずっと持ち続けていく心のあり方や姿勢について学ぶ事ができました。 気は、本当にとんでもないエネルギーを持ち、ものすごいスピードを持っているという事を先生によって体験させていただいているのですが、今回自分の肘が先生の気によって強く変化した時は、本当に不思議であり驚きでした。なぜこのような事が出来るのか?まさしく気は人知を超えた存在であり、桁違いのスケールであるという事を改めて知らされました。 気のエネルギーに触れ、人間がとんでもない力を発揮できるという事を実際に自分の身体を通して体験できるという事は、本当に貴重な事であり、師としての先生がいらっしゃり、塾生として弟子に加えていただいている事を心から感謝したいです。
 そしてこんなに大きなエネルギーや人間の無限の可能性を体験しているのだから、もっともっと自分自身が変化し、今までの間違った考えや常識を捨て去り、人間の無限の可能性を信じて、スケールの大きさをつくっていきたいです。実際の行動に移していかなければと思います。 どうかこれからもご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

道塾での学び、日常の仕事、生活に生かしていきたい  東京 弁護士 36歳 男性 YT

  今回の合宿では、先生の生き様に触れたという感じがしました。 「義に生き、義に死す」という言葉を何度もおっしゃったのは、そこに先生が深く共感するものがあるからで、先生の生き方を示した言葉でもあるのだと思いました。創心館の掛軸に「我道一以貫之」と書かれていて、一とはまごころとおっしゃいました。これも先生の生き方を示したものだと思いました。論語では一は忠恕という言葉が示されていますが、これをまごころとおっしゃったところに、先生が捉えておられるものが現れていると感じました。
 風呂上がりや朝食の際、先生の本の読み方を伺うことができました。剣術書、武術書など、昔の本は、できる限り、現物を入手して読んでおられること、現物は、絵が違ったり、墨で書いた書きぶりから、重要さや勢いを感じ取れること、一を知るために十の読書をされていることなどがわかり、徹底的に自ら研究されている姿勢に非常に感銘を受けました。先生による気の体現は、こうした生き様の結果であるのだと思いながら、今回の合宿の講義を受けておりました。今回も実りあるご指導、大変にありがとうございました。道塾での学びは、日常の仕事、生活に生かしていきたいと思います。

 

抱えきれない位の気付きに感動でいっぱい  千葉 電話オペレーター 45歳 女性 NS

  宇城先生、ご指導ありがとうございます。今回も、また一歩、今までと違う感動を感じました。見えているレベルと、見えないレベルの違い、マクロとミクロは、同時にあるもの等々、自分が変わらなければ、そのレベルでしか見れない、感じられないことを再確認しました。
 例えば、末端にいるその人を生かす為に必要なら、輪の中に真ん中にいれること。ミクロだけで見ていた自分にはわからなかったけれど、マクロでみると、その一つの行為は空間が生き、組織が生きることに繋がること、わかりました。それがわかった時、あまりに感動し、宇城先生を大尊敬しました。師は宇城先生で、自分以外のすべてのものが、私の先生であることもわかりました。塾生誰もが思うことでしょうが、宇城先生が社長の会社で働きたい。と真剣に思いました。
 懇親会で、宇城先生の隣に座らせて頂いた時に、宇城先生が、ある塾生の席を少し変えたら、空間が安定したこと、このことにとても感動しました。そして以前の自分はFor youのつもりが 完全に For meでした。だから、For meの行動しかできなかったことに気付かされました。
 また、石割の時に、「石が教えてくれる」と先生が仰っていたその言葉を思い出しました。 ありがとうございます。人には個性があり、自然体の時のその人は、皆、とても素敵な事、気付かせて頂きました。私は、不器用で大人しいから、自信がなく、自分を作ってきたけれど、私の個性を塾生に教えて頂き、励まされました。ありがとうございます。
 今回も抱えきれない位の気付きに感動でいっぱいです。笑いもいろんな笑いがあるけれど、宇城先生のところの笑いはとても品があると感じました。宇城先生とこんなに笑えたことは、初めてで、そして、幸せでした。ありがとうございます。そして、人生の中で、笑うことがこんなに人を幸せにすること、初めてわかりました。宇城先生は、私たちのレベルまで下がってお話下さること、大変な労力と改めて感じます。また、色んなお話をして頂けるような自分になります。

