東京・大阪・仙台・熊本・岡山 特別合同合宿  (2015.9.26-27)

 講義が始まり、すぐに心身が変化していくのを実感    茨城 自営業 男性 46歳 KM

 この度も御指導、誠にありがとうございました。また現在道塾を受講していないにもかかわらず合宿に参加させていただき、重ねて御礼申し上げます。

 8月22日に合宿のお誘いをいただいた時は、「やったー!!」と飛び上がりたいくらい嬉しかったです。本当です。この日から合宿までの日々、ワクワクとした時間を過ごすことが出来ました。
 仕事も家庭生活も、それまでとは別なものに感じました。先に希望があると日常生活が一変してしまいます。本当にありがたいことです。そして9月26日、待望の道塾合宿が始まりました。

 まず感じたことは、宇城先生のご指導は特別だということです。あらためて次元が異なることを知りました。講義が始まり、すぐに心身が変化していくのを実感しました。身体が軽くなり思考が動き出します。「もっともっと伸び伸び堂々と生きることができるんだぞ」と、自分の声が聞こえてきます。そして間違いなくそれができると思えます。同時になんと些細なことで思い悩んでいたのか、なんと横着をしているのか…自分の浅さ小ささが見えました。実技でかく汗も全く違いました。身体の芯から出てくる感じがしました。統一体の汗だと思いました。その渇いた身体で飲むビールの美味さは、ここ道塾でしか味わえません。最高の一杯でした。 あらためて、道塾を受講していた日々がどれだけ充実し自分を進歩成長させてくれていたかを知りました。

 宇城先生の目を見ていると本当の自分の姿を見ることになります。目をそらさないぞと、いくら頭で思っても、いざとなるとそらしてしまいました。自信のなさが表れ、物事から逃げていたことに、はっきりと気づくことが出来ました。繰り返しになりますが、真の自分の姿を見ることでき、見えた時にはすでに一歩階段を昇った自分と会える。このような場所は他にありません。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 相手と調和するという実感をいただき、非常に感動    兵庫 学生 女性 23歳 NT

 9月の合宿でも、愛のあるご指導を誠にありがとうございました。
 今回の合宿でも、多くの気づきや感動をいただきました。

 なかでも最も印象に残っているのは、先生に気を通していただき、つかみかかってくる男性の方々を投げ飛ばす実践をさせていただいたときの感覚です。何も考えることなく、力もいらなくて、男性の方が私に触れる前に体が動き、受け流していました。言葉では表しきれませんが、意識の前に体が動くという実感、相手と調和するという実感をいただき、非常に感動しました。 

 また、1日目の連なっている人を押すという実践では、私ははじめ、押すことができませんでした。力ではいけないと知っていても、押したいという我が出て、力でぐいぐい押してしまっていたような気がします。
 交代をして、私が先頭になって他の方から押される番になりました。その方もはじめは、押すことができず、力で押そうとなさっているようでした。私はそのとき、力で押されるということが、痛いということに気がつきました。手が胸やのどに食い込んで痛いのです。その方を責めるつもりは一切ありません。私も同じだったということに気づかされました。私も力で押してしまっていた時、相手の方はどれほど痛かっただろう。でも、私は、相手の痛みを考えもせずに、なんとか押したいと力を込めてしまっていました。自分がどれだけ自己中心的か、相手のことを考えていないか、相手と逆の立場になってはじめて、気づかされました。 

 そんな私なので、きっと、日常でもそんなことをしてしまっているのだろうと思いました。自分の思いばかり、自分がやりたいと思うことばかりして、そのために周りの人に与えてしまっている痛み・感情に、気づかずにいるのだと思います。非常に、自分が恥ずかしいと思います。
 今の私には、見えていない世界、気づけていない世界があると気づかされました。そのことが非常にありがたいと思います。 気づけるようになりたい、気づける人間になりたい、と思います。

