先生の「気」による神がかり的な力を目の当たりにしました 奈良 教員 54歳 女性 TT
今回も貴重なご指導をありがとうございました。
講義の最初に映像がありました。足の不自由な方が、向かい合って前に座る人次第で、動かない足を上げることができるというものでした。しかし、距離が離れると上がりません。次に、宇城先生が前に座られると距離に関係なく足を動かすことができました。
これは宇城先生の「気」により細胞が活性化され統一体となった実証でした。医学では解明できず奇跡としか言いようがありませんが、先生の「気」による神がかり的な力を目の当たりにしました。
また、海外におけるセミナーの映像においても、世界の巨漢な空手者たちが、宇城先生の前では圧倒され成す術がありませんでした。日本はもちろん、世界でも活躍される先生の偉業にただ感動し、また、先生がよく仰られる、『進歩・成長とは変化すること、変化とは深さを知ること、深さとは謙虚になること。』を受けて、国籍は違えど「気」の素晴らしさを体験し、また、謙虚に学んでいこうとする外国の方々の姿勢に感動いたしました。
今回の講義の中で「パラダイムシフト」という言葉を教えていただきました。 先生の「健常者こそ障害者」「人間が横着になっている」という言葉に心が乱れ、私たち大人は手遅れなのかもしれません。しかし、宇城先生がまさしく実践し教えてくださっている一人革命を受けて、対立から調和、競争から共創へと変化できるよう、謙虚な気持ちを忘れず、これからも先生の教えに近づけるよう努力していきたいです。今後ともご指導をよろしくお願いたします。
今回も貴重なご指導をありがとうございました。
講義の最初に映像がありました。足の不自由な方が、向かい合って前に座る人次第で、動かない足を上げることができるというものでした。しかし、距離が離れると上がりません。次に、宇城先生が前に座られると距離に関係なく足を動かすことができました。
これは宇城先生の「気」により細胞が活性化され統一体となった実証でした。医学では解明できず奇跡としか言いようがありませんが、先生の「気」による神がかり的な力を目の当たりにしました。
また、海外におけるセミナーの映像においても、世界の巨漢な空手者たちが、宇城先生の前では圧倒され成す術がありませんでした。日本はもちろん、世界でも活躍される先生の偉業にただ感動し、また、先生がよく仰られる、『進歩・成長とは変化すること、変化とは深さを知ること、深さとは謙虚になること。』を受けて、国籍は違えど「気」の素晴らしさを体験し、また、謙虚に学んでいこうとする外国の方々の姿勢に感動いたしました。
今回の講義の中で「パラダイムシフト」という言葉を教えていただきました。 先生の「健常者こそ障害者」「人間が横着になっている」という言葉に心が乱れ、私たち大人は手遅れなのかもしれません。しかし、宇城先生がまさしく実践し教えてくださっている一人革命を受けて、対立から調和、競争から共創へと変化できるよう、謙虚な気持ちを忘れず、これからも先生の教えに近づけるよう努力していきたいです。今後ともご指導をよろしくお願いたします。
未来は心の源(想い)への気づきにあった 大阪 介護職 43歳 男性 YH
ご指導を受けて10年が経ちました。 私は学校を卒業してからは、自衛隊(レンジャー)、土木作業員、鉄鋼所作業員と肉体労働を生業としてきました。そして働きながら色々な格闘技をしているうちに宇城先生に辿りつき、道塾でご指導を受けるうちに、これまでの経験を上乗せして人と関わる仕事がしたいと思うようになり、理学療法士という職業に転身致しました。
当初はリハビリの花形である回復期病棟で勤務しておりましたが、本当に必要となるのは在宅や施設で介護が必要になってからだとの思いから生活期に転身。その後、制度や組織のしがらみに関係なく立ち回れるようにと独立し、現在に至ります。
よくよく考えてみますと、社交的でもないのに人と関わる仕事を選び、リハビリの第一線ではなく終末期に近い方々との関わりを選び、独立願望もないのに独立致しました。
この現実は私の思い描いた青写真ではなく、何かに導かれるように“今”に至ったように感じます。 “今”は過去からの延長線上にあり、“今”が未来に繋がっていると思っていましたが、私の場合、未来は心の源(想い)への気づきにあったように思います。
私の本当の想いは「強さ」ではなくて、「癒したい」「支えたい」だったのです。
道塾で先生の気に触れ続けるうちに、意識には上っていませんでしたが、心の奥底にあった想いが顕在化したように思えてなりません。裏を返せば、気付くのに10年も要してしまった。分かったようで分かっていない。分からないからこそ学び続ける事が大切だと改めて気付きました。
今後もご指導宜しくお願い致します。有難うございました。
ご指導を受けて10年が経ちました。 私は学校を卒業してからは、自衛隊(レンジャー)、土木作業員、鉄鋼所作業員と肉体労働を生業としてきました。そして働きながら色々な格闘技をしているうちに宇城先生に辿りつき、道塾でご指導を受けるうちに、これまでの経験を上乗せして人と関わる仕事がしたいと思うようになり、理学療法士という職業に転身致しました。
当初はリハビリの花形である回復期病棟で勤務しておりましたが、本当に必要となるのは在宅や施設で介護が必要になってからだとの思いから生活期に転身。その後、制度や組織のしがらみに関係なく立ち回れるようにと独立し、現在に至ります。
よくよく考えてみますと、社交的でもないのに人と関わる仕事を選び、リハビリの第一線ではなく終末期に近い方々との関わりを選び、独立願望もないのに独立致しました。
この現実は私の思い描いた青写真ではなく、何かに導かれるように“今”に至ったように感じます。 “今”は過去からの延長線上にあり、“今”が未来に繋がっていると思っていましたが、私の場合、未来は心の源(想い)への気づきにあったように思います。
私の本当の想いは「強さ」ではなくて、「癒したい」「支えたい」だったのです。
道塾で先生の気に触れ続けるうちに、意識には上っていませんでしたが、心の奥底にあった想いが顕在化したように思えてなりません。裏を返せば、気付くのに10年も要してしまった。分かったようで分かっていない。分からないからこそ学び続ける事が大切だと改めて気付きました。
今後もご指導宜しくお願い致します。有難うございました。