この合宿で、多くのことを学ばさせていただき、ありがとうございました。 この合宿に参加することによって、自分の中で無意識の中で常識ととらえていた事柄が、 根本的に誤りであったということを実感しました。 先生が気を通すことによって、我々塾生の体が強くなったり弱くなったり、 重くなったり軽くなったりという経験は今までもさせていただいていたのですが、 このことを不思議で全く理解ができなかったのは、ニュートン物理学の範囲でしか 物事をとらえることができないという自分の中の無意識化された「常識」によるということが 腑に落ちたような気がします。
そもそも物質や自分という人間のとらえ方が根本的に 間違っているということに思い至りました。 宇宙は限りなく広く、しかも万物は宇宙の中で一つであったと考えられているのに、 「私」とその「外のもの」というような境界線を引くような認識を持っていたような気がします。 「心を開く」とは、この「私」に閉じこも るのではなく、自然の一部として謙虚な心を 持つという意味であるのではないかと、今更のように実感しております。 利己心では体が弱くなり、譲る心を持つ時には強くなるということも、 人間が生きるべき道を指し示しているのではないかと思います。
このことに関連して、先生がお話しされた「まじめ」は良い恰好をしようとする利己心であるという言葉は、 深く心に刻みこまれました。自らを省みて、これは真理の言葉であると目を開かされました。
「まじめ」と「真剣」が違うこと、24時間が修行であるという意味が、 ようやく分かりかけてきたように感じます。利己に走ったり、逃げようとする心を真正面から見つめ、 正しい選択をするということが修行なのではないかと今は理解しています。 この実践は正直難しいですが、チャレンジしようと思います。
上級に昇級させて頂き、合宿は今回で3回目となりましたが、先生の講義、 実技は合宿を何度重ねても、いつも新鮮さを感じ、貴重なお話を聞く事が出来、 貴重な体験をする事が出来、地球上の人口の比率を考えたならば、私も含め 塾生の方々が、この合宿に参加し、先生の教えを、受けさせて頂いている事が、 どれだけ希少であるか。この事を考えると、本当に幸せな気持ち、 感謝の気持ちで一杯であります。 同時に先生に御縁を頂いた事に対し、これからも日々の生き方を更に精進させて いかなければならないという決意を新たに致しました。 通常行われている道塾の講習の、何回分もの事を一気に行っていく合宿は、 「気」や「統一体」等を学び、それを心身・細胞に分からせるうえで、 とても大切であると思います。私自身、合宿の回を重ねる如くに、 少しずつではありますが、先生の教えを吸収している様に感じられ、 自分の中での喜びとさせて頂いております。
しかしながら、今回の合宿で、 反省をしなければならない事がありました。それは合宿での受講も最終の、 後一時間という時に、心に油断が生じてしまいました。多人数で一列に スクラムを組み、気の誘導で、走り回るという実技を行っておりましたが、 私はその最後尾の方におりました。スクラムを組み走り回っている最中にも かかわらず、私の心の中で、一瞬この様な思いがよぎりました。
「受講も最後の時間になってきているから少し遊んでみよう。 楽しく振り回されてみよう。」こう思った途端に私は、スクラムから離され 飛ぶようにして、床に腰から叩きつけられました。激痛で身動きが全く 出来ません。呼吸もままならない状態でした。近くにいる方達が先生を 呼んで下さいました。
先生は腰の痛みで動けない私をゆっくり椅子に座らせ、 私の体に気を通して下さいました。
すると痛みで動かなかった腰が瞬く間に 動かせるようになり、何の抵抗もなく椅子から立ち上がる事が出来ました。 この瞬間は正に劇的であり、本当に奇跡の世界にいる思いでした。 その時に先生は「気が途切れている時にこのような事になる。」という 注意をして下さいました。自らの遊び心から、自ら気を途切れさせてしまった と思いました。いいかげんな思いでは、スクラムを組んでいる方達と調和 出来ない。気と調和できないという事を知りました。 今まで受講してきた講習や合宿で、「正」の学びはたくさん頂ましたが、 今回の合宿では、「負」からの学びもする事となりました。
そして私の 至らなさから、先生をはじめ、スタッフの皆様、合宿に参加されていた道塾の 皆様に、御迷惑、御心配をお掛け致しました事に対しまして、 大変申し訳ございませんでした。
