「鏡、ふいといてよ」と何度言われたか分かりません。
朝、顔を洗い、寝癖を取るために髪を濡らした後は、決まって洗面台の正面の鏡に水が激しく飛んでいるからです。
「どうやったら前に水が飛ぶの?」と問われても、答えようもありません。
自分でもなぜか分からないのですから。きっと一人暮らしの時分からそうだったのでしょうが、気に留めたことはなく、結婚して指摘され、初めて知ったことでした。直そうにも直らない。長年の癖なのだから仕方がない。ずっとそう思っていました。しかし、今回の合宿で、その変わらないと思っていたことが変わることになりました。
最初の変化は、合宿から帰った三日後の朝のことでした。サンチンを始めると、ふっと全身の力が抜けたのです。同時に、これまで随分力が入っていたのだな、ということが分かりました。
その二日後、さらに変化が起こりました。
顔を洗ってから鏡を見ると、鏡は、顔を洗う前の状態のまま。水滴は付いていませんでした。
これにはびっくりしました。これまでいくら気を付けていても全くできなかったことなのに、意識もしてないのに急にできるようになったからです。何度か試してみても、水は鏡に飛んでいきませんでした。余分な力が抜けたのだと思います。
今回の合宿では、サンチンの型にいろんな要素を盛り込んでいくということが行なわれました。
身体が覚えているから、何も考えずにやればよい、というお話でしたが、そのとおりで、日常の動作やサンチンの型をやる中で、頭で考えていたわけではないのに実際に具体的に変化が出てきたことには驚きました。それ以降、「鏡、ふいといてよ」と叱られたことはありません。
体の使い方自体が変化したのだと思います。
合宿を終えたとき、これから自分のサンチンがどう変化していくかが楽しみだと思っていたのですが、それが具体的に見える形で変化したことをうれしく思いました。
これ自体は小さな変化ですが、こういう小さな変化から関係性の変化が起こり、その積み重ねの上に、家庭の調和があり、仕事の充実があるように思います。
真心を伴う行動を日常の中でとっていく訓練を、日々行なっていきたいと思っています。
今回の合宿では、サンチンの型やその奥深さを学ぶものであると同時に、型にこだわることはない、ということも感じました。というのは、他の塾生の方と話をする中で、宇城先生や道塾との出会いを通じて、型の完成以前に、既に人間的に大きく変化し成長した話に多く触れたからです。
型の完成は目指すところではありますが、型が未完であっても大きな変化をしていくことができるということもまた、とても大事なことのように感じました。
今回の合宿は、宇城先生という師の裾野の広さを感じた合宿でした。夕食の際には、様々な方がマイクを持って話をされていましたが、海外から学びに来られている方、昔に一度道を外れた方、父と子で参加されている方など本当に様々でした。また、懇親会や道塾でも、職業も、年齢も、住んでいるところも違う方々が合宿に来られていることを実感しました。そして、そんな多種多様な皆さんが宇城先生の指導を受けられ、何かを感じ、今も学ばれ続けておられます。懇親会中にも、「こんだけいろんな人が集まって、こんな和やかな雰囲気あるか?ありえへんやろ?」と、ある方がおっしゃっていましたが、まさにその通りだと感じました。
講義も非常に濃いものでしたが、中でもパワースポットの話が印象に残っています。宇城先生に気を通していただかなくても、パワースポットにいれば簡単に人を投げることができる。話には聞いていましたが、体験すると何とも不思議な感覚でした。日常の中でも、もちろんパワースポットというものは存在するのでしょうが、今まではそれに気づかない、あるいは気づこうとしていなかったのだと思います。最近、何か悩みや迷いがあると、宇城先生の「『あー』とか『うー』とか言っている暇はないんです」という言葉がよく頭に浮かんできます。その言葉を踏まえると、自分の殻に閉じこもっている暇があったら、日常の中で心を開いて体で何かを感じる、ということが今の私にとって大事な気がいたしました。そうすれば、何か行き詰った時に瞬時に決断ができるのではないか。日常の行いを変え、身体の感度をさらに高めていきたいと思います。
合宿には2回目の参加でしたが、今回も実り多き経験をすることができました。
