2015年 東京中上級・B 第1回 (2015.2.18)

「日常」が楽しいものに変化してきたように思います   神奈川 スクール経営 女性 53歳 KF

 先生の講演や合宿などになかなか参加できず、体験できるチャンスがごく少ない私ですが、それでもそれなりに気付きや理解が少しずつ深まりつつあるのを感じています。今回の第1回の中上級宇城塾でも、いくつかの気づきと感動を頂きました。

 一つは、「今」の幅。
 普段、私は「今」というと一つのことしかできません。でも、今回、右手への意識を持ちながら左手で人を投げる、という経験を通じて、「同時性」のある「今」を体験できました。これに似た体験は、子どものころにあったような気もするのですが・・・身体はそれをすっかり忘れ去っておりました。

 二つ目は、「気」による身体の変化。
 ふだんは胸が硬く、相手の方に後ろに方を引かれると息が詰まるのに、「気」を通して頂くと驚くほど柔らかくなるし、息も楽なままです。この硬い身体の状態で無理なトレーニングをしていれば、故障をするのも当たり前だ、と感じました。そのためには、「心」を深化・成長させていかなければ・・・!
 同様に、「気」を通して頂くと肩を揉む手がプロの技のようになったり・・・。
 一つ一つの行動が、これほど質の違うものになるとは!

 三つ目は、「統一体」で投げられた球のすごさ。
 統一体によって投げられた球は、まるで「活きて」いました。「部分体」で投げられた球とは全く違う!全てのことにおいて「気」の通った「統一体」で行うことは全く次元の違うものになります。そしてその差は圧倒的でおそろしいほどですね。日々の精進を通して、少しでも身体が進化してくれると嬉しいです。
 近頃は、今の自分が駄目な点が「あ、こういうところだな」と日常で小発見できるようになり、改めよう、と意識できるようになって来ました。それと同時に、「日常」が楽しいものに変化してきたように思います。
 また、以前先生にクライミングをしていることをお話させて頂いたところ、先生が「気」によって指の細胞を活性化させることで、指がホールドに密着されることを体験させて下さいました。あの時の感触を頼りに、クライミングをするときどのような「心」で取り組んだらよいのか、日々試行錯誤しております。そのことによって、少しずつではありますが、日常の「心」の持ちようとクライミング時の「心」のありようをつなげることの重要性が理解できるようになり、日常の鍛錬がクライミングに活きる、ということに自信が持てるようになって来ました。と同時に以前より少し、ビビらずに難しい課題に挑戦できるようになってきたように思います。ありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。 

 

横着を正すことを毎日、気に留めていこうと思います  群馬 会社員 男性 47歳 YK

 初級、中級と約一年半かけて学ばせて頂き、心も新たに中上級に参加させて頂きました。
 あいにく当日は体調が優れなかったのですが、あの場の「気」を浴びることで自分に叱咤激励をすることができました。今回、意識したのは、デモでの感じ方でした。毎回、見て、体感していることをどう自分は捉えて消化しようとしているのか?そこに注意を向けました。「気」の力を感じて「すごい!」はもう中級までで、そこから一歩踏み込む意識が今後の自分の課題だと思います。
 今回は「気」を通して頂いてから相手を投げた時の感覚が印象に残りました。自ら投げようと思うと、相手への支配、肉体的・心理的な衝突や抵抗などがどうしても出てきてしまいます。しかし「気」によって投げた時のあの捉われの無い、次元の違う感覚。相手を投げても、相手を支配している感覚がまったく無い。改めてこの感覚を体に刻んでおく必要があると思いました。そしてこの感覚を日常の中で再現できる事が自分にとっても周りにとっても大切なことなのだと感じています。その為にまずは、自分を振り返り、横着を正すことを毎日、気に留めていこうと思います。尚且つ、何事も力まず、いい意味で「片手間」で出来る様に生きていきたいと思いました。

 

指導者がしっかり気を持てば、まとまっていくことを教えてもらった  新潟 教員 男性 50歳 MS

 今年も受講させていただきありがとうございました。高校生を指導していく中でチームをまとめる大変さを感じていました。今回の講習の中で、10人くらいで押さえている集団を引っ張った。動かすことができなかったが、次に一人違うことを考えている集団を引っ張ると、簡単に崩れてしまった。しかし、宇城先生が気を持って横にいるだけでバラバラに考えている集団でも強くなり引っ張っても動かなかった。ハッとした瞬間であった。どんな集団でも指導者がしっかり気を持っていれば、まとまっていくことを教えてもらった。指導者が生徒を育てているのである。指導者がぶれていたのでは、集団は大きく成長はできない。今回、気づかせていただいたことを心に受け止め、高校生をしっかりと導いていきたい。ご指導ありがとうございました。