正に言葉の如く、気を抜いてしまいした。 「何事も於いても油断する事なく思慮をし行動する。」
一人革命を目指していく のであれば当然の事を、私は、忘れておりました。
久しぶりに合宿に参加することが出来、とても充実した二日間でした。 思い起こせば三年前、道塾合宿に申し込みをし、明日から合宿という日 3.11、東日本大震災がおこりました。 合宿は中止になり、その後大変な事態に。 その年から治療の勉強を始める事に決めていました。 そして学生生活を3年間送り、無事に今年卒業することが出来、 国家試験にも合格する事ができました。 そして三年ぶりに合宿に参加する事が出来ました事は、 大変感慨深いものがあります。 今回同室になった方が、私と同じ学校の学生さんでした。 学年が違うので接触する機会もなく、合宿に参加しなければ 絶対分からなかった事です。
そう思うと深い縁を感じます。 治療の勉強は記憶学習が多く、先生が仰る部分体、頭での勉強で、 本来治療は統一体でないと意味がないと思います。 残念ながら、資格を取るために通らなくてはならない道で、 これからがスタートだと思っています。 宇城先生が時折見せて下さる治療が私の理想の治療の道です。 今回、腰を打った方がすぐ歩けるようになったり、 頭を打った方の診断の仕方など、知りたい事を目の前で見せて下さる。 多くの方々が思っていると思うのですが、先生は全部お見通しで 自分に向けて必要な事を指し示して下さると思える事が多々ありました。
不易流行‐習得して日常に活かす 中心(軸)‐部分体→統一体 事理一致‐見えるもの(技)、見えないもの(心) 物質は目に見えない分子、原子で成り立っている。 エネルギーの存在。 死ぬこと以外はかすり傷 心の持ちようで、今まで気に病んでいた事、 こだわっていたことが何と小さく柔軟性がなかったと認識しました。 今回の合宿に参加できたことは本当に嬉しい時間でした。
以前は理解できなかった事が、絡まった糸の様でした。 宇城先生のお言葉、著された本を読み重ねて行くと 絡まっていた糸が、少しずつですが解けて来る様な気がします。 そういう感覚を研ぎ澄まして、治療に役立てる様に心がけて行きたいと 思って居ります。 三戦の稽古を宇城先生のご指導の下で行うと、自分だけでやっているのとは違う、 エネルギーに引き上げられる様な感覚になりました。
ミラーニューロンでしょうか。 これからもご指導の程よろしくお願い申し上げます。
今回も、普段では考えられないような気づき、学びが多くあった合宿でした。宇城先生のご指導、塾生の皆さんとの交流、ともにとても素晴らしい時間でした。ありがとうございます。
今回一番印象的だったのは、サンチンの呼吸の検証の際に、ペアの方に足をつかまれたまま、宇城先生に気を通していただきながらサンチンの型を行った時の感触です。
私は毎日サンチンをする中で、「腕受けの時の感触が少し変わってきた。」という感覚が出た時がありました。家族で検証してみたところ、相手を投げることができたりもしました。そんなこともあり、少しいい気になっていた私ですが、検証の際に先生に気を通してもらった感覚は、腕受けの時どころか、全ての動きの感触が全く違いました。「何だこれは!すごい!」という深い感動がありました。先生の型は、サンチンの全ての動きに気が通っているのは周知の事実ですが、一体どのような過程を経ればそこまでの境地に至れるのか。今の私には想像も及びません。
宇城先生という師の偉大さを改めて実感した瞬間でした。また、私がこれからサンチンを毎日行うということは、先生のおられる果てしない境地を目指して進むことです。死ぬまで極められる道がある。という実感は、私の人生をより豊かに、面白くしてくれるに違いありません。まだまだ実践塾の門を叩いてもない私ですが、これからも毎日のサンチンを行っていきたいと思います。
死ぬこと以外はかすり傷。このお言葉も印象的でした。ビデオで見せていただいた、首の骨の一部が溶けてしまった方を先生が治療され、今はもう仕事に通っておられるという事実や、不治の難病を先生が治療されている様子を見ると、本当にその通りだと感じます。いかに自分が、常識の色眼鏡でものごとを見ているのかということを反省させられます。私は数年前から慢性の腰痛を持っていますが、これも「かすり傷」に過ぎません。宇城先生のような生き様を貫けば、「腰痛など気にならない。」、「気が付いたら治っていた。」という現象が起きるはずだと考えます。今一度、腰痛にこだわるのでなく、ひたすらに統一体の境地を目指して精進して参ります。