まず実践の中で学んだのは、心と身体を開くということです。呼吸法の実践を通じて身体で呼吸する場合とそうでない場合の体の強さの差を明白に感じることができました。また、人が視覚等の感覚にいかに影響されやすいかということも気づかされました。目を開いている場合と目を閉じて音に集中 する場合では体の強さが後者の方が強いこと、そして、目を開いて歩く場合と目を閉じて歩く場合とでは、後者の方が膝や足の裏に感じる重さが大きいということです。自分がいかに周りの環境の影響を受け、しかもそれに気づかないでいるかということに気づかされました。
サンチンについて多くの時間を割いて、ご指導をいただけました。心をおおらかに持って、関節をよく伸ばして行なうことや、足を運ぶときの注意点や、虎口の両手の位置の検証方法など多くのことを学びました。このような動作についての指導は大変有り難いものでしたが、それ以上に印象に残っているのは、今まで学んだことをサンチンに詰め込んでいき、自分のサンチンを作っていくということです。自分の生き方そのものがサンチンを作っていき、そのサンチンを型としてさらに日常に生かしていくというサイクルを築かなければならないと感じました。正直、今の自分には難しいことのように思えますが、あれこれ考えても仕方がないので、今まで学んだこと・経験した感覚を、とにかく詰め込んでいこう
と思います。
道塾は宇城先生の指導を受けることができるというのはもちろんですが、塾生の仲間たちと交流を持つことを通じ、その意識の高さが非常に刺激とな りました。自分もどんどん成長しなければならいと心を新たにさせられました。
今の自分の殻を破り向上したいと思っても、自分が何をすれば目的を達することができるのか、また、何を信じれば良いのか分からないというのが現実だと思います。しかし私たちは幸運にも縁があり、道塾の場に参加することができました。道塾の素晴らしいところは、細かいところは自分で気付い ていくしかないにしても、進むべき方向性については確信をもって注力できることだと思います。これは宇城先生が、自ら人間の可能性を見せて下さるだけではなく、我々にも経験させるという人並み外れた指導法によるものです。あとは、自らが努力できるかできないかにかかっているということを、 自らの心に改めて刻みつけ、次回の参加までには少しでも成長するよう努力を続けます。
今回、初の合宿参加という事で、正直緊張しながら向かいました。2日間ともなれば、かなりの量の教えがあり、吸収しきれず、せっかくの教えを、無駄にしてしまうのではないかという不安などがありました。会場に到着して間もなく、合宿スタートとなりました。講義はサンチンの形を基に進められました。呼吸法や、手足の細かい形他、サンチン初心者の私には知りたかった事ばかりで、非常にありがたい思いでした。そしてその形から引き出したであろう、私達にも理解しやすいかたちでの検証を行ない、出来ない自分、そして気を通されるといとも簡単に出来てしまう自分。そして、その感覚をもって、すかさず形を行ない、逆に形の中に入れていく作業。その流れの中で、さりげなく出て来る様々なお話は、核心を突く様な重要なものであったり、この繰り返しは見事な程、絶妙に行なわれました。皆で行なうサンチンの形も回を重ねていくと、いつも家で1人で行なうものとはまた違う感覚を感じました。80人を超える多人数、傍から見たら、おそらくピッタリとシンクロしている訳では無いと思われます。しかし、自分には、ごく少人数で行なっている様な、集約された一体感の様なものを感じました。
そして2日目ともなると、普段の道塾より、圧倒的に気を通してもらっているせいか、あきらかに身体の変化を感じました。一言で言うなら、元気であるという事です。心身どちらかという訳ではなく、双方共に本当の意味での元気です。この感じは自宅に帰っても有りました。普通は息抜きで旅行に行っても結局疲れて帰って来ますが、今回の場合は、検証でかなり力を入れたりもしていますので、筋肉痛になってもおかしくない筈ですが、全く疲れもなく元気になって帰って来ました。試しに、家族に検証をしてみると、特に形や気合を入れたりといった事をする事も無く、軽く押せたり、引けたりしました。家族は手が重い感じがする、張り付く感じがすると言っていました。しかし、1日2日と日を追うごとに、この感覚は無くなっていきました。これは、先生に通していただいた気が残っていたものが少しずつ無くなっていったのか?もしくは、いい加減な日常に統一体を破壊されていったのか?私には残念ながらはっきりとはわかりませんが、日常の場面で、これはマイナスになる、エネルギーを吸い取られる、壊される、という様な事が、何となく感じられました。それにしても、この様な元気を日本人1人1人が持ったら凄いエネルギーとなると思いました。今回は身体知を中心に多くの事を学んだ気がします。懇親会等での塾生同士の交流も、大変貴重な時間でした。