 

大変心に残る感動的な合宿でした  岡山 農業 30歳 男性 KT

  今回も合宿に参加させて頂き、誠に在り難う御座います。毎回思うことですが、合宿に参加する毎に、宇城先生がおっしゃるように、この塾生仲間の皆さんがどんどん本当のファミリーのように絆が深くなってきているように感じ、私もその一員であることを本当に嬉しく、先生をはじめ、このような素晴らしい場を提供してくださっているどう出版のスタッフの皆様にも本当に感謝しております。
 この合宿でも非常に多くのことを学ばせて頂きましたし、自分自身の欲等、様々な癖、問題点にもたくさん気づかせて頂きました。 私自身、実際にギリギリの厳しい状況に置かれた時に、本当に、そこで勇気をもって、ビビらず、逃げずに行動できるのかどうか、情けないことにわかりません。 しかし、そんな私でも、まだまだ自分の中に眠っている潜在能力を先生が引き出して下さり、自分にもできる、そういう力があるということに毎回気づかせて頂いております。
 そして、今回、合宿に参加して、懇親会でも益々全国の塾生の皆さんと親交が深まる中で、やはりこのファミリーは絶対に裏切らない、と強く思え、それがまた、自分も、このファミリーだけは何があっても絶対に裏切ってはならない、裏切らない、と強く決意することができました。そんな温かい仲間と出逢えたことに本当に感謝してもしきれません。
 また、講義・実践の中で、気がどこで切れるのか、という体験をさせて頂きましたが、そこでも私がいかに集中力がないか、すぐに色んなことを考えてしまい、せっかくの気を切り替えてしまっているのかにも気づかされました。と同時に、その時、先生が、考えれば考えるほど、余計にその心が気を切ってしまう、それよりは、思いやりとか、感謝とか、そういったことを思いながらの方が良い、というような意味のことをおっしゃっておられたと思います。
 そこで思い出したことが一つあります。私は普段、日常で、恥ずかしながら、そこまで真剣に空手の型の稽古ができているとは思えませんが、それでも、学生の頃からずっと、ほぼ毎日 1 回はサンチンの型をやるようにしています。まだまだその程度で、何も気づけてはいないのですが、それでも、やはり道塾や合宿の直後のサンチンはまだ気が抜けていないからだと思いますが、いつも自分でやっている時とは明らかに違うように感じます。中々その状態をずっと保ち続けたり、自分でその状態にもっていくことは今の私には難しいのですが、先日、道塾塾生の方々や、どう出版の皆さんが私のお世話したお米等をご注文してくださり、しかもそれを食べた後に、わざわざ感想を送ってくださいました。その感想には、『今までこんなに美味しいお米は食べたことがない。感動しました』『本当に在り難う御座いました』等々といった、それを読んだ生産者のこちらまで感動するような、感謝・感激が綴られた感想文を送ってくださいました。それを読んで私は、皆さんがこんなにも喜んでくれている、人を喜ばすということはこういうことなのか、それによって、自分もまたとっても嬉しくなって、幸せになるんだということを実感いたしました。
 先生やどう出版の皆さんが、道塾や『道』の感想文を送ってもらえると、それがまたエネルギーに変わるとおっしゃっていた意味も、自分がその立場になって本当に実感として理解することができました。そして、その日、そんな温かい気持ちでいっぱいに満たされた状態でいつものようにサンチンをやると、普段とは全く違って、道塾や合宿直後と同じような雰囲気でサンチンをすることができたように自分では感じました。
 今後も、日常生活の中で、人を喜ばせること、中でも、この塾生仲間の皆さんに、自分にできることで喜んで頂くことを、今まで以上にもっともっと真剣に考え続けて、農業、自然栽培に取り組んでいきたいと思います。
 最後に、今回の合宿で最も感動したことでもありますが、女性の塾生の方で、石割りの実践の最中にけがをされた方がいらっしゃいました。中々石が割れないのを観て、その時の私は、自分がやる時もあんな風に、自分だけ全然上手く割れなかったらどうしよう、皆の前で恥をかいてしまうかもしれない、等と、本当にちっぽけなプライドを守ろうと、自分のことしか考えず、ドキドキしていた自分すらいました。しかし、その後、女性がけがをされ、その時とそれ以降の合宿中の先生の対応が、(私が言うと大変おこがましいですが)、素晴らし過ぎて、その女性を絶対に傷つけないように気を遣って、配慮しながら、その中で、さらに、様々な気づきや学びも与え、その上で、最後には必ず笑顔にするという、私には到底真似できそうにもないような、先生の深い愛を感じ、本当に感動致しました。
 またその後の塾生の皆さんの気配りも大変素晴らしくて、塾生の皆さんのその温かさにもまた大変感動致しました。普通は、あのような状態になってしまい、しかも合宿初日の最初で、その後の実践がほとんど何も体験できなくなるようになってしまった場合、もし自分だったら、せっかくここまで合宿に参加しに来たのについてないな~、何の為に来たのかわからないな~等と感じてしまうと思います。しかし、そんなことを全く感じさせず、私はけがをした本人ではないので、こんなことは言える立場ではないと思いますし、なかなかうまい言葉が見つからないのですが、むしろけがをして良かったな、と思えたのではないかと、逆に一生心に、思い出に残る特別な合宿の一つになったのではないかなと、もし、自分が同じ立場だったら、そういう風に思える合宿だったのではないかと、勝手に思ってしまいました。
 やはり、普段の道塾の講義・実践だけではわからないこと、そして、宇城先生とまさに寝食をともにすることで、講義・実践はもちろん素晴らしいですが、むしろそれ以外の場での先生の言動に非常に感動したり、大変多くのことに気づかせて、学ばせて頂いていると感じます。
 今回の合宿もまた、大変心に残る感動的な合宿でした。 このような素晴らしい場に参加させて頂いたこと、そこで塾生仲間の皆さんと交流し、宇城先生からご指導頂けたことを本当に嬉しく、本当に感謝しております。 今後とも、ご指導宜しくお願い致します。

