二日日間の合宿、大変お世話になり、ありがとうございました。私は春に続き二回目の合宿参加でした。 春とは参加する方々の顔ぶれも大分違い、緊張もありましたが発見も多く、実り多き時間となりました。 当日は天候にも恵まれ、関東では臨むことのできない西側からの富士山の眺めは清々しいものでした。 バス移動の途中では、富士山を背に先生や皆さまと記念写真も撮影頂き良い想い出のひとつとなりました。
合宿では調和と対立、武術の精神性に比べてスポーツの在り方の弱さを実践を通じて学ばせて頂きました。 一日目は呼吸を落とすことによる気の入れ方、それに基づくサンチンの指導を頂き“呼吸”の取り入れ方 大切さを実践で学ぶことが出来、改めて気の強さを感じる事が出来ました。従来どうしても腕力に頼りが ちな自分であり、その癖がなかなか抜けきらないのですが、少しづつ意識の居所が変わっていっている様 に思います。
また、以前先生から伺っていた自然石割りを間近で拝見する事が出来、大変感激しました。 これが、子供でも簡単に出来ると言うことは正直ピンとこないのですが、先生の試技を拝見すると力が入ってい ないが、勢いを感じ新たな地平を感じた気がします。僭越ですが、その後こっそり割れた石を頂きました。 (我が家の神棚にあがっております)食事や懇親会では日ごろの仕事や立場を超えた様々な先輩方との交流で、 とても楽しくお話を伺うことが出来感謝しております。 先生はいつも色々な話題で楽しくお話をしてくださいます。話題の豊富さと周りを和ませる話術は仕事をする 上でとても参考になっております。そして落花生捕りには目を見張るばかりした。
二日目の朝、同室の方々と は一足先に目が覚めたため、宿舎周辺をひとりで散歩に出かけました。周辺はキャンプ場が西湖の周りに点在 しており朝早くからキャンプのみなさまが洗面や炊事支度をされていました。 とても爽やかな朝でした。山々の下、西湖を眺めると朝日が湖に移りこんでおり、 “うつるとも月も思わずうつすとも水もおもわぬ広沢の池”とはこんな感じなのかなと思った次第です。
二日目、前日の呼吸の指導に加え、型による正しい姿勢で生じるエネルギーの生じ方を学びました。 正しい型(握り)で易々と倒す事が出来、気が通ることで無力化された相手が立ち上がることが出来ない。 とかく緊張する場面があると、自ずと身体が浮ついている感じがしてドキドキしがちな自分に気づくことが 多いのですが、この学びにより周りに惑わされず、心の強さから来る落ち着きを身に付けられればと思います。 今は先生のご指導により出来ない事が出来ますが、これは静の強さであること。静の強さでは動の強さには 無力である。先生は仰いました。深さを感じました。
まだまだ、修業は入り口にも満たない自分ですが、日 々を学びの場とし24時間365日、一生修行を心に留めて歩んでゆきたいと思います。 今回も宇城先生、スタッフの方々、並びに参加された皆様と時間を共にすることが出来て沢山の学びとエネ ルギーを頂きました。ありがとうございました。
私は先天性臼蓋形成不全という股関節の病気を持っています。24時間、足に痛みがあり、寝ている時も痛みで目が覚めることがあります。そのため長丁場の合宿は不安だらけでした。しかも最悪なことに夜勤明けの疲労からか、合宿前日から足の痛みがひどくなってしまいました。足の状態が悪くなると、いつも足を引きずるような形になってしまいます。当然、走ることはできません。そんな状態でも、宇城先生に気を通して頂くと足の痛みが一気に楽になり、背中を上から全力で抑えられた状態でも楽に足を動かし、その場でダッシュすることができたことにとても驚き、感動しました。
また宇城先生に気を通して頂いた時の足は、「木が水を含んだ」ような感じになり、足の感覚が普段とは全く違うものでした。気が通った時の身体は、身体の密度が全く違うように感じました。 以前、道塾で学ばせて頂いてから、人の話を聴く時は必ず身体のライトを話をする人に当てて聴くようになりました。身体のライトを当てながら人の話を聴くと、今までなら素通りしていたような話まで心に残ったり感じるようになりました。聴く姿勢を作ることで、同じ話を聴いても受け取り方や心に残る感じも全然違うと感じます。
宇城先生の御指導を受ける度、人間の身体にある無限の可能性、身体の神秘に感動し、日常から変えて行かないとダメだと気付かされます。もっともっと身体で感じること、身体で考えること、身体で行動できる人になれるよう、心の修行を日常生活で積み重ねていきたいと思います。宇城先生、御指導ありがとうございました。