今回の合宿は、私にとって業務上最も多忙で、かつ責任も重い株主総会直前の開催でした。これまでの自分であれば参加をあきらめていたと思います。
また、個人的にはメリケンサックの組手のお相手をしていただけたことは、きっと身体に大きな財産をいただいたのだと思っております。とても不思議だったのは、先生が格闘技的な構えをすると、急にこちらが楽になることでした。つまり、相手が戦おうとする構えを見せると、こちらは打ち込みやすくなるのです。なんだか余裕を持ってパンチを打ち込める感じになりました。しかし、武術的な感じで構えられると、いくら打ってもあたらない。先生はニコニコして立っているのに、こちらの腕は痛いし、息は切れるし、なんだか疲れてくる。そして、何度も寸止めで「あ、やられた」と思うとふっとばされたり、転がされたりしている。これがなんだか楽しい。一番凄いのが、先生が両手も下げて、ただ統一体で立っているだけのときでした。これはもう近寄れませんでした。というか蛇ににらまれたカエルのように身動きができない。これは経験したものにしかわからない財産です。
慌しい日常から離れ、先生やスタッフの皆さん、全国の道塾の仲間達と楽しい時間を過ごすことができ、2日間という限定された時間でしたが密度の濃い内容で、大いに学ぶことができました。体を通して経験したことは、知識で覚えたことと違って、頭で記憶したのではなく、感覚として蓄積されている気がします。実際に体を動かしてみると、自分がいかに左脳中心の生活をしているか、無心から程遠い思考に縛られているか、気の流れていない体になっているのか、ということを改めて感じさせられました。またサンチンの型を通して、皆が呼吸を合わせながら動作を行なうことで調和が生まれ、大きな気の流れができてくるのを肌で感じることができたのは圧巻でした。
ちょっとした視線の置き方、立ち方、手の位置、心の持ち方で、体にぶれのない軸ができたり、気の通った体になったり、またそういうやり方の上には上があるということに、驚きを覚えました。まだまだ学ぶべきことは多くありますが、身も心も考え方も生き方も、どこをとっても愛と調和のエネルギーに溢れた統一体になれるようになりたいと思います。
今回の道塾では、サンチンという型の持つ意味と深さが自分なりに見えた気がしました。型自体に意味はなく、そこに自分の学んだものを入れていくことによって意味が生じる。このことは私にとっては新たに気付きとなりました。型をただ繰り返しやればいいと考えていたある意味横着な心に気付きました。そこに何を入れるかが大切なのだ。それも入れたものを日々の生活の中で学んだことをさらに加えてブラッシュアップしていくこと。それが継続的にされなければ意味も生じてこない。ああ、型とはそういうことなのだ。この入れるものがいい加減だとその意味も水泡に帰する、つまりもとの木阿弥となってしまう。そうならないためにやはり師の存在があるのだということ。この一連のことがこの合宿において、気付きとともに、自分なりの型に対する理解として深まったと思います。まだまだ浅い理解ですが、それでも日々型を実践することに対して意識が変わったことは事実です。型に何を入れるかはまさに自分しだい、そして日々の修業しだいということでしょう。そして正しいものが入っていけば、その深さはさらに深くなる。その意味で尽きることのない容量を型は持つともいえる。そういう無限の入れ物としての型があることがまず有り難いと思わなければいけない。先生はそのように言われました。このことも大きな気付きでした。これまで武道とはほとんど縁のなかった私(たち)が、その神髄としての武術から生まれた型という恩恵に預かれるということは、やはり感謝すべきことなのだと思いました。
また、今回の合宿では、いつも道塾で言われている頭だけで考えるという左脳の弊害を改めて理解することができました。本当に左脳的な考えは邪魔をしています。実技の中でそのことを実感します。身体はすでに知っているのに、あるいは地球とつながっているのにそれを忘れさせてしまう。せっかくの繋がりを切ってしまう。つまり部分体となってしまうということです。部分体を集めても部分体しかできない。ロボットの組み立てのように部分を合わせても人間が本来持っている統一体の姿にはならない。統一体はどのような単位であってもおそらく統一体でしょう。統一体の集合からしか統一体はできない。そしてその統一体の力は集合が大きくなればなるほど大きくなる。集団で固まって腕を組んで一つの塊となって先生に気を送られて動き出した時に感じる個人ではどうしようもない力の体感はそのことを如実に示しているように思いました。