 

                               

塾生の進化し成長していく姿に自分もそうありたいと強く思わされた  山形 教員 54歳 男性 MI

  この度の合宿に参加させていただき誠にありがとうございました。今回、一昨年の春の合宿以来、二度目の参加となりました。前回に増して、「合同合宿」の良さ・凄さを体感させていただきました。本当にありがたいという気持ちでいっぱいです。
 まず今回は特に、他の塾生の、宇城先生に学ぶ真剣さを強く感じました。塾生の目つき、体つき、学ぶ姿勢の一途さに多くのことを学びました。潔く自分を捨て、つまり、自らを波が全く立たない水面と化して、塾長という月をそのまんまに写し取ろうという姿勢が、すごく鮮明でした。水面に写った月を手で掴み取ろうとする愚かな猿ではなくで、自分を無にしてただひたすらに宇城先生に学ぼうとする姿勢が、塾生たちをどんどん変えていっていることが、食事の時や懇親会の時の会話から強く伝わってきました。皆さんが宇城先生からいただいたバイタリティをそれぞれの仕事や家庭で発揮していることが、いろんな会話の中から伝わってきました。そういう塾生の進化し成長していく姿は本当に頼もしいものでした。自分もそうありたいと強く強く思わされました。
 次に、今の日本はどんどんおかしくなっていっているという宇城先生の話に、強い危機感を感じました。今の日本は、宇城先生が言われるようにどんどん悪い方向へと変わっていっている実感があります。政治もそうですが、経済や教育もそうです。役所も学校も、各家庭も、一人一人の男女のレベルにおいても、人の暮らしや命を守ることから、どんどん遠ざかっています。しかし、だからこそ先生の「一人革命」につながって行かなきゃいけない。その中で、まず自分の置かれた場所で先生に倣って、先生の生き様を写していかないといけない のだと強く思わされました。その際に「気」がすごく大事であることを感じました。
 宇城先生から「気」を通してもらって、「できる」を体感させていただいていることの意味がそこにあるのだと思いました。日々の生活のレベルで、本当に、先生に倣う(習う)者になりたいと思います。
 最後に「君が代」の DVD には驚きました。目からウロコでした。内心、驚愕しておりました。古代の日本人が、古事記・日本書紀の世界に描いて後世の人間に伝えようとした、人間のあり方・男女のあり方のあるべき姿に学んで、「君が代」の歌詞が書かれたことを、これほど明確に伝えるものはありませんでした。「和」を何よりも大事にする、それも男女の和を最も基本的なこととして大事にする発想が、「君が代」のベースにあるとは思いませんでした。県教委が卒業式での教員の口パクをチェックするという実に愚かで強権的なやり方には到底賛成できませんし、君が代の強制にはもちろん反対でした。しかし、「君が代」の歌詞の意味の深さには思い至っていませんでした。自分の不明が恥ずかしい限りです。 この「君が代」の歌詞の深い内容を、今の日本の政治に当てはめると、まさに逆コースです。
 一方的に恋心を抱いた男がすぐにストーカーと化し、女性を殺害する事件が後を絶ちません。貧富の格差が拡大し、国民がどんどん分断されている。非正規社員ばかりが増え、ブラック企業も増え、人間を大事にする発想がどんどん失われています。安倍政権は、危機を演出し危機感を煽り、軍備を増大し、周辺国に対して好戦的な姿勢を示していますが、天皇陛下はその逆を行っています。この天皇陛下の姿勢こそが「君が代」の精神なのだと教えられました。宇城先生の博覧強記にはいつもながら驚かされます。まさに宇城先生においては「心身一如」なのだと思いました。本当に勉強になります。ありがとうございました。

 