2014年秋の道塾合宿においては、貴重なご指導を賜り、誠にありがとうございました。天候は快晴に恵まれ、雪を被わない富士山が雄大に裾野を広げ、 樹海の上にそびえ立っていました。また富士の頂を水面に映す西湖の青さも美しかったです。このような素晴らしい環境での今回の合宿において、 最も印象に残っていることは、先生の時間の先取りに関するお話でした。
今何をやらなければならないか、何を優先させるか、何を捨てるべきなのか、自分達は今という時間の中で、多くの種々雑多な事柄や山積された課題の前で立ち往生し、選択を誤り、行動が遅くなっています。先生は、自分を少し時間の先に置いて今を見る事で、やるべき事がもっとしぼられて見えてくる。もっと先に自分を置く事で、さらに小さくフォーカスされていく。先生にいたっては、さらに時間が先取りされて、一瞬で点のように見えるという事でした。
先生やりんごの木村さんなどは、ぱっと現場を見ただけで、現状の問題や将来出来るか出来ないかの姿も瞬時にわかるという事で、実際に現場の中で様々な修羅場をくぐって来られたからこそ、たどり着ける境地だと思いました。自分も会社や家庭に対して責任のある立場であり、謝った判断や過ちは自分以外の人達に跳ね返ってきてしまいます。もっと真剣に、そしてもっと自分の時間をはやくしなければと思います。 もっと謙虚になる事。心を開いて相手と調和し、周囲に対して気配りする事。仕事や課題に真剣に向き合って入っていく事。欲をすてる事などが、時間を先取りしていく事に繋がると信じて実践していきたいです。
最後に、合宿後の二日間は無事に香港から来た家内のいとこ家族と、箱根を観光する事が出来ました。お心遣いを頂きまして誠にありがとうございます。台風が逸れたのも先生のお陰だと思っております。どうかこれからもご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
今回の道塾の一つのテーマは調和と対立でした。調和のエネルギーと対立のエネルギーの差を、身体を通して感じることになりました。2人で行う実技。相対した一人がもう一人に対して両手の手のひらを合わせるようにして相手の手を押し下げます。横を向いてサンチンの構えをしてからその気持ちのままに相手に対峙すると押し下げることができますが、相手と対峙して余計なことを考えるとうまくいきません。すなわち押さえようと思うと対立が生じ押さえる事が出来ません。押さえるエネルギーが出てこない、ようでもあります。その対立について、相手の方から次のような言葉あり印象に残りました。
こちらの対立の気持ち、姿勢が手のひら同士が触れる前に相手も身体でわかるというものです。それは触って力が働いたからではなく、働く前にわかるのでした。同じように調和した時もわかるといいます。それは頭でわかるというのではなく、身体がわかるというものです。 身体はそのこと(調和なのかあるいは対立なのか)をすでに知っているのです。これは身体が持っているそのような力を実感した実技でありました。次のような実技もありました。
これも二人一組。向かい合って対峙し、一人がもう一人の肩をいきなり掴もうとします。一人は自分の肩を斜め後ろに引くようにして避けるのですが、気が通っていない場合、相手の出方のタイミングを測るようにして、緊張した心身状態で待つ感じで構えてはいるのですが、 避けきれずに掴まれてしまいます。気が通されると、相手の動きがまるでスローモーションのように見えて、避けるのがとてもやりやすくなります。動きが見えるという観点でいうとスローモーションという表現になりますが、別の角度からその気が通されているときの気持ちを表すと次のようになります。相手を見ているのですが、別にその動きのタイミングを測るような緊張感はなく、 「ああこれは確実に相手が掴みに来るときはわかるな」、という自信が気持ちの中にある状態となります。
それは先生がよく言われる「事の起こりを抑える」ことが可能な状態といってもよいかもしれません。それができるという自信があるから、対峙していてもとてもリラックスした心身の状態でいられるのでした。 この実技は先を読む世界にある無駄な緊張感や動きの省かれた、ある意味とても省エネルギー的ともいっていい世界を垣間見た感覚を持たせてもらったと思います。この調和と対立におけるエネルギーの違いはどこから来るのでしょう。エネルギーを、仕事をする能力として考えると、調和した時と対立した時のその仕事の持つ 一つの性質のようなものがエネルギーの違いとして説明できるのではないでしょうか。