地球と一人一人の人間のつながりとしては重力があります。これは互いに質量を持つ人間と地球の間に働く物理的な力です。集団で動いている時に感じた力は、まるで自分が立っている床が傾いたことによってその方向に身体が感じる重力と同じようです。気はこの重力と関連していると。これはまだ今の科学、つまり今捉えられている宇宙の物質の5%分からの理解の世界からでは解明されていないと思います。実技で実践した羽交い締めにされた状態から、それも複数3人から前後ろ横から締められた状態から、つまり通常はとても解く糸口どころかその気にもならない状態から、気をかけられると一気に振りほどける力。あるいは正座して膝に手を置き、その手を対峙する人に押さえられるところから手を上に持ち上げる合気あげといわれる実技において、押さえる人をさらに後から数人が力を貸して普通より難しい状況においても、気をかけられると一気に持ち上げることができてしまう。そのような力。その道の修業の末に辿りつく技としての事実が自分の中で再現すること。こういう力がすべての人間に本来備わっている、そしてその上位の力としてのさらにそのこと自体を制御するという先生の気の世界。これらはやはりまだ科学の力が及ばない残り95%の世界を垣間見ている気がします。今の5%の科学の世界に囚われることなく、つまり左脳の世界に囚われない、より自在な人間としての力を一人一人が発揮できることが調和の世界に繋がる一番の道であることを改めて感じた合宿でした。
このような力を実際の身体の動きにエッセンスとして濃縮したサンチンという型に日々の気付きを入れながら、統一体としての身体を身に付けていけるようにしていきたいと思います。
非常に実りある二日間でした。サンチンをしっかりと教えていただきました。今までの「気」を通していただいた検証をしては型を行なうということを繰り返し行ないましたが、「何も考えず、今出来たことは身体が覚えているからそのまま型をしなさい」という先生の言葉が非常に印象に残りました。一歩足を踏み出す際も、パートナーの方に肩を触れられると足を出す際に引っ掛かりや衝突が生じますが、目を閉じて行なうと、その衝突は消えました。普段、いかに余計なことをしているかを実感しました。まだまだ意識やイメージで型を行なっていました。先生が「朝、起床したら直ぐに型を行なうのが良い」ということにも納得です。
合同合宿に参加させていただき、密度の濃い二日間を過ごさせていただきました。富士山の見える桜が満開の地で、身も心も清められた気持ちになり、帰る時は胸がいっぱいでした。 講習以外にも、夕食、朝食の時間に宇城先生からたいへん貴重なお話をうかがうことができて、とてもありがたく思いました。お話の内容はもちろん、宇城先生が私達に接して下さる時の話し方、眼差し、所作など全てが心に深く響きました。「人は魅力で人を引き付ける」と いうことは、こういうことなのだと実感させていただきました。
講義ではサンチンを丁寧にご指導いただき、サンチンの型の中には数えきれないほどの奥義が秘められていて、それは呼吸、歩くこと、観ること、姿勢・・・と日常の全てに繋がっているということを理解させていただきました。そしてサンチンの型の練習によるレベルアップが、そのまま日常のレベルアップに繋がるのだとご指導いただき、より一層日常を大切にしていきたいという思いを持つことができました。全員でサンチンの練習を行なった後に、宇城先生は「一人ひとりの少しずつの気が集まると、それが大きな気になる」とおっしゃり、その場に気が通っていることを、相手を簡単に倒すことができることで検証していただきました 。このことは、私達塾生全員の「一人革命」が繋がり大きな力になれば、日本を、また世界を平和に導く力につながっていくということではないかと希望を持つことができました。宇城先生の「心のある力強い、そういう人間をいっぱい作っていきたい」というお言葉に少しでもお答えすることができるように、弱い自分に打ち勝って日々精進していきたいと思います。
また色々な実技において、すぐに頭で考えてしまう自分の姿にも気付かせていただきました。潜在能力の発揮を妨げているものを取り去っていくことを常に心掛けていかなければならないと思います。この合宿で学ばせていただいたこと全てを日常に繋げていくことを心して過ごしていきたいと思います。