この場での学びは何物にも代え難い、とても尊いもの  男性 YF

  昨年、秋の合宿にも過去塾生として参加させて頂きました。今回もお声掛け頂き、ありがとうございます。本当に素晴らしい二日間を過ごさせて頂きました。
 今回は「自然石割り」の実践がありました。まさに老若男女、次々と石を割っていく姿は見ていて痛快でした。見ていて感じたのは、石が割れない場合は、何か閉じこもってしまっているように見えました。逆に割れる時は、心が開かれていて、それが手が石に振り下ろされるまで変わらないでいると、割れているように思いました。これは、すべての検証に当てはまる、と思いました。
 自分も、手を膝についた状態で、呼吸で相手を動かす検証をした際、自分の目の前の視界が狭くなったように感じ、やはりうまくできませんでした。これは自分で勝手に自分自身で苦手意識というか、できない自分、という方を信じてしまっているからだと思いました。しかし、大事なのはそこで詰まるのではなく、すぐに気持を切り替え、次へ向かう、という事だと思いました。そしてできない自分、フルコンを今までやってきたので、普通の方より、居着いて当たり前、マイナスにいるという事を受け止める、謙虚な姿勢が自分には足りていないと思いました。
 四つん這いで手を掴まれた状態から、地面に内面を落としていき、そこから手の力を抜いて相手を投げる、という検証では、お昼休みにも胡坐の相手の膝に手を置き、内面で抑える、という検証をしてくださったので、本当に感覚が理解でき、今までやってきた事と身体の中で繋がったように思いました。内面を落としていく、地球の中心に心を向かわせる程、地球のエネルギーが自分の身体に入ってくる、地球が身体をエネルギーで満たしてくれるのではと思いました。
 人間は「間」の事、というお話がありましたが、まさにその通りだと思いました。そして「間」とは人や周りとの接し方、それがあってはじめて「人間」だという事。そして武術はその「間」を制するもの。その空間には何かが無ければ、「間抜け」です。それはやっぱり心でしょうか。
 自分は日常ではまだその心が抜け、ただの「人」になっている時があります。「人間」ではないので、自分の事しか考えず、相手の事を思う事もない、生きる事をサボっている、周りに流されている状態です。今の世の中そのようにされているという状況もあると思いますが、そこに自分自身で気付き、変わらなければ、何も変わりませんし、気付いた時には遅いのだと思います。
 朝のお風呂でも湯船の中で先生に気を通してもらい、手を底につこうとした所、最初に手をついた感覚の所に底がなく、もっと深く感じ体勢を崩してしまいました。リサ・ランドールさんの五次元のお話がありましたが、その現象を実際に起こしている、それも自由自在にそれを行っているという事、これは本当にレベルが高過ぎる、と思いました。高過ぎて、自分自身を含め、皆、理解する事、その重要性、今、して頂いている事の有難さが分からないのだと思います。しかしそれは確実にそこに存在し、自分達理解の片鱗さえ見えない者にも通常では有り得ないような事象が起きます。まさに科学が後追いをしている、リサ・ランドールさんの五次元もまだ一般的には定着してません。けど宇城先生はもうすでにそれを実証し、さらには自在に生み出す、という科学ではまだ何十年も掛かりそうな事をすでに行っています。