これはあくまでイメージとしてのものですが、その性質を表すものとして時間的な方向が逆ということがあります。調和の時の仕事は未だ来ない時間である未来から今を見るという時間的ベクトルが感じられます。対立するお互いの関係において、その対立を過去として積み重ねることで、 今という瞬間に向かうというような時間的方向の感じがします。日常の中で同じような場面としてあるのではないかと思ったのは、道などを歩いていて互いに段々と近づくように歩いている時の状況です。そのまま行けばぶつかることがわかっているが、お互い避けずに対立してぶつかってしまった状況です。この時のエネルギーは、相手に対する不快の感情や実際に肩がぶつかったときの痛みや刹那的な怒りの感情などに消費されます。これに対し調和のエネルギーというのは、ぶつかる前に身体が反応しどちらかが譲る姿勢を見せることで、相手はそのことに感謝を表す礼をして互いに交差していくという世界に現れます。
そこで費やされるエネルギーは無駄なエネルギーではなく、自然でまた平和な心身のエネルギーとして、互いの心に蓄積されるのだと思います。このように調和、対立のエネルギーについてその時間的な方向の差が違いを生んでいるということ、そしてその違いをあらかじめ知る能力が人間の身体に備わっていること。 実技ではこれらのことを改めて象徴的に身体を通して感じることができました。人間の住む地球という世界では昔からそしてこの瞬間としての今も国家、人種、主義、民族、はたまた家族や職場、そして通りすがりの見知らぬ同士の間でそれぞれのレベルに応じた対立の構図が満ちています。そこで費やされる無駄なエネルギーはどれだけのものでしょう。それらは人間が身体を通してではなく、頭だけの知識や一時の刹那的な欲望や感情をその発端としていると思います。
人間が本来持っている、すでに未来から今を知っている身体からの発想を使って調和の世界に進むことができれば、方向の負号だけでなく結果としての仕事の大きさの桁も違う、人間にとって、いつでも、どこでも、 無尽蔵にという正真正銘の再生可能なエネルギーとなるのではないかと思いました。 このことにどれだけの人が気づいて、そして実践していくのか、それが人間社会の将来にとってとても本質的に重要なことだと感じた道塾でした。
少なくとも道塾に参加する人がその気付きの一人となって動いていくこと、 たとえ一つ一つが小さな点のような動きだとしても、その小さな変化が、 いつか大きな動きにつながることを信じる心を常に持って、これからも学んでいきたいと思います。 合宿の両日、まぶしいばかりの秋の日差しに照らされた西湖湖畔にて、先生のご指導の下、 思いを共にする塾生と他の実技も含めて密度の高い時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
今回は、中・上級合宿に参加させていただき、ありがとうございました。私にとって初めてとなった今回の合宿は、普通の人が何年もかかって得るものを、たった2日間で学べたような、とても充実したものとなりました。同じ場所で先生や塾生の方々と生活を共にさせていただくことで、まさに24時間が修業なのだと感じました。すると、普段の生活の中で、例えば食事やお風呂、起床から就寝まで自分がどこで 気の抜けた状態になっているか。そこで、いかにして気を復活すればよいかが自分なりに分かってきました。
更に、他の塾生の方々が道塾での学びをどのように自分の生活の中に取り入れて実践しているか、 これも直に話し合い心で触れ合って体験させていただくことができたので良かったと思います。また、参加者が通常より多いので、普段の実践より空間的にも量的にも大きな実体験ができました。広い体育館が使われたので迫力もいつもと異なり、とても分かり易かったです。 今回の実践のテーマのひとつに「調和」がありました。「対立」することが蔓延している現在の世の中で、「調和」する力がどれ程強いものか、気を通された人が相手を投げ、投げられた相手も調和されることで またその人を投げ、という様に「調和」する事で、どちらがどちらでもなく、また、どちらがどちらにもなることで 生まれる力と可能性を、通常の道塾より大きなスケールで、思い切り体を使って学ぶことができました。