私は空手の経験がなかったため、道塾を受講させていただいてからサンチンの型を練習するようになりました。最初はビデオを参考にしましたが、それは他流派のもので動きの雰囲気が以前講演会で拝見した宇城先生のサンチンとは異なって感じたので、手順だけ覚えて自分なりに練習しておりました。その後、宇城先生のDVDが発売されてからは、DVDを見ながら練習してきました。今回の合宿は最初仕事の関係で諦めておりましたが、自分のサンチンが間違っていないかどうかを確認するためにも何としても参加したいと思い、その思いが仕事の速度を速めてくれて、ぎりぎりになってしまいましたが、参加の申し込みを行いました。
武術経験者の私としては、本物の型は秘伝で奥義が詰まっており、身に付ければ達人になれるといったイメージがなかなか抜けず、だからこそ、経験者の方が型に囚われて、型を素直に受け止められないんだと反省した合宿でした。
宇城先生の型は武術として強くなるためだけの型ではなく、人として強くなる為の型だと思います。型そのものだけが大事なのではなく、日常が型に取り込まれていかなければならないこと、型から日常へと繋がっていかなければならないことを、いろいろな検証を踏まえて教えていただきました。これまでいろいろと教わってきたことは全てサンチンと繋がっているし、また、繋がるように型を練っていかなければなりません。毎日何回練習したとかが重要ではなく、歩く、立ち上がる、呼吸する、見る、想う、24時間全てが修行。自分の間違った経験のフィルターを外し、素直に受け止めていきたいと思います。
今回、年度末と震災復興が重なり仕事が忙しく、合宿に申し込んだ後も参加出来るかどうかギリギリまで悩みましたが、参加して本当に良かったと思います。
合同合宿は初めての参加で少し緊張がありましたが、実践と講義、塾生同士で交流する中ですぐにその緊張や色々な思いは吹っ飛びました。
学校では「進路(指導)」とよく言います。私はもう一つあると思います。それは「心路(指導)」です。多くの方は目に見える「進路」はある程度ストレートにきたと思います。
小→中→高→大→社会人という風に。しかし、私を含め目には見えない「心路」ではずっと悩み苦しんできたと思います。生きる勇気、自信、「たった一度の人生、生命をどう生きるか」この「心路指導」をしてくれた大人はほとんどいないと思います。その指導をしてくれたのが私たち塾生にとって宇城先生です。「事理一致」は頭では到底考えられないような力、エネルギーを生み出します。
「心路」と「進路」が一致すると、これもとんでもないエネルギーを生み出します。また、「心路」が強くなってくると「進路」もまた変化します。「食べられてそこそこ暮らしていければいいかな」から「この仕事を通じて世の中に貢献したい!」という風に変わってくると思います。今、日本は「心路」を失いつつあります。多くの人がおかしいと思っていますが、「心路」がないために、目に見える「進路」ばかりをおいかけて一生を終えるような生き方が多くなってきています。それはスポーツみたいに筋トレのみで人生を終わらせているようなものだと思います。何も意味がないです。
私たちにとっての「心路」は宇城先生です。その塾生の私たち一人一人が真心をもって行動し、周りにとっての「心路」にならなければいけないと強く感じました。
そして、私にとって最大のテーマは「調子に乗らない」です。一生の戦いになります。三戦、ナイファンチの「型」、宇城先生の「生き方」を「眼・肚・心」に入り込むまで修行を積み重ねていきます。つまり一生です。謙虚に学び続け、実践を続け、修行を積み重ねてまいります。私は調子に乗りやすいです。その心を一瞬で見抜き、急所をビシッと指導して下さる宇城先生に本当に感謝です。
24時間全てが修行、調子に乗らず奢らずに常に最先端をいけるように修行を積み重ねます。そして、多くの人、私にとって多くの子ども達の「心路」になれるよう精進してまいります。
今回の合宿のご講義では、三戦の型に内包されている深い意味を、時間をかけて具体的に教えていただいたことに感激致しました。最初の呼吸のところで、ペットボトルの口を開くようにぱっと口を開いて体を回していくと楽に後ろまで回っていきましたが、その感覚をそのまま三戦に入れていくと手の動きに透明感のような感覚が生じてきました。また、間接は伸ばしきるということをその上に入れて、その瞬間に腕を押さえていただければ全く力を入れることなく、時間にゆとりをもって相手の人を崩すことが出来ました。力の概念の違いがよりはっきりと感じられました。