 やはり、生と死の極限から生み出された武術はとてつもない次元であり、またそれを体現している師に出会えた事に、本当に感謝しなければなりません。感謝が足りない、という事は今、自分達が先生から学んでいる事の尊さ、素晴らしさ、可能性を分かっていないという証拠だと思います。分かれば感謝できるのだと思いますが、自分のレベルが低く、理解はできません。ならば、感謝をするしかないと思います。そうする事により、心が開かれ我が無くなり、先生の教えの偉大さ、素晴らしさ、を感じる事ができるのだと思います。
 先生に気を通して頂いた状態で、相手から離れ、身体を動かし、どこで気が切れてしまうかの検証を行いました。相手から目を離さず、あまり動かないでいれば、気が通った状態が長く持続できました。しかし、動きを入れたり、相手から目を離すと、気が切れたのが自分でもすぐに分かりました。この感覚を体感させて頂いた事は本当に凄い事だと思いました。技が掛かる時というのは心が動いていない時、その身体の状態を感じる事ができました。なのでそれを手掛かりに、型稽古をしたり、日常を過ごしていけばいいのだと思いました。
 自分では、やはり気を通してもらった身体を再現するのできないと思いますが、それでもその方向に向けて一人稽古する事で、次回先生に気を入れて頂いた時に、一気に先に進めるのだと思います。 十人ぐらいの集団で、先生に気を通して左右に振られた時、物凄いエネルギーで身体が吹っ飛びました。そのエネルギーはどんどん強くなり、自分の身体のスピードがどんどん増幅しているような感覚になりました。そこで、頭で考えたり、するとそのスピードに乗り遅れてしまい、手が離れてしまうのだと思いました。何も考えずに必死にしがみついていれば、身体が勝手にそのスピードに順応していくのだと思います。この力はとてつもなく強いですが、投げられた後も、視界が冴え、身体中の細胞が踊っているような身体の内側から巻き起こるとても心地の良い高揚感が残ります。一言で言えば、とても元気になります。「人間として」のエネルギーが充電されたと、感じます。
 以前、アインシュタインが娘に宛てた手紙を講義の中で見せて頂きましたが、そこに人間は各々が愛の発電機だという事が書かれていました。それをまさに現実に体験する事ができた、と感じます。これこそ、アインシュタインが最も証明したかった事「愛の力」ではないでしょうか。このようなとてつもない気付きを与えてくれる師。その教えを学べる。その有難さをもっと謙虚に受け止めなければならないと思います。この場での学びは何物にも代え難い、とても尊いものだと思います。
 この合宿参加者、各々が、自らの愛を信じ、変わっていき、益々結束していければと思います。その為にもまず、自分がやらねばならぬと思います。本当に素晴らしい合宿に参加させて頂き、ありがとうございました。今後とも、何卒よろしくお願い致します。