合宿の往復の間に通った富士山を見て思いました。道塾のあり方は、また、この世の中は 富士山のようなものでなければならないと。私があの山を帰りの車内から見て抱いた感激は、宇城先生を見上げる畏敬の念に通じます。なぜなら富士の高みは裾野から繋がって登って行ったものだからです。 現在の世の人の多くは、まるでピラミッドのような、段々に切れたものを積み上げて高い所に行こうとしているようで、その高さもたかが知れているし、下と上は完全には繋がっていません。
しかし、先生の道塾の高みには、多くの人が積極的に「調和」の力で繋がっていて、しかも先生が御自身から上にも下にも縦にも横にも果ては時間・空間さえ自由自在に広がって「気」の力を 広げてくださいます。その御姿も堂々とされています。子供の時に初めて修学旅行で富士山を見て、素直に感動できたことを思い出しました。頭ではなく、体が心が感動できた頃のことを。合宿は2日間で終了しましたが、本当に素晴らしい体験ができた、という思いと、まだまだもっと積極的に取り組めばよかった、という後悔の気持ちがあります。これらの思いと気持ちは絶対に今後の道塾と次回の合宿に活かし、そして 周囲の人々に繋げて行きたいと思います。宇城先生、事務局の方々、各地から参加された皆様、本当にありがとうございました。
感想文、遅くなってしまった事をお詫びいたします。合同合宿二日間、ものすごく密度の濃い充実した時間でした、ご指導ありがとうございました。今回初めて合同合宿に参加させて頂き、不安と緊張でいっぱいでしたが、送迎バスの中や同室になった方々、夕食や二次会ではスタッフの方や皆様にも暖かく接していただいて本当に感謝しております。
宇城先生の元で何年も修行されている方々とお話させて頂いて、皆さんの姿勢や向上心、謙虚さなどに触れ、自分の甘さや横着を再確認しました。実践ではサンチンの型を教えていただきました。宇城先生が腰と胸の位置を直接触れて姿勢を直してくださって感動しております。私たちの位置まで降りてきて惜しみなく教えてくださり宇城先生に心より感謝致しております。この正しい姿勢を体に焼き付けるように日々努力しようと思います。
その他様々な実践、検証を体験させて頂いて、まだ私の頭も体も混乱状態ですが、少しづつ仕事や日常に活きている事を実感しています。この充実した二日間の貴重な体験を身体で展開していき少しでも自分の器を広げていきたいと思います。ありがとうございました。そして合宿に送り出してくれた家族に感謝します。ありがとう。
宇城先生、どう出版のスタッフの皆様先日の合宿では大変お世話になりました。ありがとうございます。今回の合宿は私が通わせて頂いてる道塾とは一味も二味も違い、2日間密度の濃い内容を学ばせて頂いたと感じております。呼吸やサンチンなどを中心に宇城先生から色々と直接ご指導をして頂いたので、自分の中でまた新たな世界が開けた気がしてすごく幸せです。
特に呼吸を前に吐くか、下に吐くかの検証では少しの違いですが、身体の強さが劇的に変わるという体験を身を持ってした事により呼吸法の大切さを改めて感じる事が出来ました。もちろん宇城先生もおっしゃってたように呼吸法だけ身に付ければ全て成すかというとそうではなく、それは静の動きの一部分という事を念頭に置き、動の動きにしていけるよう今回ご指導して頂いたコツを交えてサンチンなどを行っていきます。
そして調和の力を自分の物に出来るようこれからも心の修行を引き続き徹底的に実践していきます。宇城先生今回も様々な検証に参加させて頂きありがとうございました。そして今回参加された道塾生の皆様、未熟者の私を親切で丁寧にご指導して下さりありがとうございました。お陰様で様々な事を吸収する事が出来、楽しく過ごせました。ありがとうございます。
今回初めて合同合宿に参加させて頂きました。広い場所で人数も多く、実技、検証中心の講義内容に、 いつもの道塾では味わうことのできない多くの体験は、とてもありがたいです。各講義の導入に必ずみんなでサンチンをやりました。いつもと違う始まりに、身が引き締まる思いと、特別なものを感じました。
多くの事が有りすぎて、挙げるときりがないのですが、先生が何十人もの人間を引っ張り廻す事をやられた時には、あまりのエネルギーの大きさに、すっころんで床に頭を打ってしまいましたが、それも楽しい思い出です。