また、目から入る情報が身体に及ぼす作用があり、それを判ったうえで相手から返せば強くなっていくというようなお教えは、お世話にならなければ生涯感じられることではありません。一つの型を通して重力とつながって中心を作り、正しい型を求め続けることで、日常動作においても同じ感覚になっていく事が出来て、人と比較しての自信でなく、自分の身体、心に対しての自信を持てる可能性を戴けました。
初めて先生にお教えいただいたのは「胸を開いて生きなさい」ということでしたが、今回「背中を伸ばさんと」とのお教えをいただきまして、先生に背中を見守られているという気持ちで精進してみたいと感じました。
気を通していただいて周りと調和することによって人間は途轍もない力を発揮できることを目の当たりにした時に仰った「自分が幸せになる」というお言葉は正に事理一致と捉え、ありがたく感じました。
まず自分が幸せを感じられなければ人との係わりの中で幸せを感じていただける訳はありません。
そういう場を広げていければいいと思います。
素晴らしい合宿でした。合宿に参加できて本当に良かったです。
常に全身全霊で私達を導いて下さる宇城先生に心から感謝いたします。先生から一方的に気を与えていただくばかりで申し訳ない気持ちになりますが、先生の教えを少しでも日常に活かすことがその恩に報いることになると思いますので頑張っていこうと思います。
今回の合宿で心に残ったことは、24時間が稽古だということです。呼吸すること、歩く事等全てが稽古に繋がっているということがよく分かりました。どういう状態で呼吸したり歩いたりすることが良いのか具体的に教えていただいたことで、より一層意識できるようになりました。日常の中で思いついた時に実践していますが、目をつぶって歩いたり、ペットボトルのふたをあけるような感じで息をしてみたりすると合宿の時に体感した感覚が甦ってきます。疲れた時でも元気になります。この感覚を大事に今後も継続していこうと思います。
サンチンもたっぷり時間を取って指導していただきました。1つ1つの細かな動きから検証に至るまで、とても丁寧に教えていただきました。直接先生に姿勢を正していただく機会に恵まれましたが、その時のスーッとした感覚が今でも身体に残っています。先生は「この位置しかない」という所を見抜かれ正して下さったのだと思います。前傾したり反ったりするのではなく、きちんとその姿勢でできるよう日々心掛けて稽古していきたいと思いました。
ナイファンチンでは目の力を体感で学びました。自分でやっている時は見ているつもりでも、ぼやけていたり違う所を見ていました。しかし、先生に気を入れていただくと相手の中に入っていったり、視野が広がることを体験しました。あまりの違いにびっくりしました。日々の型稽古でも気をつけて取り組んでいこうと思います。
4月から勤務先が変わり不安な気持ちでいっぱいですが、先生の教えを活かし「真心」でやっていこうと思います。新しい勤務先は今までより仕事量が多く過酷になります。現状維持ではなく、進歩する為にそういう環境を自ら選びました。「お金をもらって修行できる」ことに感謝し頑張っていこうと思います。また、礼をすること、ゴミを拾う事も原点に戻り徹底していこうと思います。
初めてなので何かと戸惑いましたが、宇城先生に学ぶ者として、老若男女、仙台、東京、大阪、熊本道塾全員、気持ちは同じなのだと改めて思いました。初めてサンチンを先生に習いましたが、DVD等であなたのサンチンを育てていきなさいとおっしゃる意味が、サンチンの型を覚えることが目的ではなく、サンチンを毎日行なうことで、心を磨いたり、自分の違和感を修正することで体との対話がはじまり、善行を行なうことで心を育てる事だということ、そして決して型をきれいに行なうことでなく、美しいものにするためには、型の練習するときだけでなく、一日中すべての行動において心を磨き、透明な心で24時間過ごすことが大事だと思いました。また、先生のみならず全国の塾生と交流することで、道塾に参加している意味を再確認しました。
講義中に身体を通じて体験したことや、お風呂や朝食時に先生からいただいたお話に大きく揺さぶられ、道塾合宿の2日間で得難い経験をさせていただいたことに感銘を受けております。
大きく4つ、①人間には信じられないほどの潜在的な力が眠っていること ②宇宙・地球・深海にはまだまだ分からないことがたくさんあること ③目に見えないエネルギーが存在すること ④以上を自分が軽視しており猛省が必要なこと、を感じました。
