合気道草創期に、開祖・植芝盛平とともに修行の道を歩んだ盛平の甥・井上鑑昭師。
大本教に帰依した井上は、盛平とは進む道を異にし、昭和29年、それまでの「合気武道」から「親和体道(後の親英体道)」を名乗った。
今秋、VHSビデオ上下巻の『雷撃電飛の技 井上鑑昭と親英体道』をDVD版として発売しました。
DVD 『雷撃電飛の技 井上鑑昭 合気武道から親英体道へ』
以下に紹介するのは、井上鑑昭師69歳~70歳代のそのフィルムを初めて観た時の、合気道史家 プラニン氏の手記です。
(季刊『合気ニュース』 128号 2001年春号より転載)
※各師範の所属や肩書きは当時のものです。
井上鑑昭先生の映像を見て
合気道史家 スタンレー・プラニン
私が合気道の歴史研究を始めた頃から、「植芝盛平の甥・井上鑑昭」という名前は耳にしていた。植芝先生の戦前の弟子たちからお聞きしたところでは、「井上先生はすばらしい武術の持ち主で、それは生まれながらのものだ」ということであった。
そしてついに井上先生にお会いする機会を得た。85歳とはいえ、お元気で話題も豊富な、ユーモアのセンスにあふれたお方であった。先生が最高にお元気だった頃の演武を拝見したかったなと思ったものである。
ところが先日、思いもかけずそのような機会に恵まれた。親英体道の油井先生からお招きを受けて、30年前の、井上先生の撮影フィルムを拝見させていただいたのである。映写が始まり次々と先生の演武が映されていった。それはじつにすばらしいものだった。
叔父・植芝盛平翁をしのばせるところもあり、と同時に非常にユニークでもあった。優美な動き、安定した姿勢、天才的としかいいようのない体捌きは、何度観ても私を飽きさせなかった。
これらのフィルムから戦前の合気道がいかに豊富な技をもっていたかが想像できる。井上先生のシャープな入身、間合、その武術魂に魅かれる方も多いのではないか。
先生の、相手を完全に制御し包み込む演武は、先生の師・出口王仁三郎聖師の、愛と調和の精神を映し出しているのだと思う。
井上師とともに