そして、先生に教えて頂いた中で、特に念頭に置きたいことは、 「手の内、何をするにも手の内を意識してやる」「ただ美しいだけでは足りない。泥の中で咲く蓮の花が一番良い。」ということです。以前、道塾の終わりに先生が仰られました。「花は美しく、しかし、自ら美しいことを知らず。」 「どうか皆さん、美しく生きて下さい。」と。この度は先生、スタッフの皆様をはじめ、諸先輩方、塾生の皆様には大変お世話になりました。どうもありがとうございました。
二日間にわたり、ご指導を賜りましてありがとうございました。天候にも恵まれ、秋晴れの空のもと、雲一つもない富士山を見ることができ、最高の記念写真も撮っていただきまして心に残る合宿となりました。 今回の合宿では、循環についてのお話が最も心に残りました。たとえば、息を下に下すように吐くと、まず浮いている身体が地球と調和し重く安定し、次に周囲の人と調和できているため、連なった人を押すことができました。
また、両手で相手の手を薬指を中心にして添えるようにして持つと、相手を倒すことができ、その後も相手に手を添えているだけで立ち上がれなくすることができました。普段の自分が地球の回転のスピードや引力を無視して存在していることに気づかされると同時に、 調和の中にいると計り知れない力が備わっていることを教えていただきました。この調和したときの自分をその時だけと思わずに、 自分の中にこんなにもすごい力が隠されているんだと「自分を信じる」ことが大切であると。
そして、自分に自信が出てくると、自然と行動ができるようになるということ。頭で、行動しなければ・・・と思うのではなく、身体が力みのない調和した状態を作ることで、 自然と行動する自分があらわれ、またその行動が周囲を動かしていくと。しかし、行動のすべてが潤滑に進むわけではなく、様々な反対や問題等も出てくるが、そこで無理に自分を押し切ると孤立してしまうので、その中にあっても自分を信じてやり続けていると、また周りの見る目が変わってきて、自分だけでなく、組織全体が活性化していく。
これが循環!そんな一人革命を実践された先輩のお話も伺って、 私たちが目指さなけれなならない方向性を示していただいたと思いました。 生かされている私たちは、そのことを平和ボケで忘れてしまっています。 震災や土砂災害で命を失った話を聞いても、心は痛んでも所詮他人事と思う自分がいます。 ボーっとしていても、生きていけると錯覚してしまっています。
合宿中にも御嶽山の噴火が起き、いつどこで自然災害に出くわすかもしれない昨今を顧みて、自分の目の前のことを見るのではなく、大きな視野で全体を見ることができるように変わりたいと強く思いました。そうすることで、目の前にあった大きな問題と思っていたことも小さく感じることができ、居つくことがなくなり行動に移れる、そんな人間に少しずつでもなっていきたいと思いました。
2日間のご指導ありがとうございました。多くを学ばせていただく合宿となりました。「学ぶ」というのは「まねぶ」ということだと聞いたことがあります。まねをする。→実行して覚える。頭の中にしまっても忘れてしまうから、実際に行動して身体で覚えなさいということです。合宿で学ばせていただけることはたくさんあり、ひとつひとつメモを取りたいくらいですが、先生はメモは取らない方が良いとおっしゃいます。 メモを取るのに集中して肝心の内容が疎かになってしまうからです。五感を使って行う講義に、メモを取る意識を優先させることは全く意味がありません。実際に身体で感じて、その感覚を体に残すことが大切です。
息をゆっくりと下に吐く感覚、上から下ろす手の内を意識する感覚、力では無い当たり前に動く感覚、倒す事ができた時の感覚。まだ感覚が残っているうちに経験したことを実生活に生かせれば、身体に深く刻むことが出来るのだということをあらためて気付かされました。挨拶、姿勢、歩き方、呼吸の仕方に至るまで、どこでも反復して24時間修行できます。ひとつひとつ身体に落とし込んでいけば自分自身がしっかりと作れるはずです。それが自信になれば対立の心も小さくなるのだと思います。これからの毎日、記憶した感覚を意識してひとつひとつの行動を丁寧にしていこうと思います。合宿に初めて参加された皆さんは声を揃えて「参加して良かったです」とおっしゃっていました。