①の「人間には信じられないほどの潜在的な力が眠っていること」については、「気」を通していただいたり、呼吸や型を通じて触れたりすることによって学ばせていただきました。合宿では、普段の講義よりも体験する回数が圧倒的に多く、集中的であるため、参加している間にどんどん自分の身体が変化していくことが感じられました。何人につかまれても大丈夫、どれだけ押さえられても動ける。逆に、先生に押さえられてしまうと1秒と我慢できない・・・など。しかも「なぜ自分にそれができるのか」「どのように自分がそれをやっているのか」が全く理解できませんでした。これまでにも何度も経験させていただいているのに、今回は本当に感動も新たで、信じられない、自分で自分の身体のことが全く分かっていないのだという事実に驚き、感動しました。
②はまさに「自分の身体にすら未知の部分がある」という事実から膨らんでくる思いであり、この世の中にはまだまだ本当に分からないことがたくさんあり、先生が繰り返しおっしゃる、いま見えている現象の全てを、現在分かっている範囲の知識や分析で理由づけし、答えを与えることの愚かさを感じました。地球の偉大なエネルギー、全ての生き物を共存させる信じられないほど莫大なエネルギーの存在に触れ、今回はいつにもましてさらに「現状の自分」で物事を考え、判断することの愚かさを反省させられました。
③については、会場の中のパワースポットを探す体験で、改めて感動いたしました。先生は冗談で「パワースポットが見える眼鏡」のお話をされていましたが、まさに、我々には見えないエネルギーや力の存在を、先生が的確に(角度や、それが移動していることまでも)把握されていることに驚きました。また、そういう目に見えないものの影響を我々が普段から無意識に受けていること。分かっていなくても、身体はそれを受信し、鮮やかに変化していることなどにも大変驚きました。
④については一番初めの実践、体を旋回させる動作で強烈に思い知りました。すなわち、「回せない」ということは回る前からすでに答えとして出ているのにもかかわらず、とりあえずやってみて「だめだった」という結論を得る自分の姿です。身体は「できるか、できないか」を先に感じているのにもかかわらず、意識で、頭で、根拠なく「やってみる」という自分の姿。旋回を例にしての検証でしたが、まさに私の行動は一挙手一投足が根拠のない、未来がまったく見えてない、とりあえずやってみる、の横着の領域に常にとどまってしまうという事実です。気付けてもいなかった自分と向かい合い、愕然としたものの、学びの機会をいただいたという気持ちで受け止めていきたいと思っています。
政治や教育の腐敗について先生が説かれるとき、つい先生と同じような気持ちになって「そうだそうだ」とうなずいてしまう自分がいます。しかし、政治や教育を腐敗させたままにしているのはまさに自分であり、「政治や教育の腐敗=自分の姿」と言ってよいのだと思います。自分たちが変われば、腐敗した状況のままでいられなくなる。そこを目指して、自身が変化していくことがもっとも大事だと思いました。
統一体と部分体がいかにかけ離れており、また自分が統一体にいかに遠いかということが厳然たる事実として迫ってくる合宿でしたが、講義以外の時間、お食事中も、お酒の席も、お風呂も、なにもかもご指導の時間にあててくださる先生に耐えがたいほど感動し、そのお気持ちを僅かでも受け止めていきたいと思いました。体験させていただいた驚愕の体験の数々は、溢れるようで受け止めきれないような思いですが、逃げずに、あきらめずに、小さくても一歩ずつ前進していきたいです。
先生から、「心を開け ふたを開けろ」との言葉、今まではピンとこなかったのですが、今回はずっと心に残っていて、今までやってきたことの上に先生の教えを乗せるのではなく、今までしてきたフルコン空手、筋トレという見栄を張る自分を捨てていき、ゼロから始めて先生についていく、その事が心を開くということなのではないかなと思います。先生から学び得るものは人それぞれ違いますが、塾生の皆さんと話をすると元気が出ます。僕はまだ19才なのに、このような合宿に参加できることに大変感謝しています。また、参加する事に意味があるのではなく、この学びで自分を変えていきます。調和や統一体という素晴らしい人間の原点であることを身体をもって示していただける先生にいつも感謝しています。宇城先生、先輩素晴らしい合宿2日間ありがとうございました。