2017年 東京中上級・B 第2回 (2017.4.12)

宇城先生の御指導してくれた事を実行したい   千葉 会社員 53歳 男性 KM

 今回の道塾では、冒頭に正座のやり方について教えて頂きました。
 座る時は、立て膝の段階で、腹を前に出す様に座るとの事、今までは、腹を引っ込めた状態で座ってました。教えてもらった座り方をすれば、足の痺れが和らぎました。全く痺れが無くなった訳ではないですけど、確かに楽でした。今まで、ただ正座をしていただけです。これでは何年やっても、痺れるだけです。
 昔の武士が、長い時間、正座しても痺れない理由がわかりました。正直に言うと座る訓練をすれば、長時間座れると、簡単に思っていました。正しい座り方で、正座しないと、どんなに訓練しても痺れるだけだと思います。

 宇城先生が、毎回道塾で言われる通り、日本は戦後、武術の技も、礼儀作法も形だけが、伝わっているのだと思います。そして武道がスポーツ化して勝敗ばかり争う様になってます。教育も、学歴やテストの結果ばかり優先にしています。武術を持って身を修め、武士道を道徳としていた時代に比べると、日本は全然違う方向に向かっていると思います。自分は道塾の皆さまと一緒に、宇城先生の御指導してくれた事を実行したいと思います。

 

いかに自分が日常で衝突しているのかを痛切に感じた   神奈川 会社員 30歳 男性 NS

 今回の道塾後、いかに自分が日常で衝突しているのかを痛切に感じました。
 道塾でフォーカスが合うという体験を宇城先生からさせて頂くなか、日常での自分は全くこのフォーカスを合わせることができていないのだと身に沁みて感じました。
 立っているだけで相手と衝突している自分がそこにいます。衝突を感じると自分の心はざわつき、そのざわつきは相手にも不信感として伝わる。仕事でもスムーズにいかない場が多々ありました。

 なぜ、衝突してしまうのか。今までやってきたスポーツやスポーツ空手の癖が無意識に身体へ残っているのだと思いました。そして何より自身の「謙虚さ」のない心が衝突を起こす一番の原因だと思いました。
 礼という型に感謝の心を込めて礼をする。そのとき感じる「ありがとうございました」という感謝の気持ちや、謙虚な心で日常を過ごすことがとても大切だと思いました。その心で常日頃いれば衝突は和らぎ、相手を嫌な気持ちにすることなく、また自分の心も落ち着き、仕事も円滑になるのだと感じました。
 日常の挨拶もハウツーからくるやり方ではなく、心を込めておこなう。横着な調子に乗った心ならば必ず調子に乗った身体となり、それは無意識に波動として、雰囲気として出てしまう。そして衝突する。 常に相手に入っていけるような謙虚な心で生活していきたいと思います。

 今回の道塾でもがっちり組んだ一列のスクラムを横から、縦からと押す検証がありました。普通に押されるとスクラム側は触れられたときに「押せない」ことが瞬時にわかります。

 次に宇城先生に押されたときは先に「押されてしまう」ことがわかる。先生に押されるときにはそこに全く衝突が起こりません。衝突が全く無い。同じ塾生が押す際には、押そうとするときが意識せずとも先にわかるので踏ん張ることができる。しかし、先生の場合は全くその「押そう」もなく、踏ん張ることもできない。また最初から押されないようにこちらが踏ん張って構えていても押されてしまう。こちらから衝突を起こそうとしても倒されてしまう。衝突したくても衝突できない。先生にはこちらが何をどうしても倒されてしまう。

 また今回ブッタが自分にできることを相手に映すことをされていたというお話がありました。しかし先生は何十年も前から同じことをされ、今ははるかにそれ以上のことを実際に体現されている。しかもこちらが信じる、信じないに関わらず先生の「気」は人間誰しもに変化を与えてくださる。
 私達の現代常識では到底考えつかないことを宇城先生は体現されておりますが、すべては愛の大きさであると話されていました。心がなければどうしても頭の行動となってしまいます。だから先生のように「思う」ことができない。先生の「思う」はとてつもないエネルギーで周囲を一瞬にして変化させてしまう。 しかし私達の「思う」は頭であり、その「思う」では周囲に何の変化・影響も与えることができない。

 今回、心・愛なくしては私から公の精神へは向かっていけないのだと思いました。 「自分さえ良ければ・・」では絶対に無理。行動で自分の愛、心を育んでいかなくてはいけない。心を取り戻していく、それは日常の自分の行動で取り戻していくしかありません。宇城先生の教えを常に問いかけ、謙虚に真剣に日常と向き合っていきたいと思います。