時間をかけてじっくり指導していただけること、何回も繰り返して稽古できること、普段の道塾には無い内容のお話が聞けること、全国各地から集まった塾生と会えること、合宿ならではの醍醐味は色々ありますが、自分自身、志を同じくする皆さんと語り合うことの出来る時間に大きな魅力を感じます。これだけの仲間が集まる合宿では、セミナーとは又違う皆さんのパワーを感じます。初参加の介護士さんは仕事で胸のライトを当てて患者さんを元気にしているとおっしゃっていました。
先生のご指導を実行しているとトラブルも減り、患者さんもどんどん元気になっていくそうです。これこそ本当の実践だ、素晴らしいと思うのと同時に負けてはいられないと感じました。妹も施設で介助の仕事をしています。施設のベテラン看護師さんはスピード優先で、患者さんはモノ扱い、作業は早いけど腰や膝にかかる負担も多く患者さんからもあまり好感は持たれていないようです。妹自身は患者さんに優しく声をかけてから手伝うようにすると相手も自分も負担が少なくなるし、何より気持ち良く仕事ができると言っていました。
調和というのは自分の壁を取り払って相手を受け入れることが大切なのかも知れません。色々なところが繋がって気付く事、良いと思った事は瞬時に取り入れて実行してみようと思います。 ボーッとしている暇はありません。自分はまだまだだなというのは、まだまだ自分は変われるということだと信じて、これからも修業に取り組んで行きたいと思います。今後もご指導のほどよろしくお願いいたします。
東京 元プロ野球選手 32歳 男性 KS
合宿でのご指導ありがとうございました。初めて合宿に参加させていただきましたが2日間先生のご指導を受けられることが、本当にありがたいことだということを強く感じました。普段の道塾では時間の制限もあり、もっともっと学びたいというところでいつも時間が終わってしまいますが、合宿の場合は体育館でのご指導、食事、お風呂、帰りの新幹線までご一緒させていただき本当にたくさんのことを学ぶことができました。
講義実技の場面はもちろん、先生の歩いているお姿、食事されているお姿、お風呂の入り方、 一挙手一投足を鮮明に焼き付け心に写そうと心がけていました。1日たった今、普段の道塾と桁違いに今でも合宿でのご指導、また先生のお姿が鮮明に蘇ります。今日1日の仕事も確実に中身が変わったなという実感が湧いています。ものすごく希望が湧いてきています。
ただすごく感じることは長く先生にご指導いただいたからといって受け取るこちら側の姿勢が心の底から本気でなければ結局は合宿に参加したという事実だけが残り、本質の自分が変わる、 成長するということにならず、自身のある程度の変化で終わるなと思いました。先生にお会いしている時でなく、いかに普段の日常で真剣に取り組めるか、まさしく24時間稽古をどこまで実践できるかということだと思います。
講義実技では調和する、調和の循環に入るということをあらゆる方法で 教えてくださっている先生のものすごく大きな愛を感じることができました。下記には合宿稽古で特に感じたことを記しました。⚫︎気のご指導。2日間にわたり気のご指導をいただきました。普通であれば考えられない事が出来るようになり、本当に自分はできるんだという希望が湧いてきます。これはまぎれもなく世界最高峰のご指導であり、そのことを体感できる私はどれほど幸せなことか改めて感じさせていただきました。
⚫︎手の内。先生には10年も前からバットを使い野球で教わっていましたが、全く違う感覚でした。今までの私の学ぶ姿勢の横着さを痛感いたしました。反省しか出てきません。申し訳ございませんでした。
合宿後から今日1日ふと気がつく度に手の内を意識しました。物を持つ時、字を書く時、歩く時、お箸を使う時などいつでも24時間稽古が出来るとものすごく感じています。⚫︎呼吸。三戦を通してご指導いただいた呼吸で数名の列を指一本で押すことができました。対立することなく調和する。目の前の衝突にこだわるのではなく押さずに押す。
普段の日常でいかに目の前の問題にこだわり、行き詰まっていたのかを実技を実技を通じて痛感いたしました。問題を問題として捉えているのもまた自分自身なのかと。小さなことにこだわり問題化し前に進むエネルギーにブレーキをかけていたのもまた自分自身なのかと気づきました。まだまだたくさんの事をこの2日間で学んびましたが、とにかく我を捨て、欲を捨て、先生にご指導いただいたことを素直にやるだけだと思っています。合宿に参加させていただきありがとうございました。今後ともご指導ほど宜しくお願い致します。
