商品詳細|書籍
自己を磨き 人を育てる
師の存在が人生を豊かにする
著者 松井健二
定価 本体2,500円+税
ISBN 978-4-904464-62-5
判型/分 A5判上製 口絵8頁 本文240頁
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師の言葉、姿の中に、求める真髄がある。
師・乙藤市蔵の心の機微、人間性までを詳細に伝える115編におよぶ語録と、杖との出合いと魂の救いをくれた前師・清水隆次との稽古の日々。
師と向き合った詳細な記録は自己との向き合いであり、それは人生如何に生きるべきかを問いかけるものであります。
それは、こと武道を修める人にとって、修行の大切な指針となるでしょう。
杖道範士八段 松井健二氏が私的記録として書き溜めた「乙藤先生語録」と、季刊『道』で、師に就くとは、学ぶとはどういうことかを説いた連載「師につくし 自己を磨き 人を育てる」を一冊に収めました。
目 次
口絵: 乙藤市蔵演武
まえがき
棒杖術とは
第一部 のこしたい師の面影 ―― 乙藤市蔵先生語録
第二部 師はありがたきもの ―― 前師 清水隆次先生のこと
第三部 師につくし 自己を磨き 人を育てる ―― 武術で得た人間哲学
第一章 二師に仕えず ―― 普及のなかで失われた学びの姿勢
第二章 尋ねざれば 師は応えず ―― 伝承を失った民族は
第三章 五感を呼び醒ませ ―― 鈍化した社会の中で
第四章 神仏を感じているか ―― 人の歩むべき道とは
あとがき
(発売日 2015年6月発売)
◎ 乙藤市蔵 (おとふじ いちぞう)
明治32年1月11日 福岡県宗像郡勝浦村に生まれ、のちに福岡市千代町に移って地元の尋常高等小学校を卒業する。
大正6年6月 神道夢想流杖術二十五代の統白石範次郎に入門、兄のもとで洋服仕立ての技術を学びつつ修行を続ける。
大正12年5月 免許。萬町川口洋服店勤務の同14年5月皆伝。白石範次郎没後の昭和4年8月、高山喜六、清水隆次らと福岡道場を設立し、教師、ついで副師範として後進の指導に当たる。
昭和5年11月 「明治神宮鎮座十年祭奉納武道形大会」に福岡道場が出場、これを機に神道夢想流杖術が全国的に認知され、その普及が進む。
昭和13年4月 福岡道場高山喜六死去。かわって乙藤市蔵が師範をつとめつつ、福岡県武道教師(警察練習所)、福岡農士学校武道教師を兼務する。太平洋戦争勃発、敗戦後も流儀の存続に努力し、全日本剣道連盟杖道の発展に貢献する。
昭和38年5月 杖道範士
昭和54年5月 杖道九段
平成元年5月 居合道範士
平成10年2月24日 満99歳で死去。
◎ 清水隆次 (しみず たかじ)
明治29年12月31日、福岡県京都郡犀川町本庄に生まれ、地元の尋常小学校を卒業する。
大正2年5月 神道夢想流杖術二十五代の統白石範次郎に入門。
大正9年5月 京都の大日本武徳会主宰の武道大会にて、白石範次郎に同行し、高山喜六とともに演武。免許。この時の演武が、中山博道、嘉納治五郎等の目に留まり、神道夢想流杖術の中央進出の足掛かりとなる。同十年皆伝。白石範次郎没後の昭和4年8月、高山喜六、乙藤市蔵等と福岡道場を設立し、副師範として後進の指導に当たる。
昭和5年 上京。末永節の知遇を得て、頭山満、内田良平と交わる。この頃、四谷寺町の帝拳道場を借り無門道場と称し、東京にて神道夢想流杖術の各界への指導を本格化させる。
昭和6年 警視庁に入り、杖の師範となり、以後警察および民間に杖術の指導に邁進。
昭和15年 普及の過程において杖術を杖道と称するようになる。
昭和45年 多年の功績により叙勲される。生涯を通して、杖道の指導に尽くす。
昭和35年5月 杖道範士
昭和45年5月 杖道九段
昭和53年6月22日、満81歳で死去。
著者プロフィール
◎ 松井健二 (まつい けんじ)
神道夢想流杖心会 主宰師範
昭和10年(1935)中国上海生まれ。
明治大学文学部文学科(ドイツ文学専攻)卒業。川崎重工業(株)に26年間勤め定年退職。
昭和30年 神道夢想流、清水隆次師範に入門。神道夢想流杖術及び併伝武術を学ぶ。
昭和53年 清水師範他界後、福岡の乙藤市蔵師範に師事し、神道夢想流杖術免許皆伝。
昭和55年 神道夢想流杖心会設立。以降空手、拳法、合気道の師範にも指導。
日本古武道振興会 会員
日本古武道協会 会員
全日本剣道連盟 杖道範士八段
東京都剣道連盟 杖道部会会長