また、今回感じたのは、若い参加者の方が増えているという実感です。私も比較的若い部類に入ります。しかし、今回参加されていた諸先輩の方々のような覚悟が自分にあるかと言えば、まだまだです。ただ自分だけが宇城先生に学ぶのではなく、諸先輩方に習い、先生の教えを体現し、それをさらに後ろにつないでいく。そのような役割を、私も果たしていけるようにならなければいけないと感じました。それにはまだまだ甘すぎます。同世代の仲間とともに、覚悟を持って先生に学んで参ります。
今回も長時間のご指導、ありがとうございました。また日常の中で、先生の教えを実践して参ります。今後とも、ご教示の程、よろしくお願い申し上げます。
2014年 中・上級 3月合同合宿でのご指導ありがとうございました。 二日間の合宿を通して様々な検証でエネルギーの存在を示してくださり、 その力のすごさを体感させていただきました。
エネルギーの源は心であり、その心は姿勢や型、そして行動でつくられることを 教えていただきました。 古典物理学的な力でない、量子論的なエネルギーの存在は教えていただいた 正しい正座や正しい呼吸、身体を反らしてからのサンチンなどの検証から腰が やわらかい感覚が生まれて感じることができました。 これまでも先生はずっとエネルギーについて示してくださりましたが、 これらの検証ではエネルギーが現象の裏側にあると、心、エネルギーと 物理現象は対応しているということがはっきりしました。 エネルギーを「空」、物理現象を「色」とするならば、般若心経の色即是空、 空即是色という教えはまさしくエネルギーと物理現象の関係を言っているのだと 感じることができました。
先生は「信念は見えないものが見えた時に生まれる」とおっしゃいましたが、 今回の合宿では見えない力の存在を感じ、その言葉の意味の一端を うかがうことができました。そして大事なことは、合宿で感じるようになった エネルギーを日常生活で活かしながら実践していくことだと思います。
エネルギーの感覚を感じるようになったのにそれを日常生活で用いて 実践しないことは、せっかく自転車に乗れるようになったのに自転車を置いて でかけるようなものだと思います。
一つ一つの行動をエネルギーが出るようにして実践してまいります。
そして今回の合宿で先生からいただいたご指導で大変印象深かったことが ございます。
先生と朝食をご一緒させていただいた際に、正面に座っていた私の目が 話を聞いていないときは富士山が写っているとおっしゃられたときのことです。 そのご指摘をいただいたときに私はハッといたしました。 というのも昨年10月の実践塾の合宿で麻子師範に視線が上ずっているので 下げるようご指導をいただいたことを思い出したからです。 麻子師範よりご指導いただいてから注意していたつもりですが、 目に富士山が写っていると先生がおっしゃられたときにまた上ずっていたのだと 気付きました。それからまた視線を下げるように心がけました。 そのご指導で凄いと感じたことは、先生は話を聞きなさい、視線を下げなさい、 とご指導されるのではなく、話を聞いていないときは富士山が写っているよと おっしゃることで私自身に気付きをもたらし、直すように向かわして いただいたことです。
しかもただ視線を下げるようおっしゃられるより、 二度としないようにしようと、より私の心に刻み込まれました。 先生のご指導はすべて、そのような合理的なご指導だと思います。
気の働きと同じで、少ない手数で最大の効果をなすようにご指導される。 本当にすごいご指導です。
大変ありがたく、感謝いたしております。 今後とも厳しくご指導いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
今回の合宿で、サンチンの型の幾つかのコツを教えて頂き、その結果に驚くと共に 今まで行っていたサンチンは、全くなっていないものだということを痛感致しました。 腕受けも弱く、横や上から押されたらグラグラしていました。 今回のご指導を糧に、先生のような美しく強い、魅力のあるサンチンができるように 日々精進していきます。立ち位置から正座への動き、正座から立ち位置への動きなどちょっとしたコツを教えて頂いたことにより、身体の所作が美しくなると同時に、 統一体になっている事は、驚きでした。