東京 WEBディレクター 30歳 男性 KH
この度は貴重な経験をさせて頂き、誠にありがとうございました。普段の2時間のどう塾では時間が足りないために、何かを掴んだ気がしても納得するまで検証する事が出来ず 自分の気づきに自信を持つ事が出来ませんでしたが、合宿は、とことん検証する時間があり、なにより先生・さらには中上級の先輩方から温かい支援を頂ける事が出来ましたので、「なんとなく分かったかも」から「気をはっきりと感じる」という状態にまで理解を深める事が出来ました。
合宿の初めに、上級の方から、「どう塾の3年分の講義の気づきが、合宿の2日間には凝縮されている」と お聞きしていましたが、本当にそうだと感じました。そんな合宿での気づきが大きく二つありますので、紹介いたします。一つ目は、地球の力強さ(重力の力強さ)の気づきになります。普段の生活では、重力を意識する事はまったく無いのですが、合宿が進む程に、自分を引っ張る重力の力強さがどんどん大きくなっていく事を感じました。
サンチンをする毎に、息を下方向を意識して吐く毎に、自分の体が少しずつずっしりと重くなっていく事を感じました。また、2人ペアで手を上下に合わせて相手をしゃがませる気の検証では、 腕力で押しつぶそうとしても相手はびくともしなかったのに、自分が感じている腕の重さがそのまま相手に流れ込んでいくような感覚を持った時に 相手が立っていられなくなりました。先生がいつも謙虚になれと言われている意味の理解として、重力を無視して我を通す(力任せにやる)ではなく、重力に従い、調和する事が大切という意味が含まれているのではと感じました。
二つ目は、相手の中に入り込むという感覚です。以前から、スピードと瞬発力の違いがさっぱり分からなかったのですが、合宿で先生に気を通して頂き、相手に入る感覚を繰り返し体感した事によって、先生のおっしゃっている瞬発力の意味を身体で理解する事が出来た気がしました。より詳しく説明すると、瞬発力とは身体でしか理解できない事なんだという事を理解し、頭脳でいくら考えても分かる事ではなかったんだなという事が分かりました。
相手の中に入りこむ事を、うまく言葉で表現しかねますが、それは、自らを、相手にゆだねる事であり、重力にゆだねる事であり、そして時間にゆだねる事なのではと感じました。その他にも、メールでは紹介しきれない程量の気づきを 合宿では得る事ができました。この気づきを忘れないためにも、普段の生活に稽古を取り込めるよう意識高く日々過ごしていきます。この度はお忙しい中、ご指導本当にありがとうございました。
合宿でのご指導ありがとうございました。合宿でのご指導があまりに濃密であったため、翌日の仕事場へ出勤する時に世界が違って見えました。すごく遠くまで見渡せる感覚になり今まで毎日見ていたはずの世界は こんなにも広がりを持った空間だったのかと思いました。また同時に、今まで如何に近くの狭い所しか見ていなかったのかが分かりました。
先生のお話で印象的だったのが、「今」を未来から見る、それも遠くの未来から見る、というお話しでした。今を近くからみると大きな問題に見える事も遠くの未来から見れば点のように小さく見え、また近くから見るとどんな行動を採ったら良いか迷いが生じることも、視点を未来に置いた場合、その未来へ向かうための行動は絞られるため行動に迷いがなくなります(裏返すと、ずれた行動はすぐに分かる)。このような発想は、いつも手元ばかり見て「今」に揺さぶられている自分にはない発想でした。
これは行動するための発想です。過去の良かった時を語ることを止め、未来に立って今動くという 事を始めなくてないけないと思いました。迷いのない行動が自分の心を作りまた行動するという循環と、その行動が周りの人に勇気を与えるという循環。これはまさに宇城先生と宇城先生と『道』で対談された方々が行っていることですが、 これらの循環に早く乗りたいと思いました。
また、実技の検証で「次々に向かってくる塾生をどんどん投げる」という検証を体験させて頂きました。実は過去2回この検証を体験させていただいたのですが、そのいずれも頭が先行して焦ってしまい、途中で身動きがとれなくなってしまっていました。