 「仕事は片手間」で「24時間修行」の意味が、少しではありますが、分かってきたような気がしております。私が、気づける人間になりたいと思う時に、それは私の人生・生き様の全てに及ぶのであって、仕事はその中の一要素でしかないのだと思います。
 仕事でも、それ以外のすべての時間においても、それが私をつくると思って生きていきます。

 まだまだな自分から目をそらしたくなる時もありますが、先生に出会わせていただいているというこのご縁と、今ここまで生かしていただいているという事実と、支えてくださっている皆様に感謝して、頑張りたいと思います。今後ともご指導賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

 どこまでも深い世界に一歩目を踏み出せたことに感謝   東京 自営業 男性 35歳 HO

 この度は合宿に参加させていただきましてありがとうございました。超初心者のわたしに対して、塾長はじめご参加の先輩方は、上下関係なく温かい調和した心で接してくださいました。朗らかなさわやかな気持ちで2日間過ごすことができました。まずは深くお礼を申し上げます。

 合宿中、塾長に、「見た目は柔らかいけれどね」と言われたのがとても心に残りました。見た目が優しく柔らかくても、実際に縦に並んだ大人5人をわたしが押すことはできない。それは、調和していないとできないという事実を示しています。 この実体験は、謙虚さが足らず傲慢である自分を振り替える大きなきっかけになりました。押す前に、答えがでていることも感覚としておぼげながら感じることができました。決して、イメージや意識でできるわけではないことを感じ、「心」を毎日磨き続けることが大切なのだと感じました。
 合宿後、「24時間稽古」の意味が頭ではなく、身体で感じることができた2日間でした。とりわけ、正しい礼の仕方で、周りとの一体感、調和感覚が途切れず続く感覚があったのには驚きました。つまり日常で、自分一人という感覚で、孤立して周りとの調和を無視して、いかにも自分一人なら何をしても構わない、別にたいしたことないと、心の奥底で想っていた傲慢な自分がいることに気づきました。
 きっと世界中の一人一人が毎日、毎秒毎に出てしまっている分離感が減ってくると、あるとき一気に調和の波が広がっていく可能性を感じました。そして、小さなたった一人の自分であっても周りにそして、未来に与える影響がとてつもなく大きいという事を感じられました。
 武術は、決して戦いとして強くなるためのものではなく、心を磨くためのもので、ただ筋肉的に強くなることがどれだけ意味のないことかを思い知りました。むしろ自分一人、内にこもって筋肉を鍛えるようなことをしていると、逆に人との分離感や闘争心のような、調和とは対極の世界に向かってしまうのではないかと感じました。頭で考えて何かをしようという傲慢な心は心の成長をストップどころかマイナスにしてしまう要因になるのだろうと思います。
 「道場ではうまくならない」と座波仁吉先生が言われていたということを宇城先生のDVDで何度も拝見していましたが急に心に深く染みてきた想いです。
 心が磨かれているかどうかを図る一つの方法が宇城先生が体現なさっている複数人数を押したりできるということであって、筋力が強く軸ができているから押せたりしたとしても何の意味もなさないことを思い知りました。
 1分1秒、自分は今、愛や調和の心で過ごせているか?と自問したくなるような濃い時間でした。
 サンチンの型を人生で初めて宇城先生と同じ空間でさせていただいたとき、サンチンは世界平和や愛といった調和融合を体現するための型なのだということを体感して、今までにはない感動を覚えました。
 あのときの温かく心地のよい調和の気持ちが常に持てたら自分や周り、そして世界が変わっていくのだろうなと思います。
 今までなんとなく生きてきましたが、本当に命を生かすとは、調和融合の心で生きてこそ意味のある、価値のある人生になるのではと感じました。

 寝食そして、お風呂まで裸の付き合いでわたしのような非常に低いところまで、丁寧に降りてきていただいて、時間と空気を共にしてくださる宇城先生に頭が下がります。 どこまでも深い世界に一歩目を踏み出せたことに感謝したいと思います。