そして物を丁寧に扱えば、体に気が通る事などから、美しさと強さは、まさに表裏一体なのだと感じました。 日常24時間が正に修行だと、常々先生がおっしゃっている事を再認識致しました。 先生から教わった事を身体に浸透させ、考える前に動いている自分となるように、 日常に活かしていきたいと思います。
これからの日本は、先行き暗そうですが、 先生から教わったことを自分自身に映し、私の回りの人達が少しでも幸せになれるように、頑張りたいと思います。今回の講習で、辛いという漢字に線を一本引けば幸せになるという言葉を聞き、素晴らしい言葉だと思いました。希望が湧いてきました。辛いときこの言葉を思い出し、頑張りたいと思います。 何事も頭で考えず、心と身体で感じていきたいと思います。
一瞬の躊躇を消していきたいと思います。 常に平常心で、前に向かってどうどうと歩いていきたいと思います。 先生に毎回気を入れて頂いている御恩に報いるように、これからも日々精進していきます。
これからもご指導よろしくお願い致します。 素晴らしいご指導ありがとうございました。
道塾合宿でのご指導、誠にありがとうございました。 今回の合宿では、稽古の時間だけでなく、食事、お風呂、懇親会など 多くの場で先生と身近に接する事が出来、たくさんの貴重なお話を伺ったり、 先生の気を体験する事が出来ました。また先生のお身体に直接触れさせていただき、 鳩尾の弛みや背中の膨らみ、そして腕の動きに左右されない肩や肩甲骨の 動き感じる事が出来ました。
今回の合宿では、先生の「すべてが繋がっている。」 というお言葉が最も印象に残りました。
正座や正しい所作により柔らかい腰をつくる事。正しい後屈の姿勢から生まれた 内面の状態やしっかりと立つ足腰。腕の動きに左右されない下げ開かれた肩と 鳩尾の弛み。型による呼吸と中心に向かって集中して行きながら同時に全方位に 広がる気の流れ。中心。残心。内面の回転と瞬発力。
心を開いて相手に入るという調和。先生の教えの一つひとつ全てが、一本の糸のように実は繋がっているのに、 自分達は、その一つひとつに出来る、出来ないとこだわったり、ひとつに繋げていくという 意識がありませんでした。一本の絡まった糸が解け、「統一体」となる事を目標として、 日常の稽古や修行に無心で臨みたいと思います。
どうかこれからも、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
この度は、道塾合宿に参加させて頂き、誠に在り難うございました。 あまりに内容が濃過ぎて、宇城先生が仰ったことや実践で行ったこと、一つ一つを全て感想文に書きたいくらいですが、いくつかに絞って書かせて頂きたいと想います。ただ、それぐらい、今回の合宿では、私にとっては、先生の教えられていることが全て、自分に向って言われている気がすることばかりで、もうこの合宿は、私の為だけに開催してくださったのではないか、と勘違いするぐらい、一つ一つの言葉、実践が今の私に刺さってきました。
過去、2~3回ほど、合宿に参加させて頂いたことがあると想うのですが、今回の合宿ほど、そう感じた合宿はありませんでした。もちろん、それは、以前参加した時は、まだまだ学生だったりで、私のレベルが、「参加できるだけでラッキー」「講義で、直接宇城先生に触れられたら超ラッキー」という程度のレベルだった為、本当はその時も今も宇城先生はずっと私のこともちゃんと観てくれていて、私に何か気づいてほしい、何かちょっとでも変わってほしい、と想ってご指導くださっていた筈ですが、それに、私が全く気づいていなかったということなんだ、と今になって、やっと気づきました。
本当に、こんなことに気づくにも、これだけ時間がかかる程、鈍感過ぎる人間で、宇城先生に対して本当に申し訳なく感じました。
確かに、当時は当時で、今ほど学生がおらず(おそらく当時、学生で合宿や道塾に参加していたりしたのは私だけだったような気がします)、周りは皆さん、年上で、社会人で、大先輩という状況で、ガチガチに緊張していたりもして、今回、以前に比べたら、やっと少し余裕を持って合宿に参加できたのかな、とも想います。今回の合宿で、まず私が感動したのは、先生が「自然の木は上が大きくなるけど、人工物は、大きさが変わらないか、上に行くに従って小さくなっていく」とおっしゃっていた言葉です。
私は何気ないこの言葉にハッとさせられました。