今回はとにかく「相手と向かい合って投げる」ということに集中していたため、止まらずに投げることが出来ました。先生に気を入れていただいているからこそ出来る体験ですが、何かが吹っ切れたような素晴らしい体験をさせていただきました。今回の合宿でいただいたお話しや体験を日常の中で実践できるように、落とし込んで行こうと思います。素晴らしいご指導いただきありがとうございました。
今回の道塾合宿では、ふだんの道塾以上に、たくさんの感じたこと、学んだことがありました。一つ目は、調和の強さ、対立の弱さです。普段の道塾では、これらについて先生がおっしゃっていても、実感を伴わない言葉として頭の中での理解でとどまっていました。今回、様々な実践を通して、調和の感覚を体全体で実感することできました。
うまく言葉にはできませんが、息を下に吐きながら手を下にふーっと下げると、腕の中、胴の中、足の先までふーっと凪いだように穏やかになって、相手と向き合うと、相手もふんわりとやわらかくなって、相手の手を押し下げる時も、押し下げるのでなく一緒に降りて行くような感じになりました。そうして、そのときは私も相手も笑顔になりました。調和が本当の幸せをもたらすとおっしゃっていた意味もわかったような気がしました。
調和は、相手の目を見るとできるということも分かりました。両手を相手の片腕に添えて倒す実践で、添えた両手ばかりをみて倒そうとしていたときは、どんな添え方をしても力が入ってしまって倒せませんでした。相手の目を見ることで、すうっと一つになって、倒すことができました。 二つ目は、私のよくない癖を教えていただいたことです。私は、横を向いてふうっと息を吐いて調和できる体になっても、相手に向き直る時にその空気が切れてしまって、相手と調和して押すことができませんでした。
先生に「二の足を踏んでいる」ということを指摘していただいて、一歩ですっと向き直れば相手を押すことができました。この「二の足を踏んでいる」というご指摘は、私の普段の生活にも当てはまっていると思いました。私は、今お寿司屋さんでアルバイトをしていますが、動きが遅い、反応が遅い、と大将からお叱りを受けることが多いです。いつも何かしらためらって、気がついてももたもたしているために、必要な時に必要なことができません。私はこの「二の足を踏む」という癖を直さなくてはいけないし、そしてそれが、もたもたと遅い私の性格を変えることと同じことになるのだと思いました。
これに気づくことができたことがありがたく、これからこの癖と向き合い、直す努力をしていきたいと思います。 その他にも、フィードフォワードの意味するところが以前よりも理解できるようになったり、「時間との戦いだから仕事であって、だらだらとしているならそれは遊び」というお話を伺って、自分のアルバイトややるべきタスクへの姿勢を反省したりなどなど、たくさんの学びと気づきを得ることができました。今回の学びや気づきを、自分の変化に変えられるように、日々精進していきたいと思います。誠にありがとうございました。
今回の合宿では「調和」と「対立」について多くの気づきを得られました。実践の中で、呼吸を下に落として、その後、人の列を押すというものがありました。相手と向き合ってうまく押せない場合、横を向いて呼吸を落とした後だと押せることがあります。それは、相手と向き合っているだけで、無意識のうちに「押そう」という欲や「対立」する心が生まれているからでした。
列を作っている相手は、何も考えてはいませんし、対立の心もありません。その心を作っているのは自分自身です。これはよく考えてみると、実生活の中でも同じことが起こっているのではないかと感じました。本来、何も考えずに素直に進めばいいものを、自分自身の中で勝手に「対立」する対象や感情を作り出し、無駄なエネルギーを使っているような気がします。今までの人生を通じて「対立」の中でしか行動できない状態になってしまっているのだと思います。この「対立」の概念は無意識の行動のレベルにまで浸透しているので、取り除いていくことは容易なことではありません。
しかし、ここを乗り越えていかなければ次には進めません。 ここを乗り越え、相手(周りの人間)と調和し、自分の中に豊かさが生まれた時、そこにある空気が変化してくるのではないかと感じます。それが、さらに調和を生み、自分自身に帰ってくるという循環が生まれてくるような気がします。「対立」から自由で、「調和」できる人間を目指して、日々の生活を送ることが大切だと感じました。ありがとうございました。