 

今回は自分自身、原点に立ち返ったような気がいたしました  千葉 会社員 男性 45歳 AU

 今年初めてのどう塾でしたが、会場に到着すると既に宇城先生がホワイトボードに書かれた部分体と統一体の違いの図があり、暫く見入っておりました。表の左側の部分体は、まさに今の私の姿であり、右側の統一体はどう塾入塾以来、私が目指している姿であると言えます。
 宇城先生の凄さは、一つの分野にだけに突出しているのではなく、手がけること全てが突出した業績を出されていることだと思います。そのような方は他になかなか見当たりません。また、その洞察力の鋭さも、恐らく多くの人がそう感じているように並々ならぬものを感じております。

 どう塾では、時宜に応じた話題で先生の物の見方や考え方から学ぶことができるで、大変勉強になると同時に嬉しく思うことでもあります。宇城先生が提唱されている統一体になることができたら、どんなに素晴らしいことかと思います。どんな風に世界が見えるのだろうかとか、「生かされている」ということが頭だけではなく、全体でとして感じ取れたらと思うと、活気に満ちた人生になるだろうと想像できます。
 宇城先生がいつも仰るとおり、私たちは生命体として既に完成して生まれてきているのであれば、その力をせき止めている正体は自分自身であろうかと思います。社会の仕組みによって洗脳されたとも言えるとは思いますが、それを解除できるのは結局のところ自分しかいません。私は、長年に渡って染み付いていた役に立たない思考で自分自身を苦しめていたような気がします。もっと自分自身の内面に深く焦点を当て、頭であれこれ考えるのではなく、感覚を信頼してもいいのではないかと思いました。頭で意図しようとすると心が凝り固まってしまい、結局何もできなくなる気がしています。

 20回以上は読んでいる先生のご著書『頭脳から身体脳へ』ですが、読むたびに新たな発見があり、新しい棒線が増えています。また読み返そうと思います。今回は自分自身、原点に立ち返ったような気がいたしました。ひょっとしたら、こういった新鮮な気持ちであり続けることが、今を生きるということなのかも知れません。今回もありがとうございました。またどうぞよろしくお願いいたします。

 

この大きな体験を宝にして、希望を持って進んでいきたい   長野 会社経営 男性 44歳 YH

 今回幸運にも、宇城先生が投げた野球の硬式のボールを素手で受ける機会を頂きました。
 最初は先生が部分体で投げボールを受けました。ゆっくり投げてもらっていましたが受ける度に両手にジーンと鈍く痛みがきました。次に統一体で投げてもらうと全てが変わりました。投げられたボールも、受ける自分の反応も、受けた両手の感覚も、今までに感じた事の無いものでした。うまく伝えるのは難しいのですが、先ほどより確実に速いボールでしたが、ボールに対する怖さは全く無く、いつの間にかボールが捕れている。両手は全然痛くない。そんな感じでした。
 次に魔球を投げてもらいました。自分的にはボールが一瞬止まってから加速してくるように感じました。宇城先生から、「ボールが消えて出てくるやろ。」と言われ投げてもらうと確かに先生が投げた瞬間ボールが消えていました。
 次に自分の後ろを塾生の方に押さえてもらって先生が部分体で自分に向かって投げるふりをすると自分はビビッて体が下がって押さえている手にぶつかりました。統一体で同じようにしてもらうと、ビビらず後ろの手に当たりませんでした。
 本当に貴重な体験ができ、自分なりに気付かせて頂いたのは、今までしてきた自分のキャッチボールには『今』がないということです。ボールが来るのを予測して動いてボールを受けてはいるものの、実際には遅れている。だからビビるし痛いのだと思います。
 宇城先生とさせて頂いたキャッチボールには予測はなく、頭で考えることもいらない、投げられる前から捕れる確信がある。ビビらない、痛くない、『今』がある。と自分は感じました。全てが今までやってきたことと違っていました。こういうキャッチボールもあるのだ。という喜び、目指すべき希望がおおきく湧いてきています。そして、先生に教えて頂いている様々なことと自分の中で少しずつつながりつつあるのを感じています。本物のボールを体験させて頂いたことに心から感謝いたします。この大きな体験を宝にして、希望を持って進んでいきます。宇城先生の仰ること、体験させて頂くことをもっと自分が敏感に感じとれるよう、心をオープンにしていきます。宇城先生。本当にありがとうございました。