今まで、木村先生からも「農業の常識は、自然界の非常識」といったことを言われ、特にこの自然栽培では、自分の目と手が農薬と肥料の代わりなんだから、よく観察することが大事だよ、と教えられていたにも関わらず、私は、こんな初歩的なことにすら気づけていなかったのか、と感じました。そんなことはあまりにも当たり前過ぎて、不思議にも想っておりませんでした。それは結局、どれだけ自然や木を見て、自然栽培の農業をやろうとしていても、普段、何気なく見ているだけで、目には入っているけれど、見れていない、つまりは、見ていないことと一緒なんだと想いました。いかに自分がボ~っとしていて、鈍感なのか、それこそ、私は、“真面目”に自然栽培をやろうとしていただけであって、“真剣”に自然栽培に取り組んではいなかったのだと改めて自分の甘さに気づかされました。 しかし、宇城先生は、そんな私をも愛情を持って導いてくださります。
実際に、先生に手が触れていなくても身体が勝手について行ってしまう演習を体験させて頂いた時は、最初、後ろの方でしがみついていて、自分ではどうしようもないエネルギーの流れの中で、ただただ圧倒されて振り回されておりました。そして、それが何だか、今の私にとっては、「木村先生が起こして下さったこの自然栽培という大きなうねりに、お前もしっかりとしがみついて、喰らいついて、絶対に離されるんじゃないぞ」と無言のメッセージを頂いたような気持ちになりました。さらに、その後、私が列の先頭で皆を導いて引っ張る(自然に引っ張られる)という体験もさせて頂いた時は、宇城先生から「木村先生に必死について行くだけではなくて、今度は、お前自身がそういう流れ・うねりを作り、生み出せる人間にならなければならないぞ。しかも、それは敵を作るのではなくて、調和しながらやっていかなければならないぞ」と言われたような気がしました。もちろん、そういったことができたのは、宇城先生の気のおかげではありますが、実際に、私の中にもそういう、人を導いて行く、大きな流れ・うねりを作るエネルギーを持っているのだ、と気づかされ、元々そういったエネルギーを持っているのだったら、それを100%発揮する人生を送ろうと想いました。本当に、“死ぬこと以外は全部かすり傷”(この言葉は座右の銘にしたいと想います)だと想って、傷だらけの人生を楽しみながらこれから生きていきます。
最後に、歩き方を先生からご指導された時、私自身、自分の歩きに自信がなく、どうも歩き方がおかしいと、少し自覚はしておりました。しかし、あのように、皆にじっくり観られながら歩くような経験は、少なくとも私の日常には全くないですし、しかも、歩き方を指導・注意してくれるような指導者も今まで全くいませんでした。そして、自分でもどこか、「歩ければ良いでしょ。歩き方なんて何だって」「モデルじゃないんだし」「そもそもそんなこと誰も正しい歩き方なんて教えてくれなかったし」等と想っておりました。
しかし、あの時、自分の歩き方を初めて客観的に指摘されて、「ああ、やっぱり」と想うと同時に、「自分はまだまだサンチンとか言う以前の問題だったのか」と想いました。 また、私は、小学3年生から野球を始めて、大学4年までずっと続けましたが、一度もレギュラーになったこともなく、本当に野球が下手だったのですが、これも、そもそも野球以前の問題で、まずは歩き方から直した方が、色々と野球の技術・テクニックを教えられて練習するより、もしかしたらもう少しくらいは上達したのではないか、と感じました。
しかし、本来であれば、最も基本の土台となる歩き方を教えてくれる、そこが問題だと気づいて、そこを正しく指導してくれるような指導者はほとんどいないと想います。 まさか、二足歩行をし始めてから28年程も経って、歩き方を指摘されるとは想ってもおらず、ショックもありましたが、すぐに、これは宇城先生が、私にくださった宿題なんだ、と想いました。 先生もおっしゃっていた通り、この歩き方を意識して歩くということは、サンチンなどと違って、基本的に、いつでも、どこでもできます。
まだまだ私は、24時間修行ができておりませんが、少なくとも、これから先はずっと、歩く時は、常にこの歩き方を意識し、サンチンの型や姿勢よりも何よりも、まずは歩き方を美しく直していきたいと想います。
今後ともご指導の程、どうぞ宜しくお願い致します。
真面目ではなく、真剣でないといけない。他人に対して自分を良く見せようとする真面目では成長できない。正しいと分かっているのにやらないことや、正しくないとわかっているのにやってしまうことがまだまだあります。そういう場面が成長の場であり、変化していかなくてはならないところです。