 

それぞれの歯車がこれまで以上に噛み合ってきた 山口 会社員 43歳 男性 KI

  この度も御指導いただきまして誠に有り難うございました。合宿を通して感じた事と日常の生活とを照らし合わせながら、発見と反省を繰り返しています。心の発動が技となり形となる、まず「見守る」という意識をしっかりと持ちたいと思います。心の状態が身体を変え人間という間を変える。統一体で在ること、人間という間に合うこと、この二つは同じことだと感じました。「守ろう」「何かをしなければならない」ではなく、まず「見守る」。誰もが望む安らかな暮らし、同時性多次元の働きは、たとえ目に見えなくても相手を想う心の発動が出発点です。意見の食い違いから誰かと対立してしまう場合、相手を想うより怒りにまかせて攻撃に転じた方が楽です。しかし、敵になって嬉しいはずはなく、出来ることならお互い最小限の傷で治めたい。踏み込むほどの覚悟のない今、普段から見守る心を持ち、途切れてはつなぎ直す謙虚な姿勢が自分には必要です。合宿の復習のため『つよい子に育てる躾』を読み直しました。本から伝わる先生の言葉、道塾で得た感知、自分への問いかけ、それぞれの歯車がこれまで以上に噛み合ってきたことを嬉しく思います。有り難うございました。欲張ることなく精進します。

 

先生の「潜在能力を引き出し」て下さる教育をしっかり自分のものに  埼玉 特別支援学校教員 38歳 男性 TS

  素晴らしい合宿に参加することができ感謝しています。
 1日目の石割りでは、自分で石を割ることができて感動しました。他の方がやるのを観ていると、できる時とできない時の雰囲気の違いがよく分かりました。できる時は自然体で力みを感じませんでした。できない時は呼吸が止まり、身体が硬くなっているように感じました。居着くという状態が分かりとても勉強になりました。先生自ら石を探しに行ってくださり、本当にありがとうございました。
 腕をもたれた時だけではなく、袖をもたれても、手をかざされただけでも内面を変化させてしまう実習は驚愕の一言でした。また、肘の使い方ひとつで大きく力の発揮が変わってくることが体験できてとても勉強になりました。
 本棚の本質は「棚」、人間の本質は「間」というお話をしていただき、気付くことがありました。 多くの人は生物学上の「ヒト」であって「人間」になりきってないということです。日本語には間のつく言葉がたくさんありますが、間はそれほど私達日本人にとって大切なものです。
 狼に育てられたカマラとアマラは生物学上はヒトでしたが、終生、人間になることはなかったと言われています。私達は二足歩行や言語行為こそ駆使し、動物より進化した存在だと思っていますが、「間」が欠けており、宇城先生のレベルから見ると動物と大差ない状態だと思います。むしろ、頭脳優先で自然体で生きる動物より退化した存在かもしれません。「人間は教育されなければならない唯一の被造物である」とカントが言うように「ヒト」が人間になるには「間」の教育を受ける必要があります。
 宇城先生は私達に繰り返し気を通して「間」を体感させて下さります。その「間」の感覚を忘れずに自分の中に定着させていけた時、人間になれるのだと思います。先生の「潜在能力を引き出し」て下さる教育をしっかりと自分のものにしていきたいと思いました。ありがとうございました。