常に真剣であり自分に嘘が無いことから自信ができ、飾らない自然体が一番強い。
頭脳よりも身体が先んじてそのことを知っているにも関わらず、知識や間違ったプライドが邪魔をしてしまいます。宇城先生に気を通していただくと、できる自分がすでにいます。本来そういう力が自分の身体には備わっているという事実を示してくださること、さらに、それを気によって身をもって体験させていただくことは本当にありがたいことです。「上中下3つの勝ち」のお話にもあるように、常により高い次元、できる自分に向かう心の在り方が大切なのだと、今回の合宿は感じる場面が多かったです。
検証でやっていただいた靴を揃える、正座をする、かかとから歩くことなどは、本当に驚くほど違いが出ます。できていない自分がいるのは、教えていただいた以上は、できないのではなくやっていないだけです。気づきで終わらせるのでなく、日々の心がけ、実践のレベルにもっと自分を近づけていかなくてはなりません。自然体で勝手に身体が動き終わっているようになるまで反復、反復です。今までの道塾で教わってきたことが、今回の合宿でぐっとつながったように感じました。 中心をつくり濃くしてゆく、という宇城先生のお言葉の意味が前よりも理解できました。
懇親会では、塾生の先輩のお話を聞いて涙が溢れてしまいました。
自分のお父さんのことが心に浮かんだからです。親には本当に一番身近なところでお世話になっているのに、なかなか素直に感謝を表すことができていなかったなと反省しました。両親がいなければ、私の存在すらありません。そして生まれた後も、ずっと小さな頃から大切に育ててくれました。感謝してもしきれません。そのことに気づかせていただいたこと自体、ありがたいことです。近くにいるからこそありがたみを忘れてしまいがちですが、親とともに過ごす時間をもっと大切にしようと思いました。また、ともに過ごす時間だけでなく、生を与えていただいたこのいのちを私自身が全力で生きることが務めだと思います。
人間がいつ死ぬかわからない以上、大きなこと小さなこと、すべて人生の本質だと肝に銘じ、宇城先生のようなエネルギーのある生き方に少しでも近づけるよう精進してまいります。いつも大切なことをたくさん教えていただき、本当にありがとうございます。今後ともご指導をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
合同合宿本当にありがとうございました。 この合宿が終わり数日経ちますが、先生のおっしゃった言葉と日々向き会う毎日です。 人を倒せることや投げられる力が今回自分の中にあることをしりましたがそれ以上に学んだのは、宇城先生の生き様です。私の心に響いた話は沢山ありましたが中でも、肚に残った話は次の三点です。
1、真面目でなく真剣 先生が言われた真面目では、駄目だという言葉が胸に突き刺さりました。我々社会人は、真面目は、当たり前。 当たり前で過ごしていることに満足する自分がいましたが、裏を返せば間が詰まっていることだと思います。 それでは、全てのことに間に合わない自分だと思います。先生がおっしゃるように大切なのは、真剣の世界。そこに身を委ねる。そのことは、想像以上に辛くしんどいです。 しかし、その先にしか進化、成長はないと今回強く思いました。ただひたすらに続けていきます。
2、死ぬこと以外はかすり傷 心の持ち方で今まで小さなことに居着いている自分。ただ止まっている自分がいました。それを乗り越えるための金言を頂きました。その言葉が『 死ぬこと以外はかすり傷』です。この気持ちになれ ば自分が孤立しない。さらに、空気と一体となり調和でき不思議な力が湧いてきました。
3、争わず差し出す 飲み会の席である方が『相手にたいしての争う意識をどの様に克服したらいいか?』という質問をされました。 その質問に宇城先生は笑顔で自分のお手拭きを持って、『これを取りに来て』とおっしゃり相手の方が取りに来るとその瞬間に相手の方の元にお手拭きがありました。
そして、笑顔でその場をさられる姿に私は、心から男前だと感じました。相手に欲しい物を差し出すそのことが自分の徳に繋がり相手と争わない世界につながるんだと先生はおっしゃりたかったんだと私は思いました。 これら、三点が私が今回強く肚に残った言葉です。しかし、私は日々の日常の中で気付けば相手と争っています。ただ真面目にそこで止まっています。先生がおっしゃる生き方、示して頂いた生き方には遠く及びません。 その事実と正面から向き合い、日常を大切にしていき、子供達を輝かせる人になるため頑張ります。ありがとうございました。
合宿では大変お世話になりました。「すべての物にはエネルギーがあり、目に見えないところに本質がある」ということを、竹の棒を使って教えていただきました。竹の棒が伸びたり縮んだりするということは普通の考えでは理解することができません。ただ、その「普通の考え」こそが物質主義の世界であり、我々の洗脳された考え方そのもです。また、「つながった大人がエネルギーの力によって体育館の中を走り回り、自分たちで止めることもコントロールすることもできない状態」を経験しました。
エネルギーの大きさと、自分たちの頭でできる行動の限界をはっきり感じることができました。
自分たちの身体に備わっているエネルギーを頭でコントロールすることは出来ません。
それはエネルギーの方がずっと高いレベルにあるからだと思います。しかし、日常の所作、心のありようによって身体のエネルギーの流れ方が違ってくるというヒントを教えていただきました。我々は、エネルギーを直接扱うことは出来ませんが、「心」と「所作」に少しだけきっかけを見つけることができます。
普段のふるまい、一つ一つの所作が自分たちの身体に大きなエネルギーの変化となって表れてくるという事実を知ることがとても大切なことだと思います。
日常の生活、一日24時間がすべて修行であるという意味を改めて感じました。ありがとうございました。
今回、初めて合同合宿のご案内を頂き、参加させていただきました。雪をかぶった富士山と桜に囲まれて、何か夢の中、桃源郷にいるかのようにさえ思いました。普段の道塾とは比較にならないほどの密度の濃さを体験させていただきました。これが合宿か…衝撃でした。
一日目の午後、そしてお風呂の時間、夕食時間、懇親会、二次会、そして二日目の午前・午後、宇城先生に教えていただく一つ一つが本当に自分の中に入ってくる感覚がありました。しかし、その中で場面によっては古い自分の考えや感覚が邪魔して戸惑うこともあったりして、なかなか素直に目の前の事実を受け止めきれていない自分もいました。きっと先生からは、なかなか素直になれないヤツと、自分の眼の中を見られていたかもしれません。それでも自分の体は、先生の「気」を感じ、圧倒されていました。先生の「気」の世界は、まさに絶対の世界です。普段自分がいかに相対の世界で心身の感覚を麻痺させていたのかと愕然としました。十人以上の人の列を、手のひらひとつで「暴れまわる大蛇」に変身させる先生の「気」には、本当に驚かされました。目に見えないエネルギー、古典物理学では決して解明できない波動の世界を目の前にして、この世界はむしろ「目に見えないもの」こそが「実」で、目に見えるものはむしろ「虚」でしかないのだと気づきました。
今回の合宿では「心」のあり方が、身体に如実に反映する場面を何度も体験させられました。「心」の教育というと、何か胡散臭いものになりがちですが、宇城先生の教えには全くそれがありません。それどころか、目の前で信じられないことが次々と展開されていくので、自分自身が全く追いついていない状況でした。日頃どれだけ、「心」を見ていないか、痛感させられました。また、真面目と真剣は違う。真面目はどこか人の目を気にして、よく思われたい自分がいるが、真剣はそうではない。今こそ真剣に自分に向き合うことが大事だと先生は解かれましたが、これこそ、深さなのだと思います。社会が不安定になればなるほど、自然が人間に対して脅威をむき出しにすればするほど、真剣に24時間、自分自身と向き合って、自分の中の「本気」を引き出していかなければならないのだと思い知らされました。
と同時に、今回合宿に参加させていただいて、目を見張ったのは、宇城先生に学ぼうとする塾生の真剣さと謙虚さとパワーのすごさでした。何人か数年前から存じ上げていた塾生の方たちの進歩・変化を目の当たりにして、自分がいかに後れを取っていたかわかりました。しかし、それは悔しいことではなくて、その事実を受け入れて自分もこれからますます宇城先生に学び続け、変化・成長して生きていきたいという気持ちをさらに強く持たせていただきました。
来月から自分は管理職の一翼を担うことになりますが、荷が重い役割を与えられて、宇惑うことも多いのですが、覚悟を決めたら自分からどんどんやってみたいことがたくさん出てきています。現在の職場の中で自分はどちらかというと上にクレームをつけることが多い「反体制」的な存在なので、管理職など自分は全く考えていませんでしたが、何か周りの状況が変化しているようです。どんな状況にあっても、宇城先生から学んだ「心」を中心に据えて、チャレンジしていきたいという気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
今回も凄い合宿でした。自分の中の価値観が身体の奥から変わっていく経験をしました。2日間先生の「気」に包まれていたことで、今も静かでエネルギーに満ちた感覚が身体の奥底に残っています。統一体から観ると全てのことが繋がっているということが先生のお話から分かりました。以前は先生の知識量や勉強量の凄さに圧倒されるだけでしたが、それらを別々のこととして捉えるのではなく統一体から観るから先生の判断はいつも正しく先を行っておられるのだと今回の合宿で分かりました。
今回、最も衝撃を受けたのが、数十人で組んだ隊列を親指だけで四方八方に動かすという実習でした。少し油断すると吹き飛ばされるほどのエネルギーで自分の意思ではどうにもならない程の凄まじい力でした。底知れないパワーに言葉を失いました。先生は私たちのレベルに合わせて加減をして下さっていると思いますが、それにしても凄い力でした。この体験から私たちが生きていく世界は、これまでのスポーツ的な価値観ではどうにもならないことがはっきり分かりました。現在のスポーツには全く意味がないことが腹の底から分かりました。私は間違ったことをこれ以上したくありません。スポーツ的価値観を含めた社会からの洗脳から抜け出て、本当の生き方をしていきます。
先生は「真剣」と「真面目」の違いについて詳しく教えて下さいました。真剣は自分自身に向きあうことで、真面目は人からの評価に向かう、と。私はこれまで真面目から抜けられませんでした。真剣に生きていたフリをしていただけです。こうした偽善、欺瞞を捨て正面から自分と向き合って生きていきます。1人革命はまず自分を変えることから始まります。真剣に自分自身と向き合い、間違って身につけてきたものを捨て、己を変えていきます。
手を腰の後ろに持っていき身体を反ってサンチンの構えを取ると、掴んできた相手を投げることができました。また、サンチンの構えを取る時に後ろの腰部に息を落としていっても同じように相手を投げることができました。先生の教えを実践すれば自分でも投げることができるんだと自信になりました。本当に嬉しかったです。正座や靴を揃えるなどの正しい所作、踵から歩くことや楽器を演奏したつもりになって歩くことの教えを24時間実践していこうと思います。大きな希望を与えていただいた2日間でした。ありがとうございました。
今回の合宿に参加させていただいて、ご講義や様々な検証を通して、改めて日常生活の中にある日本人としての所作がとても大切なのだと感じました。正座や歩く時の姿勢、靴の脱ぎ方とその並べ方、机に本を丁寧に置いた時と投げ置いた時との違い、また部屋に対しての机の向きなどの関係でもすぐに弱くなってしまう身体がよく判りました。それが相対した人との関係になれば心の持ち方によって大きく変化していくのだと再認識しました。
具体的に検証で教えていただいた時の驚きと感動を持続して更に発展させたいと願うのですが、消えていってしまいがちなのは自分の雑な感性と横着さなのだと思います。最初は全く判らなかったその微少な感覚の違いが感じられるようになれば、そこを磨いていって自分の芯を太く強くできるはずで、その為には行動が必要です。人に何かを求めずに、まず自分が動いて変わっていくことの大切さも感じました。いまだに自分が動くにしても人がいつになってもやらないのを見て動くことが時たまあります。縦列にスクラムを組んで先頭の人がエネルギーを受けた時には、最後方までそれが増幅して伝わっていっています。そして連なった誰もがアクティブになれるよう、まずは自分があれこれ考えずに行動していこうと思いました。
また、検証の途中で腰を打って動けなくなった方を治療された時、すぐに回復して再び参加できるようになった事には驚きましたが、その時の真剣なお姿から伝わってくる深い愛情、真心が教えて頂いている全ての塾生にも同じように注がれているのを感じ、誰もが目頭を熱くした瞬間だったのではないでしょうか。私も本当に微力ながらも、あの瞬間に感じたことを日常に活かしていくことが自分の人生を有意義にできる道なのだと感じました。いつもありがとうございます。